薄暗い空から、雨が降り注ぐ。戦況の変化による艦隊再編。私がここに来たのはそれに基づくものだ。最前線にあたる南洋の小さな基地。そこが新たな私の任地となる。私を取り巻く環境の突然の変化。だが、戸惑いはなかった。私は使役される存在であるし、敵を撃滅するための存在だ。あえて言うのならば、むしろ好ましいというものだ。ここでならば、私は私の存在意義を存分に証明できる。
基地についた私を出迎えたのは指揮官だった。それもたった一人で。物好きな指揮官もいるものだ。
梯子を使って地上に降り立つ。今日から、新たな私の戦いが始まるのだ。
「エンタープライズ、着任した」
「…………っああ、よろしく頼む」
私に向けられる目は様々だ。奇異の眼で見られることもあるし、嬉々とした眼にさらされることだってあった。だが、一番多いのは恐怖に満ちた目だ。私は、未知の技術によって作り出された、人の形をした兵器だ。そんな、未知への恐怖。作られたのにもかかわらず人の形をしていることへの嫌悪。何よりも、私の持つ力への恐怖。私につけられたグレイゴーストの渾名は、それを如実に表していた。
だが、この目はなんなのだろう。私という兵器を取り扱おうとする指揮官のそれではない。強靭な意思によって恐れを覆い隠していた屈強な指揮官たちのそれでもない。危険物を取り扱うかのような神経質なそれでもない。
私に、私でない私を見ているような目。その目の持つ意味を、私は知らない。
着任してから数日、私はいまだ戦場に立てずにいる。施設の案内、艦隊の面々との顔合わせ。私には必要性を感じられないが、指揮官にとっては違うのだろう。
はじめて会った時から、妙な指揮官だと思う。だが、どんな指揮官の下であろうと私は私の責務を果たすまでだ。そのためにも、私に早く戦場を与えてほしい。
やはり、ここが私の居場所だ。向かってくる敵を撃滅する。その責務に身をゆだねる。この行為だけが、私の存在証明だ。
指揮官の考えはよくわからない。損傷箇所にはすべて処置を施した。私は十全の力を発揮できるはずだ。それなのに指揮官は私の出撃に難色を示す。私が戦えるということを話せば引き下がるが、もう何度もこのやり取りは繰り返している。なぜ使える兵器を運用しようとしないのだろうか。他の艦にしたってそうだ。十分に戦力になるまでに回復しているのにもかかわらず、必要以上の休養期間がある。出撃の間隔だって相当に長い。指揮官は私に何をさせたいのだろうか。
他の艦たちを見ていると、奇妙な感覚に襲われる。私たちの本質を見失うような、そんな感覚に。
体が重い。最低限の修理はできているはずなのに。だが、こんなことでは私は倒れない。向かってくる敵をすべて打ち倒すまで……っ!
指揮官から日記帳をもらった。不可解だ。これは私が使うようなものではないはずだ。
「指揮官、これはなんだ」
「日記帳だよ」
「そんなことはわかっている。だが、私には不必要なものだ」
「……いいや、そんなことはない。毎日を意味あるものにするためにも、自分と向き合って心の整理をすることは大切だ」
「……心の整理?おかしなことを言う」
「僕は真面目だ。とにかく、これは置いていくよ」
もらった日記帳。書くことなどあるはずもない。
思った以上に損傷は大きく、休養が必要なのは自分でもわかる。だが、どうしようもなく退屈だ。
……仕方がない。指揮官の言ったことだ。日記でも書いてみるとしよう。
「指揮官」
私は知りたかった。指揮官のその目を。
「どうした?」
私の知らない、その目を。
「……指揮官は、私のことをどう思う?」
「どう……」
他の指揮官とは違う、その目を。
「……私が、怖くないのか?」
指揮官は何と答えるのだろうか。確信はない。けれども、きっと、指揮官なら……
「……そんなわけない」
私の望む答えを返してくれると思ったんだ。
「……確かに、初めは少し怖かったのかもしれない。こんな武勲艦が来るなんて、一体どんな子なのかって」
「でも、実際に会ってみたら……」
「……会ってみたら、どうだったんだ?」
「……いや、すごく優秀で、真面目で、……少し無鉄砲で」
「……とにかく、怖いだなんて思うわけないだろう?」
指揮官がどんなことを考えてその答えを返してくれたのか、すべてを理解することはできない。ただ、最後の言葉に偽りはない。なぜだか、そう思うことができたんだ。
指揮官は、今までのどんな指揮官とも違う。
……私は、指揮官とならお互いに遠慮なく意見を言い合えるような、そんな仲になれると思えた。
「エンタープライズ?入ってもいいか?」
ドアの外から声がする。それは、指揮官の声。……私が待ちわびていた人の声。
でも、返事ができない。言葉がのどにつっかえてしまって出てこないんだ。指揮官に気づいてほしい。でも、指揮官に気づいてほしくない。そんな、まるで人間みたいに相反した気持ちが私の喉をふさぐ。
それでも、ドアは空いた。暗い部屋に光が差し込む。私の眼に指揮官が飛び込んでくる。
それでもう、私は耐えきれなかった。
「指揮官……教えてくれ。私は……私は……っ!」
指揮官は何も言わなかった。ただ、やさしく私を抱きしめてくれた。伝わってくる、人の温かさ。私が失って久しいその熱が、私の何かを溶かしていく。
ぽつり、ぽつりと肩に何か温かいものが落ちてくる。ぽつり、と指揮官が言葉をこぼす。
「……ごめん。本当に……僕は……!」
「なん、で……指揮官が、泣いているんだ」
何か熱いものが私の頬を伝って落ちていく。
「……僕は……気づいてあげられなかった……!わかった気になっていたんだ……!」
「君は、エンタープライズは、こんなにも苦しんでいたのに……!」
「こうやって当たり前に涙を流す、当たり前の、一人の女の子だったのに……!」
「あっ……」
そうか。私は泣いているんだ。嬉しくて、泣いているんだ。涙は、こんなにも熱いものだったんだ。
「ああ……!」
そうだ。指揮官は、あなたは、そうだったのだな。私が忘れていた、忘れようとしていた、心を持った存在としての私。あなたはずっと、その私を見てくれていたのだな。
「エンタープライズ?大丈夫か?」
「……はっ!?……ああ、済まない、大丈夫だ」
仕事中だというのに、眠気に負けそうになってしまった。まだまだ私も未熟だな。
「……気分転換に散歩でもするか」
「こんな時間に?」
「夜の散歩というのも、なかなかいいものだよ」
指揮官は時々こうやって仕事を中断する。あまり褒められたものではないが、きちんと仕事は間に合わせているし、何より私もこんな時間が好きだ。
指揮官とともに、夜のビーチを歩く。星明りのビーチが奏でるはさざめく波の声。まるで、世界に私と指揮官しかいないようだ。きっとここが目的地だったのだろう。流木に腰掛け、持ってきたコーヒーを啜る。
「夜の散歩もなかなかいいだろう?」
「……ああ」
今日の空に、月はいない。そのせいか、いつもより星々が輝きを増して見える。
「……星がきれいだね」
「……ああ。昔から星は好きだった」
「?」
「……天の光は全て星、海の光は全て敵────昔はそう思っていたんだ」
「……」
「あの頃は、それだけ追い詰められていたんだろうな。……変わることができたのは指揮官、あなたのおかげだ」
「……まったく……」
「?……どうかしたか?」
「……いや、少し照れ臭いなと思っただけだよ」
「……そうか。ん?あれはなんだ?」
何か光るものが海に浮いている。それを見た指揮官は、微妙な表情をしていた。
「ああ……また明石がやってるのか……」
「あんなにライトを使って……何をやってるんだ?」
「魚釣りだと。明かりで魚を集めるんだそうだ」
「ああ……何というか……雰囲気が台無しだな」
「……まあ、これで海の光は全て敵なわけではないと証明されたわけだ」
「まったく……ふふっ!」
「ははっ!」
しばらくの間、私たちは笑い続けた。
そんな、楽しい、美しい記憶。
「指揮官。大切な話があるんだ」
そう切り出すと、指揮官はいつになく真剣な表情でうなずいた。
私の、一世一代の大勝負。今にもあふれ出しそうなこの気持ちを、指揮官にも知ってほしい。
不安もある。もし受け入れてもらえなかったら、私は自分がどうなるかわからない。ただ、それでも、この気持ちを伝えなければ、私は一生後悔し続けることになる。それだけは嫌だった。
「……指揮官。私は……」
胸が早鐘を撃つ。今ならまだ止められる。
「私は……」
でも、止めるわけにはいかない。
「私は……」
だって……!
「……あなたのことが好きなんだ」
「もちろん、分かっている。あなたは人で、私は作られた存在だ。でも、それでも、この気持ちを抑えられないんだ!」
一度堰を切った言葉は、洪水のように溢れ出す。
「私は、あなたの隣に居たい。戦争が終わっても、この命が果てるまで、ずっと。あなたの隣だけが私の居場所なんだ」
「あなたが私を好いていてくれなくてもかまわない。ただ、隣においてくれるだけでもいいんだ、それだけで、私は……」
「エンタープライズ」
指揮官が、私の言葉を遮る。何と言われるのだろうか。心の中で感情が渦巻く。
「……少しだけ、待っていてくれるか?」
帰ってきたのは保留という答え。ただ、その表情はそれがその場逃れなどではなく、何か覚悟を決めたと語っていた。
「……ああ!勿論だ!」
「指揮官。入るぞ?」
返事はない。だが、私は今日何としても指揮官から答えを聞くと決めていた。だから、扉を開く。
予想と違い、指揮官は部屋には居なかった。何か用事でもあるのだろうか。明かりはつけっぱなしのようであったし、指揮官が返ってくるのは疑いようがない。だから私は、ここで指揮官の帰りを待つことに決めた。
そして、それを見つけてしまう。
机の上に置いてあった報告書。指揮官がここ数日作っていたのは、おそらくこれなのだろう。
手が震える。喉が急速に乾いてくる。表紙には、ただこう書いてあった。
「KAN-SENとの交友関係の進展に伴う各種能力の向上」
曰く、指揮官とKAN-SENは交友関係の進展、いわば親密度が高まるにつれて能力が向上するという。
曰く、この事例は報告者によって各種データが収集され、普遍的なものであることが確認されているという。
「嘘、だ……違う、指揮官はそんな……!」
必死に否定しようとした。指揮官は兵器としての私ではない、一人の女の子としての私を見つけてくれた。だから、こんなの絶対何かの間違いだ。机の上を見る。何か、否定材料があるはずだ。指揮官は、私の指揮官は……!
机の上には、指揮官の日記が置いてあった。書いたばかりなのだろう、インクがまだ乾ききっていない。そこには、こう書いてあった。
「彼女は戦うための兵器だ。だから、人と関係を持つことなど有り得ない」
あれ?おかしいな。文字が霞んでよく見えない。そこにそんなことが書いてあるはずがない。そんなはずはない。でも、何度眼をこすっても、何度見返しても、そこに書かれてある内容は変わることがなかった。
頬を何かが流れ落ちる。私は、指揮官に涙があれほどまでに熱いことを教えてもらった。でも、不思議だ。今日の涙はとても、とても冷たかった。
そこから、どうやって部屋まで戻ったのかは覚えていない。ただ、部屋についてベッドに突っ伏したとき、私の恋が終わったのだと知った。
「うう……ああっ!…………っあああああああ!」
私は泣いた。信じていた指揮官に裏切られた。その悔しさの涙だろうか。それとも、恋が終わったことへの悲しみの涙だろうか。私にはわからない。ただ、一つだけはっきりとわかっていたのは、これが私が流す生涯最後の涙になるだろうということだった。
私は兵器だ。それ以外の何物でもない。なぜ、私には心などというものがついているのだろうか。こんなものがなければ、何にも惑わされずに済むのに。
なんで!どうして!
こんなにもはっきりと、これ以上なく明確に私の告白を否定されたのに!
こんなにもはっきりと、私の信頼を裏切られたのに!
どうして、どうして私は、指揮官のことを嫌いになれないんだ……!
指揮官のことを嫌いになろう、憎もうと思うたびに、指揮官のことを思い出してしまうんだ……!
その度に、私は、私の偽らざる気持ちのことを思い出してしまうんだ……!
こんなひどいことをされたのに、それでも、どうしようもないほど、指揮官のことが好きなんだ!
いままで築き上げてきた、指揮官との思い出がどうしても忘れられないんだ!日記だって捨てた、思い出も捨てた、みんな海に還った、そのはずなのに!
心だ。心なんてものがあってしまったばかりに、私はおかしくなってしまった。もう、私は使い物にならない。兵器としても、人もどきとしても。
兵器が兵器によって兵器の命を断つ、か。生涯不敗のグレイゴースト様が自らに敗れて終わるというのもなかなか皮肉が効いた話だ。
グレイゴースト、思えばこれ以上に私を的確に言い表した言葉はなかったのかもしれない。
敵味方から畏怖され、灰色の一生を過ごす。人に触れようとしたところで、幽霊にそれは叶わぬことだったのだ。
手にしたものをこめかみに突きつける。引き金を引けば、すべてが終わる。
そんな命の散り際に、思い浮かぶのはやはり指揮官だった。こんな短い一生ではあったけれども、それでも、あなたに会えただけでよかった。指揮官、さようなら。ああ、あなたの声が聞こえる気がするよ。
「やめろおおおおおおおおおお!」
銃声が鳴り響く。放たれた銃弾は私の生を断つはずだった。
だが、私は生きている。
ゆっくりと目を開く。そこには、地獄が広がっていた。
私の想い人は、胸に大輪の花を咲かせて倒れていた。
「なんで……なんで……!」
「…………った…………」
「なんであなたが!」
「エンター、プライズが無事で、よかっ、た…………」
「指揮官!指揮官!」
「ああ……ああ、ああ、ああああああああああああああああああああああ!」
「君の処分が決まった」
「…………」
「すべての軍歴をはく奪し、不名誉除隊処分とする」
「…………解体しないのか?」
「情状酌量の余地ありという判断だ。これで君は本当にゴーストとなったわけだ。では」
「…………」
「…………私は、何のために生きているのだろうな」
「…………あなたにもらった命を、私は生かせそうにないよ」
「…………指揮官」
終わりません。まだ続きます。