世界というものは、想像をはるかに上回って残酷だ。
あの時、指揮官がその身を挺して救ってくれた私の命。だが、命の代償はあまりにも大きかった。
私は、もう二度と指揮官と会うことはできない。
私は、あなたに救われた命で、色を失った、灰色の世界を生きていくことになった。それは、生きながら死んでいるようなものだ。あなたのいない世界になど意味はない。けれども、あなたにもらった命を捨てることだけは決して許されないことだ。
だから、私は亡霊のように生きていく。それが、私にふさわしい刑罰だ。
「エンタープライズ、入るよ?」
「…………」
「はい、これ。日記帳、大切なものなんでしょ?」
「…………っ!」
「それと…これは指揮官が用意していた物みたいなんだ。……きっと、エンタープライズが持つべきものだから」
それは、指輪だった。
それを見た瞬間、涙がとめどなくあふれてきた。私にそんな資格などないはずなのに。
「だ、大丈夫!?」
指揮官は、こんな私のことをずっと好いていてくれたのに。ただ想いを伝えて終わりにしようとした私なんかとは違い、私の未来のことを真摯に考えてくれていたのに。
全ては愚かな私のために台無しになってしまった。
それなのにもかかわらず、私はそんな幸せな未来を失ったことに涙を流している。
すべて私のせいなのに。指揮官の、皆の、私の未来を奪った張本人なのに。
それがこの上なく浅ましく、愚かで惨めだ。
「……エンタープライズが一番つらいことはみんな知ってるよ。だから……」
「違う!」
「えっ……」
「……私は咎人だ。私が皆から指揮官を奪ったんだ」
「……」
「だから、つらいだなんて思う資格もない。思われる必要もない。…それなのに!」
「どうして皆は、そんなに私にやさしいんだ…!」
「本当は憎いのだろう!?本当はこんなことなどしたくもないんだろう!?」
「……なぜ、なぜ皆は私を罰しない!?私はそうされて当然の存在なのに、皆から指揮官を奪った存在なのに!」
「…………私に、やさしくしないでくれ…!」
なぜ皆は、この愚かな私を罰してくれないのだろう。
そうされて当然だと思っていた。そうであるべきだと思っていた。だが、現実は違った。
食事を持ってきてくれることもある。部屋を片付けてくれることもある。声をかけてくれることだってある。
そんな皆は間違っていると思っていたし、何よりそれを享受する私が許せなかった。
「……初めはね、エンタープライズを許せないっていう子もいたんだ」
「……実を言うと、私も少しそう思ってた。……だって、私も指揮官のことが好きだったからさ」
「…………っ!」
「でもさ、見つけたんだ」
「……何を?」
「二人の日記をさ」
「…………!」
「……あれを読んだら、エンタープライズを責めることなんてできるわけないじゃないか」
「……私たちも、指揮官が好きなんだから。その指揮官が悲しむようなこと、私たちにはできないよ」
それだけ言うと、彼女は出ていった。
私だけでない。皆、指揮官が好きだったのだ。それなのにも関わらず、指揮官は私を選んだ。それなのにも関わらず、私はそれに気づけなかった。気づこうとしなかった。
これを愚かといわずして、何というのだろう?
「エンタープライズ、いつまでそうしているつもりだ?」
「…………」
間もなく、私はここを去らなければならない。もはや私は軍のものではないのだ。それなのに、私はこの部屋から出る気力すらわかなかった。ずぶずぶと、沼に沈んでいくような毎日。皆の言葉を聞いても、そこに込められている憐憫と同情がさらなる自己嫌悪を生み出す。
「……またそうやって黙っているのか。……自分のしたことの重大さはよくわかっているようね」
だから、こんな風に言われるのはむしろ心地よかった。
「わかっているのならば、責務を果たすべきだ」
「…………だからこうしている」
「……前言を撤回する。あなたは何もわかっていないようね」
おかしなことを言う。私のしたことの重大さは私が一番よく知っている。それが決して許されないことだと知っているから、こうして生ける屍を生きているのだ。
「そんなことをして指揮官が喜ぶとでも思っているのか?」
「指揮官はそんなことをさせるためにあなたを助けたとでも思っているのか?」
「……あなたに何がわかる」
「……そうね。私にはわからないかもしれない。だが、あなたはそれを誰よりも知っているはずだ」
「…………」
「……間もなく、指揮官は本国に移送される。責務を果たせ、エンタープライズ」
「…………今更、どんな顔していけばいいというんだ。……私に、指揮官と会う資格などない」
「……指揮官は、私が殺したも同然なんだ」
「でも、生きている」
「……っ!意識が戻るかどうかもわからない、そんな状態なのだぞ!」
「それでも、生きている」
「……っ!だが!」
「……あなたが!あなたが指揮官を信じないでどうするんだ!?」
「資格がない?甘えたことを言うんじゃない!あなた以外にだれが指揮官の隣に居られると思っているんだ!?」
「あなたはそうやって自分の罪から逃げているだけだ!自分の責務から逃れているだけだ!」
「……っ!」
「……命ある限り、絶望するのには早すぎる。命さえあれば、そこに希望は見いだせるはずだ」
それだけ言うと、彼女は出ていった。
……そんなことは、言われるまでもなくわかっている。こんなことをしている場合ではないということは。
こんな風に閉じこもっていても何にもならない。そんなことはわかっているんだ……!
でも、それでどうしろというんだ。指揮官を傷つけた私が、指揮官の隣にいることなんて許されるわけがない。指揮官の想いを踏みにじった私が、そんなことを望むのなんて許されるわけがない。
「あなたはそうやって自分の罪から逃げているだけだ!自分の責務から逃れているだけだ!」
……っ!違う!私は、私は逃げているわけではない!これが私の罰なんだ!これが、私の……!
「エンタープライズ、来なかったね」
「本当にそれでよかったのかしら?」
「……いいや、彼女は来るさ。彼女も……」
「指揮官!」
「指揮官のことが好きなのだからな」
30分後にまた来る。そう言って、皆は出ていった。
我ながら、浅ましいと思う。もう二度と、あなたに会うことなんて許されないと思っていたのに。あなたに会う資格なんてないと思っていたのに。
だから、今日はあなたにお別れの挨拶をしに来たんだ。最後に、それだけは許してくれ。
初めは、おかしな指揮官だと思っていたんだ。私はあなたと出会うまで、あなたのような指揮官に出会ったことがなかった。私を兵器として扱う指揮官にしか出会ったことがなかったんだ。だから、歓迎会を開いてくれたり、施設を案内してくれたりしたときもその好意を無下に扱ってしまっていた。あなたの方針と対立したり、あなたの制止を無視して出撃したりもしていたな。
でも、秘書艦を務めているうちに、少しずつあなたのことが分かってきたんだ。あなたが、いつも艦隊の皆のことを考えていること、私たちを怖がったりせず接してくれていること。その時、私は思ったんだ。この指揮官は今までとは違う、信頼できるって。
日記を書き始めたのもこのころだった。初めは書く必要があるのか疑問に思っていたけれど、今ならわかる。あなたは、私に思い出を作ってくれたのだな。戦いだけの私に、日々の生活の尊さを教えてくれようとしていたのだな。
初めてあなたに抱きしめられた時、私は人の温かさを思い出すことができた。無くしていたはずの心を、もう一度取り戻すことができた。思えば、この頃からあなたを意識していたのだろうな。
あなたに守られたとき、私は気づいたんだ。あなたを失いたくないと。あなたの隣が、私の居たい場所なんだと。
あなたとかけがえのない日々を過ごす中で、私は恋を知った。あなたを好きになった。
でも、私はあまりにも愚かだったんだ。そのせいで、私は、あなたを……こんなにもしてしまった。あなたの人生を今奪ってしまっているんだ。……そして、これからの人生も、もしかすれば、そのすべてを。
許してくれ、と言ったらあなたは許すだろう。でも、私が許さない。私が犯した罪は、許されないものだ。
だから、もう二度とあなたに会わないようにしようと思っていた。ずっと遠くから、あなたの回復を、そして、あなたが幸せな人生を送れることをことを、祈ろうと思っていたんだ。だって……
もう一度、あなたに会ってしまったら、そんなことできなくなるってわかっていたから……!
私は馬鹿だ!大馬鹿だ!
私の罪は許されない、そう、わかっているのに……!
……許してほしいと思ってしまっているんだ!指揮官、私は、どうすればこの罪を償えるんだ……?どうすればあなたに許してもらえるんだ……?
どうすれば、もう一度、あなたの隣にいられるんだ……?
指揮官。私の話を聞いてくれるか?
指揮官。私は、私の恋を終わらせることにしたよ。
私は、ただ、あなたの隣に居られればいいと思っていた。あなたに好かれていようと、好かれていなかろうと。そのくせして、私はあなたに今まで通り、大切に扱ってくれると思い込んでいた。
この上なく幼稚で、自分勝手で、独りよがりなこの想いをあなたに抱いていたんだ。
それでも、あなたはこの想いを真摯に受け止めてくれた。押し付けられた私の恋を、受け入れてくれようとしてくれていた。
でも、そんなものではだめだ。
私は、この恋を終わりにしよう。
だから、私はあなたを愛そう。あなたの隣にいるだけでない。あなたを愛し、あなたに愛される存在であろう。
もう、独りよがりのこの想いをあなたに押し付けはしない。
お互いの想いを受け止め、お互いにお互いを受け入れられるような、そんな関係になるために。
私は、あなたに愛してもらうために、命のすべてを捧げる。あなたにもらった命のすべてを。
それが私にできる、唯一のあなたへの贖罪だ。
おはよう、指揮官。今日もいい天気だぞ。……そうだ、また新しい料理を作ってみたんだ。東煌の料理というのはなかなか面白いものだな。同じ国の料理のはずなのに、全く違う系統のものがいくつもある。ちなみに、麻婆豆腐とやらは作れるようになったぞ。……指揮官にも、いつか食べてほしいものだな。
今日は服を買いに行ったんだ。ふふっ、今の格好を見れば驚くだろうな。何せ、昔の私はいつも同じ服装をしていたからな。今では随分といろいろ着るようになったんだ。指揮官にも、そのうちいろいろと見せたいものだな。
釣りというのは、いいものだな。明石が好んでいたのもわかるような気がするよ。といっても、明石のように船で釣ったわけではないのだがな。……今度はそれもしてみたいな。いつか、一緒に行こう、指揮官。
今日は皆からの便りが届いたんだ。……皆、元気にやっているようで安心したよ。軍のことだから、詳しくは書いてなかったけれど、指揮官の考案したケッコン制度は盛んになっているらしいな。皆の待遇もかなり改善したらしいぞ?……みんな、あなたのおかげだ、指揮官。
すまない、雨に降られてしまってな。……やはり、こっちの雨は冷たいな。南洋の温かい、シャワーのような雨とは大違いだ。ただ、こういう日もこういう日の楽しみがあると最近知ったんだ。今度指揮官にも教えよう。
もう二年か。早いものだな。……一年前はこんなことになっているだなんて想像もしていなかった。
でも、戦場だけが私の居場所じゃない。今の居場所はここだ。私がこんな風に、毎日を楽しめている。それは二年前には考えもしなかったことだ。今の毎日は楽しいよ、指揮官。
指揮官、聞いてくれ。ウェールズがケッコンしたらしいんだ。……本当に幸せそうだったよ。文章からにじみ出るほどに。皆、自分の幸せをつかんでほしいものだな。……私は幸せだよ。こうしてあなたの隣に居られるんだ、幸せに決まっているさ。
指揮官、大ニュースだ。アズールレーンとレッドアクシズの間に講和条約が成立したらしい。……ああ、そうだ。戦争が終わったんだ。
……私は、昔、あなたと一緒なら戦争を終わらせることができると思っていた。でも、私たちがいなくても、戦争は終わるのだな。……いや、違うか。皆も随分と活躍していたらしいし、ケッコン艦も多くが多数のバトルスターをもらったそうだからな。あなたも、戦争を終わらせた立派な立役者の一人なのだな。
なあ、指揮官。戦争は終わったぞ。もう、平和な世の中が戻ってきたんだ。
それなのに……なぜ、あなたは目を覚ましてくれないんだ……!
ああ、すまない、あなたの前ではもう泣かないって決めたのに。でも、すまない、おかしいな。涙が止まらないんだ。
……指揮官、寂しいんだ……!
こんなにもあなたのそばにいるのに、どうしようもなく寂しいんだ……!
もう一度、あなたの声が聴きたい……!もう一度、あなたのぬくもりを感じたい……!
あなたに……会いたい……!会いたいよ、指揮官……!
指揮官……!
「…………………ズ」
「えっ……?」
何かが、聞こえた気がした。
「エンター、プライズ」
それは、私が二年間、待ち続けた人の声。
「し、き……かん?」
「好きだ、エンタープライズ」
二年間待ち続けた、告白の答えだった。
「愛しているよ、エンタープライズ」
「私もあなたのことを愛しているよ、指揮官」
エンタープライズを幸せにしたい!ということで書き始めたのですが、予想以上に暗いものになってしまいました。エンタープライズの良さが皆様に伝われば幸いです。
蛇足の明るい話は書くかもしれませんが、取り敢えず本編はこれで終わりです。今までお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。