カムイの刃   作:Natural Wave

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第伍話 邂逅

「そこまでですか…?」

 

 

「……!!」

 

 

鬼殺隊を支える最高戦力の一人である柱。柱という字に用いられる画数の通り九人で構成される内、その一柱である蟲柱の胡蝶(こちょう)しのぶは困惑していた。何にかと言えば、幼少の頃を知る程長く共に暮らしてきた栗花落(つゆり)カナヲの態度の変化にであった。千切れるのではないかというほどに首を横に振るカナヲを見て、しのぶは視線を横へと滑らす。

 

 

 

 

「えぇ~?そんなに嫌ぁ~?」

 

 

 

 

視線の先にいる、カナヲへと形容しがたい感情が湧くかのような上目遣いを向ける男。杉元 佐一とそう名乗ったこの男は、どういうわけかふらっと彼女たちの住む蝶屋敷へ来たと思ったら、カナヲに挨拶した後に出掛けようと言い出したのだ。

 

 

しかし事の始まりはまた別の人間からだった。元々、しのぶもカナヲも杉元をこの蝶屋敷に呼んではいないし、場所を教えたわけでもない。ならばなぜ杉元がこの場にいるのか、それは、玄弥の存在があった。玄弥は鬼を喰らい鬼の力を一時的に得る事で鬼を殺す事が可能な鬼殺隊唯一の存在。その鬼を喰らうという前例の無い行為の副作用や、玄弥自身の健康を管理する為にしのぶは玄弥の定期的な健診をしていた。

 

 

「(その玄弥君にこの屋敷の場所を聞いて来たというこの人を見てから、どうもカナヲの様子がおかしい)」

 

 

その玄弥から場所を聞き、ここへ来たと言った杉元の言葉をしのぶは最初は疑った。なぜなら彼女たちの住む通称蝶屋敷には女性しか住んではいない。故に下心を持って近づいてきたと思ったのだ。しかし本人の表情や仕草を見るに、そういうわけではない様に見える。

 

 

「あの、杉元さんでしたね?カナヲと何かあったのですか?」

 

 

この二人の接点があったであろう場所等、しのぶが考えるに天元から話に聞く藤襲山しか無い。

 

 

「(――!!ま、まさか…!藤襲山でカナヲを……!?いや、そこまで軟な鍛練は積ませてはいない筈…!)」

 

 

ふと、しのぶの脳裏に過った一つの可能性。ほぼ有り得ないとは思うが、しのぶは自己主張のほぼないカナヲを言葉巧みに操って杉元がカナヲを手籠めにしたのかとも考えた。だがそこまでカナヲは弱くは無い。となると、今のしのぶには本当にとんと想像がつかない。

 

 

 

 

「いやぁ、藤襲山でひどいこと(リスの脳を食べさせようと)してさぁ…。まぁ確かにはじめてだったみたいだったし申し訳なかったかなって……」

 

 

 

 

しかし、杉元のその言葉を聞いたしのぶは思考を止めてすっくと椅子から立ち上がり壁に立て掛けてあった刀に手を掛けた。能面のように笑みの消えたしのぶの表情。即座に危機的な状況であると判断したカナヲがしのぶの腕を押さえた。

 

 

「カナヲ、離しなさい。安心しなさい?貴方の名誉は私が護りますからね。大丈夫です、こんな男に怯える必要はありません」

 

 

「…!……!!」

 

 

「ん?どうしたの?」

 

 

急に立ち上がったしのぶと、刀を抜こうとするその手を必死に押さえるカナヲを見て、杉元は首を傾げた。

 

 

「貴方…!!カナヲを…!!この……!!」

 

 

「…え?何?」

 

 

二人は二人で、互いに勘違いしている事に気づいていない。しのぶはしのぶで、杉元の言う()()()()()()()()()()していて、杉元は杉元で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そもそも、カナヲがしっかり話せばこの場は収まるのかもしれないが、そうしても結局リスの脳を食べさせようとしたと伝えた時点でまたしのぶが怒るのが目に見えていた。故にカナヲは黙っていたのだが、結局事態は悪い方へと転がった。誰か助けて、そうカナヲは祈るように念じた。すると、祈りが届いたかの如くスパン!と戸が開けられた。

 

 

 

 

「おい、言葉足りなさすぎだろ。落語じゃねぇんだぞ」

 

 

 

 

今にも血みどろの刀傷沙汰が起きかねない部屋の空気を変えたのは、検診を終えたのであろう玄弥だった。杉元は、おっ、と顔を上げて玄弥を見ると手を振った。

 

 

「お、玄弥。お疲れ~」

 

 

状況も理解できずに呑気に玄弥に手を挙げた杉元を玄弥は面倒くさそうな目で見やる。

 

 

「おいおっさん、きちんと説明しろっての。今の聞いただけじゃおっさんがソイツを手籠めにしたようにしか聞こえねぇよ」

 

 

そう言ってカナヲを指差した玄弥。一瞬、何のことか理解できなかった杉元だったが、杉元は杉元で玄弥の言葉を聞いてぎょっとして慌てて立ち上がった。

 

 

「……?――ハッ!?んなことするか!!人を犯罪者みたいに言うな!!」

 

 

「でも、そう聞こえた()()()怒ってんぞ」

 

 

「え……」

 

 

恐る恐る杉元がしのぶの方を向くと、しのぶはビキビキと青筋をこめかみに奔らせながら杉元を睨みつけていた。ブルブルと震える手で今にも刀を引き抜こうとしているが、辛うじてカナヲがその手を押さえ込んでいる状態。まさに一触即発。

 

 

「フゥゥ……フゥゥゥ……」

 

 

「お…ぉう……」

 

 

「安心しろよ、おっさんはずっと俺や他の奴らといたからよ。それに、おっさんのした酷い事ってのは、ソイツが食べたがらなかったもんを食べさせようとしたってだけの話だ」

 

 

玄弥が杉元としのぶとの間に割って入り、カナヲを指差すと、しのぶはカナヲを見た後玄弥を見た。

 

 

「証拠はありますか?」

 

 

「あん?ねぇよんなもん。そんなに心配だったらソイツを風呂にでも連れてって生娘か確かめて来いよ」

 

 

「……」

 

 

数秒思案した後、しのぶは刀から手を離し、玄弥と杉元に背を向けて大きく深呼吸をした。

 

 

「カナヲ?今日のお風呂は恥ずかしいかもしれませんが私と入りましょう。少し触診をしますので」

 

 

「……!」

 

 

「(話せよめんどくせぇ)」

 

 

ぽぽっと顔を赤くしたカナヲを酷く面倒くさそうに見る玄弥。

 

 

「あ~…その…誤解は解けたかい?」

 

 

杉元が恐る恐るという形でしのぶへ伺うと、しのぶは杉元をキッと睨みつけた。

 

 

「……まだ疑いは晴れていません。もし、カナヲに、()()()()()が在ったなら、もし、()()()()()()が無かったのなら、覚悟してくださいね」

 

 

ゴゴゴ、と空気が震えるかのような声色で杉元を睨むしのぶに、杉元は懐かしい彼女(アシリパ)の影を見た。

 

 

「わかったよぉ…そんな睨むこと無いじゃぁん…」

 

 

「うっとうしいしょぼくれ方すんな」

 

 

しゃがみ込み、指で板張りの床の継ぎ目をツツツとなぞり続ける杉元のお尻を軽く蹴る玄弥。杉元はお尻を擦りながら立ち上がり、とぼとぼと、部屋を出ていこうとする。

 

 

「じゃぁ、疑いが晴れたら、また鎹烏に手紙付けてね…。あーあ、せっかく浅草に出来た洋食屋さん紹介しようと思ったのになぁ…」

 

 

ピクリ、としのぶの肩が揺れた。()()()()()()()()()()()()、その言葉にしのぶは聞き覚えがあった。確か彼女と同じ柱であり友人でもある恋柱の甘露寺 蜜璃(かんろじ みつり)が蛇柱の伊黒 小芭内(いぐろ おばない)に誘われ食事に行ったという場所ではないか。彼女はとても良いお店だったと言っていたが、同時に一人で入るには勇気がいる雰囲気のお店であったと言っていたのもしのぶは思い出した。話を聞いてとても興味を引かれたものの、誘える人間等とんと思い付かずしのぶはずっと悶々としていたのだった。そんなしのぶの内心を知ってか知らずか、杉元は数歩歩いては物悲しそうな顔をしてカナヲとしのぶの二人を見る。

 

 

「夜にもなっちゃうだろうから、いい宿とっておいたんだけどなぁ…」

 

 

またピクリ、としのぶの肩が揺れる。そういえばここ最近はこの蝶屋敷に詰めてずっと鬼に対して効く毒の調合をしていたから一息吐く機を探していた。

 

 

「ま…まぁ?お風呂に入るのは夜ですし、それまではカナヲも私も用事は有りませんので?貴方がカナヲに申し訳ないことをしたとお詫びをしたいのなら?カナヲの後見人としても悪い事ではないでしょうし同行してカナヲを見守らせていただきますが?」

 

 

「(嘘だろ、付いていく気だぞこの柱)」

 

 

ばっしゃばっしゃと泳ぎ回るしのぶの目を物珍しそうに眺めるカナヲ。そして至極残念そうな物を見る目でしのぶを見る玄弥。杉元はこれまた形容しがたい顔でしのぶへと視線を向けた。

 

 

「でもぉ……。こんな事があっちゃ、カナヲも楽しめないだろうしぃ…」

 

 

「いいえいいえ、私が夜しようとしていたのは、ただの確認ですので?別段怒っているなんてそんなそんな」

 

 

「(必死だな)」

 

 

「えぇ?本当にぃ?」

 

 

「えぇ、本当ですとも」

 

 

こんな白々しい出来レースがあるのかと玄弥は溜息を吐き、大人の体裁とは至極面倒なものなのだなぁ、とそう考えた。

 

 

「どうだカナヲぉ?楽しめるかぁ?」

 

 

「…!!……!!」

 

 

ブンブンと顔を縦に振り、しのぶの袖を引くカナヲを見て、しのぶは顔を綻ばせた。

 

 

「あらあら…うふふ…しょうがないですねぇ…」

 

 

「そうかぁ、カナヲがそうしたいならそうしようなぁ」

 

 

「ええ、そうしましょうそうしましょう」

 

 

部屋を出ていこうとする3人を見て玄弥は帰りに兄貴に何か土産でも持って行ってみようかと考えた。この間は、こっぴどく門前払いを受けたが、今度こそはと杉元達に背を向けて帰ろうと踵を返す。

 

 

「……あ?」

 

 

しかし、そんな玄弥の袖をクイと引っ張る手。玄弥が振り返るとカナヲが玄弥を不思議そうに見ていた。

 

 

「おい、どうした玄弥?さっさと行くぞ?」

 

 

「どうしたのですか?早く行きますよ?」

 

 

 

 

「――」

 

 

 

 

不思議な感情が、玄弥を包み込んだ。不意に湧いた感情に崩れそうになった表情を見せまいと、玄弥はさっと杉元達に背を向ける。

 

 

「――っんで俺が行くことになんだよ。俺関係ねぇだろ」

 

 

玄弥のその言葉を聞いて、杉元は首を傾げた。

 

 

「え?何でって……数多い方が楽しいだろ?嫌か?」

 

 

さも当然、そう言わんばかりの言葉に、玄弥はまた形容しがたい感情に包まれた。破顔した表情を元に戻すために、ガシガシと顔を手のひらで擦る玄弥。

 

 

 

「あぁくそっ!!……ったく、途中買い物寄るかんな!!」

 

 

 

 

「おう」

 

 

気恥ずかしそうに顔を逸らしながら、カナヲが袖を引くままに歩き出した玄弥を、杉元は微笑みながら見た。そしてそんな杉元を横目で見たしのぶもまた、息を一つ吐いた。

 

 

 

 

*

 

 

 

 

ぞろぞろと行き交う人の波、そしてそれらを押しのけるように走る馬車や車に路面電車。日の暮れた東京府浅草に着いた四人は杉元の言う新しくできた洋食屋を目指して歩いていた。

 

 

「やっぱ凄いねぇ都会は。札幌も凄かったが、こっちは人も高い建物もずっと多い」

 

 

そう言いながら、自分の中の記憶にある札幌よりもずっと増えた洋装を纏った男性や女性、高くなった建物や車を見る杉元。しのぶは東京の街並みを見て微笑んでいたが、杉元の言葉を聞き興味を持った。

 

 

「札幌?北海道に行ったことが?」

 

 

「ちょいとね…っと、着いたぜ」

 

 

杉元がそう言い見上げた洋風の建物。入口においてある品書きを見て玄弥やカナヲは首を傾げた。

 

 

「知らねぇ料理ばっかだな」

 

 

「……」

 

 

「ライスカレー、ですか。聞いたことは有りますが、食べたことは有りませんね」

 

 

「そうか?なら多分気に入ると思うぜ?」

 

 

杉元がそう言い、建物の中に入ろうとしたその時、ふわりと四人の前に黒い羽根がひらひらと舞い落ちた。四人が見上げた先には街頭にとまった鎹烏がいる。人前であるからか、鎹烏は鳴かずにじっとしのぶを見詰めていた。しのぶは表情を引き締め、カナヲを呼ぶ。

 

 

「少し先に入っていてください。カナヲ、来なさい」

 

 

カナヲとしのぶの二人が人込みから離れ、裏路地へと入っていったのを杉元と玄弥は見送った。先に入って空きがあるか確認しようとした杉元の背中に玄弥が声を掛けた。

 

 

「悪い、少し俺も寄るところがある。直ぐに戻る」

 

 

「お?じゃぁ先入ってるぞ?」

 

 

「あぁ」

 

 

玄弥はそう言いながら道中で見かけた菓子店に向けて歩き始めた。兄に渡す土産は明日買えばいいが、店に入ってから迷うのは面倒なので何が売っているかは確認しておきたかったからだ。しのぶとカナヲの二人が離れた今は丁度良かった。

 

 

「すいませーん、四人なんですけど空いてる席有りますか?」

 

 

杉元がそう言って給仕に声を掛けると、給仕は杉元は四人掛けのテーブルに案内した。いい具合に席が取れた、杉元がそう考えたのと同時に、ガチャン、と少し離れたテーブルから皿が割れる音がした。

 

 

「どうしてくれんだテメェ!!俺の背広が台無しじゃねぇか!!」

 

 

続いて聞こえた男の怒鳴り声。楽しみな気分が台無しだと考えた杉元が視線を向けると、顔がほんのりと赤い酔っているであろう男が席に座っていた夫婦と思わしき男女に絡んでいた。女はおどおどと男と酔っ払いへと視線を向けているが、男の方は、動じることも無く酔っ払いを見上げている。見れば、酔っ払いの背広の横腹からスラックスにかけてポタポタとワインの赤い雫が垂れている。夫婦の机にも広がった赤い染みから、恐らく酔っ払いからぶつかったのであろうことを察した杉元はどうしたものかと騒ぎの最中にあるテーブルを眺める。

 

 

「ぶつかって来たのは、貴方でしょう?」

 

 

「な――何だとテメェ!!」

 

 

男が酔っ払いを見上げ、そう言うと、酔っ払いは男の座っているテーブルにダン!と強く拳を叩き付けた。ヒッ、という小さな悲鳴が女の喉から漏れた。

 

 

雅秀(まさひで)さん…!」

 

 

女が泣きそうな顔で男を見ると、雅秀と呼ばれた男は女に一度微笑んで立ち上がった。

 

 

「……わかりました。洗濯の代金はお支払いしますので、もういいでしょう」

 

 

男が懐から財布を取り出し、中から紙幣を取り出し酔っ払いに渡そうとすると、酔っ払いは男の手をバチンと叩いた。

 

 

「テメエ…何だその態度は!それが人に謝る態度か!?えぇ?()()()()()!!」

 

 

 

 

「――」

 

 

 

 

男が、はたかれた手をじっと眺める。

 

 

「…見てられんな」

 

 

女性の前で余裕を持って対応していた男を褒めてやりたかった杉元であったが、酔っ払いは服の事よりも男を大衆の面前で辱めるつもりであるらしいのを見て、二人だけで収まる騒ぎでは無くなったことを察して立ち上がった。

 

 

 

「おいおい、そこまでにしときなよ」

 

 

 

そう言いながら、二人に近づく杉元を酔っ払いと男が見る。

 

 

「何だテメェ!」

 

 

酔っ払いがそう言うや否や、杉元は笑顔を作ってへらへらと笑いながら酔っ払いの手首を取った。

 

 

「いや何、通りすがりの占い師だよ。おや!お兄さんいい手をしてるねぇ!」

 

 

「な――何すんだ!離しやがれ!!」

 

 

杉元の手を剥がそうとした酔っ払いだったが、どれだけ力を込めても杉元の手は一向に剥がれない。それどころか、ガン!と手をテーブルに叩き付けられた酔っ払いは痛みでくぐもった声を上げた。そして、ガスン!とテーブルと手を貫くかのように杉元の三十年式銃剣が突き立てられ、周囲の客たちの小さな悲鳴が店内に響き渡った。

 

 

 

 

「酔いは醒めたかい」

 

 

 

 

にっこりと微笑みながらそう言い、杉元が手首を離すと酔っ払いは尻餅をついて自分の手を必死にまさぐり傷がないかを確認した。

 

 

「失せろ。次は指を落とす」

 

 

尻餅を着いた酔っ払いに近づき、耳元で杉元がそう呟くと酔っ払いは青い顔で転げながら店から飛び出していった。酔っ払いが出ていったのを見届けた杉元は、テーブルの周りに散らばった紙幣を集めて男に手渡す。

 

 

「悪いね。驚いただろう」

 

 

「……いいえ、助かりました」

 

 

男はそう言って紙幣を受け取りつつテーブルに突き立てられた杉元の銃剣をじっと眺めると、にっこりと杉元に微笑んだ。

 

 

「まるで刺したかのように見えましたよ。()()()()演技…とでもいいましょうか」

 

 

「なに、ただ指と指の間に刀身を刺しただけさ。酔い覚ましにはぴったりだろう」

 

 

そう言いながら杉元が銃剣を抜こうと手を伸ばすよりも早く、男の手が銃剣をテーブルから引き抜いた。

 

 

「おいおい、危ないぞ」

 

 

「……()()()()()()ですね」

 

 

杉元が男に注意をするも、男は白熱電球の明かりに銃剣の刃を翳し()()()()()を眺めた。

 

 

「それ鍔元まで刃があるから危ないっての。返しなよ」

 

 

「……面白い物を見せて頂いたお礼です」

 

 

そう言った男は指先を垂直に刃に立てて滑らせた。杉元が止めようと足を踏み出した瞬間、男はギッ、と刀身を握り込む。

 

 

「おい――!!」

 

 

「雅秀さん!!」

 

 

杉元が焦って男に手を伸ばすも、男は刀身を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ジャッ!という音と共に、女が悲鳴を上げ、慌てて男の手を取って擦った。

 

 

「雅秀さん!!なんてことを――!!」

 

 

 

 

「大丈夫、ほら」

 

 

 

 

「あれ…嘘……」

 

 

そう言った男が、手を開いて杉元と女によく見えるように見せる。特に切り傷も何もない白い手だ。杉元も女も、安堵の息を吐いた。まるで親を驚かせることに成功した子供の様に得意げな顔で男は二人を見た。

 

 

「ふふふ、前に芸人の方に教えてもらいましてね」

 

 

「――ったく、驚いたよ」

 

 

「ありがとうございました。行きましょうか美恵子(みえこ)さん」

 

 

銃剣を杉元に手渡し、一礼をすると男は女性の手を取って出口の方へと歩いて行く。

 

 

「…本当に驚いたわ」

 

 

「申し訳ありません、何か帰り道にお菓子でも買って帰りましょう」

 

 

ウェイターにテーブルの弁償用のお金を渡した男と女はそのまま夜の街に呑まれて消えた。そして、杉元が銃剣を鞘に戻したのと同時に菓子店で土産の見繕いを終えた玄弥が店に入って来る。

 

 

「あ?何してんだおっさん、そんなとこで突っ立って?」

 

 

「いや、何でも無い。俺達の席はこっちだぜ」

 

 

「おう」

 

 

二人が席に着くのとまた同時にしのぶとカナヲも店に入って来た。店内を見渡し、杉元達を見つけた二人もまた席に着く。

 

 

「鎹烏の件は何だったんだい?」

 

 

給仕に渡された品書きを見ながら杉元がしのぶに問いかける。

 

 

「近く部隊を編成して那田蜘蛛山へ討伐隊を出すそうです。大規模な戦闘になる可能性もあるので私の直轄部隊である隠も処理を迅速に行えるように準備をしていてほしいとの事でした」

 

 

その言葉を聞いて杉元はポンと手を叩いた。しかしその後に首を傾げる。

 

 

「あぁ、隠ってアンタの直轄の部隊なんだ。でも那田蜘蛛山ってなにそこ。そんな地名あったっけ」

 

 

「地名としては地図に載ってるような場所では有りません。鬼が複数隠れ潜んでいるとのことですが、まぁある程度階級が上の隊士も組み込むそうですし問題は無いでしょう」

 

 

「ふーん。柱ってのも大変だねぇ」

 

 

杉元はそう言いながら、品書きに書かれた一品ずつを玄弥やカナヲ達にどういった料理かを説明しながら給仕を呼んで注文していった。

 

 

 

 

*

 

 

 

「くそっ…何なんだよあの男…」

 

 

そうぶつぶつと呟きながら、酔っぱらいの男は大通りから離れた裏路地を歩いていた。汚れた背広を晒すまいと人目を避けながら自分の家に帰ろうとした男が路地の角を曲がった瞬間、目の前に立って俯いている男に驚き、うわっと声を上げた。

 

 

「――」

 

 

「お、お前は!店にいた!」

 

 

俯いて立っていたのは、酔っ払っていた男が絡んでいた雅秀と呼ばれていた男だ。何故ここにいたのかとも考えた男だったが、これは好機と見た男は肩を怒らせて近づいて胸倉を掴み上げようと手を上げ異変に気付く。

 

 

「あれ?」

 

 

男の背広の袖が赤く濡れている。否、そもそも、男の()()()()()()()()()()()()()。ブシッと手首から噴き出した血で手首が落とされている事に気づき痛みを自覚した男が叫ぼうと口を開けた瞬間、雅秀――鬼舞辻 無惨(きぶつじ むざん)が男の顔を掴んだ。

 

 

「んぐ――んんんん!!」

 

 

 

 

「私は――――()()()()()()()()?」

 

 

 

 

そう問いながら、無惨は掴んでいる手の指の隙間に見える男に問いかける。

 

 

「私の線は細く見えるか?青白く見えるのか?どうした?大声を出したらどうなのだ?私がひ弱に見えたから絡んできたのだろう?えぇ?お前たちのようなものはいつもそうだ。いざとなれば小便を漏らすような小物の癖に、声と態度だけは大きい。羽虫の如く目の前をウロチョロと全く以って鬱陶しい」

 

 

ギリギリと男の顔を掴む手に力を込めていく無惨、ビキ、ゴキ、と少しずつ男の顔面の骨が折れていく。男が必死に無惨の手を剥がそうと残っている手で無惨の腕を掴むも、無惨はそちらの腕もバツン!と腕を振るって断ち切った。

 

 

「ん゛ん゛~!!」

 

 

続く失血と痛みで意識を失い始めた男が大人しくなっていくのを見た無残は、ため息をついて、少しだけ力を強めに込めた。すると、容易くバキュ、と男の顔が潰れて男は血と脳漿を顔面から垂れ流しながら倒れた。

 

 

「……」

 

 

無惨がガクガクと痙攣する死体を眺めながら一度指を鳴らすと、ふわり、と無惨の目の前に襤褸(ぼろ)布が舞い落ちた。

 

 

「処理をしておけ」

 

 

「承知」

 

 

舞い落ちた襤褸布がもぞもぞと人の形に起き上がり、一度口笛を吹くと、周囲の建物から真っ黒なコールタールが滲み出てくるかのように周囲の影がざわざわと蠢き始めた。影――否、影のように見えるほど大量の蟲が男の死体に群がり、プチプチとその肉を啄み始めたのを見て無残は踵を返す。

 

 

「無惨様、ご無礼を承知でお聞きしたい事が御座います」

 

 

「……何だ」

 

 

「先ほどの鬼殺隊の男は殺さずともよろしいのですか?」

 

 

影は頭を垂れながら、杉元の事を問う。すると無惨はどうでもよさそうに歩き始めた。

 

 

「余計な手出しは無用だ。あの男はそもそも私の事を鬼とは思っていないし、ましてや脅威などではない」

 

 

自分の手のひらを見た無残。無惨は杉元の銃剣の刃に指を滑らせた際、既に己を傷つけ得る存在かどうかを確認していた。しかしその結果、杉元の銃剣は無惨を傷つけることは無かった。

 

 

「あの男にとって私は只の人間で、とりとめもない存在だ。それでいい。もう関わることも無い」

 

 

寧ろ、手を出して鬼殺隊に嗅ぎつけられかねない痕跡を残す事の方が面倒だ。そう言った無惨は建物の角の前で立ち止まった。

 

 

「だが、念には念を入れておきたい。連れ合いは変えるべきだろう」

 

 

 

 

 

――ねぇ、美恵子さん?

 

 

 

 

 

そう無惨が言ったのと同時に、曲がり角の奥から、息を呑む音が聞こえる。そして、影がまた口笛を一つ吹くと、小さな悲鳴が響いたのと同時に女が角から転げ出て来た。

 

 

「いやッ!!いやぁッ!!!」

 

 

体中に百足や、蜘蛛などが集った女は地面をのたうち回りながら無惨の足元へと転がった。

 

 

「いけない人だ。私は待っていてくれと言ったのに」

 

 

「わ、私は、何も見ていません!何も!!」

 

 

ザワザワと体中に蟲が集りながらも、必死に美恵子がそう言うと無惨は唇に人差し指を当て、シー、と息を漏らし美恵子の首に指を滑らせた。すると、蟲は美恵子の身体から離れ、襤褸布の中へとウゾウゾと入っていった。

 

 

「もうそういう話ではないのですよ美恵子さん。あなたが()()()()()()()()()()()など問題ではない。そもそも、貴方のことなど()()()()()()のです」

 

 

そう微笑みながら、恵美子の首を掴み無惨は力を込める。

 

 

「ギッ――ゲッ――」

 

 

首を締め上げられた恵美子は、無惨の手を解こうと力を込めるが、無惨の手はビクともしない。ガリガリと無惨の手の甲を掻く指の爪が剥がれ、血が滴った。そして、静かに恵美子の力が抜けて、だらりと腕が落ちる。無惨は恵美子の目の光が消えたことを確認すると、一度だけ手に力を込めてゴキリと恵美子の頸を折り、手を離した。

 

 

 

「……消しておけ」

 

 

「承知」

 

 

興味なさげに美恵子の死体を一瞥した後、無惨は街の闇へと姿を消した。

 

 

「……」

 

 

残された影が、襤褸布の隙間から腕を伸ばして美恵子の手を取る。

 

 

「あの方に出会わなければ、こんな哀れな死は訪れなかっただろうに」

 

 

ざわざわと、襤褸布の隙間から伸びた腕を伝い、蟲が女の身体を這いまわる。

 

 

「しかし、哀しいかな。人間は生きるが故に死を怖れる。だのに知恵あるが故に死を識ろうと自ら近づく。だからこそ、人間を惹き付けるあのお方は正しく死そのものなのだろう」

 

 

プチプチと美恵子の肌を蟲が食い破り、ところどころで真皮がのぞき始める。

 

 

「あのお方の血で時を克服したこの身でさえ、死は未だ隣人。恐ろしいなぁ」

 

 

そう言いながら、美恵子の身体を引き寄せた影はその身に纏った襤褸布と共に美恵子の身体に覆いかぶさった。静かな裏路地に、プチプチ、クチクチと小さな泡が弾けるような音が響き、地面に赤い血が染み出していった。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 

杉元がしのぶ達と食事に向かった日から二日が経ち、杉元は産婆の鬼を殺した際に起きた銃剣の色の変化について鎹烏?を通して銅鑼衛門に連絡を取った。ならばと新しく作られた弾丸を渡すついでと、銅鑼衛門は杉元の仮宿へと再び訪れたのだった。

 

 

「ほお~。今は黒いままだが、鬼との戦闘の際に変化があったとねえ」

 

 

そう言いながら壁に背を預けたまま座り込んだ銅鑼衛門は杉元の三十年式銃剣を弄ぶ。

 

 

「そんな風にって、知ってたんじゃねぇのかよ」

 

 

杉元が銃の整備をしながら銅鑼衛門に問いかけると、銅鑼衛門は首を振った。

 

 

「持ち主の呼吸に応じて色が変わるのは確かだがね。どの色に変わるのかは見てみないとわからんし、技量によって濃さが変わるのも事実。ただアンタのに関しては変わった後にまた戻っちまったってのが気になるよなあ。珍爺なら何か知ってるかねえ?それとも蔵に書物で書いてたりするかあ?」

 

 

ぶつぶつと比率がどうだとか、焼きの温度がどうだとかと呟き始めた銅鑼衛門を見て杉元は銃を袋に収めて銅鑼衛門の前に座り込んだ。

 

 

「それで、呼吸ってのは結局何なんだ?」

 

 

「ん?……そうさなあ、簡単に言えば、技術よ。息をめいっぱい吸って、身体に血を巡らす。すると、身体は巡った血に応じるように筋肉を強く動かすんだな。その状態になると、鬼とも殴り合えるような力が出るようになる」

 

 

「……」

 

 

本当かよと言いたげな顔で銅鑼衛門を見る杉元であったが、銅鑼衛門は無視してそのまま銃剣を弄り続ける。

 

 

「でも、こいつがまともに出来る隊士は思いのほか少なくてねえ。呼吸の強さで濃さが変わるって言っただろう?呼吸の力が弱いと色の変わり方の判別が難しいくらい淡くしか変化しない隊士だっているのさ」

 

 

そういう隊士があっさり喰われちまうんだよなあ。そう言って銃剣を鞘に戻した銅鑼衛門は立ち上がり、藤の柄の着物を羽織った。

 

 

「まぁ鍛えるこったな。アンタは死にそうにはないが、アンタが弱いから周りが死んだなんて嫌だろう?」

 

 

「――」

 

 

そう言い残して銅鑼衛門は杉元の仮宿を出ていった。

 

 

 

『佐一……梅子を頼んだぞ……』

 

 

 

「……」

 

 

ふと、杉元の脳裏に浮かんだ亡き親友の言葉。あの戦争で自分に出来た事はたかが知れていたのだ、自分が強かろうが弱かろうが、親友の命を救えたかどうかは怪しいものだと杉元は考えた。だが、自身で気づかぬうちに抜いていた銃剣の刀身には、気づかぬうちに赤い筋が奔っている。

 

 

「俺が強くなることで救える命……か……」

 

 

杉元が銃剣を鞘に戻して立ち上がるのと同時に、バサバサと羽音が耳に届いた。

 

 

「ん?……見た事ない烏だな」

 

 

杉元に与えられた鎹烏?ではない烏が仮宿の前に舞い降りると、足に括られた手紙を杉元に差し出し、再び飛び立っていった。

 

 

「……」

 

 

送られてきた手紙の差出人は耀哉であった。そして手紙の内容には、先日那田蜘蛛山へ送った鬼殺隊の部隊が壊滅した事。そしてその那田蜘蛛山に潜む鬼の中に十二鬼月という枠組みに分類される危険な鬼がいるという事であった。その鬼の討伐に柱である水柱の冨岡 義勇(とみおか ぎゆう)と蟲柱であるしのぶが派遣されるというものであった。

 

 

「しのぶとカナヲ……炭治郎と善逸…伊之助も行くのか。玄弥は……修行で山籠もりか。ったく、耀哉も銅鑼衛門も焚き付けやがって。これだから若い奴は遠慮が無くて嫌になる」

 

 

そう言いながら軍帽を深く被った杉元は銃剣を腰に差し、三八式小銃を肩に担いだ。

 

 

「よし、行くか」

 

 

距離と時間から、到着は炭治郎達の次になるだろう。己の力で救える命があると信じ、杉元は那田蜘蛛山へと続く道へ足を踏み出した。




お待たせしました。


次回、杉元は一人でも多くの人間を救えるのか。


杉元の鎹烏?の名前をアンケート取ろうと思います。よろしくお願いします。


感想、評価、誤字報告等とても有り難いです。感謝します。

杉元の鎹烏?の名前について、何がいいでしょうか。

  • フリ
  • オチウ
  • シライシ
  • ウコチャヌプコロ
  • トカプ

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