仮面ライダーAGITO×AGITO feat. SPEC〜Shining Spirits are Awakening〜《完結》 作:田島
人間の体が点滅して現れたり消えたりしている。
言葉にしてみるとまるで、出来の悪い三流のSFのようだった。
芦河は歩き出して、何故か年を重ねていない姉と父の前に立った。
「何故こんな事をした」
声に感情は籠もらない。見知らぬ他人に事情を聞く時の方が、何らかの声色や顔色は乗るだろう。
興味がないのではなくて、凍らせているだけだ。分かり切っていたが、今までそれを認める必要も発想もなかった。
「お父さんが、あたしを信じてくれたから」
「……何?」
「ごめんね、許してもらえないだろうけど、ごめんなさい」
マナはやはり緩く笑った。もう一度ごめんねと呟くとぷつんと姿が消えて、それきり現れなかった。
暫く芦河はマナがいた場所を見つめていたが、やがて歩き出して倒れた男の口元に手を当てて、やや俯いて立ち上がった。
「彼女はアギトだったんでしょう」
「そうです。彼女は最初のアギト。彼女の持つ癒しの力が、この体に私を定着させた。だがこの体も、もうそう長くは保たない」
「体が消える、って事ですか。ふざけなんな、返せ」
当麻は大した表情も浮かべずに淡々と悪態をついた。青年は顔を上げた。
「私は私の子らを愛していますが、アギトを愛する事はできない。アギトは許されざる者、それは魂に刻まれた烙印とも言える、永劫消える事はありません。だがもし変えられるというなら」
青年は芦河を見つめ、芦河は目線を正面からぎろりと睨み返した。
「……多分変われるんだろう、いい方にな」
大して面白くもなさそうな声色で芦河が吐き捨てると、青年は薄く笑みを浮かべた。
「人がアギトが変化して、それがこの世界を強靱に変えていけるというなら。あなたが持ちえぬ筈の力を得て敵わぬ筈のグロンギの王を打ち倒したように、可能なら。私もそれを、信じてみたくなった。だから、見守る事にしましょう」
言い終えると青年はそっと瞼を閉じた。途端に青年の体から力が抜けて、押しつぶされそうになりながら慌てて当麻が抱き留めた。
『――私の使徒がアギトを狩るのをやめても、人はアギトを恐れる、受け入れはしない。多くの悲しみが生まれるでしょう。だが、変えられるというのなら、足掻いてみせなさい、力の限りに』
声が響いて、大分薄まった煙に撒かれて消えた。
木々を燃やし尽くして、ようやく火勢は落ち着き収まりかけていた。残り火がいつまた燃え盛り始めるか分からないのが山火事の恐ろしい所、早々にこの場を離れるべきだった。芦河は当麻の後ろで引っ繰り返っている瀬文を背負い、ついでに横に転がっていたGM‐01を回収した。
「お父様は」
「もう息がない。後で回収してもらえばいい、まずは生きてる人間だ」
「結局、これで全部元に戻った、って事ですかね」
やや目を伏せて低い声で当麻が呟いた。芦河は首を少し動かして当麻を見ると、息を一つ吐いた。動作に不快さは感じられなかった。
「変わっただろう、多分、色んな事が」
「……それもそうですね。あなたもあまり喧嘩腰じゃなくなってきましたし」
「お前のその神経に障る喋り方も変わるべきだと思うがな」
「えー、ひっどぉい、こんなにカワイイ声と喋り方なのにぃ、その眼は節穴ですか、それとも鱗でも貼りついてるんですかぁ」
「……思わず黙らせたくなるから、その妙な猫撫で声はやめてくれないか、しなも作るな」
「きゃー、暴力はんたーいっ!」
付き合いきれんとばかりに芦河が呆れた顔をして歩き始めると、幾人かの足音とざわめきが近付いてきた。裸に煤けた木々の向こうから、レスキュー隊と思しき制服の一団が見える。
「丁度いいタイミングだったな、おーい、こっちだ、手を貸してくれ!」
芦河の声に気付いた一団が向かってくる。その中には、今度こそ貸与品の携帯電話のGPSが役に立ったのか、八代が混ざっていた。
「ショウイチ!」
足を取られる山道をものともしないで、炭化した木の残骸の間を縫って八代は傾斜を駆け登ってくる。眉を寄せて、口を僅かに開いて息を継いでいる。今、一番見たいと思っていた顔だった。嬉しくなって、芦河の頬には自然に笑みが浮かんだ。
「大丈夫だって信じてた、あなたは、大丈夫だから」
辿り着いた八代は、おずおずと両手をショウイチの胸の前で泳がせた。芦河は気持ちの表し方が不器用だから気の利いた事の一つも言えないが、八代だって負けてはいない。
沢山話したい事があった。芦河は、手から余る沢山の事柄や気持ちを、辿々しい言葉で、少しずつしか話せないだろう。八代は、時折質問を挟んだり意見や気持ちを率直に述べたりしながら、きっと余さずに全部聞いてくれる。
運び込まれた担架が三つ広げられて、周囲は慌ただしくなった。ゆっくり話す時間がとれるのは、もう少し後になりそうだった。おろおろする八代に笑いかけると、芦河は瀬文を背負い直して担架へと歩き出した。
***
庭に続いたリビングのサッシを開け放って、サッシの間から顔を出している真魚と目が合った。
ここは、美杉家の庭のようだった。
言葉の通りに、翔一は真魚の許へと送り届けられたらしい。真魚ちゃんがトイレとかお風呂にいなくて良かった。つまらない雑念が浮かんだが、口にしたところで真魚には意味不明だろう、喋るのはやめた。
屈んだ翔一は、思わずにへらと笑みを浮かべてみせた。真魚はぽかんと眼を見開いて、口を開けたままにしていた。
「翔一、くん?」
「えへへ、真魚ちゃん、久し振り」
笑いかけると真魚も笑った。だけれども気のせいだろうか、涙ぐんでいるようにも見えた。
「おかえり、翔一くん」
「うん、ただいま」
穏やかに笑んで、挨拶を交わす。庭を渡る風は冷たくて、菜園の大根の葉も寒さに震えるように揺れた。そうだった、ここはまだ冬だった。軽く身震いすると、真魚の後ろからのっぽの頭が顔を覗かせた。
「つ、つつ……つっ、津上、さん!」
「津上!」
「あれぇ、氷川さんに葦原さんまで。どうしたんですか? ちょっと珍しいですね、二人揃って先生ん家にいるなんて」
真魚の頭の上から氷川が呆然とした顔を出して、からからとサッシが開いて葦原の訝しげな顔が出てきた。
「な、なな、なっ……何を言ってるんですか君は! 今までどこで何をしてたんですか! それに何ですかその服は、何で君が警視庁の制服を……」
「ああもう氷川さん、そんな一遍に答えられませんよ。質問は一個ずつにしてもらえません?」
「何を呑気な事を、あなたという人は、一体どれだけ心配したと思っているんですか!」
氷川はがなっているうちに本当に頭にきてしまったようで、口を尖らせ、きつい目で真っ直ぐに翔一を睨み付けた。その顔を見て、翔一は頬を緩めて、ややだらしなく笑った。
「あれ、氷川さん、俺の事そんなに心配してくれたんですか?」
「当然でしょう、心配するに決まってる! 僕は君がもしかして、もう戻らなかったらどうやって謝っていいのか……!」
「ほんとですか、嬉しいなあ」
翔一が実に嬉しそうに笑うと、氷川もそれ以上は強く言えなくなったのか、軽く咳払いしてばつが悪そうに黙った。その顔をちらと見て、翔一は眉根を寄せて口を曲げ、難しい顔をしてみせた。
「うーん、でも、男の人っていうか氷川さんにそんな熱烈に心配されちゃうと、ちょっと困るっていうか気持ち悪いっていうか……」
「……君はっ! 僕は真面目に話してるんです、ふざけないでください!」
「冗談です。心配かけてすいませんでした、ありがとうございます。凄く嬉しいです」
氷川の怒気など気に掛けないで、翔一は穏やかに呟いて頭を下げた。氷川はまたばつが悪そうに眉を寄せて、一つ息を吐いた。
「とにかく、君がこの二週間どこで何をしていたのか、それを教えてくれますか」
「二週間、二週間しか経ってなかったんだ、良かったぁ」
「……どういう事ですか?」
「うーん、話すのは勿論構わないんですけど、氷川さん信じてくれるかなぁ」
「君に関しては色々な意味で不可解なのは分かりきっています、今更何を聞いても驚きませんよ」
「あっ、それってなんかちょっと酷くないです? 俺だってすごく大変だったのに。もういいです、そんな事言うんだったら真魚ちゃんと葦原さんにだけ話します、氷川さんには教えてあげません」
「いやだから、そういう事ではなくて……」
応酬は果てなく続いていきそうだった。いつもの事ながら真魚は聞こえよがしに大きく溜息を吐いて、呆れ切った様子の葦原が割って入った。
「……どうでもいいが、いつまでここでじゃれ合ってる気だ。いい加減寒くなってきた。津上、そんな所にいないで、中に入ったらどうなんだ」
「あっ、そうですよね、すいません」
「まあ、お前があんまり相変わらずだから、安心した」
葦原もきつい眉を緩めて微笑んだ。それを受けて翔一もまたにこりと笑った。
「やだなあ、そんなにコロコロは変われませんよ」
「そうだろうな、その方がお前らしくていい。早く上がってこい」
葦原が背を向けて中に戻り、氷川と真魚も続いてサッシが閉じられた。翔一は玄関に回ってリビングに入る。
ここを離れたのはそんなに遠い過去の事ではない、ちょくちょく顔も出していたのに、最後に訪れたのがもう十年も昔のように思われた。懐かしくて居心地が良かった。
長い旅から故郷へと帰り着いた旅人は、例えばこんな気持ちを抱くのだろうか。
何もかもが慕わしい。ここは翔一が大好きな人たちのいる、大切な場所だった。
人が変わるとか世界が変わるとか、例えば、こんな風に久しぶりに訪れた場所が少しだけ知らない場所になってしまったような、そんな些細な変化を積み重ねていくものかもしれない。
ソファの空いた席に腰掛けると、真魚が暖かい紅茶を出してくれた。
氷川は、やっぱり別の世界なんて話を簡単には信じようとはしなかった。
芦河ショウイチの人となりを、氷川さんと葦原さんを足して二で割ったみたいな、と説明すると、氷川と葦原は一斉に面白くなさそうな顔をして、それを見た真魚は軽く吹き出していた。
氷川が本庁に連絡を入れていた。小沢も翔一の事をかなり心配していたようで、仕事が抜けられないから明日にでも顔を見せに来るように言われた。
翔一の失踪の件では倉本への説明に氷川が大層難儀したらしい。倉本に電話を入れて詫びると、神隠しなら仕方ないと言われて却って困惑した。
じきに外に遊びに出ていた太一が帰ってくる。珍しい恰好をした翔一を眼を丸くして眺める。
「ああそうだ、久し振りだからさ、今日は俺が晩ご飯作っちゃうよ」
何となく口に出してみると、太一がやったぁとはしゃいで声を上げた。
「氷川さんと葦原さんも、もし用事とかなかったら一緒にどうですか」
「まだ君の話も途中のようだし、ご迷惑でなければ是非。メニューは何ですか?」
「今日は、チャーハンにしようと思って。帰ってきたら絶対作ろうって思ってたんです。氷川さんも好きでしょう」
「ええ、好物ですが……」
「ですよね」
不思議そうな顔をした氷川に、にっと笑ってみせる。氷川は首を傾げたが、すぐにチャーハンに意識がいってしまったようで、それ以上は深く聞いてこなかった。
チャーハンなんてありふれたメニューに深い意味がある筈がない。それでいいしその方がいい。
話は一度切り上げて、エプロンを借りて夕飯の準備を始める。美杉が少し早く帰ってきて、翔一を見て驚きのあまりに鞄を足の上に落とした。
今日は人数が多いから、予め炊いてあったご飯を移して更に炊いた。真魚が手伝いを申し出て、翔一の隣で玉ねぎの皮を剥いている。
真魚ちゃんももう、毎日晩ご飯作ってるんだもんな。今更のように思い当たった。これは少し大きな変化だった。
それでも、真魚は何だかとても嬉しそうに玉ねぎを剥いている。だからきっと、概ねいい方向に変化しているんだろう、そう思えた。
「うん、真魚ちゃんはやっぱり、そうやって笑ってるのが一番いいや」
「……突然何よ。あっもしかして、会えなくて寂しかった?」
「うん、寂しかったよ。ずっと会いたいなって思ってた。真魚ちゃんも、太一も先生も、氷川さんと葦原さんも」
素直に答えると、真魚は困惑したようで、返事を返さなかった。
「汁物は卵とわかめのスープでいいかな、胡瓜と鶏むねがあるから、サラダは棒々鶏にしちゃおうか。あとおかずがもう一品くらい欲しいとこだけど……」
「それだったら、菜園のキャベツを使って回鍋肉は?」
「おっ、いいねえ。豚肉あるかな? バラがいいよなあ」
楽しそうに真魚が微笑んで、翔一はそれが嬉しくて仕方がなかった。冷蔵庫の中身を眺めながら、何てことはない夕食のメニューを考えるのはどうしてこんなに楽しいだろう。
今この時はとても楽しくて、掛け替えがない。だけれども翔一は、明日はきっともっと楽しいのだと、心のどこかで思っていた。
陽はもう暮れて、赤い光の筋が屋根の端を染めている。空は淡い紺色をしていた。
もう二度と会う事はないだろうけれども、芦河と八代にも、あの世界の人たちにも、こんな夕暮れが訪れていればいい。
太一は葦原に懐いているようで、しきりにバイクを見せて欲しいとせがんでいた。翔一のバイクについてそんな事を言った事はないから、つまり「葦原の」バイクが見たいのだろう。氷川は美杉と、何か難しい顔をして話していた。
「何だか、人が一杯いると、パーティみたいでわくわくするなぁ」
「そうだよ、翔一くんが帰ってきてくれたから、お祝いだよ」
「えっ……お祝いの料理を自分で作ってるのって、何だか微妙じゃない?」
「いいじゃない、翔一くんはさ、作るのが楽しいんだから」
可笑しそうに真魚が笑った。
変わるものもあれば変わらないものもあるけれども、これは変わらなければいいな。もし変わるんなら、明日はもっと一杯笑ってくれるとか、そういう風に変わればいいな。
そんな感想が浮かんですぐにどこかにしまわれた。翔一は鼻歌を歌いながら、みじん切りにしたピーマンを俎板からシンクに置いたボウルに移した。
最後までご覧いただきありがとうございました☺