気がつけば四月が終わっていた。
何度か芯を変えたボールペンに、既に各科目一冊分は使い切ったノートたち。それに比例してある程度理解できるようになったISの基礎知識を鑑みるに、なんとか学園生活をできているらしい。
とはいえ私生活は澱んでいる。
朝。
誰にも起こされることなく目を覚ますと既に隣のベッドから人の痕跡は消えている。のんびりと準備をしてホームルームの五分前ちょうどにクラスに着く。朝食は神様印のハンバーグに、インスタントのお味噌汁。
昼。
授業を受け、その合間に予習復習に精を出す。たまにクラス代表として雑用に駆り出されたり、クラスメイトと話しかけたりする。話題は授業のことから新生活のことまでよりどりみどり。最近のブームは対抗戦のことだろうか。
クラスメイトと話しながらできるだけ教室から出ないように心がける。なるべく箒や貴族様と出会わないように。出会ってしまえば最悪私の心が折れる。
夕方。
授業が終わるやいなやアリーナに直行する。
利用者名簿を確認し、二人の名前がないことを確認するとISを借りて操縦練習。どちらかの名前があれば図書室に切り返す。一日の復習から気になったことの調査まで。操縦基礎から武装構成論まで。やはり最先端の技術を教える学校なだけあって最新の論文やら技術誌やらレベルの高いものが置いてある。
一日の中で最も有意義な時間と言える。
夜。
施錠時間とともに追い出され、学食に寄って残り物を漁る。
部活に精を出した人たちの利用時間とかぶるので、なかなか騒がしいが、これも学生生活らしくて好ましい。空中を舞う味噌汁なんて学校生活でしか拝めないだろう。隅でのんびりと学食の光景を楽しむ。
消灯時間の三十分前に部屋に戻る。部屋の隅で何やら作業をしている貴族様に挨拶するも返事はない。服を脱ぎ捨ててシャワーを浴びて寝る。おやすみなさいは返ってこない。
あの浴場の出来事からこっち私は貴族様が寝ているところを見ていない。おそらく私より遅く寝て早く起きている彼女は、多分私のことなど信用していないのだろう。
宗教的な理由を持ち出して部屋替えを希望してみたが、寮長の先生に一蹴された。いい案だと思ったんだけどなぁ。スパモン。
どれほど不愉快な日常であれ、人は慣れる生き物である。
一見平穏でその実真反対な生活といえど、一ヶ月も経とう頃には慣れたものだ。……慣れるまでは大変だが。
あの浴場の出来事の翌週はそれはもうひどかった。
たった一週間で朝の支度を貴族様に頼り切っていた私は寝坊して遅刻しかける。昼食を食べに学食に向かえば、箒とすれ違い、親の仇のような目で睨まれて黒い影を向けられる。そして、部屋に戻れば虚ろな目をした貴族様が何をするでもなく私を見つめる。穏やかさなどどこにもありはしない。
改善点をあげ、行動範囲を絞り、行動時間を組み直す。
そして一週間ほどで今の生活をルーチン化して表面上は"穏やかな生活"にたどり着いた。そして気がつけば四月が終わり、日本における国民の祝日はIS学園では適用されないことでクラス中が怒りに狂乱する中、私は五月の到来を知った。
五月の最初の金曜日。
いつものように図書室から帰り、部屋の隅でぼぅと窓の外を眺める貴族様に帰ってこない挨拶をしてシャワーの中でもの思いに耽る。
考え方を変えてみれば、これは私の求めていた"穏やかな生活"そのものなのではなかろうか。
規則正しくじっくりと寝て、最先端科学を学び、学食は美味しい。それなりにクラスメイトとも仲良くやれていて、誰にも脅かされることのない学生生活ではないか。……正確に言えば脅かされかけているが、あちらから関わってくる様子もないし、こちらが気をつければ何も起きないだろう。
"心の平穏"など、事実をどう捉えるかでしかない。この生活を"平穏"であるのだと私が納得しさえすれば済む話だ。
あまり記憶にないが一度目でも二度目でも人生観の違いで袂を分けた人達もいたはずだ。先輩とは平穏談義で盛り上がったが、あの隠しきれていないプライド高さにはついていけなかった。オーフィスとも木陰でお茶な話題で盛り上がったが、あの排他的な思考は理解できなかった。
そう。些細なことだ。多感な思春期に起きたよくあるすれ違い。
ただ幼馴染と喧嘩して、ルームメイトとうまくやれていないなんてよくある話だろう?殺し合いに発展しかけることは稀だろうが、それこそ神とやらの言う"反動"とやらのせいだろう。それがなければ些細な喧嘩で済んだはずだ。そう。よくあることだ。仕方がない。よくあることでこれよりひどい状況なんていくらでも考えられる。そう。もっとプラスに……。
…………。
考えを止める。
生産的じゃない。
堂々巡りの末袋小路にはまりそうだ。
一つ大きく息を吐いて、桶に溜めた水をかぶる。
思わず変な声が出たが、頭は冷えた。
シャワーでお湯をかぶりもう一息。
「ああ、木陰でずっと寝てたいなぁ」
おっと。思わず。
もう一度深呼吸して、「よしっ!」と声を出す。
グッと上体を伸ばして、浴室から外に出る。バスタオルを拾い肩にかけたところで、外の異変に気がついた。
何やら騒がしい。誰かが口論している?
パパッと拭いているうちに静かになり、慌てて頭にタオルを巻いて外に出る。
すると扉が何かにぶつかり「ぶへぇっ」と奇天烈な声が聞こえた。
慌てて扉の向こうを見てやれば、仰向けに倒れる小柄な少女が目を向いていた。
「うわ。ごめん。大丈夫?」
「あいたぁ。大丈夫じゃないけど、私も悪かったわ。あたた」
栗色の髪の少女は鼻の頭をこすりながら右手をこちらに伸ばす。
左手でその子を助け起こして声をかける。
「いや。共同で使う場所なのだし。もう少し気を使うべきだった。申し訳ない」
「いやいや。私もあんたが入ってるのを知って無遠慮にも入ろうとしたんだし。普通に待ってればよかったわ。ちょっと気が早ってたわね……」
「……?何か火急の用が?だったすまない。すぐ着替える。どこに向かえばいい?」
「あ。いやいや。違うのよ。外に出る必要はないし、一言もらえれば私のようはすぐ済むから」
「…………?どう言うこと?」
「譲って欲しいの。クラス代表」
「……。…………?そもそ、っくしゅん!すまない先に服を着ていいか?もう春とは言え流石に夜は冷える」
「あ。いやいや。本当に一言もらえればいいから。そんな腰落ち着けて話すような「ことだろう。袖の下にしろ。八百長にしろ。適当な口約束で済ますわけにいかない」は?八百長?」
ポカンとした少女の脇をすり抜けてベッドに出してある寝間着を切る。気を利かせてくれたのか、活動的な私のそばにいたくないのか貴族様はいつの間にか部屋から出て行っていた。
「あら?イギリスの候補生って気が効くのね。よいしょっと」
ここ一ヶ月ほど、誰も座っていなかった椅子に少女は腰掛け再度私に言う。
「で、もういい?着替えてもらったとこあれなんだけど、私としてはあんたから一言肯定の文句が聞ければいいのよね。はい、か是。そのどっちかを」
「……。対価は?私としては譲ることに文句はない。どうせ一組か四組が掻っ攫う。マイナスの評価を受けなければいいくらいのものだからね。こういった提案はまあ別にアリだと。そう思いはするけど」
「……?対価?……一般生徒ってそんなに大変なの?」
「ん?いや、その交渉はお粗末すぎないか?そもそも君はお願いに来た立場なんだろう。まさかなんの準備もなしに来たのかい?対価を用意もせずに頷くとでも?」
「いや。雑務丸ごと押し付けられるんだからあんたにも全然メリットはあるじゃない。まだ一ヶ月だからそうでもないけど、これから課外実習だったり実習授業増えて雑務増えるわよ?それともバリバリ委員長やってたような仕切り屋タイプ?自分が一番じゃないと気が済まない。みたいな。いや、クジ運でなったんだからそれはないか」
「雑務?……待ってくれ。これはそもそも再来週末の代表戦に向けた八百長の依頼だと。そう言うことだよね?」
「は?八百長?なんで私がそんな面倒なことしなくちゃいけないのよ」
「……そもそも君は誰だ」
「え?ああ。あの子には名乗ったし、もう名乗った気でいたわ。ごめんなさい。中国代表候補生鳳鈴音。明日から二組の代表になるわ。よろしくね」
「…………ああ。そう言うことか。現二組代表。松本そらだ。つまり君は。「クラス代表譲って欲しいの」そうだね。最初から一貫してたね。すまない。日本語が理解できなかった。君は日本語うまいね」
「ええ。これでも中学前半まで日本にいたから」
「……ほう。そりゃすごい。なるほど。と、すると君が代表にならないとまずいのはあれかい?国からの、とかそのあた「関係ないわよ。全く。興味もないし」なるほど。…………」
ふむ。ん?
「で?譲ってくれるわね?」
「…………ふむ」
「…………」
まるで断られるとは思っていない顔。
そういえば、二度目の彼もこんな顔をしていたっけ?深い交流はなかったし、伝え聞いた諸々からなんとなくそう思うだけだが。
一体彼女は何を根拠にこんな自信を持っているんだろう。
中国では転入生がくるとクラス長だの、委員会だの再編成されるのが当たり前なのだろうか。いや、中学校までは日本にいたそうだからそれはないのか。彼女の認識は多分私とそれほど違いない。だとすれば彼女なりの責任感なんだろうか。国の代表候補生なのだからクラスを導かないといけない。みたいな。我ながら意味不明な発想だが狂信も盲信もありえない話じゃないんだろう。浴場の出来事を思い出す限り。
結局自分で信じているもの以外は悪か虚言か敵で、都合が悪くて不愉快で嫌いなものは排除することしかしない。言葉で武力で捻り潰して押し通す。どうして耳を傾けてくれないのか。我を通すのがそれほど楽しいか。
「…………」
「で?」
「ん?ああ。ごめん。ちょっと思考が迷走してた」
「そんな悩むこと?自分がしたいように一言言うだけじゃない」
「え?」
「さっきはあんなこと言ったけど、嫌ならそういえばいいのよ。私としては困るし、強硬手段はしたくないんだけど」
「……ああ。そっか。なるほど」
ストンと。
たった一言で一ヶ月考えを巡らせてたことが単純明快に思えてくる。
そうだ。
"不惑"
体得したことを忘れるとは、得られないことより罪深い。
「ありがとう。君はなかなか素敵な女性だ。シンプルでよかったんだ。私が納得できなければ意味はない。そうだ。そうに違いない。ハハッ。いやはや」
「??どういたしまして?」
「ああ。それで感謝したいのは山々なんだけど、答えはNoだ。今の所は」
「……へぇ。"今の所は"?」
にぃ。と口角が上がる彼女に私も満面の笑みでで答える。
「私は納得がしたい。"納得"のない決定になんて毛ほどの意味もありゃしない。"不惑"であれど、盲信はしたくない。鳳さん。あなたが私を納得させられるかどうか。あなたが我を通すのなら私を"納得"させてくれ。君がクラス代表を求める理由はなんだい?」
少し迷って、口を開いた彼女の頬は紅く染まって。簡潔に彼女は答えて、私は二つ返事で頷いた。