バカは死んでも治らない   作:さっさかっぱー

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十二話 ー狂人ー

この感覚には覚えがある。

首筋に走る焼け付くような、痺れるような痛み。

縛られた両手。括られた足。目の前を塞ぐ布。

忘れもしない六年前。

右手に残る怪我の原因。

かつての山小屋での一幕。

 

「気づかれました?」

 

数週間ぶりに聞く声。

目隠しされているからか、その声に乗る感情を嫌になるくらい感じ取れる。

この感情は初めて触れた感情で。

けれど、この感情は、クラスでのあの違和感(空回り)そのものだ。

 

「ああ。久しぶり、かな。……貴族様」

「よかった。覚えてくださったのですね。ここのところ喋らなかったですし、もしかしたら忘れてしまわれたかと」

「こう見えて、人より身体能力が高くてね。五感も鋭いもので、なんなら匂いで貴族様を見つけられる」

「あら。私、綺麗好きですのよ?昔の体臭を香水でごまかすような「血の匂い。この前は風呂場だったからわからなかった。それともそれこそ香水か何かで誤魔化した?あの黒い、真っ黒な何かは血だったんだ。箒がテレキネシスを使う超能力者なら、私が多少丈夫な天界人なら、貴族様は血を使う超能力者なのかな」……。そうですわよ。今、視界を塞がれている貴方にはわからないでしょうが、今、貴方は私の、血。血の海の真っ只中にいる」

 

ねっとりと。

貴族様は楽しげに話す。

 

「四肢を縛られ椅子に縛られ、私の血の海の中にいる。」

 

パンと、手を叩いたのだろうか。

小さな音。

 

「あなたは、私の、中に、いる。」

 

日常の中ならなんでもない、意にも解さない些細な音。

直後気配もなく耳元で囁く貴族様。

思わず体が仰け反り、拘束された体のまま倒れベシャリと、血の、海に、沈む。

 

「あらあら。右手の怪我大丈夫ですの?包帯を剥いだ時には驚きましたわ。そんなひどい怪我なんですもの。知らずにとはいえ引っ張ってたりしてごめんなさいな。」

 

ああ。どうりで右手が動かないわけだ。。

思わず文句を言おうと口を開けば、ひたひたと揺れる液体がドロドロと口内を犯す。

 

「ごほっ!げほっ!」

「あら。飲みたいのならそう言ってくださればいいのに。ほら。」

 

バタンと仰向けになるように蹴り飛ばされる。下敷きになった右手はすでに痛みすら感じない。

咳き込みたいのか痛みに歯を食いしばりたいのか、苦痛を発する信号をどう知りすればいいのかわからなくなっていると、口に何かを突っ込まれ、耳元で艶やかに囁かれた。

 

「ほら、お噛みになって。」

 

舌を撫でる指の感覚に思わず嘔吐く。

嘔吐いても嘔吐いても指が抜かれる様子もなく、頭を引こうにも椅子の背が邪魔で動かせない。

まだ喉に残る血で呼吸すらままならない。

 

「血ではなくて私の指がお好きですの?そんなにねぶられましても、私にそのケはありませんわよ?」

 

もはや相手の発する声も、声と認識できないほどにパニックだ。

ただ耳の近くで鼓膜を揺らす何かがいることだけ、そしてその存在が一体なんなのか、私は考えることを進められない。

 

「あらあら。泣いてしまうなんて。そらさんは本当にどうしようもない。……血濡れてないところも涙でぐしょぐしょですわよ?そんなーー

 

 

ふと、気がつけば。

転んでいたはずの椅子は立ち上がっていて、近くにいたはずの貴族様は気配すら感じられない。

 

どころか。

 

普段なら聞こえる隣室の生活音すら聞こえない。

全くの無音。

 

どっどっど。

 

と一瞬静まった心臓が再度大声で喚き出す。

静寂を誤魔化すかのようにどっどっどと鼓動を打ち鳴らす。

 

「…ぁ…ぉ…。」

 

声がかすれる。

呼吸はできる。

体は動かせない。

相変わらず足は括られてる。

相変わらず手も縛られている。

変わりなく目隠しもある。

血の匂いも健在。

 

状況を確認する。

深呼吸。

血の匂いが不愉快だ。

 

首筋が痛い。焼けたようだ。

多分貴族様が使ったスタンガン。

護身用のブツか、下手すればISのなんらかの兵器。

 

状況を思い出す。

深呼吸。

血の匂いが気持ち悪い。

 

相変わらず全くの無音。

動けばギシギシと椅子が鳴る。

耳が聞こえる。体も動く。

 

状況を再確認。

深呼吸。

血の匂いしかしない。

 

「またこれだ。状況だけが目まぐるしく変わる」

「"納得"だ。しさえすれば結末はなんでもいい」

「ああそうだ。向き合いさえできればなんだっていい」

「たとえ先に平穏がなかろうと、"納得"さえすればいい」

 

私の声が小さく響く。

異常な環境でハイにでもなったか。思索だけが先んじて思いだけ口から溢れる。

 

たとえ嫌だろうとも。

 

声が聞こえる。

 

"納得"すべきだ。

頭の中の男が囁く。

 

この状況を作った彼女にも、私を刺し殺した彼にだって、それをするだけの事情が、思いがあるはずだ。

何かなんてわかるはずもない。

人の思いなんてわかるはずもない。

結果が全てを物語る。

それを為した。

であるならそれ相応の理由があるのだろう。

だからこそ"納得"すべきだ。

どうせ私には夢も望みもないんだから。

 

"納得"すべきだ。

頭の中の少年が言う。

 

どうせ何も変わらない。

ただ漫然と目の前の出来事を片付けるうちに人生は終わる。

受かったから大学に行って、受かったから仕事をして。

そして投げ出して。

嫌になったらどうせ投げ出す。

一度そうした。二度目は幸運なだけ。

投げ出す前に終わった。

今回も幸運だ。投げ出す前に終わる。

どうせ夢も望みも見つかりはしない。

 

"納得"すべきだ。

私は笑う。

 

何も残らなかった一度目と違って。

恨みしか残らなかった二度目と違って。

殺されるほどの憎しみを向けられたんだ。

下手に愛されるより難しい。

だから彼女の思いにこそ"納得"すべきだ。

 

「うるさい」

「ああけどわかった」

「二度目まで。ごにょごにょ考えてたからダメなんだ」

「平穏の才。ストレスはあれど苦難とは無縁の人生」

「成長などあるものか」

「……うん。案ずるより産むが易し。いい言葉。座右の銘にでもしようかな」

「成長しないといけない。技術の向上という意味でなく、精神的な成長が必要だ」

「ああ全く。吉良先輩、あなたの行った通りだ。小手先だけでマインドが薄っぺら」

「すでに"自覚"はしてるんだ。人としても生物としての歪な自分は」

「だから"忍耐"ぼうと決めている」

「揺らごうと迷おうと、"不惑"。あるがままであろうと、すでに私は心に決めている」

 

そうだ。

どうも最近頑なだった。

部屋に入る前、りんに教えてもらったことさえ抜け落ちていた。

視野狭窄だ。

答えはとうに持っていた。

まっすぐに。シンプルに。

 

私はどうしたい?

 

「……多分、貴族様のタチなのか」

「予定通り。話をしよう。ロープ君。ちょっと解けて」

 

ロープが解けてぺちゃりと落ちる。両手を縛っていた紐も、椅子と私を結ぶ紐も意思を持って解けて落ちる。

 

「右手のこと。口止めしとかないといけないかな。」

 

だらりと垂れた右腕にロープが一本まとわりつく。

蛇みたいなそれはグルグルグルと右腕を覆う。

左手で目隠しを解くと、ようやく状況がわかる。

まるで牢のように丸い何かに囲われている。

何かに手を触れてみれば、固い感触が返ってくる。

 

これも血なんだろうか。

箒を針山にした光景が頭をよぎり思わず退がる。

背面でも同じものにぶつかりゾッとする。

 

「落ち着こう。鉄の処女まがいのことをするつもりならとうになっている。縛って入れる必要はない。……ないはずだ。」

 

不安は拭えない。

一刻も早い脱出を。

 

「"不惑"。私は鉄だって切れる。あの太刀筋を一年間見続けた」

 

あの一途な彼女とも向き合わないと。

一途な想いを秘めていた彼女と。

 

「"無生物"を"生物"に変える力」

 

内ポケットにしまい込んだ扇子がまるで生き物のようにクネクネ動いて胸元から這い出てくる。

倒れた拍子に折れたのか骨がボロボロでもう使えたものじゃないだろう。

折れた骨を痛そうに庇いながら扇子はやがて私の左手に収まった。

 

「"快刀乱麻"」

 

刃へと姿を変えた扇子で私を囲う血の球体を思い切り振り抜けば、血だまりの奥の電灯に目が眩む。

囲いの向こうの貴族様と目があった。

その向こうで目を丸くしているりんが何か言っているが、今はそんなの後回し。

 

「さあ。貴族様。お話ししよう」

 

刃を向けて。貴族様とおんなじような笑みを浮かべて。

 

「"納得"させて。その末にならどうぞこの首どうとでも」

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