転校することになった。
言われる側になったその言葉を聞きながら、むしろそれだけで済んだのは幸運だったんじゃなかろうかと思いながら、ベッドの脇で悔しげに目をそらす彼女に「そ。元気で」と短く返した。
一年前の本音は、これほどまでにあっさりとはしていなかったかな、と我ながら友達甲斐のないやつだと自嘲する。
短い返答をどう捉えたのか、彼女、箒は目を伏せて声にならない音を発して病室を出て行った。
晩夏を知らせるヒグラシの声がただただ鬱陶しい。
言葉足らずだったかもしれない。
けれど、いくら言葉を重ねても伝わらなかった気もする。
ハタン、と。
力なく閉まったドアを見つめながらどう答えればよかったのかと首をひねり、結局場当たり的な対応に頼ろうとしている自分に重ねて自嘲する。死別するわけでもないのだし、縁が合えば会うこともあるだろうと考えを結ぶ。怪我が治れば会いにも行けるさ。
ドアから目を離し窓をぼんやりと見つめ、身体中が訴える鈍い痛みに顔をしかめた。
彼女が転校することになったそもそもの原因。
私が入院することになった原因。
そう表現すれば、まるで私は何もかも知っていて、だからこそ彼女にあんな対応しかしなかったんじゃないかと邪推させるかもしれないが、私がわかったことは些細なことだけだ。
出来事に起因していたらしいの私の事情と彼女の事情、それにちっぽけな決意。
私にわかるのはそんなこと。
原因を特定できるほどの頭もない私にも、何が起きたのかと私が何を起こしたのかということはわかる。
私にわかったことを箇条書きすれば、
彼女が名前を偽っていたこと。
彼女が後継した遺産なり借金なりが人命より重いレベルであるということ。
あとは神の力(笑)から(笑)が取れたくらいか。……そのおかげで病院で寝たきりになっているのだが。
事の原因はともかく、ベッドで寝たきりになったきっかけは昨日の放課後まで遡る。
いつものように授業を終え、日課の日向ぼっこに精を出していた時。
授業が終わるのが遅かったからいつものスポットではなく校庭のソテツの下でゴロンと横になっていた私は、いつものガシャガシャをつけずに静かに素振っている箒を眺めていた。
いつもより静かだなぁと眺めていると、何に気がついたのか、彼女が私のもたれる木に登り始めた。
多分、そこが始まり。
いや、始まりというのは正確ではないかもしれない。
すでに始まっていたものが昨日顕在化しただけだろうから。
……切欠という方がしっくりくる。
いつもの場所に行っていたなら、彼女があそこで隠れなければ、隠れるより先に見つかっていたら。考えられるもしが実現していたら。
きっと私は何も知らぬまま教室で彼女の転校を告げられたか、はたまた彼女が行方不明になったという報告を受けたかもしれない。
だから、あそこで彼女が木に登って隠れきれたことは始まりというよりも分岐点。そういう表現がしっくりくる。
ああ。あそこで彼女売ってれば今この疼痛に悩まされることもなかったのになぁ。
実戦至上主義であるらしい彼女の流派では刀を担いだまま野山を駆け巡ることもあるらしいと聞いていた私は、多分これもその一環なのだろうと思って、スカートであることを気にせず音もなく登る彼女の尻を眺めていた。
未だ女性的感覚がわからない身ながらも、熊さんプリントのパンツは小学何年生まで大丈夫なんだろうか、と彼女に知られれば竹刀でぶっ叩かれること間違いないことを考えていると、どこかで見た覚えのある女性に声をかけられた。
二言三言話すうち、この女性が箒が隠れた原因なのだと思い至った。
どうやら彼女は箒の保護者らしく、急用があるとかで箒を探しているらしい。様子から察するに、先んじて自分を探す保護者さんを察した箒は、連行を嫌って隠れたのだろう。
瞑目して考えること少し。軍配は箒に上がる。
詳しい事情など知らないが、ここは恩を売っておこう。
とはいえ本当に火急の件なら嘘をつくのも憚れる。
急ぎなら私も探しましょうか?と問えば、
手伝ってもらうことでもないわ。と食い気味に答えられる。
手伝いが不要というならそれほど火急の用事でもあるまい。
いつもは竹刀片手に野山を駆けてますよ。とアドバイスらしきものと、あったら探していたことも伝えますね。と言うと、ありがとう、家で昼寝したほうがいいわよ。と返される。
いえいえ。嘘つきに感謝などとんでもないと内心思いながら、学校の方に走っていく保護者さんを見送る。
保護者さんが校舎の向こうに消えてから、箒がスルスルと木から降りてきた。
「……ありがとう」
「嘘つきに礼なんてとんでもない。……心当たりは?病院に入院中の親戚「ない。全くもって。ない」なるほど」
どうも彼女は嘘が下手くそらしい。遮るように語気荒く言い放って、一歩下がって目をそらして挙動不審になるとは一周して嘘だと見抜いて欲しいのか。
「保護者さん呼んでこようか?」
「いや!……本当に心当たりはないのだ。私が必要になる事態など……」
……。まあ彼女がそう言うならそうなんだろう。
ハンバーガーにパクつきながら、そ。と返せば、彼女は少しムッとしながら口を開き、何を言うでもなく閉じて素振りに戻った。
事態に変化があったのはそれから三十分後くらい。のはず。
普段そんなに時間を気にしない私の体感で三十分なので、実は十分とかあるいは一時間経ってたかもしれない。
何が楽しいのか延々と素振りを続ける箒の後ろから見覚えのない男性がこちらに近づいてくる。
保護者さんの急用関係者さんかな?と思い箒を呼んでそちらを指差せば、箒が振り返って妙な顔をする。
見覚えがないのか、それともあまり会いたくない親戚か。
表情の機微にそれほど敏感ではない私が、彼女の内心を推し量ることはできず、私もきっと彼女と同じように妙な顔をしたことだろう。
その男性が箒のそばに近づいて、二言三言話していた。
箒が校舎の方を指差していたから道に迷ったか学校への来客の体を装っていたんだろう。
気難しいがそれなりに親切である彼女は多分案内しようかと男に背を向けて、黒い機械。多分今にして思えばスタンガン的なものなのだろう。それを押し付け、倒れた彼女を肩に担ぎ、あっけにとられる私に何かの器具を向けて、私の意識はそこで途切れた。
目が覚めて、残る手足の痺れに違和感を覚えて周りを見渡す。
隣に横たわる箒に見慣れた窓。
ここは確かひで爺が使う山小屋だ。
そして、いつもはひで爺が座っている椅子に神経質そう手に持っている器具を弄んでいる。机の上は見えないが、ドライバーやら六角レンチやらが並んでいるんだろう。腰にはナイフ。手には部品が外れている銃のような機器。手足の痺れと形状から察するにおそらく銃型のスタンガン。
針を飛ばすようなものなのだと思う。お腹のあたりに血が滲んでジンジンする。
子供とは言え、自称神さまのおかげで普通よりかなり丈夫な私の意識失わせるともなればそうとう強力なものに違いない。
……私でなければ、死んでいるかもしれないほどに。
思わず隣に横たわる箒の容態を確かめようとする。そこで初めて自分が縛られていることに気がついた。
バタンと倒れて、這いずりながら箒に近づく。
首筋に赤い痕。おそらくスタンガンを押し付けられた部分。
息はある。呼吸も普通。おそらくは。
傷跡も、素人意見ではあるが、それほどひどいものには見えないので時間が経てば綺麗になるだろう。
……なって欲しい。
箒を観察していると襟首をつかまれぐいと後ろに引っ張られる。
ああ、男のことなど意識の外だ。
わき目も振らずガタガタと音を立てて確認すればそりゃ意識が戻ったことを気づかれるか。
箒から引き剥がされた私は床に投げ捨てられ腹を思いっきり蹴りつけられる。
「うぐっ」
「黙ってろ。動くな。痛い目みたくなけりゃあな」
それだけ言って元いた場所に乱暴に戻されて髪をつかまれ顔を上げられる。
「いいか。動くな。黙ってろ」
そう言って頬を殴り、男はひで爺の席に戻ってまた手元のスタンガンをいじり始めた。
――なれない感覚に泣いている自分を自覚し、これなら精神も徐々にこの体に慣れていくのかなと安心した自分がいたことが印象的だった。
涙を流す私が不愉快だったのか。こちらに近寄る男は、縛った腕を捻り上げ、黙れ、泣くなとがなりたてる。
――「黙れ」と言われたと言うことは声をあげて泣いていたのだろうか。どうにも曖昧だ。
徐々になくなる感覚に怖くて涙も引っ込んで。
恐怖に震えて、一周回って冷静になって私たちの行く末を思い叫びそうになる。
冷静じゃない頭で考える。
考えろ。人はただの葦でしかない。
ここの場所は知っている。
おばあちゃんの弟のひで爺の小屋だ。
マタギをやっているひで爺が狩った獣の処理をする小屋だ。一緒に入ったこともあったし、たまに来て昼寝をしたこともある。
縛られた腕をなんとかしてこやから飛び出さえすれば、大人の足とは言えど、慣れた山道でなら逃げ切れる。……はず。
恐怖に震えながら考えを進める。
逃走の選択肢の問題点はおそらく三つ。
一つ。複数犯である可能性。
あくまで可能性である点は否めない。
とは言えその目算が高いだろうと思っている。
連れ込まれたのがハイエースであれば、幼女趣味のキチガイにさらわれたのかと身の毛もよだつが、ここはひで爺の小屋だ。
半年前から膝を患っているひで爺の小屋だ。私がマメに昼寝しがてら掃除しに来ているからそれなりに綺麗だが、そもそも膝を患ってからヒデ爺は来なくなって基本的には私の遊び場だ。大人はこなくて、そもそもここで私が遊んでいることはあんまり知られていない。
知っていてここに連れ込んだ可能性。事前準備をしている可能性。
その可能性は低くない。
とするなら単独犯でない方がしっくり来る気もする。
それに箒の"家庭の事情"がどれだけ重いか不明だ。
篠崎家がさる公家の血を引くやんごとない血筋、とか。世界的大企業の娘とか、ヤクザのお嬢様でした、とかであれば、複数犯どころか組織的に本筋の方々がいるであることは間違いない。
一対一で対人。目の前の男を伸して終わりなら容易い。神様に感謝。けれど、経験値の高い山でもそんな輩達から逃げ切られるほど自分の能力を信じられない。
ましてやそれが一度も使ったことがないならなおさら。
さらに一つ。箒を置いて行かざるを得ない。
けれど、殺されることはないだろう。
ぞんざいに扱われている私とは裏腹に、分厚いカーペットの上に寝かされて、拘束もされていない様子の箒。
誘拐なんていう狂気の選択をしている以上、酷いことをされる可能性は低い……はず。
箒の事情が不明だからこそその可能性がないと断定できないのが怖い。
一つ。この神経質そうな男。
そしてこれが三つ目の致命的な理由でもある。
単純な無力化なら容易い。
簡単に拳を上げたこの男の行動から察するに、私は箒の枷である可能性が否めない。
目撃者をそのままにしておけないというのもあっただろうが、箒の友人であろう私を、それなりに嬲っておけば、彼女は間違いなく逃げない。責任感の強い彼女は、自分の事情に巻き込んだ上、ボコボコにされる私を見れば間違いなく自分を責める。
心を折るための道具なんだろう、私は。
であれば、私が逃げた後、彼女は枷に嵌められる。
それがどんなものか。想像するのも恐ろしい。
最悪の場合、大団円を迎えられない結末が訪れる。
恐怖で歪んだ思考では、大団円なぞ思い描くことすらできやしない。
彼女の事情か、私の資質か。
ハッピーエンドは訪れない。
あゝ、ハッピーエンドなぞ彼方の果てだ。
どうして平穏から外れたいなぞと願ったのか。
原因は彼女の事情か?
そんなバカな。
これは私に起因している。
二度目以降の生の対価。
平穏の逆を望んだこと。
これが無関係なはずもないだろう。
あゝ。後悔先に立たずとは。
私の個人的な望みのせいで、誰かが不幸になることは御免こうむる。
多分私はそれを許容できない。
人のためでなく私のために。
私が十全に平穏を享受できないから。
あゝ。
だとすれば、
私が恋い焦がれた私の望みは、
多分きっと。
ああ全く。青い鳥オチなぞ。不愉快極まりないオチか。
恐怖が転じて怒りに変わる。
自分に矛向く怒りに染まる。
だが、まあ。
死んでも治らなかったのは、バカではなく自分が望んだものであるのなら。
それはそれで悪い話じゃないんだろう。
「ふう」
それにきっと
恐怖に震えるより怒りに震えた方がいくらかは健全かも。
さて、では力の限り。
平穏を望もう。
平穏に恋い焦がれよう。
何を切り捨てても私は願いを切望しよう。
ほんのちっぽけな、自分の世界の平穏を。
あゝ、平穏を求めるが故に平穏から遠ざからねば成らぬとは、何と因果な事也哉。
ばからしい。
平穏から程遠いところにあると思っていた夢が野望が、まさか平穏そのものとは喜劇そのものではないか。
一生使わぬだろうと、そう思っていた力も、この事態には頼もしい。
ただの賑やかしでしかなかった力も心強い味方だ。
何に変えてでも。平穏を。
穏やかな時間をささやかな友人とともに。
ふと自分の右手が輝いているのを目にした。
後ろ手に縛られているはずなのに、輝いていることがわかるほどの明るさ。
見えていないのに右手のひらが輝いていることがわかる感覚。
眩いばかりの光なのに、神経質そうな男は何も言わない。
なんとなく察する。
これが感じているのは自分だけだ。
そしてこれはあの自称神様の力の断片だ。
右手に輝く"倍"の文字。
頭でなく感覚で理解した。
この力の使い方を。
「ご都合主義的な展開をどうも」
くそったれな神様め。今度会ったらぶっ飛ばしてやる。
「ああ?」
ああ、口に出ちゃってたか。
「貴方に言ったわけじゃない」
「黙ってっいてっ!!」
ぬるり、と男の拳を躱せば、拳は壁にめり込み血が弾ける。
「"無生物"を"生物"を変える力。拘束具(ロープ)には外れてもらった。そして次は君を縛ろう」
私を縛っていたロープが意思を持って目の前の暴漢に襲いかかり、巻きつき、縛り付ける。
誰だって、たとえ拘束具であっても、真摯にお願いすれば頼みを聞いてくれるもんさ。
「君が縛ったんだ。因果応報。そしてだめ押し。"ハンバーガー"に"倍"を加える力」
右手から出したハンバーガーを一飲みにして念じる。さあ。大きくなぁれ。大きくなぁれ!
「子供の私が何を倍にしようと効果は薄い。だから、私のロマンをお見せする」
さっきの分だ。歯を食いしばれ。
「四ツ星神器"唯我独尊"、"倍"を加える力、"生物"に変える力、重ねて名付けて"ハングリー・バーガー"」
これが渾身の一撃だ。
私の身長を優に越える巨大な魚の頭に、ハンズが現れ、ミートパティが乗っかりレタスが現れさらにハンズが重なった。
私は到底これをハンバーガーとは呼べないが、デザインについては要練習か。
今はこれで十分だ。
「 !!!!!」
声にならない声をあげて。ハンバーガーに丸呑みされる。
ザマァ見ろ。
さて、賽は投げられた。
こっからは電撃戦だ。