きっとそらでつながってた。   作:ローバック

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本栖湖での出会い(2/2)

「ごめんください」

 

 僕はなるべく和やかに彼女に声をかけた。人のいないキャンプ場、夜、ただ一人の女子。そんな場面で見知らぬ男から声を掛けられれば、その心境は推して知るべしだ。案の定彼女はびくりと体を震わせると、恐る恐る僕の方を見た。彼女の手が素早くポケットに伸びる。どうか怪しい者ではないから、110番通報は待ってほしい。

 

「キャンプをお楽しみのところ申し訳ないんですが、この方がちょっと困ったことになってしまって……」

 

 そう言って僕は肩越しに後ろを振り返りつつ、彼女に()()()()()が分かるよう自分の体を脇にどかす。

 そこには先ほど公衆トイレの前で出会った少女がべそをかきながらぐしぐしと鼻をすすっていた。ピンク色のダウンジャケットに身を包み、所々がぴょこぴょこと飛び跳ねた癖っ毛を後ろで二つに結わえている。目の前のソロキャン少女もだいぶ小さいが、彼女も負けず劣らずと背が低い。途方に暮れて泣いている姿を見れば、それこそ小学生かと勘違いしてしまいそうになる。

 そのあまりにもな状況を見て頬を引きつらせるソロキャン少女を横目に、僕はトイレからの道すがらで把握した事情を説明し始めた。

 

 

 

 

 

 

「つまり……今日山梨に引っ越してきたばかりで――」

 

「うん」

 

「自転車で富士山見に来たけど疲れて横になったら寝過ごして――」

 

「うんうん」

 

「気が付いたら真っ暗だったと」

 

「へう゛」

 

「そういうわけですか」

 

「どうもそうらしいね」

 

 ずびしゅと鼻をすする音に合わせて僕と彼女は顔を見合わせる。彼女――いや、名前は聞いてはいないがもう構わないだろう。

 “リンちゃん”はその話を聞いて何とも言えない顔をしていた。僕だって同じような顔をしているはずだ。けれどそれは彼女――これもやはり聞いてはいないが――“なでしこちゃん”の無鉄砲さへの呆れではなく、彼女たちが本当に「志摩リン」と「各務原なでしこ」らしいというファンタジーな出来事に対する驚きと興奮を抑えるのに精いっぱいだったからだ。

 

「あっちは下り坂だし、下まですぐだと思うけど」

 

「むりむりむりちょうこわい!!」

 

 リンちゃんが示したのは中之倉トンネルの方面だ。確かに下り坂だが、曲がりくねった山道の途中で明かりのないトンネルをいくつかくぐらねばならないのは僕だって遠慮したい。なによりそんなところを夜に自転車で走ろうというのは危なっかしくてしょうがない。

 

「家に連絡して迎えに来て貰うのは?」

 

「あっ、そっか!!」

 

 言うが早いかなでしこちゃんは自分の上着のポケットをパタパタとあちこちまさぐり始めた。

 

「スマホスマホスマホ最近買ったスマホスマホスマホスマホス――」

 

 その奇妙な踊りのような姿を僕はぼんやりと見つめていた。残念ながら彼女の行動が実を結ぶことはない。なでしこちゃんのポケットから出てくるのはなぜかケース入りのトランプセットだ。知っている。何回も見た光景だ。放送で、配信で、漫画で、ブルーレイで、何度となく目にしている。僕は感極まって打ち震えそうになっている。だってゆるキャン△の第一話なのだ。それと同じ光景が目の前で繰り広げられているのだから。

 けれどそのどれとも同じで、何よりも違う。リンちゃんとなでしこちゃんと、焚火を囲んで僕がいる。まるで演劇を最前列の一等席で眺めているかのようだったけれど、間違ってはいけないのは僕が観客などではないことだ。ステージと客席の境目などなく、今、それは目の前の現実として起きていることなのだ。僕に何ができるのだろう。僕は何をするべきなのだろう。僕はどうしてここにいるのだろう?

 

 

 

「マホス――!」

 

 つらつらとそんなことを考えていたらなでしこちゃんの声で意識を引き戻される。トランプを握りしめて呆然と膝から崩れるなでしこちゃんを見て、苦笑いを浮かべるリンちゃん。なでしこちゃんのお腹が盛大な音をたてる。

 そうだ。ここでお腹を空かせたなでしこちゃんを見かねて、リンちゃんがカレー麺を差し出すのだ。頭の中に劇中での一幕が思い起こされる。なでしこちゃんの食べっぷりは第一話のハイライトといってもいい。軽快なBGMに合わせて美味しそうに麺を啜るなでしこちゃんを見て、いったい何人がコンビニに走っただろうか。僕はドキドキしながら今か今かとその瞬間を待ち構えた。

 

 けれど、いつまでたってもリンちゃんがカレー麺を取り出そうとする様子はなかった。お腹を空かせたなでしこちゃんを気の毒そうに眺めるだけだ。いったいどうしたんだろう。もしかするとリンちゃんはカレー麺を持ってきていないのだろうか? 僕は急に不安になり始めた。

 そもそもリンちゃんとなでしこちゃんの出会い方からして原作とは違う。僕が先になでしこちゃんに出会ってしまって、それからここへ連れてきた。同じようで同じではない。僕という存在がいることでどんなバタフライエフェクトがあるか分からないのだ。ひょっとしたらリンちゃんは今日カレー麺を買い忘れてきたかもしれない。自分がなでしこちゃんを見つけたわけでもないから、わざわざ食料を提供する必要性を感じていない可能性だってある。そうだというのならば――

 

「ちょっと待ってて!」

 

 僕はやおら立ち上がると自分のサイトへと向かった。荷物の中を探してお目当てのものを見つけると、急いで二人の下へ戻る。

 

「お待たせ。申し訳ないけれど、お湯沸かして貰ってもいいかな?」

 

 僕はリンちゃんに尋ねる。手にしたのはカレー麺と割り箸と、水の入ったペットボトル。僕が買ってきていたものだ。

 簡単なことだ。リンちゃんがカレー麺を出さないなら僕が出せばいいのだ。浩庵キャンプ場に来てカレー麺を持って来ないゆるキャン△ファンだなんて、そんなことがあるだろうか。少なくとも僕には考えられなかった。

 

 「はいどうぞ、これ食べていいよ」

 

 そう言って僕はなでしこちゃんにカレー麺を差し出した。

 

 「え? そんな、そこまでして貰っちゃ悪いですよぅ!!」

 

 慌てて手を振るなでしこちゃん。なんだかリンちゃんのときに比べると随分と遠慮がちだ。でも、受け取って貰わないと僕だって困る。

 別に原作の通りにしようだとかそういう理由だけじゃない。確かにここでカレー麺を食べるのが漫画でもアニメでも正しい流れだし、もちろん目の前でお腹を空かせた女の子を放っておくことに対する後ろめたさだって多分に含まれている。

 でもそんなことよりも、僕は単純になでしこちゃんに()()()()()()()()()()()()()()()()を知って欲しかったのだ。寒空の下で、焚火に当たりながら温かなカレー麺を食べる。はふはふと白い息をこぼしながらあつあつのスープを飲めばじんわりと体の中からあったまって来る。静謐な夜の空気と、見上げれば満天の星月夜。なんてことはないカレー麺の味は、家の中で食べるそれと本当に同じものかと思ってしまうほどの贅沢感に満ち溢れてくる。

 そんなキャンプの醍醐味を、少しでもいいからなでしこちゃんに味わって欲しかったのだ。

 

「いいのいいの、気にしないで。何かあった時の予備の食糧だし、こういうときのためにあるようなものなんだからさ」

 

 本当はあとで夜の富士山を眺めながら食べるつもりだった。好きなキャラクターと同じ行動をすることで同じ心情を味わうという追体験のための小道具としてカレー麺を買ってきた。けれどもお腹を空かせたなでしこちゃん本人に食べてもらえるというのならば、間違いなくその何倍も価値のある使い方だ。

 

「あっ、ありがとうございますっ!!」

 

 顔をほころばせてなでしこちゃんはカレー麺を受け取ってくれた。なんだかそれがとても嬉しくて、なぜだか僕の方がお礼を言いたいくらいだった。

 

 

 

 リンちゃんがバーナーを点火してクッカーを火にかけてくれる。青白い火が立ち上るバーナーと焚火を見比べて、なでしこちゃんが不思議そうに問う。

 

「あっちで沸かさないの?」

 

 そう言って焚火を指さした。

 

「焚火で沸かすと鍋が煤で真っ黒になるから」

 

「へえ~、そうなんだ。プロみたいだねぇ!!」

 

 二人の微笑ましいやり取りを眺めながら、僕は焚火の火をいじる。なでしこちゃんが風邪をひいてしまわないよう、火の勢いが落ちてこないように新たな薪を積み上げていく。

 

「私のスマホ貸すから、家の番号言って」

 

 リンちゃんがスマホを手にしてなでしこちゃんに告げる。その手があったかと一瞬呆けたような表情をしたなでしこちゃんだったが、すぐに「引っ越したばかりで分かりません!!」と白旗を上げた。

 

「だったら自分のスマホの番号は?」

 

「記憶にございません!!」

 

 買ったばかりのスマホと引っ越したばかりの新居――なでしこちゃんにとっては本当にタイミングが悪かった。お姉さんを呼ぶという解決方法は知っているが僕が切り出すわけにもいかず、どうにも居たたまれない。

 

「うーん、手持ちがあればタクシー呼んであげられるけどなぁ」

 

 宿泊費と買い込んだ食材のためにあいにくと財布の中身は心もとない。翌日下ろせばいいと、そこまで現金を用意していなかったのだ。それになでしこちゃんが新居の場所を正しく説明できるのかという問題もある。

 三人して頭を悩ませるも妙案は浮かんできそうにはなかった。

 

「あっ、わいた!! わいたよ!!」

 

 鍋の沸騰に真っ先に気付いたなでしこちゃんが声を弾ませた。

 とりあえず問題は脇に置いて、なでしこちゃんにはカレー麺を味わってもらうのがいいだろう。まあ、いざとなればお姉さんを思い出すようになでしこちゃんをそれとなく誘導するしかないが……それまではこの短いキャンプもどきの時間を楽しんで貰えばいい。空腹は何よりのスパイスだ。カレー麺の味はきっと忘れられない思い出になるに違いない。

 まるで自分のことのように浮かれている僕が、そんなことを思っていたとき―― 

 

 「あの……よかったらこれ、どうぞ」

 

 リンちゃんが僕に向かって何かを差し出してきた。見覚えのある黄色字のプリントと白の発泡容器。

 カレー麺だった。よく見れば彼女の前に一つと、僕に差し出した手の中に一つ。二つのカレー麺がそこにある。僕は思わず驚いてリンちゃんを見た。

 

「私もちょうど同じの持ってきてましたから。これでみんなの分ありますし……」

 

 そう言って少しきまり悪そうに頬を掻くリンちゃんに、そのとき僕は思い至った。

 

 きっと、彼女は人数分に満たないカレー麺を出そうにも出せなかったのではないだろうか? 原作どおりに二つのカレー麺を持ってきていたリンちゃんは、なでしこちゃんと二人ならば問題なく分け合えた。けれど僕が居たばっかりにカレー麺の数が足りない。一人だけがあぶれてしまう。それが誰になるのか、誰が決めるか、そういったことを気にしてカレー麺を差し出すのを躊躇ってしまったのではないか、と。

 

「あぁ、うん……ありがとう!」

 

 そんな思いが頭を過ぎった僕は、咄嗟にお礼を言ってリンちゃんからカレー麺を受け取った。ついでに「ごめんね」と口をついて出そうになったがそれを堪える。

 何が「食料を提供する必要性を感じていない可能性もある」なのだろう。自分が何をしているのかまるで理解していないというのに。きまりが悪いのは僕の方だ。もしかすると顔が赤くなっているかもしれない。

 焚火の照り返しが誤魔化してくれると信じ、僕は薪を一本追加で火にくべた。

 

 なんとかこうして揃った三人分のカレー麺に、お湯が注がれていく。最後に注いだ一つにはいささかお湯が足りなかったが、僕は迷わずそれを手に取って気にせず蓋をして三分間待つ。

 なでしこちゃんが焚火の傍に近寄るのを見越して薪を追加する。勢いよく燃える焚火からは力強い熱が伝わってきて、周りの冷気を退けてくれる。本当にリンちゃんの言葉の通りだと思う。“たとえ顔が乾燥すると分かっていても、煙臭くなると分かっていても、この暖かさには勝てない”のだ。 

 そうして焚火で暖を取っていれば、いよいよカレー麺の蓋を開封するときがやってきた。

 

「かれーめん♪ かれーめんー♪」

 

 湯気を上げるカップ容器から漂う食欲をそそる香りになでしこちゃんが目を輝かせる。待ちに待った瞬間だ。

 

「いただきますっ!!」

 

 満面の笑みでそう宣言すると、そこからはなでしこちゃんの独壇場だった。

 ぱちん、と綺麗に割り箸を割ってカップを持ち上げると息を吹きかけて麺を冷まし、勢いよく音を立てて最後まで啜る。すかさずそこにスープを含んで噛みこんだ麺と同時に嚥下すれば、喉からはアツアツの呼気が漏れ出してなでしこちゃんの顔の周りを真っ白く彩った。

 一口一口ごとに幸せを噛みしめているかのような表情でカレー麺を頬張るその様子に、僕もリンちゃんも自分の箸を止めてしばし見入ってしまっていた。

 ああ、これだ、この食べっぷりだ。僕の頭の中に「キャンプ行こうよ!」が掛かりだした。これを目の前でやられるとその破壊力は抜群だった。なでしこちゃんにかかれば、たとえカップ麺でもなんだかとんでもないご馳走を前にしているかのような気分にさせられてしまうのだ。

 

「美味しそうに食べるなぁ……」

 

 思わずぽろっとこぼれた言葉にリンちゃんも小さく頷いていた。そんな僕らにお構いなしに一心不乱にカレー麺をかき込んでいたなでしこちゃんは、やにわに箸を止めてたっぷりと溜めを作ると「ぷはっ……!」と嬉しそうな吐息を漏らす。

 

「くちの中ヤケドした!!」

 

 キラキラと輝くような表情でそんなことを言うなでしこちゃんに怪訝な表情を浮かべたリンちゃん。そんな二人を見て僕は笑いながら自分のカレー麺を啜った。

 

 

 

 

 

 

 「ねえ、あなたどこから来たの?」

 

 カレー麺をあらかた食べ終えた頃、リンちゃんがなでしこちゃんに向かってそう尋ねた。

 

「あたし? ずーっと下の方。南部町ってとこ」

 

 その問いにこともなげに返答したなでしこちゃんだが、南部町はここから40kmはある。自転車には少々過酷な道のりだが、彼女の富士山に対する熱意はその程度の距離はものともしなかったようだ。

 

「南部町……よくチャリでここまで来たね」

 

 そんな感心するような口ぶりのリンちゃんもまた、上り坂の本栖みちを荷物を積んだ自転車で走ってここまで来たのだから、その健脚っぷりは大したものだ。二人の小柄な身体のどこにそんなパワーが秘められているのだろう。僕は不思議でならなかった。

 

「本栖湖の富士山は千円札の絵にもなってるーって、お姉ちゃんに聞いて長ーい坂上ってきたのに……曇ってて全然見えないんだもん」

 

 口をとがらせるなでしこちゃんは、「聞いてよ奥さん!」とリンちゃんに冗談をけしかける。けれどもリンちゃんの視線は何かに気が付いたようにその背後へと向けられ、それから思わずといった様子で目を見開いていた。僕も同じように顔を上げ、飛び込んできた景色に目を細める。

 僕はこの景色を何度も画面越しに見ていたけれど、やっぱり自分の目で直に見るのとは全然違っていた。確かにこれが見られるというのなら、なでしこちゃんが自転車で40kmを踏破して来ようとした気持ちも分かるかもしれない。

 

「見えないって、あれが?」

 

「え?」

 

 リンちゃんの言葉にきょとんとするなでしこちゃん。リンちゃんと僕の視線が交差する。同じものを見ていた僕たちはニヤッと笑いあって、まだ気付いていないなでしこちゃんに教えてあげることにする。

 

「あれ」

 

「うん、あれだよ。ほら」

 

 そう言って二人でなでしこちゃんの背後を指で示す。

 

「あれ?」

 

 なでしこちゃんが不思議そうに後ろを振り向いた。

 

 

 

 指の先で月が富士山を照らしていた――

 

 金色の月明かりが富士山と本栖湖を柔らかくライトアップし、湖面のさざ波にキラキラと反射している。夜闇から浮かび上がった山の姿が、澄み切った空気の中で厳かに佇んでいた。

 

 僕も、なでしこちゃんも、リンちゃんも、皆が只々その景色に見入っていた。

 

 夜空を背景にした山影を見て湧いてくる感情は一体何だろう。明るい太陽の下で見る富士山から受ける雄大な迫力とはまた少し違っている。月光を浴びて泰然と座するその姿は沈思的でありながらも、神秘的な切り口から語りかけてくるかのようだった。ならばこの瞬間、きっと僕らはそれぞれにその言葉を受け止めていたのだろう。

 

「見えた……ふじさん……」

 

 呆然となでしこちゃんの口から呟きが漏れた。たったそれだけの言葉で、今日彼女が負った数々の苦労が報われたであろうことが十分に伝わってきた。

 

 美しい本栖湖の風景――

 心奪われたように立ち尽くすなでしこちゃんの後ろ姿――

 それを見てどこか満足そうな微笑みを浮かべたリンちゃんの姿――

 

 僕はきっとこの光景を生涯忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ」

 

 そして、そんな余韻を打ち破って声を上げた人物がえへへと笑って僕らの方へと振り向いた。

 

 「お姉ちゃんの電話番号、知ってたよあたし」

 

 なでしこちゃんは恥ずかしそうに頭を掻きながらそう言った。

 僕だって知っていた。このまま思い出さなかったらどうしたものかとハラハラしていたが、無事思い出してくれて何よりだ。僕はそっと安堵の溜息をついたのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 「ウチのバカ妹が、ほんっとーにお世話になりました。これ、お詫びです。お二人で分けてください」

 

 僕とリンちゃんの前で深々と頭が下げられる。なでしこちゃんの連絡で迎えに来てくれたのは、彼女のお姉さんだ。つまり、この女性はおそらく”桜さん”ということになるのだろう。

 

「あ、いや、別に大したことは……」

 

「僕はあまりお力になれませんでしたから……」

 

 保護した、というと聞こえはいいが、実際にやったことといえばなでしこちゃんを(リンちゃんの)焚火に招いてお湯を沸かし(て貰い)、カレー麺を食べただけだ。そもそもがリンちゃんの功績で、僕はそこに相乗りしただけなのだからお礼を言われるとなんともむず痒い。キウイフルーツの入った袋を恐縮しながら受け取る。

 当の本人であるなでしこちゃんは横でお姉さんの鉄拳制裁を食らって涙目で頭を抱え込んでいた。

 

「アンタ持ち歩かなきゃ携帯電話とは言わないのよ!! おらっ、さっさと乗れ、ブタ野郎!!」

 

 桜さんは大層お冠な様子で、なでしこちゃんを叱ると乱暴に車に放り込む。文字通り車中に蹴り込まれたなでしこちゃんはといえば、「いで、いででで、やめっ、カレー麺でるぅ!! うぶぅ!!」と可哀そうな悲鳴を上げている。中々に過激なやり取りではあるがそれもお姉さんの心配の裏返しだ。とはいえその様子に僕とリンちゃんはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「おやすみなさーい。カゼひかないでくださいねー」

 

「おやすみなさい……」

 

 立ち去っていくテールランプを手を振って見送ると、リンちゃんは早々と自分のサイトへと帰ろうとする。色々とあってきっとくたびれていることだろう。

 けれど、もうちょっとだけ続きがあることを僕は知っている。僕はわざと少しだけリンちゃんから離れて、なでしこちゃんを待つ。

 

 「ちょっとまってー」

 

 そして思ったとおりになでしこちゃんはやってきた。

 呼び止められて怪訝そうな様子で振り向いたリンちゃんに、息を切らせたなでしこちゃんが一枚の紙片を握らせる。

 

「はいこれあたしの番号!! お姉ちゃんにきいたんだー」

 

 にっこり笑ったなでしこちゃんと対照的に、リンちゃんは少し面食らった表情をしている。

 

 僕はちょっとだけリンちゃんを羨ましいと思いながら、二人が楽しそうに(というよりはほぼ一方的にだが)キャンプの約束を取り付けるのを一歩引いて眺めていた。

 当然だが僕に連絡先が渡されることはないだろう。それでいいと思う。本来ならば僕はこの場にいないはずの人間だし、初対面の男に軽々しくスマホの番号を教えない程度の常識をなでしこちゃんが持ち合わせていることは喜ばしいことだとも思う。

 だから一人だけ蚊帳の外なのが少し寂しいなんて感傷的な気持ちが湧いてくるのが自分でも可笑しかった。彼女たちにとって僕は偶然居合わせた第三者でしかないのだから、そんな感情を抱かれるのも心外というものだろう。けれども僕は二人を一方的に知っている。しまりんもなでしこも、他のメンバーだって、画面を通してキャンプの楽しさを分かち合った友人のような気さえしている。でもそれは創作物に向けられたただの錯覚なのだ。そこをわきまえなければ、僕はやけに馴れ馴れしい不審な男として見られてしまうことになる。二人にとってのこの夜を、そんな記憶で塗り潰してしまうのは絶対に嫌だった。だからこそ僕は努めて静かに二人を見守るだけにしていたのだ。

 

 それゆえになでしこちゃんが続いて僕の目の前にやってきたとき、咄嗟に反応することができなかった。

 

「今日は助けてくれてありがとうございます!! カレー麺もすっごく美味しかったです!! またいつかキャンプ場で会ったときはお返ししますねっ!!」 

 

 花の咲くような笑顔でそう言ったなでしこちゃんがぺこりと頭を下げた。思わず目を瞠った僕が言葉に詰まっていると、「じゃーまたねーっ!!」と手を振って車へとかけ戻っていってしまう。

 後に残された僕とリンちゃんは互いに呆気にとられた顔で立ち尽くすばかりだった。

 

 それにしても、もうすっかりなでしこちゃんはキャンプを始める気満々のようだった。なにせ連絡先を渡したリンちゃんだけでなく、僕とも再会するつもりでいるらしいのだから。偶然居合わせただけのどこの誰とも知らないキャンパーと、またいつかキャンプ場で出会う気でいるというのだ。

 それは彼女なりの社交辞令なのかもしれない。でもそんな夢物語のような展開も彼女が口にすれば不思議と叶うんじゃないかと、ふとそんな気がしてしまう。

 

 だって、なんといってもなでしこちゃんはゆるキャン△の主人公なのだから――

 

「戻ろっか……」

 

「そうですね……」

 

 隣のリンちゃんに声を掛けると静かな返事が返って来る。手にしたメモをどう扱ってよいか分からず、釈然としない様子だった。「あまり悩む必要は無いよ、だって君たちはすぐに学校で再会するんだから」と教えてやりたい気持ちになるけれど、グッと我慢する。

 代わりに手にした袋からキウイを二つ三つばかり取って残りをリンちゃんに渡してあげる。

 

「ほら、美味しそうなキウイだから持っていきなよ」

 

「え? あ、いやでも……」

 

「僕は独り身だからこれだけあれば十分だからさ。家族の人と分けなって」

 

「は、はあ……すみません」

 

 そう言って僕の差し出した袋をリンちゃんはおずおずと受け取った。

 

 それから本栖湖までの短い道を途中まで一緒に歩いた。僕は言おうと思っていた言葉をリンちゃんへと告げる。

 

「ありがとうね、今日は助かったよ」

 

「はい?」

 

「あの子も同い年くらいの女の子がいて安心しただろうからさ。僕一人だけじゃ、もしかしたら警察呼んで事情聴取とか受けることになってたかもしれないよ。いやホント真面目な話」

 

 冗談っぽく言うとリンちゃんは少しだけ笑った。

 

「いや、それだったら私もちょっとだけ悪かったというか……。実は昼間のうちに寝てたアイツを見かけたんです。でもそのときはほっといちゃって。もしもそのときに声かけてれば、こんなことにならなかったのかなと思うとなんか申し訳なくて」

 

 やはりリンちゃんはなでしこちゃんを見かけていたらしい。僕が来た後になでしこちゃんは本栖湖へ来たのだろうか。それとも……そのときはまだ、僕らの時空は重なっていなかったのだろうか。いずれにせよ考えても仕方のないことだ。ただ、無事になでしこちゃんとリンちゃんの出会いは果たされた。それだけで十分だろう。

 

 そうしているうちにキャンプ場へ着く。リンちゃんとはここでお別れだ。

 

「それじゃあおやすみ。風邪ひかないようにね」

 

「おやすみなさい」

 

 小さく手を振り合うと、リンちゃんは自分のサイトへと帰っていった。

 

 僕がサイトへ戻るとランタンの明かりはまだついていた。焚火は鎮火している。火床の底を崩すと僅かな燠が残っていた。そこに松葉を翳して息を吹きかけると、ほんの小さな火が点る。椅子に深く腰掛けて、再び焚火が燃え上がるのを待つ。缶の中にはまだ少しだけ酒が残っていたが手を付ける気にはなれなかった。

 

 ああ、本当に、なんという夜だろう――

 リンちゃんとなでしこちゃん。二人の少女とこの本栖湖で出会うだなんて、今でもまだ信じきれない自分がいる。彼女たちは漫画のキャラクターで、画面の中の登場人物だったはずだ。けれど、今宵僕はその二人と実際に言葉を交わした。一緒に焚火を囲んでカレー麺を食べた。けして僕の妄想などではないリアルな反応が返ってきた。彼女たちはただの登場人物ではなく、間違いなく一人の人間としてそこにいたのだ。これをファンタジーと言わずして何と言うのだろうか?

 

 焚火が十分に大きくなったところで僕はランタンのツマミをそっと回した。ガスの燃焼音が消え、静けさが耳に滑り込んでくる。夜空を見上げれば雲一つなくなっている。明日の朝はきっと冷え込むことだろう。

 

 抱えた感情を咀嚼するのにはまだ随分と時間がかかりそうだった。

 ずっとこの余韻に浸っていたいと思いながら、僕は椅子に座って、夜の富士山をいつまでも眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 がやがやとした音が耳に飛び込んできて僕は目を覚ました。

 人の話し声が聞こえる。車のドアが何度も開閉し、盛んにペグハンマーが振るわれている。時計を見れば既に9時を回っている。

 僕は慌てて跳ね起きて、テントの外へと飛び出した。

 

 

 

 キャンプ場内は昨日の閑散具合が嘘のように人で溢れかえっていた。車両が何台も乗り入れ、そこかしこで次々とテントが立てられている。僕は急いでアイボリーカラーのムーンライトテント3型を探したのだけれど――どこにも見当たらなかった。

 

 昨晩の記憶を頼りにリンちゃんのサイトの近くまで歩いていってみる。確かにここだと思う場所にやって来るが、そこにはもう既に他のキャンパーが入り込んでいてサイトを設営している最中だった。

 僕は呆然と辺りを見回して何か残っていないかと視線をさまよわせる。すると近くの地面に残された焦げ跡が見つかった。傍によってしゃがみ込んでみる。

 ここで僕たちは焚火をしたのではなかっただろうか。でも、かまどを組んだ痕も、石の形も、何一つ正しく覚えていない。暗かったのだから当然だ。

 しばらく佇んでいると、隣で設営しているキャンパーがじろりとねめつけてくる。「まさかここに入ろうとしているんじゃないだろうな」という視線に晒されて仕方なく僕はその場を後にする。

 

 チェックアウトの時間が迫っていたので急いで荷物を片付けなければならなかった。自分のサイトに戻って撤収作業を始めながら僕は考え込んでいた。

 リンちゃんはもう出て行ってしまった後なのだろうか。彼女のことだから、人が増えてきた段階でさっさと荷物をまとめてしまったのかもしれない。今の状況はきっと彼女には快適ではないだろうから、十分に考えられる話だ。でも、あるいはそれとも――

 それ以上僕は考えるのをやめて片付けに集中することにした。そうは思いたくなかったけれど、否定材料はあまりにも頼りない。酒に酔っていたときの僕の記憶。それから今となっては誰の物とも分からない焚火の跡だけが、彼女が居たであろう唯一の痕跡だった。

 

 

 

 車に荷物を積み込んでキャンプ場の出入り口へと向かう。今もやって来る車はひっきりなしで、こうしてみればなるほど間違いなくここは押しも押されぬ人気のキャンプ場だ。とても昨日と同じ場所とは思えないが……いや、本来ならこれがあるべき姿なのだろう。

 帰りがけにセントラルロッヂに立ち寄ってみると、売店でゆるキャン△のポップを見つけた。リンちゃんがこんなものを見たらどんな顔をするのかと思うと笑いそうになる。チェックインをしに来ればきっと目に入るはずだ。なら、間違いなくここは浩庵キャンプ場だ。

 本栖湖キャンプ場ではなく、僕が生きる現実の世界だ。

 

 ハンドルを握って本栖みちを下っていく。

 何となくカーオーディオで曲をかけて静かに口ずさむ。フロントガラスに流れる山々の紅葉がいっそう鮮やかさを増して、冬日和が近づいてきているような感じがする。

 

 

 

 「本栖湖でしまりんとなでしこに出会った」。

 SNSでそう呟けばなんと言われるだろうか。たぶん誰も気に留めないだろうし、鼻で笑われるのかもしれない。

 たとえそうだったとしても構わない。他の誰が信じなくとも僕だけは信じることに決めた。何せその方がずっと楽しくて、ワクワクして、とても素敵で、人生を前向きになれる。

 だから僕は胸を張ってこう言うだろう。

 

 

 

 あの夜は、きっとそらでつながっていたのだと。

 

 

 


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