きっとそらでつながってた。   作:ローバック

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ふもとでの再会(1/2)

 

 テーブル上に置かれたフォールディングナイフに右手を伸ばす。手馴染みのよい木目の柄から銀色のブレードを引っ張り出し、金具を回して固定する。シンプルなデザインのその道具を左手に持った茶色の薄皮に添わせれば、さりさりと音を立てて刃先が滑り込んでいく。 

 その作業を続けながら、僕はついこの前あった浩庵キャンプ場での出来事に思いを馳せていた。

 

 

 

 本栖湖での夜――僕がリンちゃんとなでしこちゃんに出会った夜のことは、遥か昔のことのようにも、つい先ほどのことのようにも思われる。

 始めは隣にいるのがリンちゃんとは知らずにそれぞれにソロキャンプをしていた。けれど夜になって困り果てていたなでしこちゃんと公衆トイレで出会ったことで、僕はいつしかファンタジーの境界を踏み越えていたことに気付く。それからリンちゃんのサイトを訪れて三人で焚き火を囲んでカレー麺を食べ、一緒に夜の富士山を眺めた。やがて連絡を受けた桜さんが本栖湖へやってきた所でその場はお開きとなり、僕らはなでしこちゃんと別れの挨拶を交わした。去り際、彼女から「またいつか」と言われたことを覚えている。

 彼女たちと過ごした時間は鮮明に僕の中に焼き付きながらも遠い日の記憶のように朧気で、明くる朝には全てが夢だったかのように呆気なく終わりを迎えてしまった。

 けれども確かに僕はゆるキャン△の世界に邂逅したのだ。キャンプからの帰路は常に現実に向かう道の途中で、どことなく憂鬱な気分にさせられるのだけれど、そのときはそれがいっそう僕の身に堪えた。

 そして僕は日常へと帰還した。

 

 忙しない日々の中で僕はずっと彼女たちにまた会いたいと思い続けていた。会ってもう一度、今度はカレー麺じゃない野外料理を楽しんだり、綺麗な景色を一緒に眺めたり、キャンプ談義に花を咲かせたりなんてしたかった。きっとゆるキャン△ファンならごく当然の発想だろうが、それを本気で実現したいというのだからとんだ妄想家もいたものだ。僕は白昼夢を追いかけるただの愚か者なのかもしれない。でも――

 

 

 

 手の中でナイフが一周し、全ての皮が剥き終わる。緑色の果肉を適当なサイズに切り分け、刃先で突き刺して口へと運ぶ。もうすっかり酸味は薄れ、熟した果実の甘みと柔らかさが舌の上に残った。

 

 顔を上げて宙を見やれば、鰯雲を追って赤トンボが編隊を組んで飛んでいく。最後の遊覧飛行だろうか。目の前の富士山の雪化粧は、もう裾野まで迫りつつあった。

 

 11月の第二週――リンちゃんとなでしこちゃんが初めて一緒にキャンプをする日だ。

 荷物の中に紛れていた()()()()()()()()()()()()()()()が、この週末僕を”ふもとっぱら”へと誘った。

 夢の続きを追い求めて僕はこのキャンプ場へとやって来たのだ。

 

 

 

 椅子から立ち上がって腕を広げ、背中をくくっと伸ばしながら周りを見渡してみる。そんな単純なことでもふもとっぱらの良さを感じることができる。

 ぐるりと360度を眺めれば、山々に囲まれてだだっぴろい平らな草原が広がっている。どこまでも遠く駆けだしていきたくなるような高原のパノラマ――それを巡って正面に視線を向ければ、聳え立つという形容がこれほどにも相応しい富士山の雄姿がどかりと居座っている。子供が見上げたら背中側にひっくり返ってしまうんじゃないかとさえ思うほどだ(それは流石に大げさだけれども)。遠くの方に張られたテントやタープに横付けした車が富士山の方角へ近づくほどに、それが大型幕や立派なキャンピングトレーラーであってもまるでミニチュアのように見えてしまっている。

 溜め息の出るような解放感――それこそがこのキャンプ場の精髄だろう。その敷地面積はおおよそ東京ドームの5倍。各種イベントや野外フェスの開催地にもなっている日本でも指折りといっていいキャンプ場で、それゆえにたとえ冬になっても客足が途絶えることはない。

 前回の本栖湖のときとは異なり、周囲には多くのキャンパーたちがひしめき合っている。その様子はさながらテントの博覧会だ。

 

 僕は辺りに立てられた色とりどりの天幕を観察する。

 スタンダードなドーム型のテントや大きな前室を備えたツールームテントにはファミリーでの利用者が多い。いずれも利便性が高く、特に後者はリビングを幕内に作れることから冬キャンプでは頼りになる。一段と目を惹くのは釣り鐘型の白いベルテント。ラグジュアリー感のあるコットンやポリコットン製のものはいかにもSNS映えしそうなお洒落具合で、ガーランド(カラフルな布を紐で繋いだ装飾品の一種)や電飾を施された姿は実に賑やかだ。あるいはそれらと対照的なのがパップテントなどの軍幕の類い。もともと軍事行動中の野営を目的とした小さなテントで、二枚の布を合わせて立ち上げたような構造は実用品らしくいたってシンプル。カーキグリーン一色の外観はいかにも不愛想でそっけないが、武骨でタフな佇まいには男心をくすぐるものがある。

 また、僕と同じティピーテントもちらほらと見受けられた。ティピーとはアメリカ先住民の移動式住居のことで、それを基にした三角形のテントをそう呼ぶのだ。つまりゆるキャン△の“(これ)”だ。そのうちのいくつかからは薪ストーブの煙突がにょきりと顔を出し、脇で持ち主が薪割りに精を出していた。

 

「薪ストーブか……いいなあ」

 

 冬にキャンプを行う上では最高クラスの暖房器具といっていいだろう。手入れの手間はかかるし火事や一酸化炭素中毒の危険性もあれど、その強力な火力による暖房効果と調理にも使える熱源、最近では炎が覗ける窓付きの物も増えて、テントの中に居ながら焚火をしているような気分に浸れるなど大きな魅力を兼ね備えている(当然のようにそこには自己責任という言葉が付いて回るが)。

 

 想像してみよう。テントのてっぺんから煙突を出してゆらゆら煙をくゆらせる。外気温は氷点下――けれども幕一枚隔てれば、そこは暖かくて快適なリビングスペースだ。薪ストーブに燃える火はまるで暖炉のよう。温度的にも視覚的にも中にいる人の身体を温めてくれる。天板にフライパンを置いてベーコンでも乗せておけば、じきに美味しそうな匂いが漂ってくる。汗ばむほどの幕内なら冷えたビールだってよく進む。これほどの贅沢もそうはあるまい。アイスと炬燵、雪景色と露天風呂、それから、冬キャンと薪ストーブといった具合だ。間違いなくリンちゃんの言うところのマッチポンプの一種だろう。

 

『リンちゃん、見て見て!! 煙突、煙突だよ!!』

 

『いらっしゃいなでしこちゃん。薪ストーブを入れてみたんだ。ベーコンが焼けてるから一切れどうかな?』

 

『わあーっ、いいんですかっ!?』

 

『勿論! リンちゃんも外は寒かったでしょ? あったまっていきなよ!』

 

『いえ遠慮しときます。ほら、行くぞなでしこ』

 

『リンちゃーん待ってよー!』

 

 やっぱフラれた。ガンコなソロキャンガールだぜ。まあ、僕は薪ストーブなんて持ってないのだし妄想もほどほどにしておこう。

 

 

 

 それにしても、未だにアイボリーカラーのムーンライト3型は見当たらなかった。リンちゃんたちはいつやってくるのだろう。どうにも気になってそわそわとしてくる。椅子から立ったり座ったりしてみたり、貧乏揺すりをしてみたりとまるで落ち着きのない犬のようだ。

 実は既にふもとっぱらの場内散策を二回ほど敢行している。リンちゃんの巡ったフォトスポットも、変な二体のライオンのような石像も、一通り見て回っているのだ。もしかしたらどこかでリンちゃんにかち合うんじゃないか、なんて思っていたけれど今のところ空振りに終わっている。原作でリンちゃんは十一時頃にはキャンプ場に着いたはずだから、十三時を過ぎた今現在は場内のどこかにいてもおかしくはないはずなのに――

 

 そんな推論が頭をよぎり出したところで僕はふーっと長く息を吐き出した。知らず知らずのうちに体に入っていた力を抜く。キャンプへ来たにもかかわらずどうにも気を張りつめていたらしい。そんなことをしたって一文の得にもなりはしないというのに、なんとも滑稽な話だ。足掻いたところで僕が再びゆるキャン△の世界に触れることができるかなんて誰にも分からないのだ。本当にそんなものが有るのかも、そんなことが起きるのかも、真面目に考えようとするのはナンセンスだろう。

 なでしこちゃんがやって来る夕方までには時間はまだ随分とある。せっかくこのキャンプ場に来て気もそぞろに過ごすだなんて、あまりに勿体無いではないか。

 僕は今日キャンプをしにここへ来た。リンちゃんたちだって、キャンプを楽しみにここへやって来る。僕らはめいめいにこの一日を楽しめばいい。その一瞬が交差するかどうかは、ただキウイのみぞ知る、だ。

 

 

 

 椅子を折り畳み、車を開けて中に仕舞い込む。同じようにテーブルも。細々した物をカゴに放り込んでしまえば、僕のサイトは綺麗さっぱりと片付いた。なにせテントはまだラゲッジから取り出してすらいないのだ。

 

 思うに今日は良い場所に陣取りすぎてしまったらしい。炊事場とトイレから近く真正面に富士山を迎えたこの場所は、しかし他のキャンパーと少々近すぎる。皆、利便性を考えて僕と同じような場所で次々にサイトを構えていったためだ。テントと車に取り囲まれるような立地は、広大なこのふもとっぱらではなおさら息苦しく感じてしまわれた。もしリンちゃんがやって来るとしたらきっとここの近くには張らないだろう。

 

 包囲されて抜け出すのが困難になる前にと、僕はキャンパーの群れを抜けて外縁へと移動する。ほんの少し車を動かしただけで僕の目の前に広がる光景は随分と様変わりしたように思う。例えるなら郊外の峠道にある展望台から遠く街の灯を一望するような、そんな感じだろうか。離れてみればこそそのスケールが良く分かるように、群がるような天幕の列を遠くから眺めると、なんだか少しキャンプ場が広くなったかのようだった。遥かな富士山の懐に抱かれたこのふもとっぱらは、やっぱり途轍もなく大きかったのだ。

 

 

 

 テントを張ってサイトに腰を据えたことで、ようやく焚き火の準備に取り掛かる。ここは浩庵キャンプ場と違って直火が禁止だから、愛着のあるこの道具にもしっかり出番があるのが嬉しい。フレームを組み上げ、火床を広げて取り付ける。耐火布で作られたこのコンパクトな焚火台は、実はゆるキャン△のコミックス第一巻の表紙を飾っている道具でもあったりする。

 

 薪の破片を剥がし取り、樹皮を細かく裂いて焚き付けに用いる。普段使う着火材を忘れてきてしまったので、少しばかり慎重に火を熾さねばならない。そういうとき、松ぼっくりに頼れなければナイフを使って”羽根”を作るのがいいだろう。細めの薪を手に取って表面をささくれ状に薄く削っていく。出来上がった木製の歯ブラシのようなフェザースティックを何本か焚き付けの上に重ね、ガストーチで火を付ける。これがブッシュクラフトの達人なんかになるとファイヤースターターやメタルマッチなんていう火花を散らす道具で火を熾してしまうのだけれど、なかなかそこまでは難しい。

 着火剤やバーナーを使わない焚火は、燃え上がった火がちゃんと薪に移っていくまで辛抱強く見守ってやる必要がある。風で吹き散らされぬよう、熱を逃がさぬように薪で囲ってやり、酸素を供給するためにそっと空気を送り込んでやる。時折くすぶって黒煙を上げる焚火はまるでぐずる赤ん坊みたいで、僕はなだめすかすようにその都度手をかけてやらなければいけなくなる。けれどその火が(なら)薪のひび割れた木繊維を焦がし、シュウシュウと断面からあぶくが噴き出るくらいになれば、もうその役目からは解放される。

 手を翳すと冷たい風に容赦なくかじかませられた指先がじんわりとぬくもりを帯びていく。そうやって手ずから熾した火にあたるとき、僕は何か大事なことをやり遂げたかのような得も言われぬ満足感に包まれている。

 焚火が本来の機能を取り戻すこの時期のキャンプが、やっぱり僕は好きなのだ。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 かくんと頭が落ちた拍子に僕は意識を取り戻した。

 ちょうど夕日が山の端に消えていくところで、景色の中にある全てが(あかがね)のように輝いている。いつのまにかうとうととしていたらしい。大して背もたれのない椅子だというのに、我ながらなんとも器用に舟をこいでいたものだ。軽く伸びをして凝り固まった身体を解していく。

 焚火の方は弱く静かに燃えていて、ちょうど最後にくべた太薪が真っ白な灰に還ろうとしているところだった。あまり長い時間ではなかったことにホッとする。いくら火にあたっているとはいえ、この寒空で無防備にうたた寝していては風邪をひいてしまいかねない。なでしこ強い子元気な子を誰しもが見習えるとは限らないのだ。

 

 火床にはちょうどいいくらいに燠が溜まって赤々と熱を放っていた。焚火で料理を上手くやりたいならこの燠が肝心だ。威勢のいい炎なんかで物を焼けば、煤とコゲで表面は真っ黒なのに内部は生のままと、ちっともいいことはない。その点、熾火は炎を上げることもなくじわりと遠赤外線を発する炭火に近い状態だ。だから、今なんかは料理をするにぴったりの火加減になっている。夕飯の支度の始めどきだろう。

 

 荷物の中をがさごそやって食材を引っ張り出す。そこまで凝ったことをやろうとは思ってはいなかったので、持ってきたのは適当に焼いて食べられるものばかりだ。出がけにスーパーに立ち寄って買ってきたのは、ソーセージに味付けの牛タン、それから丸々とした活ハマグリ。いずれもただ火を通すだけで済むし、調味料なしで十分に美味い。調理がシンプルであればシンプルであるほどに、いわゆる外ごはん効果というやつが活きてくる。ただ、ハマグリは砂抜きが済んでいないとのことなので一度洗い流しておく必要があるだろう。

 炊事場に赴いてハマグリを洗う。流石に固くて隙間からナイフを差し込むのに苦労したが、なんとか四つ分の貝殻を半面外して中の砂を洗い流した。

 

 

 

 用事が済んで炊事場からサイトへ帰る途中は、まだ少しばかり眠気から解放してもらえずに頭の芯が鈍かった。

 歩きながらぼんやりと空を仰ぐ。夕焼け空に羽ばたきを残して飛び去るカラスの間延びした鳴き声が、空気に溶け込むように消えていく。郷愁を誘うその音に耳を澄ませていると、そこに混じって次第に遠くから誰かを呼ぶ人の声が微かに聞こえたような気がした。一瞬気のせいかと思ったが、その惑いを打ち消すように声は徐々に明瞭になってくる。

 それは僕の知っている声で、僕の知っている名前を呼んでいる。

 

 僕はハッとして歩みを止めた。段々と近づいてきているそれを聞いて、僕の表情にどうしようもなく嬉しさが発露していくのが分かる。もう眠気なんかいっぺんにどこかへといってしまった。ゆっくり振り返って声のする方へ顔を向けると、大きな籠を抱えたなでしこちゃんが座っているリンちゃんへと駆け寄るところだった。

 

 一人でキャンプに来ていたリンちゃんの下に、斉藤さんから連絡を貰ったなでしこちゃんが鍋を振る舞いにやってくる。なでしこちゃんにとっては初めての。リンちゃんにとってもソロ以外で初めての。(ふもと)キャンプ場で行われる、それぞれにとって新しいキャンプシーンの一幕だ。そしてそれは僕にとっても――

 

 絵空事かと思っていた光景が、今僕の目の前で像を結んでいた。

 どうにもいつの間にやら誰かが「ふもとっぱら」から、「っぱら」を取っ払ってしまったらしい。僕はその誰かに感謝しないといけないだろう。おかげでこうしてまた二人と相見えることができたのだから。

 

 

 

 レジャーシートを広げて楽しそうに話をしていた二人がふと僕の方を見る。一瞬ぽかんと口を開けたなでしこちゃんの顔が、少しして大きく笑みの形をとった。リンちゃんはリンちゃんで、そんな馬鹿なとでも言いたそうに目を丸くしている。

 

 立ち尽くす僕の目には確かにそんな二人の姿がしっかりと捉えられていて、それはつまりこういうことを意味している。

 

 あのときと同じとびっきりの素敵な夜が、今再び僕の下へと訪れたのだ。

 

 

 

 

 

 

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