きっとそらでつながってた。   作:ローバック

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四尾連湖のすれ違い(2/2)

 僕らキャンパーは自然の中に屋根を張って居場所を作る。だから、どこからどこまできっかり何メートルだなんて決まりはないけれど内と外を隔てる境目というものがあり、それは区画サイトの枠であったり、張り綱の末端であったり、ランタンの灯りの届く範囲であったりする。ときには目につくところに他人が居るのも気に食わないということもあるかもしれない(そしておそらくその傾向は往々にしてソロキャンパーに多く見られることだろう。僕には分かる)。そこに対して個人的な都合に対する許容を求めに立ち入るというのは、いささか気の重くなる行為だ。今回は僕が先客なのだから「撮影中の動画に後から来たあなたが映り込んでも勘弁してね」というのは度を越した要求とは言わないはずだが、僕がしたいのは縄張り争いでも優先権の主張でもなく、ただ楽しいソロキャンプなのだ。だから最終的には相手の人となりに賭ける他ないだろう。

 

「こんばんわ。設営中にすみません。ちょっとだけ大丈夫でしょうか?」

 

 不躾にならないように注意を払いながら、僕は境界線を踏み超える。

 こうしたテリトリーへの侵入者に対するキャンパーの態度は概ね二つ。すなわち訪問販売や宗教勧誘の類に対するそれか、あるいはそうでないか。僕は相手が前者でないことを祈る。

 

「ああ、どうもこんばんわ。どうかしたんですか?」

 

 設営中だったそのキャンパーは、突然サイトにお邪魔した僕に不思議そうにしながらもこちらへと向き直る。背の低い山岳用のテントを手早く張り終え、今はケロシンランタンのポンピングに取り掛かっていたところだ。遅い時間にやって来たから設営を急いでいるのだろう。忙しない様子に申し訳なくなりながらも「作業しながらで結構ですので……」と断りを入れつつ僕は自分がカメラで動画の撮影を行っていることと、動画投稿サイトへのアップロードを予定していることを伝える。

 

「へえ、キャンプ動画ですか」

 

 僕が打ち明けるとお隣さんは興味深そうに頷いた。その声色にネガティブな響きが無かったことで僕は少しほっとする。露骨に嫌な顔をされようものなら流石に撮影を続けるのは難しい。

 ランタンのジェネレーターを温める火柱がごうごうと鳴り響く。灯油の気化を促す予熱の音に負けないよう、少しだけ声を張り上げて僕は核心を切り出した。

 

「それで、ネットに上げる予定なので映り込む可能性がある以上は一言お断りしておこうかと……特定できる映像にはならないと思いますけど、何せサイトどうしがちょっと近いものですから」

 

 僕が狙いすまして精一杯申し訳なさそうな態度を作ると、お隣さんは少しだけばつが悪そうだった。

 

「あはは、全然構わないですよ。私もこの距離は少し近いかと気にはなってたんですけど、他は地面のコンディションがあんまり良くなくて。あ……もしかして何かご迷惑になってたりしますか?」

 

 それから途端思い至ったように声を曇らせた。今度は僕がばつの悪い思いをする。確かに他のキャンパーの来訪を歓迎できるかと言われれば微妙な気持ちになるが、一方でせっかくやって来た他人のキャンプを妨げるつもりもない。お互いに気持ちよくキャンプができるならそれでよくて、片方の存在を咎めようだなんて気は毛頭ないのだ。

 

「いやいやそんな! こっちが勝手にやってることですから、どうか気にせずキャンプなさってください」

 

 だからこれはけっして建前やポーズではなく僕の本心でもある。僕のせいでキャンプが楽しめなかったなんて思われるのは、それはそれで嫌なのだ。

 

「そうですか、ならよかったです」

 

 そう伝えるとお隣さんは安堵の気配を滲ませる。僕も同様に一安心だ。一晩を同じ場所で過ごさなければならない隣人が話の通じる相手なのは実にありがたい。

 これで憂いはなくなった。僕は動画が撮れるし向こうは気兼ねなくキャンプができる。お互いそれが確認できただけでこれは十分な外交的成果といえるだろう。

 ならば親善訪問を切り上げて、僕は自分の領土へと戻るとしよう。日はとっぷり暮れて夕食の準備をするのにちょうどよい時間だ。

 

 “では僕はこれでお暇します”

 

 長居する理由もなく、退散を切りだそうかと口を開きかけたそのとき――

 

 

 

 突如目の前のランタンが火達磨と化す。

 

 

 

「うわっ!?」

 

「きゃっ!」

 

 ホヤガラスの内側が炎で埋め尽くされたかと思うと、パーツの隙間から外へと勢いよく噴き出してきたのだ。

 一瞬驚いて声を上げたけれど、ぶわりと吹き上がった炎は燃え広がることなく収まった。

 向かいを見れば急いでランタンを鎮火させたのだろう、お隣さんが腕を伸ばした姿勢のままで固まっている。

 

「おお、びっくりした……」

 

「す、すみません、大丈夫でしたか!?」

 

 思わず素に戻って目を丸くしていると硬直から立ち直った相手から慌てた様子で謝罪される。でも驚いただけで特に被害は無さそうだ。なんともないと僕が答えると、お隣さんはもう一度バーナーを点け直して再度ジェネレーターを温め始めた。

 

「少し……予熱が足りなかったみたいですね。意外と寒いですから」

 

 ちょっとだけ恥ずかしそうだ。

 それからもう一度点火し直すと今度は間違いなくマントルが輝き始める。ケロシンの炎特有の朱色の強い光が活き活きとサイトを照らし出せば、テーブルの周りはまるで室内のように明るくなる。

 

「なるほど……手はかかるけど、愛用者が多いのも分かりますね。明るい良いランタンだなぁ」

 

 真鍮色の照り返しを見てそう述べる。100年の昔から脈々と継がれてきたプロダクトデザインは、この道具が長い間支持を受けてきたことの裏付けなのだろう。心惹かれるものはあるけれど……そのじゃじゃ馬っぷりは、僕にはちょっと持て余すかもしれない。

 

「明るいし見た目も好きなんです。取扱いにはちょっと困りますけど」

 

 僕が褒めると、()()は少し気をよくしたみたいだった。

 

 

 

 ショート丈の藍色のダウンをパンツルックに合わせた姿からはこざっぱりした髪型と相まって中性的な印象を受けたけれど、声には少し女性っぽい柔らかさがあった。

 ランタンが灯った今ならなおのこと分かりやすい。穏やかな目尻と涼しげな口元に苦笑を寄せながらも、自慢の道具を褒められて満更でもないといった表情を浮かべている。線の細い顔立ちは整っていると称しても差し支えなく、ありていに言って美人さんだ。

 

「もっと安ければ僕も買ってみたいところですが」

 

「確かに予備部品やメンテナンスキットも含めると結構な値段になりますからね。でも使えば使うだけ愛着も出てくるんですよ」

 

 使っているテントといいランタンといい、彼女は中々に筋金入りのキャンパーでもあるらしい。

 

 驚いたことに――というのもおかしな話だけれど、なにせ自分の持つキャンプ道具のくせを面白そうに語る女性なんてものはそうそう見られるものでもない上に、それがまた画になるのだ。動画の被写体とすれば僕なんかよりずっと人気が出ることだろう、なんてつい余計なことまで考えてしまう。

 キャンプ場でめったに出会うことの叶わない、そんな珍しい存在。

 

「はは、あー……」

 

 そんな彼女を前についつい気後れしそうになるのも……まあ仕方がないことだろう。思いがけずとはいえ、僕の接触が不用意ではなかったか、なんてことが気になり始める。ひとりキャンプの女性に寄ってくる男がどう見えるかは人によって意見が分かれそうだが、ともあれ少し襟を正しておいた方がいいかもしれない。

 

 僕はそこでようやく自分が革手袋を嵌めたままであることに気付く。

 慌てて手袋を外し、ついでにだらしなく開けっぴろげな上着の前を閉じようとする――が、途中で噛んだファスナーに苦戦し、結果としてその場しのぎに愛想笑いを繰り出す羽目になる。

 まるっきり挙動不審な有様だ。“やれやれ、なんだかなあ”と半ば自分に呆れながら、仕方がないのでそそくさという擬音が似合いそうな別れの挨拶を切り出すことにする。

 

「それじゃあそろそろ僕はお暇しますかね。いやあ、長々とお邪魔してしまって申し訳ない……んー、あれ?」

 

 そう言っておとなしく引っ込むつもりだったのだが……いや、これは何かがおかしい。さっきから何度やっても同じ所でファスナーが上がっていかない。緊張とかテンパるとかそういう問題ではなく、明らかに構造的な異常が起きているときの手応えだ。

 

「何だこれ、変だな……」

 

「どうかしたんですか……あっ」

 

 その声に視線を上げると、口元を手で覆って「まずい、どうしよう……」みたいな表情を浮かべたお隣さんと目が合う。

 

「ええと、それだと思うんですけど……」

 

 指さされた箇所をランタンの明りで照らしてよく見てみると、ビスロンファスナーに小さな歪みが出来ていた。その横にはポリエステルが溶けて縮んだ痕があり、周辺の生地が不自然に強張っている。

 

「ああーなるほど」

 

 おそらく焚火か何かでやられたのだろう。化学繊維は熱に弱く、火が当たると簡単に駄目になってしまうのだ。

 

「さっきの火が当たったのかも……すみません、私のせいで……」

 

 彼女は先程のランタントラブルが原因と見たらしく、申し訳なさそうに僕に頭を下げる。

 だがそうとも限らないだろう。炎が上着に届いたかどうかは微妙だし、火を扱う機会はその前にだってあった。そもそも焚火の最中も遠慮なく着ているものだから、元から火の粉で所々に穴が空いている。そんな状態だからこそ気兼ねなく使えていたわけで、買い換えるタイミングが来ただけの話なのだ。

 

「いや、自分の焚火かもしれませんしこれは僕の過失です。忙しいところに突然お邪魔してご迷惑だったでしょうから。余計なトラブルを招いてしまってこちらこそすみませんでした」

 

「えっ、いえ別にそんな……」 

 

 僕にとっては気にする程でもないことに、余計な負い目を感じさせる必要はない。

 

 そうして二人して頭を下げていると、なんとも言えず微妙な空気が流れ出した。どちらともなく肩をすくめ、忍び笑いと溜め息が溢れる。お互いに一旦仕切り直しだ。

 

「まったく人様のサイトで何をやっているんだか……どうも失礼しました」

 

「いえいえ、動画撮影の話でしたね。こちらは問題ないので、頑張ってください」

 

「ありがとうございます。もし何か気になればいつでも声かけてください。それじゃあこれで」

 

「どうも」

 

 今度こそ問題なく別れの挨拶は交わされた。

 

 

 

 目的を達成した僕は自分のサイトへと戻って来る。最初からこうできれば良かったのだが……いやはや、相手にも設営直後から思わぬ面倒をかけたものだ。だが無事に撮影許可は下りたし、ハプニングに見舞われたのも旅の思い出の一ページだと思えば悪くない。

 ひとまずは三脚の前へと向かい、停止中だったムービーの録画ボタンを押す。カメラが回って僕のサイトの様子が再び記録されるのを確認し、それからゆっくりと食事の準備に取り掛かる。

 

 

 

 七輪に焼き網を乗せながら思案する。

 ソロのキャンプを重ねるほど、キャンプが満足いくかどうかが自分ではなく周囲の人間に委ねられる機会も増えてくる。とりわけトレッキングや釣りといったアクティビティに手を出すでもなくただ自分のサイトで何時間でもゆっくりすごすことに喜びを見出すタイプのキャンパーにとって、隣に居を構えたのがどんなグループなのかがどれだけ重要なファクターだろうか。誰もキャンプに来て隣人トラブルなど味わいたくもなく、ゆえにソロキャンパーは人の少ない場所、時期を求めてさまよう流離人(さすらいびと)でもある。

 その点で今日の僕は恵まれたと言ってもいいかもしれない。ゆるキャン△の聖地でもある人気のキャンプ場で周囲に居るのは一組だけ、しかも同じソロキャンパー同士。まるで整えられた舞台のようだった。なでしこちゃんとリンちゃんが訪れた四尾連湖に限りなく近付いた状況でキャンプの模様を撮影することができるのだ。

 もしこの動画を投稿したら二人はまた見てくれるだろうか? そんなことを考えるとキャンプとは別の楽しみだって生まれてくる。

 

「さてと、そろそろ始めますか」

 

 一通りの下準備が終わり、テーブルの上には砂肝、ヤゲン、ぼんじり、さがり、ハラミ――串打ちされた肉がずらりと整列して焼き台に乗せられるのを待っていた。リンちゃんたちと同じ轍は踏むまいと事前に肉屋で調達しておいた串物のラインナップ。そこにビール瓶を取り出して並べれば、実に豪勢な夕餉の卓が出来上がる。

 

 さっそくヤゲンとぼんじりをセレクトして炭火の上に移し、瓶ビールの栓を抜く。かこんと転がり落ちた王冠を拾いながらチタンマグへたっぷりの泡を注ぐ。

 こげ茶色のガラス瓶にランタンの灯りが鈍く反射しているのを見て、不意にこの瞬間がなんて素晴らしいのだろうという思いが湧いてくる。あらゆる挙動の一つ一つに精気が宿り、目の届く全てが鮮やかなのだ。隅々までどっぷりとキャンプの空気に浸っている。手に取った焼き鳥一本にだって、特別な何かが籠もっているとしか思えない。下界ではこうはいかない。この三週間欠乏するばかりだった栄養素が、ようやく僕の身体に満たされていくようだった。

 何とは無しに杯を掲げて目に見えない何かに乾杯を捧げる。四尾連湖の夜がそれに応えた気がして、僕は満足げに喉を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄雲を引いた空に月が輝いている。秋の夜長を照らす常夜灯のように、青白い光を湖畔に落とす。風は僅かに煙を散らすばかりの穏やかな宵――

 

 彼女がサイトを訪ねてきたのは、そんな宴の半ばの頃だった。

 

「すみません。今よろしいですか?」

 

 牛串の焼き加減をいかに美味しそうにカメラで映すかということに意識を集中させていた僕は、思いがけないその声を聞いて振り返る。同時に一体何をやらかしたのかと、何かクレームが飛んでくるんじゃないかと身構える。彼女がやってくる理由なんてそれくらいしか思い浮かばなかったからだ。

 

「これが地面に落ちていたので。たぶん、そちらのじゃないかと思うんですけど……」

 

 確かに僕はやらかしていた。だが、それは思っていたのとは少し違ったらしい。 

 その手に握られた革手袋を見て僕は「あっ」と小さく声を上げる。先程彼女のサイトを訪ねたときにどうやら落としてしまっていたようだ。

 

「ああどうもすみません。これは全く気付きませんでした」

 

 頭を掻いて差し出された革手袋を受け取る。

 彼女は興味深そうに僕のサイトを見回すと、カメラが気になるのかこう尋ねてくる。

 

「撮影は順調ですか?」

 

「え? ああはい。そうですね、それなりに撮れたんじゃないかと……こんな状況ですが映像はなかなかにいい具合で」

 

 宴もたけなわなテーブル回りが少し散らかっているのはご愛嬌といったところだろう。その真ん中で存在感を放つ七輪に彼女が目を留めた。

 

「キャンプに七輪ですか。いいですね、渋くって」

 

 物珍しそうな呟きに、程よく酔も回った僕はつい饒舌になる。

 

「そうなんですよ。これがどうしてもやりたくて。最近買ったばかりなんですが、まあお披露目動画といった所ですね。そうだ、よろしければこれとこれと……どうぞ召し上がってください」

 

 なるほど、自慢の道具を褒められるというのはかくもいい気分だ。焼き網の上で焼けていた牛串のうち、動画用にじっくりと炙っていたとくに見栄えの良い数本を紙皿に取って返礼代わりにと差し出す。

 

 だがやってしまってから、彼女の事情も知らずに――食事も歯磨きも終えて後は寝るばかりであるかもしれないことも考慮せず皿を差し出したことに――はたと気付いて焦りを覚える。キャンプの夜が長いか短いかは人によりけりだが、朝早いキャンパーならそろそろ眠りについてもおかしくはない時間なのだ。

 けれども幸いなことに、彼女は遠慮がちに「ありがとうございます」と受け取って、それから自分のサイトへと戻っていく。僕はホッと胸を撫で下ろす。

 

 僕と彼女のほんの一瞬の交錯は、どちらも不快になることのない淡白なやり取りで実に申し分ない。引き続きいい気分でそれぞれのキャンプに戻れるのだから、文句のつけようなどどこにもないはずだ。

 なのになんとなく名残惜しい気持ちでその背中を見送るのは、僕が酒に酔っているせいなのだろうか。

 

 同じ場所にいるお互いを妨げずにキャンプを楽しむこと――

 僕のソロキャンパーとしての信条に鑑みるに、諸事情で踏み込んだ相手のサイトに落とした物を届けさせるだなんていえばむしろ落ち度はこちらの方にある。

 それにもかかわらず、僕はこれから更に禁忌(タブー)を犯そうとしている。当初は煙たがっていた来場者、それも女性を呼び止めようだなんて、数時間前の自分に知られたら冷ややかな目で見られることだろう。

 でもチャンスがあるとすれば、たぶんそれは今ここにしかない。

 気が付けば僕はその背中に向かって呼びかけていた。

 

「あの、よかったら少しご一緒しませんか! キャンプの話でも聞かせて頂けるとありがたいんですが……」

 

 僕からすればだいぶ思い切った提案が口をついて出る。他所様のキャンプへ積極的に踏み込んでいく――背教者呼ばわりする声が自分の中から聞こえてくるようだが、このときばかりは耳を塞いでしまおう。

 

 僕の声が聞こえたのか彼女は一瞬こちらを肩越しに見たようだ。しかしそれも束の間のこと、そのまま何も言わずに歩き去ってしまう。

 声をかけた側だけが取り残され、僕はどうしようもなくなって後ろ頭を掻く他はなかった。

 

 妥当な選択だろう。彼女を責める気にはならない。キャンプ場を訪れるのが優良な客とは限らず、女性だけのグループに執拗につきまとう連中が問題として取り沙汰されることもあるくらいだ。彼女が過去にそれを経験していても何ら不思議ではない。仮に中性的なあの格好がそれを厭ってのことと聞かされれば僕には何も言えなくなる。

 とはいえがっかりしないかといえばそれはまた別の話。こんなことでいちいち拗ねていてはみっともないが、残念なことに変わりはないのだ。

 

 やるせのない、重たい溜め息が喉から溢れようとしたそのとき――向こうのサイトからこちらへ歩いて来る彼女の姿を視界に捉えて僕は目を丸くする。

 そのまま彼女は近くまで寄ってくると、何かを片手に携えたままもう一方の手にぶら下げたチェアを置き、僕の向かいに腰を下ろして微笑んだ。

 

「アクアパッツァを作ってたんです。なので少しお裾分けしようかと。それともお嫌いですか?」

 

 スキレットの中身を見せられて、その予想外の振る舞いにアホみたいに口を開けていた僕は、咄嗟に出てきた一言もやっぱりアホみたいだった。

 

「え、えっと、カメラを回してもいいでしょうか?」

 

 ああ、これは酔っているせいだ。たぶん。きっとそういうことにしておこう――

 

 

 

 

 

 

 テーブルの上に合わせたフォーカス。黒鉄の器と彩り野菜が引き立てる切身魚の白。ハーブの香るその身を箸の先でほぐせば、ほろりと開いて立ち上る湯気。僕の動画に出る料理にしては実に洒落ていてフォトジェニックな一品――美味しそうに映せているだろうか。

 

 器に取り分けたアクアパッツァに舌鼓を打ちながら、先程までとは打って変わった時間を僕は過ごしている。

 

「こういうの憧れてたんですよ。動画でよくある、“他所のキャンパーさんからお裾分けを頂きました”みたいなのが」

 

 そう言って持ち上げたチタンマグに口をつける。中身はお湯割りの焼酎。寒い冬の屋外では温かいアルコールが身に沁みる。

 

「いつかないかなと思ってたけど……それが今日でした」

 

 ゆっくり息を吐き出せば、唇が弧を描く。僕の動画の記念すべき最初のゲストが彼女のようなキャンパーであることに僕は少しばかり喜びを隠せないでいる。浮かれているのが悟られないか、ちょっとだけ心配だ。

 

「すみません、もう少しちゃんと作ればよかったですね」

 

「いやいや、十分凄いじゃないですか。僕なんてそのまま焼くか煮るばっかりですから」

 

 型通りの賛辞だが嘘ではない。この出来の料理を謙遜できるというのなら、彼女はきっと立派なお洒落キャンパーなのだろう。それにしても美味いものだ。

 

「よくここは利用されているんですか?」

 

 せっせと箸を口に運んでいると彼女から尋ねられる。静かな湖畔を見回しながら僕は質問に答える。

 

「いえ、実は山梨に越してきたばかりで。でもずっと来てみたいキャンプ場でした。もっと混んでるものだと覚悟してたんですが……これだけ空いてるのは運がいいですね」

 

 そう、本当に運がいい。四尾連湖でのキャンプを映した動画には、大抵の場合もっとはるかに人が多いのだから。

 

「へえ、このキャンプ場ってそんなに人がすごいんですか。意外です」

 

「まあ少し前に色々と話題にもなりましたし、それで知名度も上がったみたいです」

 

 そしてそれは四尾連湖に限った話ではない。ゆるキャン△に登場した多くのキャンプ場はアニメの影響とそれ以前から続くキャンプブームの煽りを受け、もはや作中に登場したままの雰囲気を味わうのは難しくなってしまっている。

 だから僕に与えられたこの一日はとても貴重なものなのだ。

 

「そちらもキャンプにはよく来られるんですか?」

 

「私ですか? 毎週というわけにはいきませんけど、それなりにですね。小さい頃から家族での遠出はキャンプだったので」 

 

「なるほど、そうだとは思いました。この時期の四尾連湖に来るってことはまあ、結構好きなんだろうなと」

 

「紅葉がきれいだと聞きましたから」

 

「そうそう紅葉も有名で。でも残念ながら僕も着いたらもう薄暗くて、それで見れずじまいでした。どうせならゆっくり焚火でも熾して紅葉酒といきたかったんですがね」

 

「ええ、なのでもう一泊することにしてるんですよ」

 

「え、そうなんですか!」

 

「明日はもう一人合流する予定なんです」

 

「いや羨ましいなぁ。僕も最初は明日明後日で一泊の予定だったんですけど日曜が仕事で――」

 

 炭火の周りに集った僕と彼女はそれからしばし語り合った。他愛のないキャンプの失敗談を僕が披露し彼女が笑う。野外料理のレパートリーとコツを彼女がレクチャーし僕が書き留める。ゆっくりお湯割りを傾けながら、穏やかな時が過ぎていく。爆ぜる炭の音。風のざわめき。緩やかな酩酊が心地よい。未練がましい程に求めたはずの独りの時間は今は失われ、されど同じように求めたことで僕の向かいにソロキャンパーが一人座っている。どちらが正解かなんてことはない。いずれも変わらないのは、僕にとってキャンプで過ごす時間が幸せであるということだけだ。

 

 

 

「あ、もうこんな時間なんですね」

 

「そろそろお開きにしましょうか」

 

 やがて炭火が衰え肌寒さを感じるようになった頃、それをきっかけに僕らは歓談に幕を引くことにする。気付けば夜もそれなりに更けていた。互いに自分のサイトの片付けもあるだろうし、あまり遅くては明日にも響いてしまうだろう。

 

「いやどうも、差し入れありがとうございました。おかげさまでいい画が取れたと思います」

 

「いえいえ、大したものじゃないですけど、喜んで貰えたなら嬉しいです」

 

 充実した時間を過ごせたことに僕が感謝を述べ、彼女がそれを受ける儀礼的なやり取りを経る。

 それから椅子をたたんでサイトを辞去しようとする彼女に、僕はちょっとだけ逡巡してからこう声を掛けた。 

 

「明日、もう一泊するっておっしゃってましたよね」

 

「ええ、その予定ですけど……どうかしましたか?」

 

「そうですか。いや……」

 

 ふと思い描かれるイメージ。紅葉と写真、火起こしとB6君、鱈鍋とジャンバラヤ、ブランケットと焚火――

 

「なんとなく、もし明日もここで誰かと出会ったのなら、その人たちとも楽しくキャンプを過ごして欲しいんですよ。きっと……いい一日になると思いますから」

 

 ――それらと一緒にリンちゃんとなでしこちゃんの顔が浮かんだのだった。

 

 そう言ってから相手の顔を見ると、彼女は見事に怪訝な顔をしていた。

 そこで僕はハッと我に返る。夜気に中てられたのか、言う必要のない言葉がついうっかり零れてしまっていた。相手からすれば唐突で要領を得ない内容だから、当然そんな顔にもなるだろう。いささか飲み過ぎたのかもしれない。今さらながら後悔しても遅いが、せめてもと僕はもう少しの軌道修正を試みる。

 

「あー、違う違うそうじゃなくて……今夜みたいな素晴らしい出会いがあったから、明日もたぶんいいキャンプになるんだろうって思うと、それが僕は羨ましいんです。もっとこのキャンプ場に居たいけどそれができないから、僕の分も楽しんで欲しいっていうだけの――」

 

 そこまで言って、今度はまるで遠回りして出来損なった口説き文句みたいなことを口走っていると気付いて頭の中が真っ白になる。

 そういうつもりじゃなかった。けっして妙な気を起こしたわけではなく、言い訳をさせて貰えばただ少しアルコールが脳に巡り過ぎてしまっているだけなのだ。

 

 そうしてしどろもどろに何かを口ごもる僕だったが、それを見ていた彼女はクスリと笑った。

 

「そうですよね。今日は楽しかったですから。とても、素敵なキャンプになりました」

 

 「おやすみなさい」と別れを告げて彼女は戻っていく。その背中を僕は見送って、すっかり弱々しくなった炭火の片付けに取り掛かる。

 いつの間にか心の中に蟠っていた惜しいと思う気持ちが消えていた。代わりに、なるべくしてこうなったのだろうという充足感にも似た気持ちがあった。すとんと腑に落ちたそれを抱えて、ただ僕は月を見上げる。

 強がるでもなく、言い聞かせるでもない。

 

 四尾連湖に来るのがこの日でよかったのだと、素直にそう思えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽を待ちわびる冬の空が群青から青へと変わり始めていた。月の輪郭は溶けだして、薄明かりのグラデーションの中へと徐々に白く均されていく。それは鳥たちが囀り始めるより、ほんの少し前の時間帯。静寂を湛える四尾連湖には朝靄が立ち込め、あらゆるものに夜露が珠を連ならせている。

 

 僕にしては珍しいことに、このときは既にテントから這い出して活動を始めていた。湖畔に向けて椅子を置き、シングルバーナーの点火装置を押し込む。吐く息は真っ白で、ポケットに入れたままの手があっという間に指の先まで冷たくなる。ケトルが沸騰するまで何とか我慢をし、あと少しの間、夜明けを待つまでの時間を耐えられるように、熱々の紅茶を淹れて静かに啜る。

 

「おはようございます」

 

 隣のサイトのテントから彼女が顔を出し、椅子に座る僕を見つけると同じく水際まで歩み寄ってくる。昨晩と同じ藍色のダウンジャケットを着込み、寒そうに両方の二の腕を抱えながらも夜明け前の湖畔に佇む。これから何が起きるか彼女も知っているのだ。そういった姿に、やはりどことなくベテランキャンパーの風格が感じられる。

 

「ああ、おはようございます。寒かったですけどよく眠れましたか?」

 

「あはは、寝付くまでは辛かったですね。でも何とか朝までは。ふぅ……だいぶ冷えましたね」

 

 そう言うと指先に息を吹きかけて、それから僕らは並んで水面に顔を向けた。

 

 

 

 やがて四尾連湖に太陽が顔を出す。

 辺りが明るくなるにつれ湖面の朝靄は晴れ、錦繍の山々を写す鏡が朝日に輝き始める。

 それは実に見事な光景だ。秋の木々の美しさは本栖湖でも目にしたが、朝の日差しに照らされた四尾連湖はそれより更に一段と色味を増している。土の上を敷き詰めた落ち葉の絨毯の厚みは、初雪がもうそれ程遠くないことを示しているのだろう。

 きりりと澄んだ空気の中、枯れ落ちる前の最後の華々しさを僕は目に焼き付ける。

 

「綺麗ですね」

 

 ポツリと彼女が呟いた。

 

「ええ、本当に見事な紅葉で。もうすぐ帰らなきゃいけないのが勿体ないですよ」

 

 道具をコンテナに収めながら僕も同意する。

 

 空は晴れ。

 景色は良好。

 今日は絶好のキャンプ日和だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それではお先に失礼します。今日のキャンプも楽しんでください」

 

 サイトを引き払い、荷物の積み上がった猫車のハンドルを持ち上げながら僕は別れを告げる。

 

「どうもありがとうございました。お気を付けて」

 

 昨夜より幾ばくかスッキリとしたサイトで荷物を整理していた彼女もまた手を止めて、僕の方に手を振ってくれた。聞くところによれば、今日合流する予定のお姉さんをこの後で一旦迎えに行くのだという。

 

 

 

 湖畔をぐるりと回る道の途中で僕は考える。

 昨日の夜から抱いていた仄かな疑念。どこかに引っかかりを覚えていた既視感の正体。ついぞはっきりとはしなかったのだが、つまるところ僕はこう思っていた――彼女はもしかしたら()()()()()()()()なのではないのか、と。

 そのことを示す明確な証拠はない。名前は聞けなかったし、原作でリンちゃん達が来る前日からキャンプをしていたという描写も無かった。

 ただそれでも、昨晩からの邂逅で拾うことのできたいくつかの要素がこの考えを支持していた。

 

 彼女の容姿、合流予定の姉、ぴったりな日付、それに――

 

 僕は静かなキャンプサイトを振り返る。

 いくら平日だったとはいえ、四尾連湖にこれだけ人が居ないというのは出来過ぎではないだろうか。それこそ、ゆるキャン△の放送前でなければ考えにくい程に。

 そう、まるで僕が度々足を踏み入れた“ゆるキャン△時空”の中でなければ考えにくい程に、だ。

 

 

 

 猫車を押して水明荘の前まで戻ってくる。物思いに耽っていた僕は、荷物を片付けようと思ったその矢先に視界に入ってきたウッドデッキの上にぽつねんと置かれたリンちゃんのパネルに気が付いて、きょとんと目を瞬かせる。

 ハッと顔を上げて湖の対岸に目を凝らせば、そこには微かにだけれどもコンパクトな彼女のテントが一つだけ置かれているのが確認できる。

 

 5分か、あるいは10分くらいだろうか。僕は片付けのことも忘れ、しばらく何とも言えずにぼんやりとその光景を見つめていた。それからようやく再起動を果たし、やれやれと頭を振ってウッドデッキを後にする。

 

 

 

 車に荷物を積み込んで、来るときに通った例の細い道をまた運転してキャンプ場の出口へと向かう。対向車と出会わないよう祈りながら、慎重にハンドルを握る。

 それにしても不思議なものだ。きっとそうだろうという確信があったのだが……どうやら早とちりであったらしい。そう思うと何やら思わせぶりなことを口走った昨日の夜の自分が恥ずかしくなって、やけに落ち着かない気分になる。ハンドルをしきりに叩く指がそれと無関係かどうかなんてことは……わざわざ示さずとも分かるだろう。

 

 誤魔化すように一度アクセルをふかし、坂を下っていく。今回のキャンプのビデオを良いものに仕上げるための方法をいくつか考え始め、また再び訪れるキャンプの日々を思いながら、僕は日常への帰り道を辿るのだった。

 

 

 

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