終わらせたい彼の箱庭狂騒曲 作:マスカレード・マスタード
十数秒から数十秒の空の旅。終わったと思えば、次に訪れるのは水の旅。
(水中か…………あの、湖に落ちたってことだよな?)
コポコポと口の端から空気の泡を水面に上らせながら彼、時任空胡は右手で眼帯が浮かび上がらないように抑えながら周りを確認する。
水中の視界など、ぼやけ切ってろくに見えたりしないのだがあくまでもこれは確認でしかない。そこがある程度深いことを確認し、着ていたジャージの煩わしさを感じながら彼は水面へと向かう。
「―――――ぶはっ!…………ッ、はぁ…………?」
詰まっていた息を吐き出して、立ち泳ぎをしながら周りを見渡した空胡。その途中で、岸辺に上がった二人の男女を見つけそちらへと向けて泳ぎ出す。
「…………あ」
その途中である事に気が付いた。気が付いてしまった。
「替えの眼帯、持ってたっけ?」
空胡は基本的に眼帯を寝る時にも外さないが、風呂などは別だ。
防水などではないそこらの薬局にも売っているような市販品である為、買い置きをして濡れたらその都度変えてきた。
だが、今回。手掛かりに飛びついてしまった挙句、何の準備も出来ていない。仮に替えを持っていたとしても水につかった時点でアウトである事には目をつぶる。
服でも破ろうかと思案している間に湖岸へ。
浅くなってきた湖底に足をついてから、水をかき分けて岸に上がった空胡はそのまま湖岸に腰掛けて上着を脱ぐと、グッと搾る。
右目にも違和感はあったが、流石にこの場に自分以外に
「貴方の名前を聞いていいかしら?」
「あ?あ、俺?」
「そうよ、そこの眼帯の貴方。貴方だけ、名乗ってないもの」
「あー、成る程。俺ァ、時任空胡。まあ、宜しく―――――は出来なさそうだな」
「あら、どうしてかしら?」
「ちょっと野暮用があってな。俺としては、その件をさっさと片づけたいと思ってるところなんだ」
「聞いても?」
「そこは、ノータッチご推薦だ」
肩をすくめた空胡に、黒髪の彼女は眉を顰めた。
軽い反応の彼は、彼女にとってはこの場に居る金髪の少年にも通じるものがあったから。
「……目、怪我?」
「ん?まあ、物貰いみたいなもんさ。無理に取るなら、移っちまうかもな」
「ヤハハ、なら猶更その眼帯は取るべきじゃねぇか?」
茶髪の少女が問い、金髪の少年が提案する。
どちらも気にするのは空胡の容体、ではなく隠された眼帯の下にあるもの。
その事に気付いているのか、空胡は肩をすくめて頭を掻いた。
「俺の事よりも、今はこの状況を知る方が先決じゃないのか?」
「あら、私はどっちが先でもいいわよ?」
「…………同じく」
「俺もだな」
「何でそんなところで意気投合してんだアンタら。ほら、そこの茂みに隠れてる奴とか、そろそろ突っ込んでやれよ」
「あら、気づいてたの?」
「空から見えたからな。そっち二人もじゃねぇの?」
「ヤハハ、かくれんぼじゃ負けなしだからな」
「風上に立たれれば嫌でもわかる」
「…………へぇ、面白いなお前」
そんな会話がなされ、四つの視線が茂みへと突き刺さった。
これに焦ったのは、問題児たちを遠巻きに観察しようとしていた招待主。
タラタラと冷や汗を流しながらも、このままではらちが明かないと意を決して彼女は立ち上がった。
「あ、あははは。嫌だなぁ四人様方そのような狼もかくやと言わんばかりの目で見られてしまえば、黒ウサギの矮小な心臓が悲鳴を上げてしまいます。古来より、孤独と狼は兎の天敵!どうかその視線の矛を下ろして、皆様私のお話を聞いてはいただけませんか?」
「断る」
「却下」
「お断りします」
「パス」
「あは♪取り付く島もないとはこのことですね!」
お手上げだというように彼女、黒ウサギは両手を挙げた。
しかしその内心では、
(この状況で間を開けることなく拒否の言葉を言えるのは、良い気概です。肝が据わっているという事でしょうか?とにかく、何としてもコミュニティに入ってもらわなくては!)
結構したたかな事を考えていたり。
だがしかし、相手は世界代表の問題児。そんな彼らの目の間で気を抜いてしまえばどうなるか。
「…………えいっ」
「ふぎゃ!?い、いいい一体何事ですか!?」
「あ、感覚有るんだ」
「ちょっ、初対面で黒ウサギの素敵耳を鷲掴みするなんて―――――」
「良い手触り」
「話聞いてくださいよ!?」
ぐわしっ、と掴まれた黒ウサギのウサミミ。掴んだ茶髪の彼女は、もふもふとした手触りを堪能するばかりで黒ウサギの抗議を気にも留めない。
ついでに問題児たちの興味も彼女へと向けられた。
「私も触っていいかしら?」
「へぇ、本物なのか、コレ」
金髪少年と黒髪少女の意識も、黒ウサギへと向けられ空胡より外れた。
(チャンス到来…………!)
キュピーンと目を輝かせ、空胡の姿は空気に溶ける様にその場から消えてしまう。
まるで、最初からそこに彼などいなかったかのように、忽然と。
*
「あり得ない、あり得ないのですよ…………!まさか耳を触られるだけで小一時間も潰れるだなんて!」
ヨヨヨ、と泣き真似をする黒ウサギ。彼女の自慢のウサミミは、触られまくって毛羽立ってしまっていた。
とはいえ、
「…………満足」
「良い手触りね。敷物にも良さそうだわ」
「ん?」
ほくほくと顔をほころばせる茶髪少女、春日部耀と黒髪少女、久遠飛鳥は満足な様子で自身の手を見つめたりついてきた三毛猫を撫でたりしている。
だが、金髪少年、逆廻十六夜はある事に気づいて眉を上げていた。
「なあ、あの眼帯何処に行った?」
「え?」
「…………そういえば」
問題児三人が辺りを見渡そうとも、既に件の眼帯君は影も形もない。
「面白いな、アイツ」
「…………臭いも、残ってない」
「まさか、幽霊だったりしないわよね?」
「いや、奴には
「あら、そうね。それじゃあ、彼は何処に消えたのかしら?足跡は…………残ってないみたいだけど」
「さあな、そこは分からねぇよ。空を飛べるのか、消えることが出来るのか、若しくは瞬間移動か。臭いは残ってないんだろ?」
「…………うん」
「それじゃあ、瞬間移動か。音もせずに俺の前から消えるとか、やってくれるじゃねぇか。面白れぇな、時任」
好戦的な笑みを浮かべた十六夜。しかし彼にも、空胡を追う術はない。
この後、黒ウサギが空後の居ない事に気づいて再び慌てる事になるのだが。それは全くの余談だ。
*
すいすいと足場が悪い森の中を、道を通ることなく空胡は横断していく。
不可解なのは、彼が歩く道だ。足音は愚か、衣擦れや更には草葉が踏まれる音、擦れる音など一切合切の“音”が聞こえてはこない。
(いや、便利だ。訳の分からない動物?みたいなのにも襲われないし)
異端の技術を行使しながら、空胡の感想はその程度。
彼が向かっているのは、空から落ちてくる際に確認した天幕のある巨大建造物があった方角。
理由は言わずもがな、彼自身の目的を果たす為だ。むしろ、それ以外に今の彼は行動原理が無いとも言える。
森の木々を抜け、草葉を踏みしめることなく踏破して、幻獣すらも通り抜け、やがて空胡は大きな壁の前へとやって来ていた。
石造りの壁だ。そして、設けられた門の向こうには多くの“ヒト”の姿が見える。
(良いね。ここなら、俺の
空胡は期待を膨らませて、その門をくぐった。その際に、横を通り抜けたローブ姿の少年には気付かずに。
門の先は、やはり異世界。人類という種族のみならず、動物が元であろう獣人や、人型を象った無機物等々、その数は様々。
そんな人込みの中を、空胡はすり抜ける様にして動き回っていた。
彼に気が付く者は一人も居ない。
鋭敏な嗅覚や聴覚。霊を捉える様な視覚。空気の揺れを微細に感じ取る触覚等々。あらゆる感覚器官がそこら中にあるというのに、肝心の空胡を捉えられない。
その異常性を分かっているのかいないのか、彼は目的のものを探して歩き回っている。
大通りを歩き、そこから一本入り込んで路地へ。ぐるぐると同じところを回っているのではないかと錯覚するような代り映えのしない道を、並ぶ商店で確認しながらウロウロ、ウロウロ。
だがやがて、彼の足はある店の前で止まった。
そこは、少し古さの目立つ店構え。中も薄暗く、ましてや客の姿も外からは殆ど視認できない。
しかし、ここに空胡は己の探すものがある事を悟っていた。
根拠は、におい。古い紙とかび臭いような湿気たにおい。
そう、この店は古書店。紙製の本から、単なる紙の束。羊皮紙、竹簡、粘土板等々多岐に渡る品ぞろえの知の殿堂。
(お邪魔しまーす)
気配を消したまま、空胡は入店を果たすのであった。