終わらせたい彼の箱庭狂騒曲 作:マスカレード・マスタード
集中していると、時間が短く感じる事がある。
「…………ん?」
湿ったような独特のにおいが立ち込める薄暗がりで、何冊目かの本に目を通していた空胡は何となく顔を上げた。
場所は、自身で見つけた古書店であり居るのはその奥。主に世界に関する資料や各地の伝承など様々な、どちらかというとオカルト寄りの内容のものばかり。
驚くべきは、いま彼が読んでいる物がギリシャ語でその前に読んでいたのは、ポリネシア語であった点。
語学に堪能、とでもいうのか。まあ、その真相は己の抱えた問題を解決するために奔走した結果でしかなかったのだが。
とにかく本を読み漁っていた空胡は、いつの間にか外が暗くなっている事に気づいていなかった。空腹などは特に覚えていないが、長時間床に座り込んで本を読んでいたせいで体がバッキバキに固まっており、肩を回せば関節が鳴った。
(出るか)
買う気も無いのにのさばり続ける客程邪魔なものは無い。ただ、空胡には古紙一枚買い取れるような金も無いのだ。本を元の場所に戻して、素直に気配を消して店員にバレる事なく外へと出た。
空は暗くなりかけており、陽光は見えない。ついでに道行く人々も疎らとなっておりこの街に来た時とは真逆とまではいわないまでも様変わりしていた
(さて、今日はどうするか。適当な場所には色込めばいいか?)
誰にも感知される事無く、空胡は通りを行く。
ジャージに、運動靴という装備の彼だが、石畳を歩けば普通音が鳴る―――――筈だが、やはり彼の足音は無音だ。衣擦れの音もしなければ、小石を蹴る事も無い。
今も、前から歩いてくる獣人を半身ずらして躱した空胡だが、当の躱された獣人はその接近にすらも気づいた様子は無かった。
まるで透明人間だ。いや、単に透明なだけならば匂いなどで人類よりも五感の鋭い獣人が気づかない筈が無いのだが。
とにかく、空胡は誰にも気づかれる様子が無かった。
閑話休題
石畳の道を暫く進んでいた空胡は、やがて大きな噴水のある広場へとやって来ていた。そして、
「あん?何やら聞き覚えのある声が」
ある騒ぎに気付く。
見てみれば、カラフルヘッドな一団が噴水の前で騒いでいるではないか。周りでは少ない通行人が一瞬野次馬となって、そして流れる、という事を繰り返していた。
ここで空後には、二つの選択肢。声を掛けるか、否か。
無論状況的には声を掛けるのが一番なのだろうが、彼が考えるのはその流れ。
(…………めんどくせぇな)
だが、彼は考えるのを止めた。普通に合流することにする。
まずは、今自身で行っている気配の抹消とでも言うべきことを止める。そして何食わぬ顔で、
「よぉ、さっきぶりだなアンタら」
片手を上げてあいさつした。
本当に自然な動作であった。それこそ、最初からそこにいたのではないかと思われそうなほどに。
「…………と、時任君、だったかしら?どうしてここに居るの?」
「おいおい、居ちゃ悪いのか?文明を求めるのは、人として当たり前だろ?」
「…………本物?」
「生憎と俺はドッペルゲンガーには会った事が無くてな。まあ、会ったら死ぬらしいが」
「お前、瞬間移動でもできるのか?」
「いや、出来ないけど?むしろ、出来たら人間辞めてね?」
「ヤハハ、それならこの場で種明かしはしてくれねぇのか?」
「え、何故に?」
「気になるから。種を明かすか、その眼帯を取るか。二つに一つだぜ?」
「ちなみに断ったら?」
「力づくで毟り取る」
「…………」
いい笑顔で詰め寄ってくる十六夜に、空胡は押し黙るしかない。声を掛けた事にも後悔し始めていたが、後の祭りというもの。
ため息を一つ挟み、
「なっ―――――!」
「…………うそ」
「ど、どうなってるの!?」
すーっ、と空胡の姿は空間に解けるように消えていき、気配が完全に霧散してしまう。
これに驚くのは、問題児三人。一挙手一投足見逃すまいとしていたのに、次の瞬間には目の前で消えて追いかける事すら出来なかったのだから。
思わず、十六夜は手を伸ばすがその指先が対象を掠める事は無い。耀が鼻を動かしても匂いはたどれない、耳にも音が響かない。飛鳥が周囲を見渡そうとも、どこにも影も形も彼の姿は無い。
そして、この光景を見ていた二人、黒ウサギとジン=ラッセルもまた目を見開いていた。
「じ、ジン坊ちゃん。黒ウサギは夢でも見ているのでしょうか?」
「…………えっと、僕の目にもあの人が消えたように見えたんだけど」
「ですよね!?ま、まさか透明になれる恩恵を持っているのでしょうか?」
「だったらおかしいよ。耀さんは鼻が良いみたいだし。只透明になっただけなら、黒ウサギの耳でも追えるんじゃないかな」
「残念ながら、完全にあの方を見失っております…………く、黒ウサギの耳も無効化するだなんて!」
ジンはともかくとして、黒ウサギは己の力には一定の自負があったのだが、その上で彼女は彼の動きを追い切れては居なかった。
意味が分からないと思う。だが、次の瞬間に更に驚くことになる。
「―――――満足したか?」
「「「「「!?」」」」」
何と、空胡が再び目の前に現れたのだから。それも、最初に立っていた場所からほとんど動くことなく。
驚く五人に、しかし彼本人は肩をすくめるだけ。そして口を開いた。
「何だったか、確か…………圏境だったな。音を消して、気配を周囲に溶け込ませることで相手に視認させなくする
事も無げにそう語った空胡であるが、相当な事を言っている自覚は無いらしい。
再起動を果たしたのは、十六夜。
「…………ハッ、だったら俺にもできるのか?」
「出来るかできないか、なら出来るだろうさ。言ったろ、これは技術でしかない。俺はズルしてるけども、出来ない道理はないだろ」
「ズル?」
「ああ、ズルだ。それに頼ってる自分自身嫌になるが、まあ、使えるモノは使う主義だからな」
「へぇ…………それが恩恵って奴じゃないのか?」
「恩恵、ねぇ…………一方的な押し付けが恩恵になるなら、随分と虫のいい話だ。俺にとっちゃ呪いだしな」
「それは、その右目に関しての事だろ?」
「まあ、そうなるな。おっと、見せないぞ?態々目の前で圏境の種明かしもしてやったんだからな」
「チッ、ペラペラ語るかと思ったんだけどな」
「甘い、甘ーい。俺もそこまで抜けてないさ」
HAHAHA、とアメリカンコメディの様に笑いあう野郎二人。
ここでようやく残りの面々が復活してきた。
その中でも詰め寄ってきたのは、黒ウサギだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「ん?どうかしたか、ウサミミ」
「う、ウサミミ!?私は黒ウサギです!―――――じゃなくて!今まで貴方は何処に行ってらしたんですか!?」
「うん?まあ、野暮用さ」
「だからその内容を―――――」
「そいつはさっき見せた圏境でトントンだ。まあ、俺も用が終わればこの世界から出ていくさ」
「…………その呪いは、恩恵ではないのですか?」
「人には分相応ってものがあるんだ、黒ウサギ。過ぎたるは猶及ばざるが如しってな。正直なところ、俺が生きていた世界じゃそんな超常的な力なんて必要ない」
「ですが、この箱庭では必要な事です。…………そうだ!えっと…………」
「ああ、名乗って無かったな。俺は時任。時任空胡だ。よろしくはしないぞ、黒ウサギ」
「はい!よろしく…………え?宜しくしないのですか!?」
「言ったろ。俺は、この呪いをどうにかできればいいのさ。で、どうにかしちまえばお前らに手を貸すなんざ無理だろ。俺は、そこらの柴犬にも負けるぞ」
カラリと言い切った空胡だが、その発言には彼を知れば皆が否定するだろう。
肉体的な例えば圏境などの技術は、彼の疎う呪いの副産物であるかもしれない。しかし、彼がその呪いをどうにかするために得てきた
例えば空胡が事も無げに行う、多言語能力。日本語だけでなく、オーソドックスな英語やフランス語、中国語等々、その種類は多岐に渡る。
肉体だって、十五歳としては十分すぎる程度にしなやかな筋肉をしている。
それでも、彼は自分を乏して嗤う。
「まあ、俺の話はもういいだろ?それより、アンタらどこかに行くんじゃないのか?」
「あ、そうでした。これから、“サウザンドアイズ”に行くところでした!」
「千の瞳ィ…………?何だよ、それ店か?」
「YES!瞳の恩恵を持つ商業系のコミュニティですね!あ、コミュニティというのは―――――」
黒ウサギ説明中。
「―――――つまり、ゲームするためのギルドみたいなもんだな。ソロプレイは不可能と」
「そうですね。一定の期間なら個人も可能ですけれど…………」
「まあ、そんな時間で俺の
「空胡さんの仰る呪いが恩恵ならば、サウザンドアイズで買い取ってもらえるかもしれませんよ?」
「こんな厄介な
「恩恵は人によって使い方がありますから。空胡さんにとって厄種でも、他の人にとっては喉から手が出るほどに素晴らしいものである可能性もあるのですよ」
「…………そんなもんか」
水害に苦しむ土地と、干ばつに苦しむ土地の違いだ。片方では水が疎まれるが、もう片方では天の恵みとして崇め奉られる。
空胡としては、厄介以外の何物でもない呪いも、裏を返せば誰かへの恩恵となるのだから。
そうして五人は歩き出す。ジンだけは先に帰ってしまい、その後について行こうとした空胡が首根っこ掴まれる一幕はあったが、それは余談だ。