俺には親という存在がほぼほぼ皆無に等しいレベルで存在していなかった。
父は早い内に死別し、母は仕事で世界中を飛び回っている。
お金は払ってくれるし、偶に帰ってきた時は山程におまけがつくほど愛情を分けてくれるわけなのだが、それでも侘しいものは侘しい。
まあ、要するに俺は愛情なんてものを感じる機会があまり無かったと思ってくれれば結構だ。
だからかな。
偶の直球に弱い。
何時も、表情筋を動かさず気を張ることがノーマルだと思っていた俺だが元々がこんな性格だったとは微塵も思っていないからな。
こういう弱みは、俺が元々持っていたものなんだと今はそう感じている。
表情筋がぶっ壊れた俺には暫し1人の時間が必要だった。
憎き憎きハイカラ麗花。
彼女は意図も容易く俺の顔を朱に染め上げ、表情筋をぶっ壊した。
麗花のチョコ、そしてケーキ。
誕生日を覚えていてくれたって嬉しさが、俺の感情を揺さぶったんだ。
「ママー、あそこにベンチに座ってニヤニヤしてる人が居るよー」
「シッ!指を差さないの!」
‥‥‥兎に角、表情筋と心は整えねばならない。
しゃんとしろ、南宮枯太郎。
お前は他人に簡単にニヤニヤする変態と見られていいのか?
とっとと落ち着きやがれ。一刻も早く、平静を保つんだ。
「どうしたんだい?そんな仏頂面で」
俺が深呼吸をしながら心を落ち着かせていると、不意にそんな声が聞こえる。
見上げると、そこにはつい最近出会った男。
石嶺広夢がそこには居た。
「アンタは‥‥‥」
「久方ぶりだね、あれから北上さんの様子はどうだい?」
どうしたもこうしたも、今は何事もなかったかのように色々やってるよ。
全く、俺が居ぬ間に何があったのかね。
「普通っすよ」
「北上さんの普通‥‥‥か。因みにそれは本当に普通なのかい?」
「だと思います?」
「‥‥‥いや、失礼。それを聞くのは野暮だったね」
分かってくれたようで何よりだ。
石嶺プロデューサーが麗花にオファーした時から麗花の天然&大物っぷりは目に見えていた筈。
あれで一般常識の普通に当てはめられる───というのがそもそもの大間違いである。
「まあ、アイドルに関しては前向きですよ。ドタキャンなんてこたぁないんじゃないですかね」
「そっか、それは良かったよ。北上さんのポテンシャルは計り知れないものがある。今、アイドルを始めれば横一線からでも1つ飛び抜けた存在になるだろうね」
「色んな意味で、ですか」
「ははっ!そりゃあ違いないね」
石嶺プロデューサーは大笑いしながら、俺を見る。
俺とて何年も麗花を見てきた存在だ。
プロデューサーの麗花に対して言わんとしていることはある程度分かるし、話も合わせられる。
話題も尽きないだろう。
「南宮君、だっけ?キミとは馬が合いそうだ」
「馬、ですか」
「ああ!自分で言うのもなんだが、ちょっと熱が入ることも多い僕に、状況判断をすることに長けている南宮君。タッグを組めば、かなり良い線行くと思うんだがね‥‥‥南宮君はどう思う?」
「んー、微塵も思わないっすね」
「そ、即答‥‥‥まあ、急にそんなことを言われても困るか」
そりゃあな。
けれど、悪い気はしない。
そうやって認めてもらえることはさして悪いことでもあるまいし、石嶺さんのような既に定職に就いている方からそう言われるのは光栄の極みだ。
今後とも、そう言われるように邁進していこう。
「所で、さっきはなんであんな顔してたんだい?あの時はポーカーフェイスを地で行くような顔つきだった南宮君が、らしくない」
さり気なくそう尋ねた石嶺プロデューサーの一言。
その言葉に、若干の気恥ずかしさを覚えつつも石嶺さんならこの情けない現状を打破するきっかけを作ってくれるのではないかと、俺は縋った。
「俺、元々感情は表に出さない性格なんですよ」
「ああ、そりゃあ違いないね」
「麗花や麗花の御家族が言うに、昔はそんなんじゃなかったらしいんすけど、どうにも俺にはちゃんと笑った試しがなくて」
俺には本気で笑ったって試しがない。
昔の記憶故に、朧気になっていることもあるにはあるが、思い浮かばないって時点で俺の笑顔の回数なんてたかが知れてると言っても同然だ。
「んで、最近麗花から誕生日を貰ったんです」
「ほう、何を貰ったんだい?」
「チョコレートケーキです。麗花は誕生日の奴にケーキを送る癖がありましてね、自分の誕生日もロクに覚えてなかった俺は面食らったワケです」
そして、俺の中でとある感情が芽生えた。
それが『嬉しい』って気持ちだ。
麗花が誕生日を覚えててくれた。
それが俺にとっては本当に嬉しいことで、泣きたいくらい有難いことだったのさ。
「‥‥‥成程ね、それで南宮くんは嬉しくて嬉しくてニヤニヤしていたと」
「う゛‥‥‥核心を突くのは止めてくれませんかね。あまり良い趣味とは言えませんよ」
「あはは、悪い悪い。けど、南宮君がごくごく一般的な感情を抱くことは何らおかしなことではないと僕は思うよ。そういうのって、誰だって嬉しいものだし、俺だって嬉しくなる‥‥‥俺が思うに、枯太郎君は感情表現が苦手なだけなんだ」
「感情表現っすか」
「そう、喜怒哀楽を顔で表現することがなかなか出来ない。けれど、それは人それぞれなんだから気にすることはない、ありがとうって気持ちは顔だけじゃなくても伝わるもんだからさ」
そうは言うが、それはニヤニヤしていい免罪符にゃならないだろう。
人は計らずも第一印象で人を決める。
仮に俺が常時感情表現苦手でこうしてニヤニヤしていたら人は俺をどう思う?
言っておくが、俺は人の第一印象を気にしないほど図太い性格ではないんだからな。
「直したいんすよ、出来るなら」
関わった人間に対して侘しい思いをさせているのは重々承知だ。
麗花に対して時に失礼にも程がある態度を取ってしまっているのも重々承知している。
嬉しい時は、笑いたい。
それは、紛れもない俺の本心だ。
「‥‥‥そっか、枯太郎君は悩んでいるんだね」
「ええ、そりゃあもう」
だが、有言実行出来ないのが苦しいところだ。
俺にとって笑うというのは苦手なゴーヤを噛み締めるよりも難しいこと。
何せ、ゴーヤとは違って気概があっても出来ない俗にいう無理ゲーってやつなんだからな。
だが、それ程絶望感は感じていない。
それは、感情表現が絶望的な今であってもそんな俺に寄り添ってくれている奴がいるから。
対等な目線で、一緒に居てくれる『親友』がいるからなのかもしれないな。
石嶺プロデューサーが俺を見る。
視線を感じた俺は、石嶺プロデューサーをもう一度ちゃんと見据える。
石嶺プロデューサーは、笑うことのない真顔で俺を見つめていた。
「‥‥‥感情を表に出せないのなら、感情を出す人達に倣えば良い。人と積極的に関わり、その人となりを知り、理解することでキミは感受性を鍛えることができる。そして、キミの中の感受性が高まった時‥‥‥その時が、キミの感情表現が上手くいく時なんじゃないかなって思うよ」
「簡単に言いますね‥‥‥」
「当たり前さ、キミが感情を表に出せるようにする方策を、僕は持っているんだからね」
そう言うと、石嶺プロデューサーは立ち上がりベンチに座っている俺を見下ろす。
誰かが俺を見下ろせば、俺は誰かを自然と見上げる形になる。
その形が構築された時、石嶺プロデューサーは俺を確りと見据えた上で、手を差し伸べた。
「南宮枯太郎」
「?」
「765プロで、働いてみないかい?」
衝撃的にも程がある一言を残して。
2019.11.17 情景描写を追加。