日常というものは平和であるのと同時に思いの外恐ろしいものである。
よく、平和ボケという言葉があるのが良い例だ。
ただ、慣れがなければ人は安寧の時を過ごせない───というのもれっきとした事実である。
人ってのは必ず何処かで平和ボケをしなきゃいけない連中なんじゃないのかと、俺は思うね。
無論、俺も『慣れ』という平和に支配されてしまった男である。
北上麗花という人間がいつも傍にいることにより、俺にとっては彼女が居る日常が半ば当たり前のように感じてしまっている。
普通、男女が1つ屋根の下にいたらミリ単位でも興奮するものなんだがね。
ただ、悲しいかな。そこもやはり俺にとっては『慣れ』が先行してしまって、新鮮味やら劣情やらを感じなくなってしまっているのが現状である。
故に───
「あ、こっくんおかえりなさーい」
こうしてネグリジェだけを身につけ出迎えてくれる麗花を目の当たりにしても、何にも感じなかったとしても、それは仕方ないことなのだと思われる。
「‥‥‥今日は柚子湯?」
「大正解!今日はバスロガールの柚子の香りを使ってみたんだ♪」
道理でな。
柚子の香りが鬱陶しいと思ったぜ。
「お前、何時もは森林だろ‥‥‥いや、まあ良いか」
「あれ、もしかして森林の方が良かった?ならそう言ってくれればいいのに」
「そんなこと一言も言ってませんけど」
「素直じゃないなぁ〜♪」
「テメエ・コノヤロウ」
理解不能な麗花の煽りのようななにかに怒りのような何かを抱く。
そもそもの話、俺は森林が好きだとは一言も言っていない。
こうして話が飛躍して終いには宇宙の果てまで元あった話題が吹っ飛んでしまうのが麗花の専売特許である宇宙人っぷりである。
「ほれ、兎に角お前は着替えろ。またネグリジェひとつとかなしだからな。パジャマ実家から持ってきたんだから寒い日位使えよ」
「後で一緒に探してくれない?昨日探したけどなかなか見つからなかったんだよねー」
なら、昨日のうちに言えよ。
これに懲りたら部屋を片付けて、片付けられる女になってください。毎週お前さんの部屋を掃除してるのは俺なんだぞ?
「うーん、1分間探して見たんだけどなー」
「もっと探せよ。お前の部屋の場合1分じゃ済まないんだからさ」
「こっくんも探してくれたら30秒で終わるね♪」
「うわー、昨日と同じタイムで見つかると思ってるよこの幼馴染み!ちっとも懲りてねえ!!」
麗花の部屋へと向かい、ドアを開ける。
すると、そこにはやはり数多くの物が散乱しており、ベッドが何処にあるのかが何とか分かる状態まで、部屋は汚くなっていた。
非常事態である。
何が非常事態って、コイツの部屋が1年前から1週間置きに必ず汚くなっている事だ。
先ず、コイツの部屋は基本的に物が多い。
断捨離をよしとせず、思い出を大切にする性格からか、彼女は記念物を捨てることが滅多にない。
それが直接的に部屋が汚い原因となっている。
「てか、3年前の日記とか持ってくる必要あったのかよ」
「あったよ、私の大切な思い出だもん」
「思い出って絶対傍に置いとくものじゃないだろ。実家に置いてけよ」
今でも思い出す、今の家に麗花を迎え入れるために駅まで迎えに行った時のことを。
その日の前日、俺宛てに3つの大きなダンボール箱が届けられた。
まあ、麗花が来ることが分かっていた俺はそこまでは予想していたので、特になんの違和感を感じることもなく、普通にそのダンボール箱を麗花の部屋になる予定の小部屋に置いといた。
モバイルで麗花から『もし、こっくんが舌切り雀の世界にいたら大きな箱と小さな箱、どっちを選ぶ?』と連絡が来たので『小さな方』と答え、『小さい方、開けてみて!』ともう一度連絡が来たので開けてみたら小さなびっくり箱が飛び出してきて、俺の頭を命中した。
その箱はムカついたので乳歯が抜けた時に健康な歯が出てくるようにとお祈りをする子どもの如く、天空に向かって投げ捨てた。
まあ、そこはいい。
びっくり箱の下りは非常に腹が立ったが、引越し便で荷物が届けられるのなら、これ程効率的で親切な方法はない。
問題はその後なんだ。
後日、約束を遵守して麗花を駅まで迎えに行くとそこには驚くべき光景が鎮座していた。
リュックを背中に背負い、スーツケースを2台引っ提げて『やっほー!こっくーん!』とか抜かしてきた麗花を見た時、俺は絶句した。
聞くところによると、そのバックにはお絵描き帳や、数年前の日記帳まであったとか。
単刀直入に言わせてもらおう。
アホかと笑いたくなったね。
しかし、それが北上麗花という女なのだ。
何処までも思い出を大切にしてしまう。
だからこそ故郷に友達は沢山いたし、東京へ行くと決まった時は悲しんだ奴も沢山いると聴く。それは今まで培ってきた麗花の力。
欠点でもあるが、それは紛れもない北上麗花のアイデンティティなのだ。
「こっくん?」
ふと、思考の海に潜っていたことを悟り現実に戻ると目の前で麗花が俺の顔を覗き込んでいた。
その動きに気付けない程思考の海に潜っていたんだなぁ、なんてなんでもないことを考えつつ俺は部屋に入り、一番最初に目にしたのは行き場を失いピクリとも動かないロボット掃除機。
「お前さ、ロボット掃除機買うならしっかり身の回りの整理できるようにしてから買えよ」
今の状態じゃゴミすら物で敷き詰められてて掃除機の出番が全くないんだよ。
しかも、この状態じゃロボット掃除機動かせねえし。
「最近はロボット掃除機の時代が来た!ってニュースで見たから、私も文明の利器にあやかろうと思ったんだ。これでゴミを取れればこっくんも私もこの部屋もハッピーだね!」
「文明の利器にあやかる前にお前は断捨離した方が良いぞ。や、割とマジで」
純真無垢な笑顔をこっちに向けないでくれませんかね。
言ってることが穴だらけなのに、思わず流されちゃうだろ。
「ほれ、パジャマ発見」
「ありがと〜♪」
麗花がパジャマに着替えている間に俺は部屋を出る。
全く、人騒がせな奴だ。
本当に30秒もしないうちに見つかってしまったじゃあないか。
「あ、そういえば」
「あん?」
麗花がドア越しに声をかける。
反応すると、麗花がドアから顔を覗かせ風呂場を指さした。
「お風呂にする?それともご飯にしちゃう?ご飯にするなら食べてる間にお湯沸かしとくけど」
「風呂でいいよ。ガス代勿体ないし」
「森林浴をしたいんだね♪」
「使い方間違ってますよ?森林浴じゃないからね?」
本当に森林浴できるならしてみてえわ。
誰でもいい、誰かこの疲労困憊の枯太郎めに癒し成分をください。
「くすっ、ご飯温めとくからね〜」
ごゆっくり〜と生暖かい目付きを浮かべられ、麗花はドアを閉めた。
何やら盛大な誤解をされているようだが構わん。森林浴が好きだろうが、日光浴が趣味だろうが俺が困ることはない。
「‥‥‥」
時々、思うことがある。
もし、俺がこの部屋に1人で滞在していたのならどうなっていたのだろうと。
幸いなことに、現在はホームシック等の精神病にかかった経歴はない、てかなる余裕がない。
なら、1人でいたら故郷を懐かしみホームシックになっていたのだろうか。
仮にそんな未来があったとしたのなら、俺は麗花に感謝しなければならない。
麗花のおかげで、毎日が騒がしい。
家に帰ればあたかも故郷に居るような、そんな気持ちにさせてくれる。
俺も、麗花の立ち振る舞いに魅せられた人間の1人だ。
だからこそ───幼馴染みとはいえ面倒を見ているし、一緒に通学もしている。
そして、その『尊敬』の想いに今までヒビが入ったことはひとつもない。
天真爛漫な北上麗花の姿に、俺は魅せられている。
そんな姿に、俺は何度も助けられてきたんだ。
「ま、そんなこたァ口が裂けても言えんがな」
それを聞かれて『可愛いなぁ』、なんて言われた日には軽く死ねるもん。
ぜってー言わねぇ。こればかりは墓場まで持っていってやるからな。
あんがとな、麗花さんよ。