セイバーが返事をしない。
どうにも襖の向こう、セイバーに割り当てた部屋からは何となく拒絶しているような感じがしていた。
セイバーをどうにかしろ、との命令を遠坂に言い渡された士郎は、引き篭もってしまった己のサーヴァントの部屋の前で困り果てていた。
悩む。
本当に遠坂の言う様に、強引に彼女へ接していいものかと。
だけど声を掛けても返事が無いのが現状で、確かに部屋の前でこうしてたってどうしようもないのは事実だ。
それにセイバーがそんなに気に病んでるなら、マスターとして俺も励ましたい。
強引にはなるけど、遠坂の言うとおり意を決して襖に手をかける。
「入るぞ、セイバー」
気負った心と別に、主従を
セイバーは―――、いた。
いつもならきっちり正座して凛とした雰囲気を出している彼女は、締め切って薄暗い部屋の隅で、怯えたように縮こまって
愕然とする。
あのセイバーが、ひたすら真っ直ぐな、出会った瞬間から憧れてた彼女が……
信じられなかった。
かけようと考えていた言葉なんて一欠けも残さず頭から吹っ飛び、呆然と立ちすくむ。
「あ――セ、イバー?」
思わず口をついてでた言葉に、膝を抱えた腕が小さく震えたのが見えた。
それが、何かは混乱した頭じゃハッキリしないけど、物凄くショックで、これが言葉を失うって経験なんだろう、なんて馬鹿な考えばかり浮かんだ。
窓も障子が閉められたままだから日が入ってなくて、その中でセイバーの着ている白い服は良く見える。でも
俺はあんなになるまで追い詰められたセイバーに何て言おうと、何をしようとしてた?
勝てないかもしれないから戦ってくれ?
部屋に篭っていてもどうしようもないから引きずり出す?
歳は知らないし力も俺とは比べ物にならないほどずっと強いけど、それでも自分より小さな女の子を当てにして、死ぬかもしれない戦いの矢面に立たせて大怪我させて、その挙句に言う言葉がもっと戦ってくれ?
爪が皮を破って肉を抉り、血が滴る。
こんなのが”正義の味方”のやる事か?
ふざけるな!
どうしようもないほどに自分に怒りを覚える。サーヴァントに勝てないから同じサーヴァントであるセイバーに戦って貰うのは当たり前なんだろう。でもそれは絶対正しい事じゃない。力があるから小さな女の子に戦わせて、主なんて呼ばれてる自分は背中に隠れてる? 冗談じゃない、情けないにも程がある!
「―――ごめん、セイバー」
駄目だ。
ふるえてる彼女に頼るような事は絶対にできない。
一言だけ謝って頭を下げ、振り向いて部屋を出ようとして、
「ッ、まって、待ってください」
背後から掛けられた細い声に足を止めた。
だけど振り返っても彼女の顔を見るには、自覚したばかりの自分のやってきた事はあんまりにも……
後悔と情けなさが羞恥となって顔を上げる事なんて出来なかった。
「なぜ、あなたが謝るんですか……?」
「俺がセイバーをあんな危険な戦いに巻き込んだからだ。ランサーに襲われた時にセイバーを呼ばなければ、いやそうだったら死んでたけど、それでもずっとセイバーに甘えて戦わせてたから……」
「サーヴァントが戦うのは当然です。そのための存在なんですから」
少しだけ、違和感を感じた。
セイバーの口調が、何と言うか少し幼いというか、厳格な部分が綺麗に消えているのが気になった。
「それでもだ。サーヴァントだからってセイバーみたいな女の子に殺し合いをさせるなんて間違ってる」
「……まだ貴方はそんなことを言っているのですか?」
キリッ と、セイバーが歯を
立ち昇る怒りの気配、それは以前のものと全く違う。
思わず顔を上げた向こうで、彼女は立ち上がってこっちを睨みつけている。その視線には強い苛立ちと共に、今までのセイバーには欠片も無かった憎しみとすら取れるほどの侮蔑が含まれていた。
「いい加減夢ばかり見てないで現実を見たらどうですか?」
「なっ!?」
少なくとも今までの彼女なら絶対に言わないであろう言葉に驚愕する。
「ど、どうしたんだよセイバー?」
「別にどうかしたわけじゃないですよ。ただ貴方の寝言に付き合うのはウンザリしただけです」
「寝言って……、何言ってんだよ!? 当たり前の事だろう!」
セイバーの人が違ったような言い様にかっとなって怒声をあげる。
更に言い重ねようとした士郎を、セイバーは強引に黙らせる。
どんっ!!
”黙れ”
引き結んだ口元が。激情を表した瞳が。叩きつけ壁を粉砕した硬く握った拳が。
彼女の全てが士郎の反論を叩き潰していた。
粗暴ともいえる行動へ、何度目かの驚愕を憶える。
「貴方が言ってるのは
一度戦が起これば女だ何だ等と言ってる”余裕”なんて無い。戦いは負けたほうが悪と言われる。その後は勝った正義による蹂躙しかない! そんな時に何の利にもならないどころか、不利にしかならない下らない言葉を吐くな!!」
「セイバーの時代はそうだったかもしれないけど、でも今の時代は違う!」
「同じだッ!!
シロウ、貴方もそうやって私を利用して聖杯戦争に出ているではないですか!」
「ちがう!
俺はこんな訳のわからない戦争なんかで殺し合いをしようとしてる連中を止めようとしてるだけだ!」
「やっている事は同じだ!
サーヴァントが相手で手加減なぞすればこっちが殺される。結局はサーヴァント同士に殺し合いをさせてるだけだ!」
「ち、ちがっ」
「言う言葉は立派ですが、貴方はその”人を助ける”ために何をしてきたのです? 師も得ない魔術で必要も無いのに毎晩死に掛けて、それで満足して昼間は学校で遊んでですか?
何故、魔術の師を探そうとしなかったのですか?
何故、血反吐を吐きながらでも体を鍛えようとしなかったのですか?
何故、外国でいくらでも起こっている戦へ、民を巻き込んだ戦場へ馳せ参じようとしないのですか?
―――今の貴方は非日常に巻き込まれて興奮しているだけの子供です。手の届く所にこんな非日常が現れて、非常識な戦いに巻き込まれて、そんな非常識の象徴に思えるサーヴァントを得てマスターとなって……それで自分にも何かが出来ると思っている」
圧倒される。
吐き捨てられる言葉に、忌々しそうに睨みつけるその視線に。
「思い上がらないでください。人は己で得た分しか成す事はできない。貴方のようにそれ以上を求め、しかも他人すらも変えようとするのは
しん、と沈黙が主従の間に重苦しく横たわる。
(私は、何を言っている……?)
しかも死した後も、結末を諦められずその全てを無かった事にしようとする、私のやってきた事の全てを消そうとする私こそ恥知らずと罵られるべきなのに。
なにより。
彼からすれば、例えそれが意図しないで呼び出したとはいえ、私は王ではなく彼のサーヴァントなのだ。不甲斐なくも他愛なく戦いに敗れ、騎士の命である剣を奪われたのは、言い訳のしようも無い私の責だ。シロウから責められる故は有っても、彼を責めるなど恥知らずにも程がある。
悔恨が胸を灼く。
(でもサーヴァントとして呼ばれたのは、英霊として座へ至った聖剣の騎士王。拠り所を失った今の私は英霊である資格など――)
もう何を言っているのか、何をすればいいのか。
全部がわからなかった。
王で無くなった自分。
意味の有る事、意味の有った事。
やるべき事とは?
それは王であった自分がやるべきだった事?
今の私がやるべき事?
王で無い自分に”やるべき事”など、はたしてあるのか?
だが、国の崩壊に巻き込まれた民と騎士達を救う事は諦めるのか?
己の
それがどのような者であれ、ランスロットやガウェインらの騎士達の力添えがあれば、国があのような無残な最後を遂げる事は無いだろう。
そのために聖杯を求めていたのだろう?
剣を失って王でなくなったから、だから諦めるのか? 彼らを見捨てるのか?
私には責任がある。
そう、王でなくなったのなら尚更。
剣が無くとも、噛り付いてでも諦めるわけには……
「―――言い過ぎました。シロウ、気分が優れませんので、先に居間へ行っていて下さい。私も、もう少ししたら行きますので」
「あ、あぁ、わかった」
心配に気まずさを混ぜた表情で此方を見たあと、シロウはそっと襖を閉めて出てゆく。
あれほど酷い事を言われておきながら、怒りよりもまだ私を心配するその人の良さに力が抜ける。
彼こそ”良い人”というのだろう。
あんな風に真っ直ぐ生きていたら、私の人生も別の道を辿ったのだろうか?
軽く
「―――わたしは、どうするべきなのでしょう、マーリン―――」
問い掛けは冷え切った部屋の空気を揺らし、答えを得る事無く、暗がりへ消えていった。
「はぁ……」
もうここ二日で何回目か分からない溜息をつく。
衛宮君にセイバーの説得を命じてから、はや二時間が過ぎていた。
今は桜を預ける為にあのクサレ神父がいる教会へ向かっている途中なのだが――
(衛宮君、今度は何をやらかしたのよ?)
先頭を歩いているのが私とアーチャー。その後ろに桜がいて、少し離れて衛宮君とセイバーが歩いてるのだけど……
ちらっと振り返る。
最後尾はやたらと重苦しい雰囲気に包まれていてとても近付けない。
引きこもりを脱出して居間に現れた時から、セイバーはもの凄まじく重苦しい空気を背負っていた。しかも説得しに行ったほうの衛宮君までが、怒った様な悲しいような、セイバーが心配なようなと、やたら複雑な感じでむっつり考え込んでしまった。
(どーしろって言うのよ?)
これじゃ状況が悪化したようなものだ。
あのあんぽんたんな見習い魔術師は忘れているかもしれないが、”サーヴァントは主を裏切れる”のだ。
なのに主従の間に不和をもたらすなんて、ちょっと信じられない。
今回のセイバーに限って、そうそう裏切ったりはしないとは思うが、それでも衛宮君は最初から彼女の望みを何一つ受け入れていない。死んでも叶えたい願いがあるからこそ、こうやって英霊ともあろう者がわざわざ召喚に応じて、彼らからしたら木っ端みたいな魔術師の”使い魔”なんてマネしているっていうのに!
(はぁ)
(随分と溜息が多いな、マスター?)
横に並ぶアーチャーから念話がくる。
(多くもなるわよ。あのバカは一体全体セイバーに何言ったの? お陰でこの状況でサーヴァント一騎の裏切りまで警戒する羽目になるし!)
憤懣やるかたない。
内心がアリアリと出た言葉を受けて、弓兵は苦笑した。
(まぁあの愚か者が、この期に及んでどんな失言をしたとしても、私は不思議ではないがね。ただ彼女が裏切る可能性は未知数だな)
(ええ)
(騎士だったセイバーなら、何があろうと一度主君と
「あああああああ~~~!!」
唯でさえ碌でもない状況に頭が痛いのに、わざわざ不安を煽らないでくれる!?
「きゃっ!? い、一体どうしたんですか?」
「ど、どうした? 遠坂?」
いきなり叫びだした私を、二つの視線がおどおどと見てくる。
そこのアンタ。ヘタレ魔術師のアンタ! 元凶はアンタでしょ!
(優雅たれ、が家訓ではなかったのかね?)
(ぐぅっ!)
いらん突っ込みにぐぅの音も出ない。
いや、ボケてるわけじゃないけど。
「何でもないわよ」
「いやでも、何でもない訳ないだろ?」
しつこい男の襟首を掴んで引き寄せる。
「ないったらないの! 良い? アンタはさっさとセイバーと仲直りしないさい。それが何より優先よ、いいわね!?」
「わ、わかった。遠坂……」
ふんっ、と胸倉から手を離す。
以前ならセイバーが食いついてきたけど、今はそれも無い。
かなり重症ね。
また溜息が出そうになるけど我慢我慢。
顔を近づけたせいで、凄い殺気を飛ばしてくる我が妹も気にしない気にしない。
・・・・・・胃が、いたい・・・・・・
彼女は未だ知らない。
目的地、桜を預けようとしている教会が、自分達を苦境に陥れたにっくき敵に現在襲撃されている事を。
それを知った時、彼女は色々と限界がきてしまう。
思わず弓兵に射殺命令を出してしまうくらい……