無と無限の落とし子(にじファンより移転)   作:羽屯 十一

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●以前にも書きましたが、このお話しに出てくる登場人物の逸話は、作者によってある程度の取捨選択が成されています。

 こういった英雄譚などは翻訳の関係や年月による変化、はたまた伝える国や民族の衰亡などで変化し、幾つもの枝分かれを見せます。
 一概に“これ”とは中々言えないものでして、主役たる彼等の名前も様々な呼び方があります。

 つまり何を言いたいかと申しますと、あまり細かい所は勘弁してくださいませ。


●それにしても……ディルムッドの主だったフィンって、物語の主役でありながら素晴らしくクサレ外道ですな。義憤に怒り、奴に嵌められたディルムッドを命を懸けて庇ったフィンの孫オスカーに切り殺されれば良かったのに……




第参章 25 死地 (Fate編)

 

 断絶した意識が戻る。

 

(あ、わた、しは……?)

 

 薄く開いた視界に映ったのは、落ち葉の積もる地面と赤い棒のようなもの。意識の断絶で見当識が失われた頭では、今の状況が分からなかった。とにかく動こうとして、千切れかけた腕が恐ろしい激痛を発した。

 

「ッッッッ!?」

 

 のた打ち回りたくなるほどの痛み。それでようやく、うろんな頭が自分がその赤い棒に支えられて立ったまま意識を失っていた事を理解した。

 

(そう、でした。

 何かが、当たって――)

 

 がくがくと震える脚に力を入れて動こうとし、

 

「い、ギッ!?」

 

 言葉にならない程の激痛が腹部に炸裂し、全身がおこりに掛かったように震えた。

 あまりの激痛と、今更おそってきた強烈な違和感に強い吐き気が沸き起こる。

 

 震える手がのろのろと動いて自分の腹を探り、そこから生えた硬い棒を探り当てた。

 視線を落とせば、それは目の前の地面から伸びる、

 ―――いや、目の前の地面に刺さった物の、真紅の柄。

 

 

破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)……)

 

 

 破魔の槍は背中から斜めにメデューサを貫き通し、彼女を地面に縫い付けていた。

 槍の銘を頭の中で思い浮かべたと同時に、主から渡された知識が表層へ浮かぶ。

 

 破魔の紅薔薇《ゲイ・ジャルグ》

 ディルムッド・オディナの養い親であるオェングスより贈られた破魔の投槍。オェングスは妖精王ともダーナ親族の一人とも言われる、愛と若さ、美を司る神である。この槍もまた彼の神が遣わすに相応しき名槍で、あらゆる魔術を打ち破る力を秘めており、火と水、あらゆる武器から害を受けない魔犬すら絶命させえた。彼はこの槍を携え、柄に結わえられた紐へ指を通して行う投げ方で、押し寄せる数多くの敵兵や、ドゥルイドの魔女を始めとする強敵を打ち倒した。

 

 『投槍』

 

 まさか、投げ飛ばされた空中で?

 槍を投げた?

 サーヴァントを貫く程の威力で?

 

「うぅ…、っぅ……」

 

 無事な腕で鮮血滴る槍を握り、体から抜こうとして、混乱した思考が空回る。

 地面に深々と突き立った槍。その柄の途中に刺さっている自分はどうすればいいのだろう。まずは槍を抱えたまま後ずさって地面から抜く? それとも地面に刺したまま、身体を引いて抜けばいい?

 そうこうする内に魔力でもある血は流れ、槍を握る手を真紅に染めていく。

 むせ返るような血の匂い。

 喉を上ってきたものを堪えようもなく吐き出した。ぼとぼとと血塊が滴り落ちる。

 

 

 ザシャ

 

 

 後ろで誰かが着地する音がした。焦る。近付いてくる足音は死神よりも性質が悪い。死ぬのだったら座に還る程度で済むが、あの黒い聖杯に汚染されてしまえばマスターやバゼット、果てはサクラにまで刃を向けてしまうかもしれないから。

 何とか槍の戒めから自由になろうと身を捻るが、幾度も重なる負傷が許さない。

 

 足音がすぐ後ろで止まった。

 

 たとえ致命傷を負っていようが、いや、だからこそ用心深いキャスター<魔術師>が手負いの獣に近付くなどありえない。槍の持ち主。ランサー。

 

 ざわざわと茂みが鳴り、暗闇からあの黒い帯に似たものが溢れ出してきた。

 いけない。

 アレに触れられてはいけない!

 圧倒的な強敵を前にした時とは違う、身体が“アレは駄目”と、自身の天敵なのだと叫ぶ。

 

 ごりゅ と腹腔を貫いた槍が捻られた。

 

「ギッ……ァ……!!」

 

 ランサーが無造作に己の得物を掴み、淡々と、表情一つ変えずにねじったのだ。柄を飾る装飾が肉を掻き回して神経を潰し、骨を鳴らす。焼きごてを内臓に押し付けられたかのような発狂しかねない激痛に意識は白濁し、僅かばかり残っていた活力も根こそぎ失われてゆく。

 そのまま持ち上げられ、振り捨てられた。再び傷を抉りながら穂先が抜け、血の尾を引きながら叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い槍兵の視線の先で、倒れ伏した敵の指先が弱々しく落ち葉を掻いた。

 周囲の暗がりから湧水の如く湧き出すのは、清らかな清水とは似ても似つかぬ呪いを煮詰めた汚濁だ。

 夜の森に何かが這い回る不吉な音が増えてゆき、もう目も碌に映らないだろう騎兵を包んでゆく。

 

 戦を知らぬ身で英雄たる自身から良く逃げた敵は、我が槍をその身に受け、ここに力尽き倒れ伏した。散々に掻きまわされた傷は疑う余地も無く致命傷。

 元々ライダーというクラスは騎兵という兵種の特性として耐久力に優れず、眼前のサーヴァントは己のように生死を彷徨う様な戦いを経験した戦人でもない。当然ながら『戦闘続行』や『心眼』に代表される逆境を凌ぐ為のスキルを所有するに至るわけも無く、このような窮地からの生還は難しいだろう。

 

(令呪の助けもあろうが、よくぞ此処まで逃げ延びた。流石は反英雄)

 

 心の内で賛辞を呈する。だが……

 

「何!?」

 

 抵抗はおろか意識すら失ったと判断していた脳裏に、離れて援護に徹していた魔女から警告が走る。

 

 次の瞬間、完全にライダーを覆い、黒い塊としか見えなくなっていた聖杯の泥が、轟音を立てて飛び散った。

 飛沫となって降り注ぐ汚濁、その中にあって、呪泥を凄まじい魔力の障壁によって弾き起立する一対の純白の翼。

 

「―――馬鹿な」

 

 嘶きも高らかに、そこには自ら光を放つような幻想の獣がいた。

 

「まさか……ペガサスだと!? 自ら現界したとでも言うのか!?」

 

 黒く染まった心にさざ波が走る。

 主君という枷に縛られ、死後すら忠義などと虚しいもの求めて彷徨っていた過去が、僅かな波紋を落とす。

 

 聖杯より、ライダーの真名についても刷り込まれていた。故にあの幻想種が、ポセイドンの子を孕んでいたメデューサが斬首されたおり、その血より生まれた“子”である事も知っている。つまりあのペガサスは自らの親を救う為、己の命を(かえり)みず現世へ渡ったという事。

 自身の養い親であったオェングスの様な妖精族に代表される神秘の具現、幻想種は、この世界から神秘が失われるにつれてその存在を薄れさせ、殆んどの者が自らを保つ為に異界へと旅立って行った。

 

 それより遥かな年月が過ぎ去った現代。

 

 幻想種にとってこの世界は猛毒と例えるのも生温い、存在ですら許されない世界だ。例外があるとするならば、それは宝具や概念を操る存在によって招かれ、その魔術によって守られている場合しかあるまい。

 にも拘らず、このペガサスは母を守るために、まさしく命懸けで現界したのだ。

 

 

 息を呑む魔女に手出しを断わる旨を伝えた。

 もはやこの身は騎士に在らず。

 だが、これ程の覚悟を幻獣とは言え獣ですらも見せた。それを汚すなど、魂の善悪等ではなく、このディルムッド・オディナたるの生き様が許さん。

 

 二槍が構えられる。

 翼を広げた猛禽の如き姿は槍兵の構えとは到底見えず、しかし尋常ならざる気迫と威圧が吹き上がる。

 

 烈火の眼差しが見据える先、相対するは背に瀕死の母を背負う天馬。古き世に生き、時の流れに消え去った筈の幻なる獣。父に偉大なる海神をもつ半神の幻想種が、蹄を鳴らして黒き英雄を見下ろす。

 

 輝く馬体より英霊と、いや、精霊や神霊と比して遜色無い膨大な魔力が溢れ出る。濃密過ぎる力は人には到底成し得ぬ完全な制御の元、精緻にして強靭無比の障壁を築き上げた。

 それは正に城壁。

 技巧の限りを尽くして数え切れぬ石を組み合わせ、分厚く、高く積み上げられた絶対防衛線。万の兵、万の矢、千の弩、百の梯子、十の投石器、全てを跳ね除け命を刈り取る究極の『兵器』。

 

 かつて見上げた如何なる城壁も及ばない強大な壁を前に、槍兵もまた己が魂を奮い立たせた。

 黄の短槍を捨て、赤の長槍のみ脇へ手挟(たばさ)む。

 ふと思い出した。

 最愛の妻の警告を無視し黄の短槍を携え、古き罪の呪いに守られた猪に腹を裂かれた、あの最後の戦いを。

 今、かつて無い決死の戦いを前に、黄の槍ではなく赤の槍を選び取った。

 

(グラーネ)

 

 もはや忠義など犬にでもくれてやろう。

 だが、聖杯に従い全ての英霊を打ち倒し、黒き杯を満たす事が出来れば。サーヴァントたる自身の新たな願いが叶うやも知れぬ。

 

 それがたとえ穢れた聖杯だとしても、たとえ願いの対価に遥か先のこの世界が炎に焼かれようとも、構わない。己の愚かさで命を落としたあの時に立ち戻り、悲しむ彼女を再びこの腕に抱く事が出来るのなら。

 ―――今度こそは、あの老人よりグラーネを守りきってみせる。

 

 穢れた杯より注がれる無尽蔵の魔力を迸らせ、ギリギリと激発へ向けて四肢をたわめる。英霊の限界すらも超える魔力の高まりに仮初の身体が軋む。だが加減など一切しない。その様な事を考えれば、命を、望みを失うのだから。

 両者共に譲れぬ物がある。容赦も保身も無用の長物。

 持ち得る全てを、この一槍に。

 

 

 

 静謐。

 

 空間が歪むかと潜むキャスターが思うほどの極限の対峙に、しかし音だけは何一つしない。下草を走る蜥蜴すら動かず、木々の葉すらも舞い落ちない静寂。

 

 

 

 

 やがて、僅かな霧が産んだ湿りが水滴となり、枝を伝い葉を滑り―――

 

 

 

 落ちた。

 

 

 


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