ありがてぇ、ありがてぇ。あと日刊30台ありしゃすッ!
私、音々音にとって呂布奉先という存在は絶対的だった。
肢体は猫のようにしなやかで柔らかく、膂力は熊を相手にしても見劣りせず、戦場を地に伏した虎のように駆け抜ける。決して臆することなく最前列で敵を待ち受ける姿は百獣の王と称される獅子よりも勇猛で美しくて、身の丈以上もある方天画戟を片手に軽々と敵を薙ぎ払う姿は正に鬼神の如し、人は彼女の前に立つだけで死の運命が決定付けられる。
その想いは盲信に近い領域にある、呂布奉先は無敵で最強だ。世の中には一騎当千と云う言葉があるが、
故に今、目の前で起きている状況に理解が追いつかなかった。
褐色の少女が三つ編みに纏めた髪を揺らしながら高速で動き出した。
宝剣が青く閃いたかと思えば、次の瞬間には金属音が何重にも重なって響き渡る。右に動いたかと思えば左へ、下に潜り込んだかと思えば上から宝剣を叩きつける。縦横無尽に刃を叩きつける姿はまるで獰猛な野獣が嬉々として獲物に襲いかかる姿と重なって見えた。剣術の基礎がごっそりと抜け落ちたような身のこなし、立ち振る舞い。しかし技と技の繋ぎが、あまりにも早過ぎた。私は所謂、強者という存在を見慣れている。心技体の全てを高次元で兼ね備えた
今、私の目の前で起きている光景は明らかにおかしかった、信じられなかった。
私の目に狂いがないとするならば――褐色の少女は恋殿よりも素早い動きで連撃を繰り出しており、恋殿は防戦一方で攻めあぐねているように見えた。片手で悠々と振り回される方天画戟は誰にも止められないはずだ。しかし今は身を縮こまらせて、必要最低限の動きで敵の猛攻を凌ぎ切るのが精一杯で、一歩、また一歩と押し込まれていた。
呂布奉先が、天下無双が、恋殿が、たった一人を相手に苦戦している。
その事実を私は受け入れられなかった。
「ぅ……ぐぅっ!」
恋殿の口から苦痛の声が漏れる。
今までは準備運動とでも言わんばかりに褐色の少女はもう一段階、更に動きを速くした。恋殿が方天画戟を苦し紛れに横へと振り払った。しかし、それを褐色の少女は上半身を後ろに逸らすだけで避ける。次に相手が動き出すまでの僅かな時間、恋殿は攻めずに大きく一歩距離を取る。間合いが開いた。ここで漸く恋殿がいつもよりも前傾姿勢を取り、攻める姿勢を見せる。いつも軽々と振るう方天画戟を両手に握り締める――次の瞬間、褐色の少女が立っていた場所が弾け飛んだ。砂煙が舞い上がる、恋殿が動き出すよりも速く、褐色の少女は懐深くへと潜り込んだ――青い剣閃が三つ、ほぼ同時に閃いたように見えた。金属音は一つ、三つの音が重なった。私の目では追いつけない速度で褐色の少女は、気付いた時には恋殿の背後まで駆け抜けており、両足で地面を削りながら身を反転させる。僅かに遅れて、恋殿の鮮血が地面を真っ赤に染め上げた。
褐色の少女は構えを解くと、トントンと宝剣で肩を叩きながら嬉しそうに口角を上げる。
「驚いたな、これを受け止めるか」
恋殿は立っていた。左肩と脇腹、それに右の太腿から血を流しながらも両足で地面を踏み締める。左腕をだらんと下げた姿で、荒い息を吐きながら少女を睨みつけていた。僅かに揺れる体、右足を振り上げると一気に地面に叩きつけて活を入れる。太股から血が吹き出すのも厭わず、細く長い息を吐き出すことで呼吸を整えた。どれだけ贔屓目に見ても恋殿の方が分が悪い、褐色の少女の武は明らかに恋殿を上回っている。それでも恋殿の戦意は欠片ほども失われていなかった。
「名乗れ、我が記憶に名を刻むことを認めてやる」
そんな少女の傍若無人な振る舞いは目に入らなかった。
私の目は今、ただ一人の少女だけを映している。胸元を握り締める、歯を食い縛る。心に熱いものが込み上がる、叫びたかった。喉が張り裂けるほどに叫びかった。涙が溢れ出すのを止められない、同時に瞼を閉ざすことも許されない。
私はただ、見守ることしかできない。
「呂布、奉先……」
彼女こそが私の認めたご主人様、彼女こそが私が慕うただ一人の存在、彼女こそが揺るぎなき天下無双。
「我の名前は項籍、字は羽。昔は西楚覇王と名乗ったこともあるが――今や名誉も肉体も失われた。我に残されているのは、愛、それだけだ」
たとえ相手が古の覇王であったとしても私が惚れ込むのは恋殿、ただ一人だと断言する。
「愛は全てにおいて優先される」
「……行く」
「ああ、来るが良い。貴様の愛を我にぶつけてみよッ!」
信じていない訳ではない、だが失うわけにはいかない。いや違う、私が失いたくない! 私が恋殿に惚れたのは武だけではない。私は手を天高く振り上げて、思いっきり腕を振り落とした――今です、と。後ろに控えさせていた弓兵から褐色の少女に目掛けて矢が放たれた。
「ほうっ! その程度の小細工で、この我を止められると思ったか!」
「止める――っ!」
放たれた矢に合わせるように恋殿が攻撃を仕掛ける。
前後左右からの一斉攻撃であれば流石に――その瞬間、褐色の少女の体がぶれて見えた。四方八方、滅多矢鱈に繰り出された青き剣閃、恋殿の攻撃をいなしながら迫る矢を全て叩き落とした。たった数秒の出来事、全てが終わった時、恋殿は顔から地面に叩きつけられていた。
全くもって理解ができない。肌に浅い切り傷を残すだけで、涼しい顔で佇む褐色の少女を前にぶるりと身が竦んだ。
「見事」
ただ一言、そう告げると少女は宝剣を逆手に持ち変えた。
切っ先を恋殿の背中に向ける。それを見た瞬間、全身の震えが止まっていた。気付いた時には駆け出していた。
敵うはずがないと分かっていても止まることなんてできなかった。
「ちんきゅぅぅぅぅーきぃーっくッ!!」
その横っ面に目掛けて放った飛び蹴りは片腕で簡単に受け止められる。
「我に挑むか! その
「……ぐぅっ!!」
「だが無謀が過ぎたなッ!」
そのまま足首を掴まれて、背中から地面に叩きつけられる。
仰向けに倒れたすぐ横に恋殿の顔があった。驚愕に目を見開いている。ああ、良かった、数秒だけでも時間を稼げたんだと思った。恋殿に手を伸ばす、でも小さな体はすぐ近くにあるはずのものにさえ届かない。霞む視界、輪郭くらいしか分からなくなっても、その表情は鮮明に思い浮かべることができた。
ねねは恋殿の参謀です、と微笑みながら瞼を閉ざした。
†
地面に倒れる幼子を見下しながら、どうするべきか逡巡する。
仮にも子供が相手だ、手心を加えるべきか。しかし部隊指揮を執る姿を見てしまったので放置する訳にもいかない。なぜなら今、最も厄介なのはこの後すぐに軍の再編をされてしまうことである。連れ去ることは難しい、かといって殺すのは寝覚めが悪い。というよりも、どうして幼子を戦場に出しているのか。
溜息を零し、とりあえず勉強料として足の腱でも切っておこうかと宝剣を構える。
「…………まだ、……まだ…………っ!」
呂布と名乗った少女が立ち上がっていた。
荒い息を零している、ちょっと押すだけでも倒れてしまいそうな程に体が揺れている。額から流れる赤い血、さりとて赤い前髪から覗かせる双眸は確と我のことを捉えていた。その姿はまるで子供を守る母猫を彷彿とさせる。
これは窮鼠を噛まれそうだ、と我は意気揚々と二人に背を向ける。
ここで危険を冒すことに意味はない、手負いの虎を相手にしてまで幼子を殺すことに価値はない。という言い訳を得た我は気分良く二人を見逃すことができた。さてと呂布との一騎打ちに興じている間にも戦局は動いている。少し急ぐか、と
無論、見せかけだけだ。
†
呂布隊が突破された、その情報は本陣にいる将兵全てに激震を走らせる。
かくいうボクも動揺を隠せず、奉先を一騎討ちで下したという敵将に畏れを抱いた。呂布奉先という存在は并州軍にとって、それだけ大きな存在だった。彼女が前線で戦っているだけで勝利を確信する、如何なる逆境であっても彼女が戦場にいるというだけで戦意を奮い立たせることができる。
その大黒柱とも呼べる巨大な柱が崩れた。軍師とは如何なる状況においても大丈夫なように策を張り巡らせるというが、奉先が倒される事態なんて想定していなかった。それは奉先の強大な武勇を盲信しての話ではない。もし仮に呂布隊を打ち破れるほどの力を持つ相手ならば、相手の猛攻を防ぐ手立てがないからだ。つまり考えるだけ無駄、呂布隊を突破された時点で敗北は確定している。
だが、精鋭の呂布隊を相手にして、流石に敵も無傷という訳にはいかなかったようだ。
今は本陣に真正面からぶつかろうとしているが、あれは見せかけだけだ。本命は本陣の防御を固めさせたところで、手薄になった脇から包囲を突破するというものである。だからといって、このまま本陣を固めずに受け止めれば良いという話にはならない。逃げ道を失った敵に残された活路は敵本陣への中央突破、つまり全体指揮を執るボクか、総大将である月を討ち取ることにある。
ボクはともかく月を危険に晒す訳にはいかない――と、ボクは本陣を固める指示を飛ばした。
このまま逃しても拠点は破壊できる、既に作戦目標は達成している。つまり勝利条件は達成しているのだ。これ以上の戦果を求めることは、欲が過ぎた結果に成り兼ねない。あの危険な相手を今のうちに殺しておきたい気持ちを抑え込んで、月と恋歌に退がるように告げる。
しかし、月の傍にいた恋姫が、ふらりと前に出る。
「…………旦那、様……生きておられましたのですね……ッ!」
目から涙を零しながら光悦の笑みを浮かべている。
「思い出しました……虞姫は……貴方様の虞姫はここに居ますッ!」
そう言うと最前線に向けて駆け出してしまった。
「恋歌ちゃんッ!?」
それを追いかけて月までもが弓を片手に飛び出した。
月を危険に晒す訳にも行かず、ボクも後を追いかけようとしたが「賈駆様、張遼隊からの報告です!」と伝令に呼び止められた。二人が人混みに紛れてしまったのを確認して、ボクは歯を食い縛り、深く目を閉じて頭脳を全力で回転させる。ボクは参謀だ、考えることしかできない。いや違う、考えることこそがボクが持ち得る最大の武器なんだ!
目を開ける、焦燥する想いをそのまま力に変えてやる。
「報告ッ!!」
「は、はい! 包囲完了、呂布隊と挟撃する形で圧力を掛けるとのことです!」
「その呂布隊が突破されているのよ!!」
怒鳴り散らすと伝令は顔を青褪めた顔を俯かせた。
なにやっているんだ、ボクは! 顔を逸らして爪を噛んだ。思考に淀みを生むな、怒るな。怒るなら冷静にだ。怒りを八つ当たりで発散してどうする。
全ては月の為に、この際、勝利なんてどうでも良い。
「右翼の包囲を緩めて、左翼から圧力を掛けて! あれは手負いの虎だ、追い詰めると致命傷を負いかねない!!」
ボクにできることは一刻でも早くに戦を終わらせることだ。
貧乏揺すりを始める。打てる手は全て打つ、考えろ、全力を尽くせ、持てる余力は全て使い切れ。
ここから先は総力戦だ、今持てる全てで月を助けるんだ!