『魔王と覇王』   作:にゃあたいぷ。

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9.愛故に、故あって

 我が名は項籍、字は羽。真名は愛愁(あいしゅう)

 嘗て大陸で名を馳せた天下無双の武人であり、ただ一人の女性を愛して戦場を駆け抜けた雄である。

 我と覇を競い合った瑚桃(こもも)が天下を手に入れて以来、世の中は随分と変わってしまったようだ。今は昔、大陸は男性主権の社会思想で凝り固まっており、女性蔑視の傾向が強かった。まず女は政治に参加することを良しとされず、男は外へと仕事に出て、女は家を守ることが当たり前とされる考え方が民草にまで浸透していた。そんな中で女性の身でありながら覇を唱えたのが劉邦、つまり瑚桃である。

 瑚桃は当時の基準で云えば、滅茶苦茶な奴だった。あの時代でいる理想の女性像と云えば、清楚で慎み深く、それでいて上品な美しさを兼ね備えた者のことを云う。女子供は男に守られることが常識だ。しかし瑚桃は女の身でありながらも男相手に一歩も退かず、納得がいかないことは遠慮なしに物申す。刃物で脅されれば、やれるものならやってみろ、と睨み返したそうだ。実際、任侠時代、瑚桃の周りでは喧嘩が絶えなかったという話を聴いている。これで腕っ節が強ければ云うことがないのだが、彼女は喧嘩が強いという訳ではない。ただ諦めが悪かった、根性が据わっていた。どれだけ殴られても決して倒れず、食い下がり、最後は決まって頭突きの一撃だ。鼻血を拭い取りながら、どんなもんだい、と青痣だらけの顔で気持ちよく笑ってみせる奴だった。

 彼女は納得する為に行動していた、そのことに一切の妥協を許さない人だった。

 瑚桃には彼女なりの道理があり、その為に真っ直ぐな道を貫き続けた。その生き様は時に無謀で危なっかしくて、放っておけば見知らぬ場所で死んでしまいそうだったから誰もが彼女から目を離せなかった。そして瑚桃の強い輝きを放つ瞳は、失うに惜しい魅力を宿していた。

 かくいう我も彼女に魅せられた一人だった。

 天下を取るには我と瑚桃、二人だけで世の全てを従えることができる。と本気で信じていた。

 殺すには惜しい。と鴻門の会で出会い、口説き、そして覇を違えて、瑚桃と密約を交わした。

 

『我が勝てば、瑚桃は我のものとなる』

『私が勝てば、愛愁は私のものになる』

 

 良いよ、楽しそうじゃん。負けた時は尽くしてあげる。

 不敵な笑みを浮かべる瑚桃を見逃して、それで負けてしまったのだから目も当てられない。

 瑚桃は智も武も持たず、人との絆のみで天下人まで駆け上がった。

 

 

 漢王朝、前後合わせて四百年近くもの期間を国体を維持し続けてきた巨大国家だ。

 よくもまあ立派な国家を築き上げたものだと旧友に想いを馳せる。感慨深さはあっても恨み言はない。しかし成り行きとはいえ漢王朝に弓を引く立場になるとは。少なからず因縁を感じざるを得なかった。

 馬を駆けさせる、馬上で腕を組みながら敵陣を見据える。雨のように降り注ぐ弓矢が我を捉えることはない。そのまま真っ直ぐに駆け抜けろ、と我の意思を足から伝達させると駿馬は更に速度を上げて草原を駆けた。良い馬だ、と鬣を撫でてやると駿馬は嬉しそうに首を振った。そして敵が本陣の防御を固めた頃合いで後続に敵左翼から包囲網を突破するように指示を飛ばす。わざと包囲を緩められた敵左翼、代わりに敵右翼からの圧力が強い。敵陣形の変更に多少の迷いが見られたことから罠を警戒する必要はなかった。

 どうにも相手には話がわかる奴が居るようだ。

 我からの提案は拠点放棄する代わりに余力を残しての包囲突破、これに敵は包囲を緩めて逃げ道を作ることで承諾した。刺し違える覚悟で我を殺しきるつもりであれば、本陣を固めずに包囲を狭める一手を打っていた。その時は我も死ぬ気はないので敵総大将か敵指揮官の頸を落とすしかなかったが――いやはや、蛮勇を振るわずに済みそうだ。

 爰剣(えんけん)との契約の履行を確信した我は、気分を良くしながら古き過去、郷里に想いを馳せるように口遊んだ。

 

 力拔山兮、氣蓋世。 我の力は山をも動かし、氣は世の全てを蓋い尽くす。

 時不利兮、騅不逝。 しかし時世の利は我に非ず、騅までもが足を止めた。

 騅不逝兮、可奈何。 騅すらも己の死期を悟るのに、我に何が出来ようか。

 虞兮虞兮、奈若何。 虞よ、虞よ。我がお前に遺せることはあるだろうか。

 

 全てを失った我が最後に想うのは虞姫のことだった。

 恋歌さえいれば、他にはなにも要らぬ。愛故に人が苦しまねばならぬのであれば、その苦しみをあるがままに受け入れよう。肉体も、名誉も、失った今、我の全ては虞姫への愛に捧げることができる。前世では満足に愛してやれなかったから、今世では愛だけの為に生きると決めていた。だから我は有りっ丈の想いを込めて、恋歌だけに捧げる愛を謳いあげる。

 返事は期待していない。たとえ肉体を失っても、この想いだけは失えない。

 

 漢兵已略地、 漢兵は已にこの土地の攻略を終えて、

 四方楚歌聲。 四方からは楚の歌聲が聞こえてくる。

 大王意氣尽、 それで大王の意氣が尽きるのならば、

 賤妾何聊生。 どうして私だけが生きてられようか。

 

 不意に聞こえてきた詩に、我は振り返る。

 敵陣から飛び出してきた幼いながらも面影が残る。懐かしくも鮮明に思い出せる顔に、我は首を返した。爰剣の仲間達が呼び止めるのも厭わず、死地と分かって飛び込んだ。我一人に向けて放たれる矢は青い剣身の宝剣で払い落とす。駆けろ、ただ一直線に、最短距離で駆け抜けろ。全ての障壁は我が武を以て、打ち払わん。もどかしい、ああ、もどかしい。あと数分で届く距離が実にもどかしい。あゝ、恋歌よ。我が唯一愛した想い人よ。今、そこまで向かうから待っていてくれ! あと数歩、このまま連れ去ろうと手を伸ばした――瞬間、眼前に矢が迫った。咄嗟に身を捩り、鼻先を掠めて馬から転がり落ちる。

 受け身を取って勢いのままに立ち上がれば、弓を片手に持った大人しそうな少女が我を睨みつけていた。

 

「恋歌、下がって……」

「貴様、恋歌の真名を口にするとは……ッ!!」

「お母様、待って! 話を聞いて!」

 

 お母様!? 恋歌から出た言葉にあんぐりと口を開ける。

 そして直ぐ様に思考を開始する。かつては常勝将軍、戦の申し子と呼ばれた頭脳を如何なく発揮して現状の把握に努めた。優れた将は決断が早くなくてはならない。剛毅果断、それこそが数多の修羅場を切り抜ける秘訣である。

 故に我は両足を畳み、背筋を伸ばした姿勢で地面に座る。宝剣はすぐ傍に静かに置いた。

 

「御義母様、我と娘との関係を許してください!」

 

 両手を地面に付けて深々と頭を下げる。即ち、土下座だ。我が知る中で最も誠意を表した姿勢である。

 

「ふ、ふ……ふざけてる!?」

「我は本気だ! 何処の馬の骨とも知れぬ者に娘を預けることは不安だろう! それ故に時間が欲しい、必ずや我の愛が本物であることを御義母様が納得するまで証明し続けてみせるッ!!」

「御義母様って呼ばないでください!?」

 

 ぐぬぬ、急な親御様との面会に準備不足が祟る。

 こうなることがわかっていれば、もっと身嗜みを整えていたし根回しもしていた。手土産だって用意してきた。この場において我が切れる手札はない。故に我が示せるのは誠意のみだ。ここで我の全てを信じて貰おうとは想っていない。だが、この場における我の想いだけは本物であると信じて欲しい。

 認めてくれとは云わない、だがせめて──!

 

「今すぐに我の人間性を信じて欲しいとは言わない! だが、どうか、どうか! 恋歌との交際を許して頂きたいッ!!」

「恋歌の真名を……っ!」

「せめて顔を合わせて話をするだけでも構わない! 必ずや我のことを認めさせてみせます!! 我は恋歌を――ッ!」

 

 ヒュッと矢が頰を掠めた。

 御義母様が新たな矢を弦に添える。正座した姿勢のまま顔を上げると、御義母様が静かにゆっくりと我の眉間に照準を定めた。なぜか、どういう訳か怒らせてしまったようだ。いや、むしろこの反応は親として当然、恋歌は愛されてる証だ。

 ゆっくりと息を吸って吐き出した。

 我もここで退くわけにはいかない、ようやく会えたのだ。鞘に封印されている時も恋歌の気配は感じていた。それが失われて、我は恋歌だけを求めて彷徨い続けてきた。その期間は一月経たずとも、我の体感は百億年にも勝る苦痛の日々だった。故に我は此処では退けない。

 撃つなら撃て、例え眉間を矢で撃ち抜かれようとも我は死なん。愛故に!

 

「貴方は三度も愛娘の真名を呼びました……訂正してください。でなければ、今、此処で死んで頂きます」

「うむ、受け止めよう! 娘を奪われて激昂せぬ親などおらぬ! 故に、それで御義母様の気が済むのであればッ!!」

「だから御義母様と呼ばないでと……」

 

 正座した姿勢のまま、顔を上げる。

 

「お母様、話を聞いて!」

「恋歌、退がってて。私が守ります」

「お母様っ!」

 

 ああもう、と地団駄を踏んだ恋歌が我の前に立って、我を庇うように両手を広げた。

 

「どいて恋歌、そいつを殺せない」

「愛愁を傷付けないでください、お母様」

 

 実母を睨みつける想い人に胸に熱いものが込み上げてくる。

 その時、ドクンと魂にズレを感じた。

 まずい、憑依が解ける。我は宝剣を握り、それを押し付けるように恋歌を突き飛ばした。

 

 そこで意識が途切れた――意識が戻る。

 

 目の前には憎き敵の総大将がいた。

 私は地面に落ちていた雑兵の剣を拾い上げると、そのまま総大将に向けて駆け出した。この場を切り抜けるには、総大将か幼子を人質に取るしかない。無理ならば刺し違えてでも殺し切る。その覚悟で二人に襲いかかったが、青い剣閃が鼻先を掠めて出鼻を挫かれた。

 青い宝剣を抜いた幼子が立ち塞がる。

 

「……すまない、爰剣。我には二人と戦うことはできない」

 

 そういうと幼子はゆっくりと構えを取った。

 申し訳なさそうに「せめてもの筋だ、生きて羌族の地に返してやる」と口にすると静かに私を睨みつける。幼子の体から天をも覆いそうな強大な気迫が放たれて、私の体を吹き抜けた。

 冷や汗が溢れる、体が震える。心が臆した。

 

「退け、爰剣。今なら我が敵を抑えてやる」

 

 そいつは、そんなことを澄まし顔で抜かしやがった。

 

「糞が、糞が……ッ! 糞がぁぁぁぁッ!!」

 

 怒声を張り上げた。地面を蹴り、裏切り者に向けて剣を振り上げる。

 どの面下げて、そんなことが言える! 幼子を殺して、董卓も殺す! そして漢兵全てを殺しきってやる!

 御免、という一言の後、首筋に衝撃を感じ、再び意識が闇に堕ちる。

 

 

 




爰剣さん可愛そう。
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