『魔王と覇王』   作:にゃあたいぷ。

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10.戦後の面倒事とか諸々

 并州太原郡にある城塞都市、

 文遠に用意された大きな屋敷で私、月は執務机に置かれた大量の書類と格闘している。

 羌族の脅威を退けた後、病を重くした丁原の代わりに私が執務を取っている。并州刺史の前任者ではあったので勝手は知っているが、羌族と長く争っていた為か私が治めていた時よりも軒並みに生産力が落ちているようだった。戦後復興は急務、とはいえ羌族が建てようとしていた拠点を破壊せずに確保できてしまったので防衛線を押し上げることはできている。これはもう是非とも田畑をたくさん耕して畜産の事業を拡大しなくてはならないと計画を練った。美味しいご飯に親しい隣人、愛すべき家族、それに平穏で安定した生活があれば、かねがねの人にとっては幸せなのだ。

 并州はこれから暫くは安定するだろうから物資にも余裕が出てくるはずだ。そうなれば河東郡から大量の物資を送り込む必要もなくなるので、今までは軍で占領していた大きな街道を民草に解放できるようにもなる。そうなれば司隷と并州は今まで以上に経済の結びつきを強めることができる。その上で更に羌族の脅威がなくなったので、今まで并州を避けて司隷に向かっていた冀州や幽州の商人も迂回せず并州を通るようになるはずだ。そうなれば都市は発展する、経済が潤うって素晴らしい。浮いた資金で家畜を増やさなきゃ、田畑を耕さなきゃ、借金してでも儲けなきゃ……儲けが増えたら増えるだけ借金が増える摩訶不思議体験の記憶を頭を振って追い出した。

 それにしても河東郡に加えて、并州の統治。

 流石に仕事量が追いつかなくなってきている。武官や文官の応募を掛けているが、まだ并州に足を運ぶ人が少ないので、いまいち成果を上げられていなかった。おかげで記憶を取り戻した恋歌には河東郡で事務仕事の手伝いをして貰うことになった。猫の手も借りたい状態とはこのことだ。陳宮は勿論、逃げ出す文遠には派手な外套を弓矢で壁に縫い付けて捕まえた後、楽しい楽しい書類仕事に従事させている。泣くほど嬉しいようで私も幸せだ。私に面倒を押し付けた分の責任は取ってもらう、絶対に逃がさない。既に奉先は手懐けた、陳宮に倍の仕事を課すと云えば、二の句を繋げず、青褪めた顔で部屋を飛び出し、仕事に耐えきれずに逃げ出した文遠を簀巻きにして連れ戻してくれる。

「こんなん横暴や! 暴君や!」と泣き喚けば「私に不満があるのでしたら、いつでも立場を譲りますよ?」と言って黙らせる。実際、今すぐにでも押し付けてやりたいが、文遠の力量では并州の統治がままならないので仕方なく私が刺史代行を務めている。

 少し前までは涼州を懐かしく思っていたが、今となっては河東郡すらも懐かしく想える。

 早く帰りたいなあ、と思いながら溜息を零していると「失礼するのです」と少しやつれた顔の陳宮が部屋に入ってきた。彼女が手に持っていた書簡に朝廷の調印がされているのを見て、露骨に眉を顰める。

 また面倒な役職が増えるのかな、これ以上は重荷でしかないんだけど――と思いながら受け取った書簡の封を解いた。

 

 

 司隷河東郡、お母様の屋敷で執務を行なっている。

 名目上、太守の代行は徐栄が務めているが政務の執り仕切っているのは私、恋歌であった。

 とはいえ私は読み書き算盤ができても、経済や都市運営は触り程度にしか分からない。しかし私には心強い味方がいる。腰に佩いた宝剣“青峰”を優しく撫でながら心の内で語りかければ、愛しい人、旦那様が私に助言を与えてくれた。なんと私の旦那様には都市どころか国一つの運営をしていた経験があるのだ。詠も手伝ってくれるし、ものの数日で要領を掴んだ旦那様のおかげもあり、今では無理のない速度で執務を処理することができている。とはいえ、これもお母様が現場に居らずともできる仕事を并州で熟してくれているおかげであった。私がしているのは現場の意見を聞き入れる必要があるものや、今すぐに判断しなくてはならないといった仕事が中心となる。

 余った時間で旦那様と一緒に甘味を巡ったり、鍛錬に付き合って貰ったり、夢の中でいちゃいちゃしてたりしている。

 他には座敷牢に通い詰めるのが日課になっていた。適当な手土産を片手に牢番へと挨拶し、布団で横になっている褐色の少女に向けて格子越しに声を掛ける。むくりと体を起こす、その不貞腐れた顔は何時ぞやの戦場で見た顔だった。

 

「裏切り者め、よくもまあ面を出せるな」

 

 爰剣(えんけん)、そう彼女は名乗っている。

 并州で戦った羌族の頭領だ。旦那様からの願いで命だけは生かすように頼み込み、厳重な監視の上で座敷牢に閉じ込めている。個人的には嫌いではない、というよりも旦那様が憑依していた時が初見だったので悪感情を抱けないというのが本音だったりする。少なくともひと目見て惚れちゃったし、今はそういう感情とかないけども、一度抱いた好感触を拭いきることは難しかった。

 さておき今日は良い報せと悪い報せを持ってきた、ということで旦那様に主導権を譲る。

 

 私は意識を失うことなく、我が肉体を掌握する。

 

「その件に関しては申し訳ない。こんなにも早くに再会できるとは思っていなかったんだ」

「その口調は怨霊だな? 詫びるくらいなら此処から出せ、そして董卓の居場所を教えろ」

「出すだけなら兎も角、そう言われてできるわけがないだろう。養子とはいえ我が妻の御母様、つまり我の御義母様だ。害するような真似などできぬ」

「良いから此処から出せ、今すぐに襲うことはやめてやる。そして俺の手で羌族の誇りを取り戻す」

「その為の手は尽くしていたのだがな……」

 

 気まずさから彼女から目を逸らす。

 我が最愛の妻に頼み込んで、どうにか彼女を羌族の土地に戻すことを画策していた。その一つの案として考えていたのが停戦条約を結ぶことであったり、身代金と引き換えといったものであったが――しかし、と手荷物から書簡を取り出して彼女に放り投げる。

 先ずは悪い報せからだ。不思議そうに書簡を開いた彼女は、みるみるうちに顔を真っ赤にさせると力任せに書類を引き千切った。

 

「ふざけるな! なんなのだ、これは!!」

 

 中身は爰剣の返還拒否、好きに処刑しろといった内容だった。これに関しては我に心当たりがありすぎて、酷く申し訳なく思っている。

 

「敵大将を前に土下座、命乞い。破談からぶち切れた頭領は敵大将に斬りかかった上で護衛に倒される」

「だから、それはなんだと言っている!!」

「……我の求愛は周りからはそう見えていたようだ」

 

 本当に申し訳なく思っている。

 爰剣を中心にした反乱軍はあの後すぐに解散しているようで、今になって首謀者に戻って来られても困るという事情もあるようだ。流石にこのままではあまりにも不憫、ということで良い報せも持って来てある。

 ふざけるな、といった罵声をひと通り聞き流した後で我は口を開いた。

 

「お前は聡い、これでは羌族に戻るのも難しいことは自覚してよう」

「お前のせいでなっ!」

「だから代わりのものを用意させて貰った」

 

 そう言って、複製した書簡を手渡した。

 

「……これは?」

「漢王朝にある家柄の者として認める書類だ。呂布の縁戚には既に潰えた家柄があったのでな、それを使わせて貰っている。姓は魏、名は続だ。羌族と漢民の混血で、批判を避けるために今日という日まで隠されてきた子という設定にしてある」

「名を捨てろと云うのか!?」

無弋爰剣(むよくえんけん)、これはお前の名ではないだろう。借り物を返すだけだ、そして捨てた名に愛着もあるまい。今一度、名前を変えたとしても問題はないと思うが?」

 

 べつに真名を捨てろと言っている訳ではない、と腕を組んでみせる。

 

「ここで死ぬというのであれば我はお前の気持ちを汲んでやるつもりだ、できるだけ楽に殺してやる。我は選択肢を与えるだけだ。漢民族として生きるか、無弋爰剣の名を地に落とした羌族として死ぬか、選ばせてやる」

「落としたのは貴様だろうがッ!」

「確かにそうだ。しかし我が弁解したとて誰が信じる? 仮に極一部がそれを信じたとしても民草全てが信じる訳ではあるまい」

 

 ぐぬぬ、と爰剣が歯を食い縛る。

 それを無言で見下ろしていると恋歌が我に代わるようにと促してきた為、我は黙って主導権を返した。

 正直過ぎるのも困りもの、と私は溜息を零して、褐色の少女を見つめる。

 

「爰剣さん、漢民族の為に力を尽くせとは言いません。ですが、このまま死なれても惨めなだけではありませんか?」

「……貴様は、元の魂か」

「ええ、私は董白。真名を恋歌と申します」

 

 旦那様が心で怒鳴るのを無視して、深く頭を下げる。

 

「……真名はお前たちにとって大事なものと聞いているが?」

「はい、大切です。しかし話を聞いて貰う為には先ず、誠意を見せなくてはなりません。真名を預けることは私にとって貴方に示せる最大の誠意です」

「恋歌、そう言ったな?」

 

 はい、と静かに頷き返す。愛しい人以外に真名を呼ばれることに不快感はある、しかし今は耐えるべきことだと思った。

 

「貴方の心がまだ羌族にあるならば、これは好機なのですよ」

 

 爰剣が私を睨みつけたまま耳を傾ける、返答がまだないことを確認してから続きを口にする。

 

「私のお母様、つまり董卓は今や涼州と并州、それに河東郡に強い影響力を持つ人物となっています。その彼女に従うことで得られる情報は莫大なものとなるでしょう。それは漢王朝と戦う上では軍を率いて戦うことよりも稀少な戦果であり、仮に戦わないにせよ、ここで成果を上げることができれば羌族の優位になる条件を董卓に提示することも可能です」

 

 漢王朝を裏切らない範囲で旦那様が助けてくれますよ、と付け加える。

 私個人としては漢王朝には少なからずの恨みがある。というよりも劉邦のことが個人的に嫌いだ。我が愛しい旦那様を誑かす女狐であり、私達の仲を引き裂く死因を作った人物でもあった。しかし月個人に対しては私は好意的に思っているし、末代まで呪うほどに恨んでいる訳ではない。旦那様が漢王朝に復讐するつもりがないのであれば、私も今の幸せな毎日を維持することに努める。望むことがあれば、ただ一つ。旦那様との子を孕みたいとか、孕ませたいとか、それだけだ。

 爰剣はしばらく黙り込むこと数分、そして重たそうに口を開いた。

 

「……私は羌族だ」

「はい」

「それを忘れるな」

 

 ではそのように、と私は魏続に頭を下げる。

 牢獄を出て、街中を歩いてると旦那様が「真名を預けるのはやりすぎだ」と告げる。

 誰のせいでしょうか、と返すと彼は気不味そうに黙り込んだ。

 

「ここからが大変ですよ。爰剣、いや、魏続が裏切らないように懐柔しなくてはなりません」

 

 厄介ごと、それも女性関係とは面倒なものを持ってきてくれました、とわざとらしく溜息を吐けば、旦那様が心の隅っこで身を小さく丸める。実際に三角座りをしている訳ではないが感覚的にはそんな感じだ。戦場では勇猛な旦那様がこうも縮こまる姿を見ていると可愛らしく感じられた。

 愛しい人というのは、戦場でどれだけ猛威を奮い、格好を付けようとも可愛く思えるものだった。

 

 

 数週間後、朝廷にて。

 私、月は謁見の間で深々と頭を下げている。

 壇上には現皇帝である霊帝が椅子に腰を下ろしており、その右側を張譲と趙忠が控えている。

 そして左側には何進と何太后が私を見下す。

 

「董卓、貴様に新しい官位を授けてやる」

 

 そんなものはいらないんだけど、と思いながらも恭しく頭を下げ直した。

 

「中郎将だ、田舎武将には過ぎた身分だ。励めよ」

 

 これで晴れての悪鬼羅刹が蠢く宮勤め、気が滅入る。

 ありがたき幸せ、と心にもないことを口にした。此度の昇進は羌族を退けたことに対する功績という話になっているが、実際のところは涼州、并州、河東郡に対する影響力を強く持ち始めたことによる宦官の牽制だと思っている。でもたぶん思惑はそれだけではない――壇上で霊帝を守るように佇む女性、大将軍何進、元は屠殺業の娘。涼州で私が農牧を営んでいた時からの繋がりであり、気付いた時には大将軍の地位まで昇り詰めていた女性だ。屠殺業の家柄という出身から宮中ではいまいち支持を得られておらず、宦官と手を組むことでかろうじて今の立場を維持しているのだと云う。宦官の提案に乗ったのは逆らえない事情があった為、それとは別に何進が私を呼んだ理由には、使い勝手の良い駒を欲して、ということが含まれていると私は考える。事実として私は宦官から疎まれており、何進と同じく田舎者であるから名家との関係も悪い。つまり私の後ろ盾になってくれる人物は何進しかいないということだ。やけに恩着せがましいのも私を駒として欲する為に、という私の考えを裏付ける根拠だった。

 官位を授けられる前からこれだ、もうお家に帰りたい。

 涼州じゃなくても良い、并州でも河東郡でも構わない。とにかくお家に帰りたかった。

 

 余談だが并州刺史代行は文遠である。

 詠と恋歌、ついでに徐栄も朝廷に連れてきてることもあって、文遠は陳宮に割とがちで泣きついてた。

 

 




本作で并州編は終わりです、ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
そして本作はここで一旦、中断させてもらいます。数日後には別勢力同じ世界軸で書き始めていると思います。あと気が向いた時にちらほら拠点イベント的なノリで間幕を書いていると思います。
具体的には「項羽に負けた恋のその後」「項羽さん、改めて御義母様に挨拶へ向かう」「徐栄さんの不手際の処分」などですかね。
他にもなにかリクエストがあればちょちょいと書くかも知れないです。メッセージに送るか、活動報告辺りにリクエスト用の場所を作っておくので適当に書き込んでください。
後書きに長々を書き込んでも仕方ないので、あとは活動報告にぐだぐだと書き連ねておきます。
それではまたしばらく後に。

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