『魔王と覇王』   作:にゃあたいぷ。

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5.誰かの為に、自分の為に

 并州刺史である丁原が病に倒れた。

 そのことが異民族に漏れてしまったのか活動が活発化しており、最近では異民族が縄張りとする領土と并州の境界線付近に砦を建て始めているという情報が入った。それで砦の防備を固められる前に強襲したいが、それを実行するには并州軍は難しい状況にあった。今は張遼が并州軍をまとめているのだが、まだ若く実績も乏しい彼女では兵達がついて来てくれないとの話だ。

 そこで白羽の矢が飛んだのは、并州刺史として異民族相手に功績を立て続けた私になる。今もまだ私の武勇――ほとんど詠の功績――は語り継がれているようで、私の并州刺史の復帰を望む者も少なくないと云う。

 正直、気は進まない。でも并州が落ちた次は河東郡が攻め込まれることがわかっているから無下にすることもできない。

 

「援軍を出すだけだと……駄目、なんだよね?」

 

 深夜、灯台の明かりを頼りに詠と語り合っている。

 この場に恋歌はいない、先に寝かしつけた。机の上には白い湯気の立つ茶を淹れた杯が二つ、私は手を付けず、詠は頻繁に杯を傾けている。詠の様子を伺いながら問いかければ、彼女は唇を噛み締めるように渋面を作った。

 私は争いが苦手だ。平和とか、改革とか、そういうことは偉い人に任せて、私は戦とは縁のない場所で畑を耕していたかった。

 それが無理だということはわかっている、届かぬ想いだということは知っている。

 それでも願わずにはいられなかった。

 

「月、わかっていると思うけど并州が落ちたら……」

「うん、大丈夫、聞いてみただけだから」

 

 辛そうに眉を顰める詠に、私は笑顔を作ってみせる。

 

 世の中の大半の人間は平和な世界で、平穏な日常を暮らしたいと願っている。

 理想的な生活を想い描く人は多い。でも、それは平和という前提があってのことで自ら危険に足を踏み入れる野心の持ち主は数少ない。衣食住が安定すれば、ほとんどの人が今の生活を守りたいと考える。だから人は兵として、誰かを守る為に戦うことができるのだ。異民族に村を襲われたくない、女性を陵辱されたくない。子供を連れ去られたくない。家財を奪われたくない。奪うのは簡単だ、得るのも失うのも一瞬だ。だから賊はなくならない、略奪は終わらない。でも生み出すことは難しい、その成果だけを奪い取ることは絶対に許されることがない悪逆だ。

 私は大切な人だけを守り切れたら、それで良いと思っている。幸せな明日に必要なのは私が慕う人だけ居れば良い。

 

 私が欲しいのは人並みの幸せ、それを守る為ならなんでもする。

 

「今は恋歌が不自由なく幸せになれる場所を作りたい」

 

 たとえ、この身が地獄に堕ちようとも、どれだけ血に染まろうとも――

 

「私はやるよ、詠ちゃん」

 

 ――私の日常(幸福)は誰にも壊させない。

 

 

 時折、悩むことがある。

 この世界に月を連れてきて本当に良かったのか。

 月は大陸全土を包み込めるだけの大きな器があると思っている。

 荒廃した漢王朝に必要なのは潤いだ。月のように誰に対しても慈悲の心を忘れず、誰であっても慈愛の心で接する存在が今の荒んだ世の中に必要だとボクは思っている。

 だけど世界は日増しに枯れ果てる。

 流した血で真っ赤に染まった赤土は、月の流した涙を容赦なく吸い込んでいった。潤うことはなく、ただただ月の心を搾取していくだけだった。出世を重ねる度に月はやつれて、心を偽り、感情を笑顔で塗り固める。このままでは月が潰れてしまうと思ったから、月を休ませる為にも并州刺史を辞められるように根回ししたこともある。

 しかし月に積み立てた功績は消えず、半年もしない内に河東郡太守に取り立てられた。

 それでも戦場に出る機会が極端に減った為か、それとも恋歌との出逢いがあった為か、日に日に月は感情を取り戻していった。枯れた心は満たされて、今は感情豊かに笑ったり、怒ったりする。見ているだけで満たされる。そんな月のことを見るのがボクは好きだったんだって、改めて気付かされる。

 誤算はあった。月は誰かの為ならば、身を削ることを厭わない人間だった。

 知っていたはずなのに、改めて思い知られる。

 

「ボクは何の為に生きているんだろ……」

 

 幸せがよく分からない。でも、やるべきことは分かっている。

 執務室、机の上に並べられる資料は部隊の編成表だ。此度の派兵は今までの輸送任務とは違っているので根本から書き直す必要がある。時折、雑念で筆が止まる度にボクは頭を振って、意識を集中させる。

 徐栄は并州の守りの為に連れていけない。恋歌は連れて行くべきだ、月の心を守る為にも。

 

「月の為に、月の為ならボクはなんだってできる」

 

 月の幸せがボクの幸せ、月の功績はボクの功績。月が眩く輝いている姿をボクは夢想する。

 月の為に、と繰り返す。言い聞かせるように、自己暗示を繰り返す。

 河東太守の時の月は、異民族討伐に明け暮れた涼州や并州の時と比べると、とても輝いて見えた。

 愛してるよ、呟く一言がボクに力を与えてくれる。

 

 

 河東郡で派兵部隊を編成し、

 沢山の物資と共に并州に訪れた私に待ち受けていたのは、

 息を吐く暇もないほどに多忙な労働だった。

 

「おい、嬢ちゃん! 料理を持ってこい!」

「わかりました〜!」

「こっちにも酒を注いでくれっ!」

「は〜い!」

「おい、料理できたから持って行ってくれ!」

「へうっ……わかりました〜!」

 

 ここは并州軍が駐屯する陣地、その食堂だ。

 駐屯地には異民族を討伐する為に并州中から兵を掻き集められていることもあり、その賑わいは涼州や河東郡で行われる年に一度の祭事を遥かに超えている。それもそのはずで、この駐屯地には五千人近くもの兵達が戦う為だけに招集されているのだ。敵拠点を攻め込むまでの期間、訓練、訓練、また訓練と心身ともに疲れ果てた兵達の唯一の楽しみが食事であったから食堂はいつも賑わっている。

 その場に訪れてた――というよりも連れ去られた私は給仕服を羽織り、両手の盆に酒と料理を載っけて、食堂の中を駆け足で動き回っている。兵達の大声と給仕の怒声に追い回されながら、目の前の与えられた仕事をこなす為に働き続けている。どうして私はこんなことをしているのだろうか。目の回るほどの忙しさの最中、時折、お尻を叩かれたり、撫でられたりする。その度に安産型だな、とか、俺の子を産んでくれ、とか、今夜は部屋に来てくれて良いぞ、とか、声を掛けられる。恥じらいを持つと余計に絡んでくるので、何も頭に残さないように無心で仕事に没入する。

 とにかく今は次から次に積み重なる仕事の山を片付けなければならない。大丈夫、時間が来れば終わるのだ。并州刺史や河東太守の終わりなき書類仕事に比べれば、大したことはない。

 そう意気込んで私は食堂という名の戦場を駆けずり回った。

 

 どれだけの時間が過ぎただろうか。

 心身ともに疲れ果てて、もう駄目だと思った頃合だ。

 知った顔が食堂に入ってきたので私は脇目も振らず、一目散に飛びついた。

 

「あ、バカ! あの子なにやってるんだ!」

「あれは張遼将軍だぞ!?」

 

 そんな周りからの言葉なんてお構いなしだ。

 極端に露出度の高い少女の豊満な胸に飛び込んだ。いきなり抱き締めた私に「なんやなんや?」と困惑しながらも彼女は気遣うように私の両肩に手を乗せて、ゆっくりと体を引き離した。

 心配そうに私の顔を覗き込んだ彼女は、あれ? と首を傾げてみせる。

 

「仲穎やないか、いやあ懐かしいなあ」

 

 文遠の人懐っこい笑顔に、ざわり、と周囲の兵達がどよめいた。

 

「仲穎って確か董卓の字だったような……」

「え、まじ? あの女の子が? あれが凶暴巨漢と知られる董卓?」

「あの柔らかいお尻が、董卓? あれ? 俺、やばくない?」

 

 先程まで騒々しかった食堂が急に静まり返った。文遠はなにかを察するように周りを見渡してから、ぽりぽりと後頭部を掻いて私に満面の笑みを浮かべてみせる。

 

「あっちの方で文和が大騒ぎしとったで? 行かんでええん?」

「あ、行かないと! ありがとう、文遠ちゃん!」

「ええで、ええで、ウチはなんにもしとらんけどなあ」

 

 食器の音すらも聞こえない静寂の中で、私は食堂から逃げるように駆け出した。

 そして食堂の出入り口付近まで辿り着いた時、ダンッという音が食堂中に響き渡る。驚き、ビクリと身を強張らせた後、おそるおそる後ろを振り返れば、文遠が覇気的ななにかを身に纏いながら周りを萎縮させていた。

 地面に突き立てた偃月刀を見るに、石突きで地面を砕いたようだ。

 

「今ここで見たこと、あったことは忘れるんや。ええな? じゃないと過保護な軍師様に首を刎ねられるで?」

 

 文遠が片手で首をスパッと切る動作を見せた後、食堂内にいる全員が起立して直立する。

『はい! わかりましたッ!』と食堂を揺るがす大音量に、へうっと怯えながら私はその場を後にした。

 その後で詠に何処に行っていたのか問い詰められたけど、黙りを決め込んだ。

 

 

 

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