『魔王と覇王』   作:にゃあたいぷ。

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7.私の幸せの糧になれ

 喉が渇いた。

 肌のひりつくような緊張感が纏わりつくようで上手く体を動かせない。

 目の前には整然と並べられた五千にも上る兵達、その全てが私だけを見つめている。

 慣れない、と思う。

 (馬騰)は爽快だと笑い飛ばす光景を私はいつ見ても慣れなかった。

 奇異な目で見られるのは良い。でも目立つのは好きではない、期待を寄せられるのは苦手だ。私が董卓である限り、誰もが私を信じて従ってくれる。この中にいる誰かは確実に死ぬ、誰が死ぬのか分からない。でも誰かは確実に死ぬはずだ。それでも私に従ってくれるのは、私が勝利してくれる、と信じてくれている為だ。だから私は、勝利の為に死ね、とみんなに号令をかけなくてはならない。

 手が震える、声が震える。やはり、慣れることではない。

 胸に手を当てながら大きく新呼吸をする。今すぐに逃げ出したくなる想いを抑え込んだ。

 ゆっくりとみんなの顔を見据えて、懺悔を零すように語る。

 

「勝ちます。并州を、延いては皆様の愛する親を、子を、家族を、そして土地を守ります」

 

 だから、と祈りを込めるように告げる。

 

「前進を」

 

 私の言葉に説得力がある。

 異民族を相手に百の戦を戦い抜き、その全てにおいて明確な敗北は一度もない。

 偽りもばれなければ、真になる。嘘も最後まで続ければ、真になる。

 泣くことは許されない、かといって笑えない。

 

 私は、責と罪を背負うことが私の役割だと知っている。

 

 雄叫びをあげる兵達を確認して、私は後を詠に引き継いで後ろに退がった。

 詠が心配そうに私のことを見つめたが、微笑み返すことで誤魔化して、天幕に戻る。外の熱狂が天幕の中にまで響き渡る、私は胸元を握り締めながら歯を食い縛った。まだだ、ここだと駄目だ。ビクンと胃が跳ねるのを必死に堪えながら天幕の裏から出る。額に脂汗を滲ませながら歩き続ける。今更だけど私は多くを望まない。ひと握りの大切な人が息災で、荒事とか、謀略とか、そういうのとは無縁の場所で穏やかな明日を迎えたいだけの人間だ。できることならば、好ましいと想う誰かと共に過ごして、子供が二人くらい居て、ひもじく感じない程度の生活ができたら自分には過ぎた幸せなんだって思ってる。でも、いい加減に分かっている。今の御時世で、その幸せを望むのは、動乱の中に身を置き、修羅として生き抜くことよりも難しいことだってわかっている。だから私は剣を取る。だから私は殺せと命じて、死ねと告げる。綺麗事では生きられない。分かっている。

 でもだ、と私は膝を突いて、誰もいない即席の兵舎の陰で胃液を吐き出した。ポロポロと涙を零しながら遠くに聞こえる熱狂を耳にする。あの中にいる者達には愛すべき者が居るのだろう、功績を立てた明日に希望を抱く者も居るだろう、自分が耕した田畑を守る為に立ち上がった者も居るだろう。彼らが体を張って戦場に立っているのに、私はなんて情けないのだろうか。なんて卑怯者なんだろうか、自己嫌悪で死にたくなる。上に立つ者の責務だとか、貴い人としての義務だとか、そんなことがどうでも良い。

 綺麗事の何が悪い、と心の底から叫びたかった。届かなくても願ってしまうのだ、無理だとしても望んでしまうのだ。殺せと命じて、死ねと命じて、それでも幸せを願う自分の無責任さが気持ち悪かった。綺麗事を祈る私が気持ち悪くて仕方なかった。これから行うのは侵略してくる敵を打倒する為の戦だ。正義は私達にある、理屈では分かっている。

 理屈がどうした、私は戦いたくない。私は誰にも殺して欲しくないし、死んで欲しくもない。平和主義だと笑いたければ笑えば良い、臆病者だと罵りたければ罵れば良い。それが私だ、それが董卓だ。それが月なのだ。

 それでも戦わなくてはならない世の中が憎いと感じている。

 

 私が戦場に立つ理由、それは責任感と――幸せに生きたい、という利己的な想いからだった。

 

 出陣の号令をかけた後、戦場で私にできる仕事はほとんどない。

 行軍を開始してから数刻、相手の砦が見えてきた頃合いで――まだ砦が建築途中だった為か、羌族が打って出てきた。数は六千程度、情報よりも数が多く、騎兵も多い。対して私達が前面に出すのは、事前の申し合わせ通りの呂布隊だ。先頭に立つのも奉先であり、彼女は駿馬に乗ったまま方天画戟を真横に構えて悠然と前進する。それに合わせるように敵兵も前進する。両軍が徐々に距離を詰めていき、その先端同士が触れ合った瞬間、五、六人の敵兵が吹き飛んだ。文字通り、宙を舞っていた。奉先が返す刃で更に方天画戟を振るえば、最前列にいた敵兵の胴体が横真っ二つに切断される。破れかぶれで飛びついてきた敵を石突きで頭蓋を破壊し、地面に打ち据える。奉先は一瞥もくれず、ただ前を見つめている。奉先以外でも刃を交える音が聞こえてきた、けたたましい喧騒が本陣近くまで聞こえてくる。血飛沫が上がる。悲鳴が上がる。その度に誰かが一人、地面に堕ちる。詠が忙しなく指示を飛ばし、銅鑼を鳴らさせる。両翼から騎兵を上がっていった。敵陣の背後から別行動を取っていた文遠が飛び出し、挟撃による包囲殲滅に移行する。

 戦の趨勢は、あっけない程にあっさりと決まる。正直、援軍なんていらなかったんじゃないかな、と思うほどにあっさりとだ。詠、文遠、奉先と三人が揃って負ける方がおかしいのだ。

 勝負が決まれば、降伏させて捕虜を取ることができる。

 命を奪わなければ良いだなんて、本当に自分勝手だと思う。でもやっぱり殺すのは苦手だった。

 早く抵抗を止めて欲しい。降伏して欲しい。

 しかし人生なんていうものは思い通りに動く方が珍しかった。

 

 

 この戦は負けだ。私、爰剣(えんけん)は戦の趨勢を悟っていた。

 漢民族に迎合する羌族を罵倒し、血気盛んな若者達をまとめ上げて決起した結果が目の前の惨劇であった。

 見誤っていた、という他にない。しかし、あんなものを考慮できるか、という理不尽な想いもある。ただ一人、たった一人に我が軍は崩壊させられた。赤髪に赤紫色の襟巻、自身の身長ほどもあろう方天画戟が振るわれる度に複数人の命が刈り取られる。まだ接敵してから十分も過ぎないというのに百人近い兵が彼女一人に討ち取られていた。正しく天災、英雄を超えた化け物がいる。

 あいつさえ居なければ――噛みしめる口の端から血が流れる。悔しさで宝剣を握る手に力が込められる。両翼は固められた、背後は騎馬隊に抑えられている。敵の見事な用兵術に、見事だ、と苦虫を噛み潰す想いで認める。

 逃げる事はできない。ならば、もう前に進むしかない、と私は宝剣を鞘から抜き放った。

 

『我には目的がある』

 

 脳裏に響く言葉に思わず、頭を抱えた。

 

『その目的の為に協力するならば、力を貸してやる』

 

 頭の中に直接叩き込まれる声に不快感を感じながら私は問いかける。

 

「この状況をどうにかしてくれるなら是非もないさ」

『活路は一つ、目の前だけだ。我に肉体を委ねるのであれば、血路を開いてやる』

「あの化け物に突っ込むとか正気かよっ」

 

 はんっ、と鼻で笑ってやると声は少し不機嫌になった。

 

『あの格下相手に何故、我が恐れなくてはならない』

「……勝算はあるんだな?」

『勝算もなにも真正面から討ち倒せば良い。問題は別のところにある』

 

 あの髭面の体は軟弱過ぎた、と声は怒りを押し殺すように溜息を零す。

 

『貴様は我を裏切ってくれるなよ?』

「どのような目的かは知らないが協力してやるよ、だから俺に力を寄越せ」

『では、我を受け入れよ』

 

 どくん、と意識が折り重なる感覚を最後に私は意識を手放した。

 ゆっくりと瞼を開ける。視界は良好、状況は悪い。とりあえず手足の感覚を確認する。鍛えてある、氣の鍛錬も積んであるようで、その行使に問題はない。少なくとも先の髭面のような醜態を晒すこともなさそうだ。この肉体であれば全盛期の七割程度の力を出す事はできる、それだけできれば充分だと前を見据えた。契約を履行しなくてはならない。この包囲網を突破する。そこまでが我の役目、そこから先は責任を持てない。何故なら我が意識を乗っ取れるのは一刻(二時間)程度しかない。

 でもまあ、と近所を散歩するような気軽さで歩み出る。

 

 敵兵五千程度――我を止めたければ、その百倍は持って来い。

 

 

 気配が変わった。強者には、特有の濃い存在感を放っている。

 すんと鼻先を掠める強い気配に私、恋は馬上で方天画戟を構え直す。私が動きを止めるのと同時に左右から并州軍の精鋭部隊が飛び出した。私は勿論、霞にも鍛え上げられた部隊は、そこいらの兵では太刀打ちできない。たった一人を殺すのに五人の兵は必要であり、互いに連携を取れば、更に損耗率は軽減される。敵陣に穴を穿つように蹂躙する精鋭を前に私は小さく息を吐いた――次の瞬間、并州が誇る精鋭達の肉体が吹き飛んだ。上半身と下半身が真っ二つとなり、バシャリと血飛沫が地面に打ち付けられる。

 咄嗟に私は方天画戟を構えて、敵の気配を探った。群衆に紛れながらも隠しきれない濃厚な気配、質量を持たないはずのそれは私の体に纏わりついた。その場に身を置いているだけでも体力が削られてしまいそうだった。

 頰に汗が伝う、これほどの濃い気配を私は感じたことがない。

 

「貴様が要だ」

 

 全身を返り血で濡らした少女が歩み出る。

 血に濡れた宝剣を片手に、ひたひたと血溜まりの中を歩いてくる。私は馬から降りる、このままでは勝てないと悟ったから――方天画戟の鍔近くを握り、半身に開いた体で重心を低く保った。意識を集中させる、悠々と笑みを浮かべる少女に向けて、全身全霊の殺意を込める。戦場に無風の風が吹き抜けた。敵味方問わず、一歩、退くほどの風圧に少女は微動だにせず、気負う様子も見せず、むしろ気持ち良さそうに目を細める。

 強いな、と獲物を見定めるような目を私に向けてきた。それはある意味で新鮮だった。今まで私に向けられる目は恐怖か、畏怖だった。それは霞も変わらない、ねねも変わらない。圧倒的な武は他者を退けることを私は知っていた。私は孤独にしか生きられないことを知っている。強過ぎる武を持つが故に、誰も私に触れようとしない。だから私は畏怖や恐怖を胸に宿しながらも、私を慕ってくれる人間を見捨てることができない。それが誰であれ、人間でなくともだ。

 だから私は、私の武を前にして、臆さず、気負わない人間を初めて見た。

 

「我は強いぞ。胸を貸してやる」

 

 少女の手招きに応じて、私は更に重心を低くして踏み込む足に力を込める。

 いつもよりも体の動きが悪い、気負っているのがわかる。初めての経験に違和感を感じながらも、私はもう目の前の少女から目を外せなくなっていた。興味が惹かれる、心が躍る。今持てる全力を、様子見なしで初撃から全開で攻撃を仕掛けた。

 方天画戟を目一杯に振り被り、目一杯の助走を付けた今持てる最大の攻撃だ。

 

「そうだ、それが正解だ。格上相手に出し惜しみは悪手だからな」

 

 甲高い音が響き渡る。ドッという圧力と共に砂煙が舞い上がった。

 片手で受け止められている。半歩、僅かに押し込むだけで少女は眉一つ動かしていなかった。そこに少なからず驚きがあった。私は全力を出したことがほとんどない。そうするまでもなく相手は斃れてしまうから、私は全力を尽くす機会を持てなかった。故に分の悪さを感じる、私には同格以上を相手にした経験がない。

 カチカチと刃同士をかち合わせながら、少女は笑みを浮かべながら問いかける。

 

「ところで貴様、愛を知っているか?」

「……なに?」

「愛を知っているかと聞いている」

 

 ふっ、と少女が腕に力を込めると方天画戟を軽々と弾かれた。そのまま追撃を受けないように気を付けながら一歩、二歩と距離を取る。少女は追撃せずに、ただ静かに私のことを見据えていた。私は弾かれる前の素っ頓狂な問いかけを頭から排して、半身に開いた構えを取り直す。

 

「知らないか、なら我の負ける道理がない」

 

 そして少女は初めて構えを取る。この時、初めて彼女がまだ構えを取っていなかったことに気付いた。

 

「愛こそ全てだ。愛の戦士は愛なき刃では斃れぬのだよ、それが道理だ。少なくとも我はそうだった」

 

 愛故に我は勝利する。と少女は笑みを浮かべてみせる。

 言っていることはよく分からないが、彼女の存在感が急激に増したのを感じる。この時、私は初めて挑むという意味を知った。たぶん私は勝てない、それでも負けるわけにはいかない。負けが濃厚の場においても勝つ為に諦めず手を伸ばし続けることが、きっと挑むということなのだと知った。此処は通せない、と戦意を高めた。背後にいるねねを危険に晒さない為にも、并州を侵略させない為にも、私は此処で負ける訳にはいかない。

 ほう、と少女は感心するように息を吐いた。

 

「我に勝つ見込みが出てきたなッ! だが死ね!」

 

 そう告げると同時に少女が嬉々として駆け出した。

 

 

 




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