—雨矢上宅—
土曜日の午前十一時。自室のベッドで寝ていた俺は、突然鳴ったインターホンに起こされた。
……長い眠りについていた伝説の龍が、勇者に起こされて怒る理由がちょっと分かった。
「ったく……誰だよこんな時間に…」
自分で言っておいておかしいと思う台詞を、溜め息混じりに吐きながら、リビングへ向かう。
廊下を歩きながら、覚めてきた頭で考える。
多分あの人の使いの人だろうな…。
「はい。どちら様でしょ…う……か?」
『え?…その声は…』
リビングに設置してあるハンズフリー式のインターホンは現在エントランスに来ている来訪者が映る。だが、そこ映っていたのは、あの人の使いの人でも見知らぬ人でも無かった。
『どうして…』
「それは俺の台詞だ…。どうして俺の目の前のモニターに雪ノ下が映っているんだ?」
『私はお父さんに言われて来たのだけれど?』
「あの人は……」
頭を抱える。
やられた。まったく……どういう意図で雪ノ下を送ったんだあの人は…。
とにかく雪ノ下には帰ってもらおう。
「雪ノ下」
『なにかしら?』
「すまんが帰ってくれないか?」
『嫌よ。まだこの状況が全く把握できないのに、帰れるわけないでしょ?』
「今日の事はお互い帰って忘れよう。それでいいだろ? 俺は既に家にいるけどな」
『嫌といっているでしょう? あなたよくこの状況で帰そうとするわね。私はあなたにこの状況の説明をしてもらうまで帰らないわよ』
「説明するにもなぁ…お前俺の家に上がりたくないだろ」
『…誠に、誠に不本意ながら。本当は嫌で嫌でしょうがないけれど、仕方がなくあなたの家に上がらせてもらうわ』
「……あっそ」
暫くして玄関のインターホンが鳴る。
扉を開けると、やはり雪ノ下が立っていた。
「こんにちは。雨矢上君」
「よう……まぁ入れよ」
「え、えぇ」
「お邪魔します…」
「律儀だな…。あ、お前の親父に持たされた荷物はキッチンに置いてくれ」
「えぇ」
雪ノ下が俺の事をじーっと見ている。
「なんだよ…」
「それにしても。…あなた自宅ではそんな服装なのね」
「そんなに見るなよ…」
「べっ、別に見てなんかいないわ! あなたなんて、何時だって私の視界に入れたくないもの」
俺の現在の服装は、長袖の黒いヒートテックと黒のスウェットパンツという生活感丸出しで、女性に見せるにしては色々酷いものだった。……いやいや、酷くないし。ヒートテック着心地最高だぜ? 皆着てるだろ? え? 着てない…?
「まぁ、そこソファにでも座ってくれ。それと、飲み物は?」
「随分手慣れているのね…」
「……親に余計に教え込まれたんだよ」
「そう。では、紅茶をお願いするわ」
「そういえば、お前奉仕部では何時も紅茶飲んでいるもんな」
紅茶とコーヒーを淹れ、ソファの前に置いてあるガラステーブルの上に置く。
「…ありがとう」
「ん…」
「では雨矢上君。この状況の説明をしなさい」
「いきなりだな…。状況か…」
「雪ノ下が、現在俺の家にいる?」
「そっ、そういうことではないでしょ!」
「ちゃんと説明してちょうだい」
「はぁ…分かったよ」
「まず、雪ノ下はお前の親父さんになんて言われて来たんだ?」
「荷物をこの家に届けるようにとしか言われてないわ」
「そうか」
「察しはついている思うが、俺の親父と雪ノ下の親父さんは知り合いなんだ」
「そして、お前の親父さんから俺に依頼が来て、それを俺は解決したんだよ」
「んで、報酬、言い方を変えればお礼を使用人に届けさせる予定だったわけだ」
「なのに。何故か私が届けに来た…と…」
「正直あの人の意図が全然分からん」
「私もよ」
「そもそも、お父さんはあなたにどんな依頼をしたの? そもそも依頼って何なのかしら?」
「俺には守秘義務があるんでな。依頼に関する事は、全部言えない」
「あなた…まともな事言えるのね」
「俺がまともじゃ無いみたいな言い方だな…」
「あなたがまともな人間なわけないじゃない」
「……」
「まぁいいわ。後でお父さんに聞けばいいもの」
「そうか…」
「そうよ」
「……」
「……」
暫くの沈黙の後、雪ノ下がもう一度部屋を見回す…。と、雪ノ下の視線があるところで止まった。
その視線の先を見てみると、そこにあったのは12年ほど前、俺が4歳か5歳ぐらいの時に、母に買ってもらったパンさんの限定ぬいぐるみが置いてあった。
……こいつ、もしかしてパンさん好きなのか? 目とかすごい輝かせてるし…。
「パンさんがどうかしたのか?」
「どうしてあなたがパンさんのぬいぐるみなんかを…?」
「なんだよ、俺がパンさんのぬいぐるみを持ってちゃダメなのかよ」
「以外だったのよ…」
「小さい頃はパンさん好きだったんだよ…」
「…そう」
「………」
「てゆーか…帰らねぇの? 用はもう済んだろ」
「……」
「…欲しいのか?」
「!? べっ、別にそんな事……無いわよ」
「言葉尻がすごく弱くなってるぞ…」
「………」
「欲しいならやるよ」
「…えっ?」
「……」
「いいの? これ限定品なのよ? それに、随分前から大事にしているのではないの?」
「俺より雪ノ下の方が、大事にしそうだからな。その方が、コイツの為になるだろ」
「本当にいいの?」
「いいと言っているだろ…」
パンさんのぬいぐるみを雪ノ下に渡す。
雪ノ下は目を輝かせながらぬいぐるみを受け取った。……こんな雪ノ下を見るのは初めてだ。
「……ありがとう」
雪ノ下は緩んだ口をパンさんで隠して、上目遣いでお礼の言葉を口にした。なるほど、これは…やばいな。
「ん、大切にしてくれよ」
「言われなくても大切にするわ」
「それじゃ、そろそろ…」
「えぇ、帰るわね」
「エントランスまで送るぞ」
「別に、そんな事しなくても…」
「…親からそう教わってるんだよ」
× × ×
「……今日は荷物届けてくれてありがとな」
「え…?」
「あ?」
「あなたって普通に感謝の言葉を言えるのね」
「なに以外そうな顔してんだ。普通に感謝の言葉ぐらい言えるわ」
「まぁ、あなたに感謝されても気分は全然良くないし、何も感じないのだけれどね」
こいつ…人が珍しく感謝してるというのに…。本当いい性格してんなこの女は…。
「そんな事いいから、早く帰れよ」
「そうね。…これ、本当にもらってもいいの?」
「くどいぞ。俺がいいって言ってんだ、さっさと持って帰れよ」
「…それじゃ、また学校でね」
「ん。じゃあな」
何時もと変わらず雪ノ下の足取りは、悠然としていて近寄りがたい雰囲気を纏っているのだが…。
…いや、パンさんのぬいぐるみを抱えたま帰るんですね…。見た目と抱えている物とのギャップで凄い不自然なんですけど…。
× × ×
部屋に戻ると、携帯電話に一通のメールが来ていた。送り主は雪ノ下父だった。内容は『今君のお父さんと会っている。そっちはどうだったかな?』と、いうものだった。
「………」
疲れていた俺は、今回の出来事の意図を問いただす様な内容のメールをうち、送信し終えると、携帯電話をソファに放り投げ、……寝ることにした。
目上の者に対しては多少失礼なメールを送ってしまった。…まぁ、あの人の事だ、笑って許してくれるだろう。多分
翌日、俺の部屋の扉の前に紫の芍薬が一輪 置いてあった。