「ハイ、元気ー?」
「──ッ!」
「うんうん、元気そうだねぇ」
何も見えない。何も喋れない。
手も足も縄で縛られて、リディア・ニューフィールドは一切の行動を封じられていた。30も越えた女が息を荒げて芋虫の様に這いずる姿と言うのは、きっと恐ろしく醜いのだろう。或いは悪趣味な見世物として笑い飛ばすか。
彼女を拉致し、今地面に転がした上で放置している「何者か」はどうやら後者のようだが。
「あー、リディア・ニューフィールドさーん?1度しか言わないからよーく聞いてねー!」
「──!」
目隠しをされる直前にリディアが目撃したのは、人にあって人にあらざる者。
──荒魂。そう、間違いなくあれは荒魂だった。ヒトの形を取ろうが、言葉を話そうが、長年研究として荒魂と付き合ってきたリディアの目を誤魔化す事は出来ない。俄に信じ難いが、その様な特異個体も存在するのだろう、とリディアは心の中で結論づけた。
(それより、コイツは一体ナンなのぉ……?)
それよりも重要な事がある。
この女は何者か。荒魂を従え、終始人を馬鹿にしたような、ヘラヘラした態度で拉致と言う凶行を行ったコイツは何なのか。
混乱するリディアの脳に、少女の呪詛が滑り込む。
「抵抗したら指を1本ずつ落とす」
「──」
「指だけ斬るとかやった事無いから、とっても痛くなると思うよ」
剥き出しの狂気が平坦な言葉に乗せられて耳の中に木霊する。
言葉と同時に、重い鋼の感触がリディアの指に伝わった。間違いない。今、少女はリディアの手に御刀を当てているのだ。
慌てて抵抗を止めれば、玉を転がすような笑い声が降ってくる。
「うんうん。聞き分けが良くて助かるよ。ねぇスルガ?」
「──そうだな、気の毒だが」
(何なの、コイツ──!)
なんだこの少女は。
異常だ。狂っている。
この局面に於いて何の意味も無い感想だけが溢れていく。そう、こんな事を考えていても事態は解決しない。
コイツの目的は何だ。要求は何だ。
考えろ。自分の命が尽きる最後の一瞬まで、足掻くしかない。此処で死ぬ訳にはいかないのだ。折神紫への復讐も、何も果たせずに死ねるものか──!
「ようし、本題に入ろう!」
必死に打開策を考えるリディアの事等お構い無しに、少女は次の議題へと舵を取った。
不気味なまでの快活さを感じる声と共に彼女の目隠しが外され、久方ぶりに感じる光の鋭さに堪らず目を閉じてしまう。
次いで猿轡も外れ、リディア・ニューフィールドは自身の首から上に於いて一切の自由を取り戻した。
「やっほ!初めまして!」
徐々に強い光に慣れてきた目を開けば、此方を見下ろす黒髪黒目の少女と視線が交わる。
何か言わねばならない、と彼女は考えたが、長時間閉じられなかった口からは掠れた音だけが発せられた。
状況から考察するに、まだ高等部に進級すらしていないこの幼い少女が
次いで目に飛び込んだのは、降着装置を展開し鎮座する小型の航空機──いや、コレは。
「リディア先生、貴女には──
「コレ、は──」
ああ、間違いない。
その輪郭だけで昨年の屈辱が思い出される。舞草、親衛隊、朝比奈北斗に伊南栖羽。何もかもが彼女の想定を越え、計画の一切合切を滅茶苦茶にしたその装備。
DARPAの技術の粋を結集した、妄執の結晶。そして荒魂から人類を守護する剣の鞘。そう──
「また、
「そう言うコト」
リディアにとって計画の象徴である珠鋼が搭載されていようがいまいが、紛れもなくそれはS装備の輸送用コンテナだった。特別祭祀機動隊と刀剣類管理局の管理下にある筈のそれを、何故この少女が保有しているのか。疑問が脳を埋め尽くす。
「ハイリスクノーリターンなんて真っ平ご免さ。この為だけに鎌府を襲撃したんだから、嫌とは言わせない。それに逃げようったってそうはいかないよ。こうして私達に拘束された以上、
──力を合わせるしかないんだよ
紡ぐように、歌うように少女が語る。リディアの想定していた逃げ場を塞ぎ、意思をへし折り、無力を痛感させる。もう私達に協力するしかない、諦めろと強い口調で
どの口が言うのか、と罵倒の1つでも返したかったが、指1本が代償と考えるとそれも憚られる。
澄んだ瞳が、リディアのさ迷う視線を捉え、絡めとり、離さない。ただの眼球に、リディアは捕獲されてしまった。
「勿論勝機はあるよ。折神紫が無防備に姿を晒し、隙を突いて強襲出来る機会が1度だけあるんだ」
「へぇ……?」
此方を覗き込むその瞳。
幾万の人々と何ら変わらない筈の眼に、この瞬間リディアは狂気を見出だした。
「御前試合、あるでしょ?アレの決勝が私達の起死回生。
正気で語れるものか、人を殺すと言う事が。正気で為せるものか、
それを当然のように語るこの少女、正に外道。正に狂人。
リディア・ニューフィールドはこの名も知らぬ少女の狂気をその
「私達──私と、あなたと、スルガは持てる限りの全技術を、能力を、精神を総動員して折神紫をぶち殺す」
恐るべき計画が、まるで明日のおやつを楽しみにする幼子の如き純粋さで、詳らかにされる。
それは剰りにも大胆不敵。剰りにも単純明快。ただ力を重ねて、打ち込むと言う無理、無茶、無鉄砲の全てを兼ね備えた暗殺計画が、少女の口から刃となってリディアを貫く。
だが──リディアは感極まった。この少女は、凶行を語っているのではない。かつてリディアが成し遂げられなかった
憎んで妬んで、追いかけて追い付けなかったあの背中。この少女はそれに飛びかかり、牙を突き立て、食いちぎろうと言うのだ。
「上手く行けば英雄。失敗すれば希代のテロリスト。さぁ、選んで?」
「──そう、そう。そう言うワケ?」
リディアは嗤った。
彼女がただ平穏を享受する人間なら、この提案を一蹴しただろう。
ただ生きる事に身を任せる獣ならば少女に斬られたであろう。
だが、この女もまた理性と狂気を同時に宿す、常軌を逸した存在である。
「イイわぁ。やってやろうじゃない」
狂気を完全に理解出来るのは狂気のみ。
たった今、彼女の中の
リディアは自らの手足に絡み付き、動きを妨げる概念の一切合切から解き放たれたのである。
その爽快感たるや!リディアは先程まで恐れていた少女に感謝すら覚えた。
気付かぬ内に、リディアの体を戒める縄は外されていた。
「じゃあ、改めて初めまして。私、星切依奈」
「えぇ、えぇ。初めまして。私はリディア・ニューフィールド」
2つの狂気が、固い握手によって結ばれる。人にあって人にあらず。獣にあって獣にあらず。女達は人の皮を被った『鬼』へと変貌を遂げたのである。
・ 『現人鬼』星切依奈
もう分かってる方も多いと思われますが、モチーフの1人が散様(覚悟のススメの方)です。いよいよブレーキがぶっ壊れます。最終的には『装甲軍鬼 依奈』とかやるんじゃないすか?(適当)
・ リディア・ニューフィールド
よく考えれば珠鋼を動力にしたS装備を作る人が正気な訳無いと思うんですけど(凡推理)