──中央暦1640年3月8日午後1時、サモア基地重桜寮──
重桜寮にて指揮官が目覚めてから1日が経った。
昨日は様々なKAN-SENがお見舞いに…とは言っても各陣営の顔役や有力者が代表として訪れる程度だった…来た為その対応をしたり、わざわざ出張してきた医療班による検査が行われたりと若干の忙しさがあった。
そういった事もあり、本格的な休暇は今日からとなった。
しかし、指揮官はとある問題に直面していた。
「……暇だ。」
そう、はっきり言って暇過ぎた。
指揮官は軍に入る前も後も働き詰めの日々だった。
故に、休暇…特に目的も無く、ゆっくりするという時間をどう過ごせばいいのか分からないでいるのだ。
「……散歩でもするか。」
今日は天気も良く、小春日和といった陽気だ。屋内に閉じ籠っているというのは不健康的だろう。
そうと決まれば、早速行動に移す事にする。
部屋着として着ている着物から、長袖のTシャツとカーゴパンツへと着替える。
「あら、指揮官様。お身体の方は、もうよろしいのですか?」
部屋から出て廊下を歩いていた指揮官の背後から声をかけたのは、フワッとした黒髪に猫耳、肩口と袖が分離した着物を着たKAN-SEN『扶桑』だった。
「あぁ…日の光を浴びて外の空気を吸わないと健康に悪いらしいからな。少し散歩に行ってくる。」
「では、お供致しましょう。出先で倒れられては大変…」
「その任は、余に任せては貰えぬだろうか。」
指揮官と扶桑が話しながら歩いていると、再び背後から声がかけられた。
威厳がありながらも幼さを含んだ声だ。
その声はよく知っている。
「おや、長門に…陸奥も一緒か。」
そう、現在の重桜代表にしてビッグセブンの一人である長門と、その妹の陸奥である。
「こんにちは、指揮官!調子はどう?元気?」
「あぁ、大丈夫だ。別に怪我や病気をした訳じゃないからな。」
「なら良かった!元気なのが一番だよっ!」
天真爛漫、という言葉が似合う笑顔を浮かべる陸奥。
その笑顔に、他の三人は微笑ましそうな目を向けた。
「陸奥よ、 余は指揮官と少し話がしたい。すまぬが、扶桑と遊んではくれぬか?…良いか、扶桑?」
「はい、長門様。お任せ下さい。」
「それじゃあ、山城ちゃんも呼ぼうよ!きっと楽しいよ!」
「ふふっ、そうですね。あの子も、陸奥様と遊ぶのは好きですから。…では長門様、失礼します。」
「長門姉、また後でね!」
「うむ。」
自分よりも背が低い陸奥の手を引いて行く扶桑。落ち着いた雰囲気の扶桑と、元気が有り余っている陸奥の組み合わせは母子のように見える。
「……」
「指揮官、何か思う事でも?」
「いや、何でもない。……少し、街に出るか。」
長門からの言葉に対しフッ、と小さく鼻で笑いつつ肩を竦めると再び廊下を歩き始める指揮官。
そんな指揮官に向かって、長門はやや悲しげな表情を向けつつ彼の背中を追って歩き出した。
──トスッ…トスッ…トスッ…トスッ…
柔らかい底を持つスリッパで板張りの廊下を歩く二人。
微かな足音が二人分…話こともなく歩みを進める。
「長門。」
「なんだ?」
「少し、遠出するか。」
玄関まで辿り着くと、下駄箱からライディングブーツを取り出しながら長門に声をかける指揮官。
そんな指揮官に、長門は首を傾げた。
「遠出…とな?」
「何、飛行機を使うような所に行く訳じゃない。そうだな…」
上がり框に腰掛け、ブーツに足を捩じ込む指揮官。
長門もそれに習い普段から愛用しているぽっくり下駄を履く。
「73番桟橋に行くか。」
「73番桟橋と言うと…『重桜』が根付いたタンカーが停泊している所ではないか?」
73番桟橋…それは母港の中で最も辺鄙な所にある桟橋であり、標的艦とする為の老朽船舶が雑多に停泊しているような桟橋である。
「話したい事があるんだろう?なら、人気の少ない所の方が気兼ねなく話せる。」
「うむ、そうであるな。では車を…」
人を呼ぼうとする長門だが、その言葉は指揮官によって遮られた。
「いや、GAMAHAから寄贈されたバイクがあるだろ。俺が運転するから後ろに乗れ。」
「いや、しかしだな…病み上がりのそなたに無理をさせる訳には…」
「だから、怪我も病気もしてねぇって。ほら行くぞ。」
「ま、待て!…全く、お主という奴は…」
有無を言わせぬ態度で歩き出す指揮官。
長門はその後を溜め息を吐きながら着いて行く。
「お、いいバイクじゃないか。」
重桜寮の隣にある車庫の中。そこには、如何にも高級そうな自動車や生活感のある自転車に混ざって一台のバイクが停めてあった。
前輪が二つある特徴的な大型バイク…GAMAHA製のNIKENだ。
──カチッ…キュルッ!フォォンッ!フォォンッ!
付けっぱなしのキーを回し、セルスターターボタンを押してエンジンを始動させる。
「慣らし運転も…終わってるか。よし、乗れ。」
「はぁ…承知した。」
シートに跨がり、ハンドルのスイッチ類を確認する指揮官の後ろ跨がる長門。
「よし、行くか。」
「うむ。」
軽くスロットルを捻りつつ、クラッチレバーをゆっくりと離す。
──フォォォォォォォン…
クラッチが滑らかに繋がり、それと連動してタイヤがゆっくりと転がる。
「吹き飛ばされるなよ?お前は小さくて軽いんだからな。」
「ぶ、無礼者っ!連合艦隊旗艦たる余に向かってなんたる言い種であるか!」
顔を赤くして反論する長門だったが、吹き飛ばされてしまう事を想像したのか、指揮官の背中に抱き付いて密着した。
──フォォォォォン…
バイクを走らせて行くと、木造建築と石畳が占める重桜街のオリエンタルな街並みから、徐々にコンクリートとアスファルトが占める無機質な母港の風景へと変わって行く。
「おー…前よりデカイな。このままだと島全部飲み込まれそうだ。」
30分程バイクを走らせると、巨大な桜の木が見えてきた。
スロットルを捻り更に近づいて行く。
そこにあったのは、巨大な桜の木の根が絡み付いた古いタンカーと桟橋…そして、徐々に桜の根に侵食されつつある武装解除された駆逐艦の姿だった。
「潮風と海水に当たり続けても枯れるどころか育ち続けるとは…我々もこのように在りたいものであるな。」
長門が驚嘆したような口調で告げつつ桜を見上げる。
これは重桜本土に自生し、国号の由来ともなった一年を通して花を咲かせ続ける桜、『重桜』である。
重桜街の中心にはその『重桜』の枝を挿し木して育てた物がある。
それ自体は重桜からサモアに贈られたものだが、目の前に生えている『重桜』は重桜街の『重桜』の枝が台風により折れ、風に乗って解体待ちなっていたタンカー上に流れ着き根付いたものである。
台風後の片付けや、第二次セイレーン大戦のゴタゴタもあり誰にも気付かれずに放置されていた為、気付いた時には移植する事も難しい程に成長してしまっていた。
「お、丁度いい所があるじゃないか。」
そう言って指揮官が指差したのはタンカーの船体表面を伝い、桟橋の上に這う根の一部だった。
太い根はちょうど人が座り易い高さになっており、頭上は枝と桜の花によって日陰が出来ている。
「うん…大丈夫だな。長門も座れ。」
「そなた…神聖な『重桜』に…はぁ…まあ、良い。そなたは『カミ』をも恐れぬ男であったな。」
根にドカッと腰を降ろす指揮官の姿に呆れたような溜め息を吐く長門だったが、この男にそんなデリカシーは無い事を思い出すと遠慮がちに隣に座る。
「で、話ってなんだ?礼以外なら聞くぞ。」
「むっ…」
口を開こうとしたが、指揮官により先手を打たれてしまった。
そう、長門はかつての『アズールレーン・レッドアクシズ抗争』における『佐世保沖海戦』…『最終戦略決戦兵器・オロチ』の暴走を食い止め、赤城・加賀・天城を救出した件について正式に礼をしようとしていた。
本来ならばとうの昔に済ませておくべきだったが、指揮官は常に何かしらの仕事をしており、どうにか時間を見計らっても「礼はいい」の一点張りだった為だ。
彼としては、オロチを食い止めたのは上からの命令だったからであり、赤城達を救出したのはあわよくばサモアの戦力として再利用する腹積もりであったに過ぎない。
別に義心に駆られた訳でも、恩を売ろうという訳でも無い。そんな身勝手な行動に対し礼を言われても困る…それが指揮官の考えだった。
「義理堅いのはいい事だが、俺は別に感謝されたくてやった訳じゃない。前々から言っている筈だ。それが分からない程バカじゃないだろ?」
「そなたがそういう男であると理解しておるが…どのような考えであれ、結果として我々は救われた。それに対して何もせずに、のうのうとしている事は赦せぬのだ…誰でもない、余自身が余を赦せぬ。」
「重桜人は難しく考えるなぁ…」
肩を竦める指揮官に、長門は不満そうな目を向ける。
「では、何かしらそなた贈り物をしようではないか。」
「贈り物?プレゼントか?」
うむ、と頷く長門。
「余がそうしたいからそうする…そなたのように身勝手に、そなたに贈り物をしよう。文句は言わせぬぞ?」
「本当に頑固だな…はぁ、分かった分かった。俺の敗けだ。」
長門の真剣な双眸で射抜かれるように見据えられた指揮官は、逃れる術が無いと判断したのか両手を挙げて降参のポーズをとる。正にお手上げ状態だ。
「うむ、それでよい。して…何か欲しい物はあるか?何でも申してみよ。」
「欲しい物…か…特に無いな…」
少し考えるが、欲しい物なぞ特に思い付かない。
大した趣味も無いし、必要な物があればその度に購入しているため、前々から欲しかった、という物は無い。
「…邪魔にならずに、思い出に残るような物で…あと値段が付けられない程貴重で、派手じゃない物がいい。」
だからこそ、かなり意地悪な要求をした。
「む…なんだそれは…?」
「他に欲しい物は無い。強いて言うなら、これに当てはまるような物だな。」
指揮官から伝えられた要求に長門が首を傾げる。
まあ、答えは出ないだろう。指揮官自身も考えたが、そんな物は思い付かない。
「むぅぅぅぅぅ……」
「ふぅー……」
小さく唸りながら考え込む長門と、手持ちぶさたに空を見上げて舞い散る桜の花弁を眺める指揮官。
たっぷり一時間程だろうか、ふと長門が俯きながら口を開いた。
「指揮官よ……」
「どうした?」
「あ…あ…るぞ…その…邪魔にならず、思い出に残り、値段が付ける事が出来ず、派手ではないモノ…」
「ほう、重桜にはそんな物があるのか?凄いな…流石、東洋の神秘と言われてるだけの事はある。」
俯いたままコクッと頷く長門。
「そうか、なら用意しといてくれ。用意に時間がかかっても気にしないから。」
「い、いや…用意は…今すぐ…出来る…」
「別に急いで用意する必要は無いぞ。」
「い、今すぐだ。勢いがなければ…出来ぬ…」
「勢いってなんだ。ラムアタックでもするつもりか?」
「もうっ!からわかないで!」
冗談を飛ばす指揮官の態度に業を煮やしたのか、普段の威厳に満ちた口調はどこへやら…顔を真っ赤にして年齢相応の口調で抗議の声を挙げる長門。
それを見た指揮官は、再び両手を挙げて見せた。
「冗談だ、冗談。お前が今すぐ渡したいと言うなら、早速貰おうか。」
「むぅ…じゃあ、目を閉じて。」
「はいはい。」
まるで駄々を捏ねる子供のように頬を膨らませる長門の言う通りに目を閉じる。
「ちゃんと…閉じた?」
「何も見えねぇよ。」
心配そうな長門の声に答えた瞬間だった。
指揮官の鼻を甘い花のような香りが擽り、口元に熱い空気の流れを感じ…
──チュッ
唇に柔らかい物が触れ、微かな小鳥の囀ずりのような音が聴こえた。
「……あ?」
驚き、身を引いて目を開く指揮官。
目の前には誰も居ない。
首を振って左右を見る。
居た。小さな背中が桟橋から海に向かって飛び込んだ。
「おいっ!」
その背中に呼び掛けながら立ち上がり追いかける。しかし、遅かった。
「い、今のはやっぱり無し無し!忘れてよね!」
その背中…顔を真っ赤にして口調を戻す事も忘れている長門は、海面を滑り沖合いへ真っ直ぐ向かっていった。
「……なんなんだ、あいつは。」
呆れを含んだ溜め息をつく指揮官。
だがその胸中には、熱くなって行く自らの顔に対する戸惑いが渦巻いていた。
日本国召喚の要素が一切無い話に仕上がってしまった…