──中央歴1643年1月16日午前10時、バルクルス基地上空──
「どうなった…?」
皇太子専用機のキャビン、普段は閉じられているコックピットに繋がる扉を開け放したまま、フェルドはパイロットへそう問いかけた。
「……ぜ、全滅です。護衛機も、基地に配備されている戦闘機も全滅です」
「……」
真っ青になったパイロットからの答えを聞いて、フェルドは腰が抜けたようにシートへ力なく腰を下ろした。
護衛機は最高の性能を持つ最新鋭機、パイロットは厳しい訓練と選抜試験を潜り抜けたエリート達…そんな彼らをものの十数分、あるいはそれ以下の短時間で屠るとは敵は一体如何なる存在なのだろう?
そう考えたフェルドは血の気が引きつつある顔を窓に向けた。
──ゴォォォォォォォ…
青みがかった灰色一色で塗られたプロペラを持たない異形の航空機…いったいどのような手段で護衛機を殲滅したのかは分からないが、機首を上げ気味にして速度を合わせているのを見るに相当な高速機なのだろう。
「な、なんだと!?」
「どうした?」
異世界国家の底知れなさに恐怖していると、副パイロットが無線用ヘッドフォンを耳に押し当てながら、そんな驚愕に満ちた声を発した。
「フェルド殿、アズールレーン所属の空母からです」
「空母?…分かった、私が対応する」
おそらくは空母所属の艦載機を聴き間違ったのだろうと判断し、フェルドは副パイロットからヘッドフォンとマイクを受け取る。
「当機の責任者だ。当機は民間籍の旅客機であり、軍事目的で飛行している訳ではない。敵対する意思は無い故、どうか見逃してはくれないだろうか」
《こちら赤城。それは無理な話ですわ。貴方達はこちらの文民側の者…警察組織である沿岸警備隊の者や、ムー並びにミリシアルの民を殺害したでしょう?そのクセに自分達は民間所属だから見逃せだなんて…虫が良すぎるのではなくって?》
ヘッドフォンから聴こえてきたのが耽美な若い女の声だった事にギョッとするが、その内容はフェルドに反論する材料を与えないものだった。
確かにあちらの捕虜を公開処刑したのがこちらである以上、民間機扱いだからといって見逃してくれる訳がない。
《それに…その機に乗っているのは、そちらの国の皇太子なのでしょう?私達は皇太子の身柄を確保する為にこの作戦を実行したの。いいかしら、早く私達の誘導に従ってムー領内へ向かいなさい》
もうこうなればのらりくらりと時間を稼ぎ、援軍が来るまで耐えるしかない。
そう考えたが、どうやらそれも無理らしい。
敵は明確な目的を持って襲撃したのだ、その目的を遂行する為にはどんな手段も辞さない筈だ。
「……断ると言ったら?」
《もちろん、撃墜しますわ。しきか…上からの命令では、敵の援軍が襲来、或いは指示に従わない場合には撃墜もやむなしと言い付けられているの。さあ、どうするのかしら?》
アカギと名乗った女の声色には殺気なぞ微塵も無い。
寧ろ淡々と、事実だけを言っているような口ぶりが逆に恐ろしく思えてしまう。
「……」
果たしてどうすべきか。
相手の思惑はカバルの身柄の確保…捕虜虐殺に対する報復であればこの場で撃墜してしまえば良いが、そうせずに身柄確保に拘るという事はカバルを人質に外交交渉を優位に進めようと考えているのだろう。
そうであれば、少なくともカバルの命は暫くの間は安全である。
もっとも、確保した上で大々的に報復目的の処刑をするという事も考えられるが…どのみち従わずに撃墜されてしまえば結果は同じだ。
ならばカバルが命を繋げる可能性が少しでも高い選択をすべきであろう。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
「!?」
指示に従う、断腸の思いでそんな決断を口にしようとしたが、客室から聴こえてきた女性の鋭い悲鳴によってそれは叶わなかった。
「すまない、トラブルだ!どうした!?」
この機に搭乗しているのは、カバルの衣服を管理する衣装部の女官だったはずだ。
普段から物静かな彼女がこんな悲鳴をあげるとなれば、何か尋常で無い事が起きたに違いない。
「フェルドさん!殿下を…殿下を止めて下さい!」
「離せ!私はここで降りる!」
女官の制止を振り切りながら、機体側面のドアを開けようとしているカバルの姿を見てフェルドは思わず倒れそうになってしまった。
カバルの顔は真っ青になっており目の焦点は合っておらず、ドアも見当違いの場所を捻って開けようとしている。
「殿下っ!落ち着いて下さい!このままでは撃墜されます!ここはひとまず相手の指示に従い…」
「嫌だ!異世界国が何をしたのか忘れたのか!?ハイラス兄上はあんな無残な姿になってしまわれたんだぞ!私もそうされる!殺されるんだっ!」
パガンダ王国によって理不尽に処刑されたハイラスはカバルの従兄に当たり、幼い頃から実の兄弟のように接してきた。
故にパガンダから見せしめとして返還されたハイラスの遺体を見たカバルは酷くショックを受け、暫くは塞ぎ込んでしまっていたのである。
そんなカバルからしてみれば、異世界国家がこのような大規模奇襲をしてまで自分を捕らえようとするからには、ハイラスと同じように殺すつもりであろうと考えてしまうのだ。
「殿下、あの者らはおそらく殿下を利用し外交交渉にて優位に立とうと考えているのでしょう。少なくとも殿下のお命までは取らないかと…」
「私にはまだやり残した事がある!ルクセリアの完成だって見ていないし、ムー征服の暁には現地民居住区を作る為に設計図まで描いているんだ!ここで殺され…っ!?」
ガチャガチャとドアのハンドルを押し引きするカバルをフェルドは羽交い締めにし、彼の首に腕を廻した。
「がっ…かひゅっ…フェ…る…」
「お赦し下さい、殿下。今は耐えて下さい」
絶妙な力加減でカバルの気道と頸動脈を締め、失神させる。
今は時間が無い…説得に時間をかけて撃墜されるよりも、後から自分が責任を取れば良い。
そんな強引かつ合理的な判断であった。
「ふぅ…君、殿下を頼む。……すまない、殿下が取り乱してしまっていた。落ち着かせるのに少々手間取ってな…」
ぐったりとしたカバルを女官に預け、フェルドは再び無線で呼びかける。
《あら、良かったわね。あと30秒遅かったら撃墜していたところよ。……それで?答えを聞きましょうか》
間一髪助かったらしい事に内心胸を撫で下ろしつつ、フェルドは袖で額の冷や汗を拭って応えた。
「我々は…そちらの誘導に従う。ただし…殿下を傷付けてみろ!私は如何なる手段を以てしても貴様らに一矢報いてみせるぞ!」
《安心なさい。少なくとも皇太子の利用価値がある限り身の安全は保障しますわ。……では、進路を東へ》
赤城からの指示に従い、機体はゆっくりと旋回し反転する。
旋回の僅かな遠心力を感じつつ、フェルドは力なく床に座り込むのであった。
──同日、同空域──
「……よし、ミッション完了だな」
F-4Kに乗るエンタープライズは皇太子専用機が東へ針路を変えたのを見て一息ついた。
今考えても本作戦は綱渡りの連続だった。
少しでもタイミングが違えば専用機は引き返すか既に着陸していただろうし、試作爆弾が上手く作動しなければ敵迎撃機も交えた乱戦になったであろうし、何より敵の新型機の存在が大きい。
外見は重桜の『四式戦闘機』に酷似していたが、その性能はユニオンの『F8F ベアキャット』や『P-47 サンダーボルト』並み…あるいはそれらを上回っているかもしれない。
幸いこちらは誘導弾を装備した超音速機だったから鎧袖一触に蹴散らせたが、レシプロ機や亜音速ジェット機だとどうなるか分からない。
「確かムーはアイリスのブロック社から技術者を招聘して国産超音速機を開発中だったな。指揮官にムーへの技術支援をより潤沢にするように相談を…」
──ビーッ!ビーッ!ビーッ!
《メーデー!メーデー!こちら緑の2番!被弾した!操縦不能!繰り返す!緑の2番、被弾により操縦不能!》
目を丸くし、周囲を見回すエンタープライズ。
すると視界の端に、フラットスピンを起こして墜落しつつあるアクアホークの姿を捉えた。
「指揮官!ムー機が被弾し墜落中!救助部隊を!」
《もうやってる!20…10分以内には作戦空域にヘリ部隊が到着する!》
エンタープライズが指揮官と通信していると、アクアホークの射出座席が作動した。
どうやらパイロットは無事らしいが…
「パイロットの脱出を確認!」
《分かった!だが、そこは敵基地のど真ん中だ。パイロットに敵を近付かせるな!何をされるか分からんぞ!》
相手は捕虜を公開処刑するような輩だ。
そんな輩が基地に多大な被害を与え、皇太子を拉致した相手を紳士的に扱うわけがない。
「了解、どうにか時間を稼ぐ!赤城!」
《分かっていますわ、グレイゴースト!》
最後まで気は抜けない…それを嫌というほど分かったエンタープライズは自機の高度を落としていった。
さて…この後の展開をどうするか…