──新暦170年6月24日、重桜・佐世保沖──
薄暗い通路に、人工的な冷たい光が瞬く。
無数のパイプやコード、そして脈動するグロテスクな触手…巨大な生き物の腹の中のようでもあり、手付かずの熱帯雨林の奥地のようでもある。
そんな無機質なジャングルの中を一人の人間が歩いていた。
適当に整えた金髪に鍛え上げた肉体、その巨躯を軍服とオーバーサイズのコートで包むその者は『アズールレーン・ユニオン本部サモア基地指揮官』の肩書きを持つ男、クリストファー・フレッツァであった。
「……ここか。」
通路の終点、巨大な扉の前で立ち止まる。
「き…かん…しつ…?…あぁ、機関室か。重桜語は難しくてかなわん。」
今、彼が居るのは船の内部だった。
『最終戦略決戦兵器・オロチ』…重桜がユニオンとロイヤルに対抗する為に秘密裏に建造した最終兵器である、超弩級戦艦だ。
ユニオンとロイヤルが所属するアズールレーンと、重桜と鉄血が所属するレッドアクシズの抗争の最終局面。同盟国である鉄血の降伏により追い詰められた重桜は、この最終兵器を起動。しかし、オロチは制御系統が未完成であり『赤城』『加賀』の二人を取り込み暴走を始めたのだ。
「あの二人を取っ捕まえれば止まるだろ。」
そんな暴走したオロチに対しクリスは無理矢理乗り込み、内部へ潜入する事が出来た。
策がある訳ではないが、赤城と加賀をオロチの外へ引きずり出せばどうにかなるのではないか?と何となく考えていた。
そんな余りにも無計画な考えを抱いたまま、機関室の扉を蹴る。
──ガゴォォォン!
その巨大さとは裏腹にあっさりと開いた。
防衛設備どころか鍵すらも無い。そもそも、ここに至るまでの道程ですら真っ直ぐな一本道だった。
無防備…と言うよりは、誘い込まれているようである。しかし、彼はそんな事を気にするような人間ではない。
「チッ……やっぱりお前か。」
蹴破った扉の先、機関室の内部を見て舌打ちする。
そこには機関室には似つかわしくない二本の巨木があり、その幹に赤城と加賀がそれぞれ埋め込まれている。まるで、長い年月を経て取り込まれた人工物のようだ。
その巨木の間には巨大な緑色の柱のような物があり、その柱の前に一人の少女が居た。
「あら、やっぱり来たのね。」
人を誘惑するような甘い声、青紫がかった銀色の長い髪。肌は青白く、目は爛々と黄色に輝いている。
そして、巨大な頭足類の触手が塊となったような物の上に腰掛けている。
その姿は彫刻のように美しくもあり、生理的嫌悪感を煽るような醜さを兼ね備えたものであった。
セイレーン・オブザーバー…彼女こそが人類から海を奪った、張本人の一人である。
「やっぱり、お前が関わっていたか。回りくどい真似しやがって…」
「うふふ…でも、面白かったでしょう?美しき姉妹愛に、健気な献身…」
──ジュルリ……ジュルリ……
オブザーバーが触手を動かし、クリスへと近寄ってくる。
しかし、彼は逃げる素振りさえ見せず堂々とした様子だ。
「どれも貴方が持っていないモノよ?いい参考になったんじゃ……」
──ガリッ!
クリスの耳に顔を寄せ、頬を触れ合わせながら囁くオブザーバーだったが、自らの耳に走った鋭い痛みに言葉を詰まらせた。
「プッ……ゴタゴタ言ってんじゃねぇよ。お前らの思惑なんざどうでもいい。」
ゆっくりとクリスから離れるオブザーバー。
そんな彼女の側頭部…耳の辺りから蛍光イエローの液体が滴る。
そして、クリスが口から何かを吐き出して乱雑に告げた。
「女の子に乱暴しゃいけません、って習わなかったのかしら?」
オブザーバーの視線が、クリスが吐き出した物に向けられる。
そこにあったのは、青白い薄い物…オブザーバーの耳だった。十数本の髪も一緒だ。
「あいにく教えてくれるお袋も親父も、随分前に居なくなったんでな。俺に常識を求めても無駄だぜ?」
まるで小馬鹿にするような言葉と共に、コートを脱ぎ捨てオブザーバーに向かって投げつける。
「とにかく、お前を殺せば全部解決なんだよ!」
ショルダーホルスターから拳銃を抜き、一切の躊躇いも無く発砲する。
──ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!
投げつけたコートを貫き、弾丸がオブザーバーへと飛翔する。
しかし、それは滑りのある触手によって防がれた。
「うふふ…こんな物で私を殺せるとでも…」
意味の無い攻撃に、オブザーバーは嘲笑とも憐憫とも取れる笑みと表情を浮かべる。
しかし、クリスは相手の隙を逃さない。
──ブンッ!
空気を切り裂く程の勢いを持って突き出されるナイフの切っ先。
触手の間を縫って繰り出されたそれは、正確無比にオブザーバーの喉笛を貫かんとした。
「……無駄よ。特異点でもない人間が私達を殺すなんて、出来は……」
ナイフの切っ先を触手で絡めとり、哀れみを含んだ表情で告げるオブザーバー。
しかし、次の瞬間には驚愕に染まる事となった。
「訳分からねぇ事を……」
ナイフを両手で握り、一歩踏み出すクリス。
「ほざくなぁぁぁぁぁぁ!」
そのままの勢いで、体ごとぶつかるようにしてオブザーバーを押して行く。
──ガリガリガリガリガリッ!
「なっ……何、この力は!?」
触手ごと押され行く事に驚愕するオブザーバー。離脱すべく体を横にずらそうとしたが、一瞬だけ遅かった。
──ドゴォッ!
「ガッ……!?」
クリスに押されたオブザーバーは、背後にあった緑色の柱に叩き付けられた。
柱にヒビが入り、そこから緑色の液体が噴き出してくる。
だがしかし、それに構わずナイフから手を離して拳を握るクリス。
「アディオスアミーゴ!」
拳を振りかぶり、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「地獄で会おう!」
拳をナイフの柄頭に向かって振るう。
拳の勢いを持って打ち込まれたナイフは、まるで杭打ち機のようにオブザーバーの触手を貫き、そのまま彼女の喉笛へ突き刺さった。
「あ……」
オブザーバーが一瞬だけ掠れた声を出すが、蛍光イエローの液体が彼女の喉笛から噴き出してそれを掻き消した。
──バキッ!バチバチバチバチッ!
そのままの勢いで、オブザーバーの体は緑色の柱にめり込み、柱を完全に破壊した。
その際に何らかの電子機器が破壊されたのか火花が散り、電流が緑色の液体を伝ってクリスへと襲い掛かった。
「ガアァァァァァァァァァア!」
まるで獣の雄叫びのような悲鳴を上げて、ガクガクと体を振るわせる。
時間にしてほんの数秒だったのであろうが、彼にとっては数時間に感じられた。
──バシャッ!
「はぁー…はぁー…はぁー…」
緑色と蛍光イエローが混ざった液体の上に倒れ込み、止まりかけた息を整える。
心臓が異常な程に脈打つが、止まっていないなら大丈夫だろうと判断しどうにか立ち上がる。
「……これで50年減刑だ。」
目を見開いたままピクリとも動かないオブザーバーの様子にニヤリと笑うと、彼女の下敷きになっている人物の存在に気付く。
オブザーバーの体を乱雑にどけて、その姿を確認する。
「……コイツが『天城』か?」
長い茶髪に、濡れた九本の尻尾を持った一糸纏わぬ姿の美女が居た。
赤城や加賀との言い合いで何度も出てきた天城だろうと推測したクリスは、自らが脱ぎ捨てたコートを使って彼女を背中に縛り付けるように背負う。
「三人か……クソッ、重桜人は尻尾の分重いから嫌なんだがな!」
機関室にあった巨木はどういう訳か枯れ始めており、幹に取り込まれていた赤城と加賀は上半身を、ダランとさせている。
あれなら引っ張れば取れそうだ。
「あぁ…重い!腰を悪くしそうだ!」
どうにかこうにか、赤城と加賀を引き摺り出し二人をそれぞれ脇に抱えたクリスだったが、いくら女性でも三人も抱えればそれなりの重量にはなる。
ましてやオロチに飛び乗り、オブザーバーと生身で戦い、電撃で死にかけた身だ。むしろ立っている事すら奇跡だろう。
だが、休む事は許されない。
「不味いな…どんどん傾いている…」
そう、オロチが沈みつつあった。
この戦艦は潜水も出来るようだが、機能停止した今となっては浸水してしまうかもしれない。
一刻を争う事態だ。
──ビーッ!ビーッ!ビーッ!ビーッ!
通路にブザーが鳴り響く。
真っ直ぐな一本道だが、三人も抱えた状態で傾いた道程を走るのは骨が折れる。
それでもどうにか、侵入するのに使ったハッチまで来るとそれを器用に足で開けて、甲板上に出た。
「指揮かぁぁぁぁぁぁん!」
「指揮官さぁぁぁぁぁぁん!」
彼を呼ぶ声が聴こえる。
正面にはノーザンプトン、そして『SB2Cヘルダイバー』を操縦するロングアイランド。
「ナイスタイミング!やっぱり最高だ、お前ら!」
ノーザンプトンとオロチの間にヘルダイバーが来た瞬間、ヘルダイバーの右翼に飛び乗る。
一瞬、機体が右に傾くもロングアイランドが操縦捍を操作し、勢い良く左に傾ける。
すると、まるで投石機のように三人を抱えたクリスが放り投げられた。
その先には、ノーザンプトンが甲板上で救命用ゴムボートを広げて待ち構えている。
これなら多少、衝撃は和らげられるだろう。
自らが指揮する艦隊の最古参である二人に心中で感謝しながら、クリスの意識は衝撃と共に闇に落ちた。
──■■■■■──
白亜の石柱が建ち並ぶ光に満ち溢れた空間。
そこに二人の人影があった。
「どうかしら、あの"失敗作"は。」
一人は触手を持つ青白い少女…オブザーバーだ。
「確かに…自らを曲げず、力に溺れる事も無い。素晴らしい人材だが…」
白髪に、長い髭。ゆったりとした純白の服を着た老人…人が想像する『神』そのものな人物がオブザーバーの言葉に応えるも、若干言い淀んだ。
「…"悪意"、彼の中にあるそれが気になるのかしら?」
オブザーバーの言葉を聞いた老人は小さく頷いた。
しかし、それに対しオブザーバーは小さく笑う。
「うふふ…大丈夫よ。あんな、悪意に満ちた失敗作でも世界の一つぐらい救えるわ。それに……」
──ゴポッ
オブザーバーが喉を鳴らして、口から何かを出した。
「毒をもって毒を征す…貴方達が恐れる"羽虫"の悪意では、彼が世界に撒き散らす悪意を侵す事は出来ないわ。」
ニヤニヤと笑うオブザーバーは口から出した物を虚空へと放り投げた。
「さあ、貴方はどんな道を歩むのかしら?うふふ……」
新しいオモチャを見つけた子供のように笑うオブザーバー。
それを何とも言えない顔で見る老人は不安を口にした。
「世界を救う悪意……そんな物、存在するのだろうか?」
オブザーバーによって放り投げられた物が光と共に消え去った。
──中央暦1639年12月9日午前8時、重巡洋艦『ノーザンプトン』──
「もうすぐ作戦だけど…指揮官、準備は出来ているかい?」
水音に混ざってノーザンプトンが問いかける。
それに対し、指揮官はため息混じりに答えた。
「はぁ…こういうのは苦手なんだがなぁ…まあ、たまには指揮官らしい事せんとな。」
キュッ、とシャワーを止める。
ここは、ノーザンプトン艦内のシャワールームだ。
肩から膝の辺り迄を隠す仕切りで区切られているが、それ以外に視線を遮る物は無い。
互いの顔は見えるし、少し顔を動かせば一糸纏わぬ姿を覗き見る事も出来る。
そんなシャワールームで指揮官とノーザンプトンは、隣同士のブースで身を清めていた。
「まあ、そうだね。指揮官は言葉を選ぶのが苦手だし。」
ノーザンプトンもシャワーを止めて、指揮官の顔を見上げる。
年若い男女が、共に裸でシャワーを浴びる…如何わしい関係なのだろうと邪推されるかもしれない。
しかし、この二人…いや、ロングアイランドも含めた三人はそんな間柄ではない。
友情だとか恋愛感情だとか、そんな世間一般的な言葉では言い表せない程の信頼関係がこの三人にはあった。
「どうにか上手くやらんとなぁ…ワイルドウィーゼルも、海兵隊も命懸けで砲火の前に姿を晒すんだ。下手な事言えば士気に関わる。」
肩を竦めた指揮官はブースから出て、脱衣場へ向かう。
そんな彼の体には、まるで植物の根のような跡があった。
高圧電流により生じた火傷の跡だ。血管に沿うように電流が走った為、このようになっている。
「たまには、赤城と加賀と天城にも構ってあげなよ?ああ見えて、特に赤城は寂しがりなんだからさ。」
「何はともあれ、この戦争が終わったらな。」
ノーザンプトンの言葉に背を向けたまま答え、脱衣場に足を踏み入れる。
「……何だこれ?」
脱衣場の中央、扇風機とベンチが置かれた辺りに何か落ちている。
近寄って観察する。
「鍵…か?」
そこにあったのは、楕円から一本の棒が生えた金属だった。
棒には幾つもの窪みがあり、それは電子的なロックを外す為のマスターキーのようだった。
それを拾い上げようと手を伸ばす指揮官。
「……うわっ、ぬるってした。」
何らかの粘液に濡れた鍵。
その楕円の部分には、こう彫り込まれていた。
『~1969,unlock』と…
次回、『デュロ攻略戦』開始!