左の頬が冷たい。
最初に感じたのは頬に感じる染みこんでくるような冷たさだった。
湿った土の匂いがする。
どうやら自分は左頬を下にしてうつ伏せになっているようだ。
目を開けてみてもほとんど何も見えていない。
かすかに湿った土の地面が見えているだけだった。
「うっ」
起きようとして少し体を動かすと鋭い痛みが後頭部に走り、ハルは顔をしかめつつ起き上がろうとした
体が重い。
冷えた地面に長く横たわっていたからであろうか、腕を動かし地面に手をつくことすら一苦労だった。
「うううぅ・・・」
後頭部の痛みと冷えて強ばった身体からくるこのまま寝ていたいという欲求に抗いながら起きた。
あたりを見渡しつつ痛みで思い出そうとしてみた。
(たしかこの村に騎士団とガルドリンという覚者が言い争いになっていたところに統率さんの言づて伝えて・・)
そうだ、その後竜の礎と自分を交感しようとした時にふと目の端に人影をとらえたんだった・・
その人影は隠れるように村の端にある井戸に入っていった
(その様子が気になってその井戸を降りていったら急に頭にガツンとなにかで殴られた感じでそのまま気を失ったっけ)
すこしぼんやりする頭を振ってハルは井戸の出口に向かった。
井戸を出たらあたりはすっかり暗くなっていた。
来たときはまだ昼過ぎだったので半日くらいは気を失っていたのだろう。
痛む頭を気にしながらハルは村人が寝静まった中、村の中心にある竜の礎の前に立った。
竜の礎とはハル自身よくわからなかったがレスタニアのあちこちにある移動施設である。
礎と交感(自分と何かを交わすようだがハルにはわからなかった)するとその場所を念じるだけでその礎の場所に瞬間移動できるとても便利なものだった。
竜の礎は腰くらいの高さの台座にハルの手や上腕くらいの黒い水晶のような石が周りに配置された中央にひときわ大きく高さはハルの身長の2倍くらい、下端の幅は肩幅より少し広くて徐々に細くなっていきながら先端部分でさらにもう一段細くなった四角錐の黒く巨大な石であった。
その石に左に渦を巻いているように六本の線が少し下部に描かれておりその周囲に文字のようなものが反対方向に回っているように書かれてありそれが石全体におよんでいた。
ハルが手をかざし礎と交感すると石の文字が夜だとはっきりわかるくらいに光った。
「よし帰るか」
ハルはこの用事を頼んだ統率と呼ばれる人物のいる白竜の神殿の礎のイメージを呼び起こした。すると光と浮遊感がハルを包み込みこんだ。
端から見ると光りつつ母の胎内でまどろむ胎児のように体を丸めながら浮遊し、ひときわ鋭い輝きを見せた後その姿が消えた。そしてテル村には最初からそこに人などいなかったような静寂がおとずれた。
一瞬だけ。
満月に近い月明かりを避けるように建物の影から影へと足音を立てないように竜の礎に一人の人物が近づいてきた。
その人物は満月に背を向けて影になった口から「ああ、遅かったか・・」と独りごちた。
ー白竜の神殿ー
300年前白竜が突如現れた黄金竜と戦い墜ちた場所に建てられた新たなる竜の御座所。
白竜はこのレスタニアの守護の中心であり心臓を竜に捧げるかわりに人を竜の力の一部を扱える覚者という存在に出来た。
ハルもその覚者にこの前なったばかりであった。
その白竜が住まう神殿の中心にある礎の横にハルは光につつまれつつ現れた。
テル村にあるものより高い台座に据えられた礎の表面に刻まれた文様が明るい月の光の中でも見るものに安らぎをあたえるがごとく青白く点滅している。
ハルはこんな真夜中でも報告にいっていいのかなと思いつつ謁見の間の方向を確かめようと周りを見回した。
こんな時間でもあたりに数名の人がいる。
(こんな時間でもなにかしている人がいるんだ)
ハルは少し感心していると一人がこちらを見ていた。
暗くてよくわからないがどうやらこちらを凝視している感じがする。
ハルもつられてその人を見た。
とても長い時間が経ったような気がしたが実際は瞬きを数回しただけの刹那だった。
突然「オークだ!!」とハルを見ていた人が神殿の暗闇を切り裂くような叫び声を上げた。
ハルは(えっオーク!?)と驚きつつ周りを見回すがどこにもオークの姿はなかった。
そして叫びを聞いた周りの人々もあたりを見回すのをハルは見た。
その視線がハルに向けられる。
その視線を受け自分の後ろにオークがいるのかと後ろを向くがどこにもオークの姿はなかった。
かわりに自分に向けられる驚きの顔。
次の瞬間覚者と思われる数名がハルに向かって叫びながら走り出した。
「オークがいるぞ!」
「なぜこんなとこにオークがいるんだ!」
「殺せ!」
ハルはなにがなんだかわからないが「殺せ!」と自分に向かって叫び迫ってくる覚者から逃げなければとあたりを見回した。
真後ろに神殿の門がある。
なぜ自分をオークと思うのか、なにか勘違いをしているのではないか。
そう相手に尋ねたい気持ちを抑えつつハルは門に向かって走り出した。
後ろから覚者が迫ってくる。
ハルは捕まったら殺されると思い必死になって門を駆け抜けた。
ーハイデル平原ー
白竜の神殿の大門を抜けると目の前に木々が点在する開けた土地が広がった。
小高い丘が連なるこの土地は穏やかな気候のおかげで草木がほどほどに点在し暮らしやすい場所となっていた。
地形に合わせて左へ緩やかに曲がりつつ他の地域へ伸びる街道があるもののハルは背後から浴びせかかる覚者の怒声が街道などお構いなしに平原を直線で駆け抜けさせた。
街道から外れたところにいる数匹のゴブリンの驚き非難の叫びを聞きつつ真ん中を突っ切り、とにかく後ろから迫り来る覚者を振り切るためにハルは必死に走った。
どこに逃げるあてもなくただ必死に走っていた。
かなり走ったであろう、そう思えたハルはふと後ろの覚者がまだ追いかけてきているか気になり後ろを振り返った。
きてない。
さっきまで追いかけられていることで疲れと恐怖に強ばっていた表情が緊張が緩むことで少し泣きそうなものに変わった。
後ろを振り返ったことで勢いは落ちたものの足はまだそのまま進んでいた方向にむかって歩みを止めないでいた。
再び進んでいた方向に顔を向けると目の前に人がいた。
止まろうとした甲斐なくハルはその人物にゆっくりながらもぶつかった。
その反動で後ろにバランスを崩し尻餅をつく。
「うわ」
「ア゛」
どうやらハルはその人物の背中にぶつかったらしく、少しよろけながらも低い濁った声を出しながらハルの方向に振り向いた。
オークだ。
満月に近いとはいえ真夜中の暗闇では緑がかった肌がさらに濃く人の肌とは違う異様さを見せ、頭髪は無くその口からは鋭い牙が覗いている。
身体は人よりも二回りほど大きく筋肉質で、衣服は簡素なものしか身につけてなくそのオークも腰に布を巻き付けているだけであった。
右手にはきちんと研がれてはいないものの切るのには十分な剣を持っている。
ハルは目を見開き身体を強ばらせた。
まずい。
必死で走った結果周りを確認することを怠りオークが徘徊するところまで来てしまった。
慌てて何回も左右に頭を振り周りの様子を確認した。
どうやら神殿から左、左へと走ったようで左側に登るのに苦労しそうな崖がそびえている。
少し右の先には川が暗闇の中で月の光を照り返しつつ黒い流れとなってうねっていた。
そして目の前にはオーク。
そのオークが顔をしかめながらハルに尋ねた。
「オマエドコカラキタ?」
(!?)
その質問にハルは見開いた目をさらに大きく見開いた。
(何を言っている!?)
ぶつかってきた人間にオークが尋ねる質問じゃない。
人間とみれば見境無く襲いかかるのがオークだ。
それが今、すこし顔をしかめながらも手に持つ剣を振りかざしもせずにこちらを見てただ質問をしてきている。
おかしい。
しかしなんと答える?
神殿から来たと答えたら怪しまれるに決まっている。
しかしオークが納得するような答えをハルは思いつかなかった。
ハルが答えに窮し黙っていると「ドウシタ」とぶつかったオークの後方から同じ格好のオーク尋ねながらがこちらに歩いてきた。
さらにまずい。
目の前のオークが後ろから来たオークに向かって「イヤコイツ ヘンナンダ」とハルを見ながら答えた。
警戒している。
戦っても勝てそうにない相手なので逃げるしかないと足に力を入れようとしたその時、後ろ側のオークの言葉がハルを止めた。
「ヘンナオークダト」
変なオーク?
ハルの見開いた目がさらに開き、恐怖と驚きと戸惑いの中で一つの答えにたどり着いた。
神殿の人々は僕をオークだと言っていた。
目の前のオークは僕を見て敵だと思っていない。しかも自分を見て変なオークと言った。
他にも視線の高さ、走るスピード。
ある事実が今までの出来事を一つの繋がりで説明できる。
しかしハルはその事実を受け止められなかった。
そんなはずはない。
自分は覚者だ。
オークなはずがない。
その思いとはうらはらに目がゆっくり下を向き自分の腕を見た。
今までこんなに鍛えたことのないような筋骨隆々の腕だった。母親から自分の指と変えてくれとまで言われた細く繊細な指は二回りほど太く、まるで一昨日食べたソーセージだ。今日きれいに丸く整えたはずの爪は鋭く尖り、優しく相手に触れるのは不可能だと思えた。
そしてなにより肌が緑だ。
暗闇でもわかる。オークと同じ緑だ。
ハルはもはや目の前のオークのことなど気にもせずあたりを見渡した。
目の前のオークのことはもはや眼中になく視線を左右に振った。
(あった)
ハルは訝しんでいるオークを無視してそちらに駆けた。
急いでいるはずなのになかなかそこにたどり着かなかった。
さっきから目を見開いたままで目が乾いて涙がでてきた。
いやそれは今の状況を理解しつつも受け止められずに出てきた涙かもしれない。
もう少しだと思ったとき足がもつれてうつ伏せに倒れた。
痛みなんかどうでもよかった。
起ききらずに四つん這いになったまま這うようにそこにたどり着いた。
月明かりに照らされながらも闇が形になったような水のうねり。
しかし四つん這いのまま近寄ると月の光が水に反射してハルの姿を映し出した。
「ああああああああ」
オークの顔がそこにあった。
声は言葉として出なかった。
しかしハルは心の中で叫んでいた。
オークになった!!!