(何故こうなったのだろう)
ハルはそう思いながら振り返った。
そこに見えるのは禊の神殿とそのさらに先のセラー湖であった。
ハルは禊ぎの神殿の最上部に立っていた。そこは通路のようになっており歩くことが出来た。
神殿自体は湖を堰き止めるように作られておりハルのいる場所からは向こう岸が見えないくらい広大な湖が一望できる。
バートランド平原
ここはハイデル平原の隣にある平原地帯である。
気候もハイデル平原とほぼ同じで魔物が徘徊してなければ人々が暮らしやすい土地だったに違いない。
そこに禊ぎの神殿はあった。
元々ここはは白竜の御座所であった。しかし300年前に現れた黄金竜との戦いで勝ったものの白竜は傷つき墜ちてその場から動けなくなった。その場所に建てられたハイデル平原にある白竜の神殿に白竜がとどまることになったため今ではモンスターが跋扈する廃墟のような場所になってしまった。
ここは神殿となる前は滝があったのだろうが今は神殿がセラー湖の水を堰き止める形になっている。ハルはセラー湖から反対側へ視線を戻し下を見ると今でも湖の水が神殿内を通り壁の穴から流れ出て滝壺へと落ちていくのが見えた。
水は滝壺から川となって流れていき少し先で二手に分かれ一方はバートランド平原北部へもう一方はハイデル平原に流れていった。
ハルは視線を下げバートランド北部平原への川の流れを追いかけた。しかし何も見るべきものが無かったためもう一方のハイデル平原へ向かう流れに目を向けた。禊ぎの神殿からは近いとはいえないもののハルの位置からでもはっきりとその姿が見える一つの建造物があった。
グリッテン砦。
バートランド平原とハイデル平原の境目にあるこの巨大な砦はバートランドから襲い来るオークをハイデル平原に侵攻させないための重要拠点である。
オークが何度も砦に攻撃を仕掛けてきたが突破されたのは大規模侵攻の中での小部隊のみで大部隊は許したことは無かった。
ここを突破されると白竜の神殿まで遮るものは無くまさしく最後の砦であった。
「キャプテン」
グリッテン砦を眺めていると後ろからハルに向かって声がかけられた。
声をかけてきたのはオークだ。そのオーク以外に二人、全部で三人のオークがこちらにむかって歩いてきている。
「ドウスル?」
最初に声をかけてきたオークが尋ねる。
どうすると言われてもどうしていいかわからなかった。
第一こんな状況になるとは思っていなかったのだ。
何故こうなったのだろう。
目立たないように調査するはずだったのに。
それはオークの姿をしたポーンと<魔導器のようなもの>を調べるためにオークがたくさんいるところ、バートランド平原北部の呻きの涸れ井戸と呼ばれる場所へとルドヴィカにつれていかれたことから始まった。
「あ、止まって。あそこにオークの一団がいるでしょ。あの中で一番大きくて赤黒い肌をしたのがオークの首領であるモゴックよ」
ゴブリンの姿をしたルドヴィカはハルに少し離れた道を歩いて行く大きな集団を指さした。
ハルはその集団の中にひときわ大きく赤黒いオークを見つけた。大股でゆったりと歩いて行く姿はいかにも屈強の戦士だとハルは思った。その周りを様々な装飾をした強そうなオークがモゴックを守るように囲んでいる。
モゴックの一団を見た後ハル達は呻きの涸れ井戸の近くに来た。
「じゃあ頑張って」
ゴブリンの姿をしたルドヴィカは立ち止まりオークの姿をしたハルの腰のあたりをポンポンと叩きながら言った。本当は肩を叩きたかったのだろうが背の高さの違いで腰を叩かざるをえなかったのだろう。
「ゴブリンは涸れ井戸の中に入っても殴られて追い出されるだけだから、ここから先はあなた一人で行くしかないのよ」
ルドヴィカはゴブリンの姿をしたままハルに困った様な顔をした。しかしハルには厄介事を押しつける事が出来て喜んでいるようにしか見えなかった。
「とりあえずオーク達が何か話しているか盗み聞きするところから始めるのがいいわね」
そんな簡単にいくのかと思いながらもルドヴィカの話を聞くしか無かった。
「わたしもよくするけど、なにか作業している風で少しずつ偉そうなオークの場所に近づいていくと上手くいきやすいわ」
そう言ってゴブリンの姿をしたルドヴィカはハルから離れていった。
ハルは一人になったとたん自分が敵の中にたった一人でいることを自覚した。
オークの姿をしているが、バレたらただではすまないだろう事が想像できた。
今の自分ではオークに一発殴られるだけで死ぬだろう。
帰りたい。
そうだ帰ってもいいじゃないか。
神殿の前に行って他の覚者に話を聞いてもらえればなんとかなるんじゃないか。
<魔導器のようなもの>とかオークのポーンの事って自分がするより他の覚者がした方がうまくやってくれるんじゃないか。
そうし・・
右肩を強く掴まれた。
ハルは全身が硬直し血の気が引いた。
ルドヴィカはゴブリンの姿なので肩を掴めない。
こんなところでハルだとわかって好意的に自分に触れてくるものなどいない。
なにか怪しまれる様なことをしたか?
とりあえずこの場を切り抜けなければと振り向こうとした時それより早く力強くグルッと反対に回された。
「アンタ イキテタノカ!」
そう言ったオークはハルの両肩を持っておもいっきり前後に揺すった。
「ヨカッタ!シンダトオモッテタゼ!」
オークはうれしそうに笑顔でハルを揺すった。対してハルは目を見開き口を半開きにして揺すられるに任した。
何故こんなことをされるのか思い当たる節が無い。
揺する力が弱まってきたところでハルはオークの口調で目の前のオークに尋ねた。
「ダレ?」
ハルは驚きで単純な問いしか出来なかった。
問われたオークは揺さぶるのやめ少し驚いたように目を見開いた。
「オレダヨ オレ!」
「イヤ、オレダトイワレテモ」
「コノマエ ドウクツヘイッショニイッタダロ!」
「ア、アァ イタヨナオモイダシタ」
ハルはオークの顔を判別出来なかったのでいたかどうかわからなかったが、とりあえず話を合わせようと適当に相づちを打った。
「オモイダシタカ!ヨシ コッチダ」
オークは笑顔になってハルの手を引き枯れ井戸の方に連れて行き始めた。
「ド、ドコヘイクノデ・・ダ」
ハルは慌てていつもの丁寧な話し方になりかけたがオーク相手だと思い直しぶっきらぼう風に言った。
オークは言葉の最後が変になっている事に気がつかずに返事をした。
「オマエガイキテイルト オシエタイヤツガイル」
自分が生きていると教えたいやつがいる?
オークに自分の安否を心配される覚えがないと思いつつハルはオークに手を引かれるまま呻きの涸れ井戸の中へ入っていった。
「「ヨカッタ!」」
部屋にいた二人のオークは同時に叫んだ。
涸れ井戸の中は最初は土を掘り進めた所になっていた。それが進んでいくと掘った場所をきちんと石のブロックで整えた場所となってきてやがていくつかの地下室のような作りになっていった。
その中でハルは一つの部屋に通された。他に扉が無く真ん中の机そしてあちこちに壊れた木箱や崩れかけの棚、さらに松明一本での薄暗さでとても狭く感じられた。そこに真ん中にある所々が傷んでいる机に向かって立って何かを飲んでいた二人のオークがいた。そしてハルを連れてきたオークがその二人に事情を説明すると先の台詞を叫んだのである。
「アンタガオコッタトキハ スカットシタゼ」
「アイツライツモオレラニ ドナッテバカリイルカラナ」
どうやらこの三人のオークは弱い立場にいるようだった。それが先の大坑道でハルが怒鳴って黙らせたことに胸がすく思いをしたらしい。
「コレデモノメ」とオークの一人が壊れかけの棚から取り出した壺から何かよくわからない液体を欠けた陶器の杯に注いでハルの前に置いた。
ハルが飲もうと杯を口に近づけたが液体から異様な臭いがしたのでそこで止まってしまった
臭かった。そこら辺の野草を適当にすりつぶして泥水に入れたような臭いがした。
部屋は暗かったので液体が何色をしているかわからない。
飲みたくなかった。しかし飲まなければ怪しまれる。
杯を見つめ止まっているとそれを見ているオークの戸惑いの雰囲気が察せられた。
飲まなければ。
止まった位置から手の位置から指一本分も口に近づけることが出来ない。
すう~っと息を吐き出し下腹に力を込め目をつむった。
ふん!
一気に杯を空け味を無理矢理意識から遠ざけて胃に流し込んだ。
勢いよく杯を机に叩きつける。
少し涙目になりながらもハルは三人のオークに笑顔を向けた。
オークから喜んで笑顔になっていた。
飲んだものを胃が拒否しているのを無理矢理無視しつつさてここからどうしようかとハルが思った時扉が開いた。扉から三人のオークよりも強そうな装備を着ているオークが部屋をのぞく。三人のオークの顔から笑顔が消えた。
「オイ ドゥーヨーサマガサケヲモッテコイト イッテイル」
そう言いつつ覗き込んだオークが部屋の中を見渡した。中の三人のオークは覗き込んだオークと視線を合わさない。
唯一ハルがその視線を受け止めた。
「オマエ コイ」
強そうなオークがハルに向かって手招きした。ハルは驚き他の三人のオークを見たが三人ともこちらを見ようとしなかった。
誰も何も言ってくれなさそうなのでハルは渋々強そうなオークについてある部屋に入った。
部屋には大きな壺がいくつも床に並べれておりきつい酒の臭いが充満していた。
強そうなオークは部屋の中を見渡し一番傷みが少ない壺を持ち上げた。
「モッテイケ」
壺は持った感じが人間の3歳児くらいの大きさなのだが中に酒がなみなみと入っているのでハルが持つと一瞬ぐらっと傾いた。
ハルはこれをこぼすと目の前のオークに殴られて死ぬかもしれないと思い必死に体勢を整えた。
渡したオークも少しびっくりして大丈夫かこいつといった顔をしていた。
ハルは体勢を整えたもののよたよたと歩きながら部屋を出た。
部屋を出たところでハルは顔だけ後ろを向けオークに尋ねた。
「ヘヤ ドコデス?」
「イチバンツキアタリマデススンデ ミギニマガッテツキアタリダ」
「シラナイノカ?」
訝しむオークにハルは「イ、イヤ ヒサシブリナモンデ」と少し強ばった顔で応えたがオークの方はそれ以上追求することは無かった。それよりも自分の役目は終わったとばかりにすたすたと酒の置いてある部屋から出て行きどこかに行ってしまった。
ハルはホッとしつつ重い酒壺を抱く様に持って時々よたつきながらも示された部屋の前についた。
壺を持ったままでは扉を開けないので下ろして扉の把手に手をかけた。
<オマエノイウオークヲミツケナケレバ グリッテンハブッコワセナイノカ?>
ハルの手か止まった。
(グリッテンを壊す?)
グリッテンとはグリッテン砦としか思い当たらない。
<・・・・>
<イルノハ ハクリュウノツノナンダロ>
<・・・・・・>
(白竜様の角!?)
相手がなにか喋っているのはわかるが低くてくぐもった声なのでうまく聞き取れなかった。
<フンッマァイイ オマエノハナシガウソダッタラ オマエヲブッコロスダケダ>
<・・・>
<モゴックガグリッテンニイルトキニコワセレバ サイコウナンダガナ>
オークの笑い声が扉の向こうから響いた。
そして少し沈黙があった後<サケハマダカ>という声が聞こえたのでハルは慌てて扉を開き酒壺を持って部屋に入った。
部屋の中は先に入った部屋と広さは変わらなかったが若干明るかった。その部屋のほぼ中央に机が置いてあり奥の扉から入ったハルに向く様に座っているのは先のオークよりもさらに身につけているものが豪勢なオークだ。
机には空の杯と杯と同じ大きさの銀が黒く変色したような容器が置いてあった。
その容器も本来は酒を飲むためのようなものだったのだろう下のほうが細くなり底には置くための円形の台座がついていた。
容器の横にはかなり複雑な文様が施されている。
容器はその横に蓋であろう半球状のものが転がっており容器の方にはハルの人差し指くらいの白い丸まったものが入っていた。
その白いものをオークは一つつまんで口に運ぶ。
オークが噛むたびにくちゃくちゃと音がした。
白いものをよく見ると芋虫だった。
芋虫をつまみにして酒を飲んでいるようだった。
そのオークに対面して座っているのは黒ずくめのフード付きのローブを纏った人のようだった
ハルからは背を向けているのでよくわからないが人だとすると小柄な方でもしかすると女性かもしないとハルは思った。
こっちに持ってこいとオーク指示されたハルは酒壺を抱きかかえよたよたと黒ずくめの左横を通った。
そのとき黒ずくめの方を見ると左手に子供の腕ほどの長さの杖を持っているのが見えた。
杖は金色で先端に装飾模様が施された大人の拳の一回り大きい六角柱がついていた。
その杖を横目で見つつハルはオークが自分の横に置けと示した場所に酒壺を置いた。
黒ずくめのローブの顔を見たかったが頭まですっぽりとローブかぶっており下を向いているので全く見えなかった。
さっきの話が気になりつつも部屋を出ようとしたそのときオークが口を開いた。
「ヘンナオークヲトクベツニサガスヤツガイタホウガイイカ」
「それはまかせる」
オークの言を受けて黒ずくめが言った。老人が喋る様な低く濁る声だった。
オークがハルの方を見て。
「オマエヘンナオークサガセ」
思わずハルはオークの方を目を見開いたまま固まったように止まった。
そんなハルの様子を気にもとめずオークは涸れ井戸中に響き渡るような声で他のオークを呼んだ。
「オイ!ダレカコイ!」
待っている間に黒ずくめが右手から革袋を机の上に置き中から小指大のガラス玉のような物を取り出した。
玉の中心には濃い紫色になっており外側に向かって薄く光っていた。
「コレガマエニイッテイタツヨクナルドウグカ」
黒ずくめが頷く。
「これを部下に一つずつ持たせるがいい」
オークが革袋を取ると「サラニオレノグンダンガ ツヨクナルワケダ」とニヤリと笑った。
声に呼ばれてさっき酒壺の部屋に案内したであろうオークがやって来た。
「コイツノシタニ ダレカツケロ!」
そう言われてハルを部屋から連れ出したオークは通路を歩きながら独り言のようにしゃべり始めた。
「コイツニツケルッテモ ダレカイルカナ」
少し間を置きオークがひらめいた様子が見えた。
ハルに向かって「サッキオマエツレテイクマエ ホカニサンニンイタナ」
ハルが頷く。
「アイツラニシヨウ」
そう言うと最初に入った部屋に行き部屋の中にまだいた三人のオークにハルの下について変なオークを探せと伝えるとさっきと同じように早々とその場を立ち去っていった。
「アンタトイッショニ ヤクメガデキルノカ!」
三人のオークは喜んだ様子でハルを迎え入れた。
「ヨロシクナ キャプテン!」
・・・
ということがあり自由に動けるようになったとはいうものの何処を探していいものかわからなかった。なのでとりあえず高いところで見回してみることにして禊ぎの神殿の上にいるというのが今の状況である。
<魔導器の様なもの>を探すのも大事だがそれよりも涸れ井戸で聞いたグリッテン砦を破壊するという話がとても気になった。それに必要なのが白竜の角という事らしい。
白竜の角とは何なのか。
確か白竜様に謁見した時は片方の角が折れたように無くなっていた。
あの無くなっている角が今もどこかにあるのか。
それとグリッテン砦が破壊されるという計画があるのを白竜の神殿に戻って皆に知らせるべきかも問題だった。
しかしどんな計画か少なくとも概要がわかるまではどう対処していいかわからないはずだ。
グリッテン砦破壊計画、白竜の角、変なオーク、魔導器のようなもの。
もう少し探ってみてから知らせた方がいいだろうとハルは思い禊ぎの神殿の上から何気なくグリッテン砦の方を向きそこから見えるバートランドの地上を眺めていた。
!
ハルは禊ぎの神殿から落ちた水が川となった上に架かる橋の上を走る人影を凝視した。
「イタ」