空隙の町の物語   作:越季

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15-3「非公式手合わせ」

 青々とした竹の間を青い髪の男が駆ける、駆けていく。青い葉の隙間から雨が滴るも、それを浴びながら男は進むのを止めない。

 刀を構えながら走るその男に、普通の人間ならまず追いつけないだろう。それを男も承知している。

 しかし背後からした葉擦れの音に気を取られ、前方が疎かになってしまう。そして気付いた時には——

 

「——がら空きだぜ!」

 

 前方に立っていた白い男に鋒を向けられていた。紙一重でそれを避け、反撃しようと青髪男が横一文字に刀を振る。それをあっさりと受け流し、白い男は再び攻勢に転じる。

 青髪男は息が少し上がっている。そのせいか剣撃のスピードも万全時と比べ落ちている。一方の白い男は楽しそうに刀を振っている。戦い甲斐のある相手に、存分に楽しませてもらっているのだろう。

 青髪男がふらりと体をよろけさせ、白い男がそれに気付かず刀を振り下ろそうとした。

 

「はいはい、そこまで! アンタ達、休憩にしな!」

 

 白い男がその声にピタリと動きを止める。青髪男は尻餅をついて息を荒げ、白い男は刀を鞘に収めた。

 青髪男の後方からのんびりと歩いて来たのは、派手で女性的な姿をした大男。一升徳利をぶら下げて現れたその男は、青髪男と白い男の周囲を見てうわあ、と声を上げた。

 

「ちょっと、白熱し過ぎじゃないの? これ上に怒られるのアタシなんだからね?」

 

 竹の幹にはあちこちに斬った跡がついており、一部の竹は折れる寸前まで行っている。葉も地面に大量に落ちており、抉れた地面を覆い隠すように散乱していた。

 息を吐いて大男の言葉を聞いた白い男は、周囲を見て気まずそうに頭を掻いた。

 

「……あー、すまん次郎。俺も一緒に叱られるから許してくれ……」

「それと猩々木庵で奢りだよ、鶴丸。一期もお疲れさん、水持って来たから飲みな」

「ありがとうございます……」

 

 ペットボトルを大男——次郎に差し出され、青髪男——一期は受け取り飲み口を口に含んで思い切り呷る。白い男——鶴丸は、次郎に高級酒を奢るよう迫られ、顔を青ざめさせていた。

 

 蒼穹の一期が春光隊の獅子王と石切丸と別れた後、端末に氷雨の鶴丸から連絡が入った。——急で悪いが手合わせがしたい、約束してからかなり遅くなってしまったが時間はあるか、と。

 春光隊の長谷部の過去を聞いて思考が暗くなっていた一期は、少しでも気分を持ち直す為にその提案を受け入れた。場所は本丸区域の中にある竹藪、見届け刀として次郎太刀がついて来た。

 一期は顕現してから数ヶ月、鍛錬を積んで来ていた。格だって特に上がったし、弟達にも恥じないような刀剣男士になれたと思っている。実際、弟に恥じる所はないだろう。

 しかし——結果は、鶴丸に押されっぱなし。流石に一回は攻撃を入れられると考えていたが、鶴丸には一度も刃が届く事はなかった。

 これには一期も凹む。がっくりとうなだれていると、次郎が一期の側に寄り朗らかに笑いかけた。

 

「大丈夫だって、鶴丸と手合わせしたの初めてなんだろう? それでここまでもったのは凄いよ! もう少し鍛錬を積めば、鶴丸と互角になるんじゃないかい?」

「そうでしょうか……」

「うん、その点は自信を持っていいと思う。鶴丸の初見殺しにもなかなか上手く対応出来てたし、後は自分の型にどうやって嵌めるかだね」

 

 次郎はしゃがみ込み一期と視線を合わせる。不安そうに顔を上げた一期の背をバンバンと叩いて、次郎はまた明るく笑う。

 

「力は順調についているんだし焦らなくていいよ! というか少し急ぎ過ぎだね、もうちょっとゆっくりでもいいくらいさ」

「……」

 

 一期は目を伏せて黙り込む。そうは言われても、悔しさと焦りが募ってしまう。

 そもそも、この手合わせを申し込んだのは一期だ。一期は一刻も早く、そして鶴丸相手にある程度上回れる力量を手にしなくてはならなかった。

 ——同じ存在でない以上、必ず齟齬は生じる。それで苦しむ事になるなら、最初から繋がりなんて無い方がいいと思わないか?

 かつて自本丸の鶴丸に、二度された問い掛け。それがどうにも、不安を掻き立てられて仕方ないのだ。

 光を返さない、暗く淀んだ目。感情の色を感じ取れない、平坦な声音。——あの鶴丸と近い内に戦う事になるだろうという予感は、一期の中で渦巻いていた。

 繋がりが無い方がいいなどと、一期は思わない。様々な場所にいた弟達と過ごす時間は宝であるし、氷雨の鶴丸をはじめとした他本丸の刀達と話す事はとても楽しい。その繋がりを手放す事を、何度問われても一期は選ばない。

 自本丸の鶴丸とはぶつかり合う部分が大き過ぎる。きっと次は、刃を持って語らう事になるだろう。その為に、少しでも心身共に強くなりたかった。

 

「……なーんか納得してない様子だね。それに少し表情に翳りが見える。何があったんだい? 次郎さんに話してごらん」

「……自分の心の弱さに、呆れていただけですよ」

「何言ってるんだい。アンタも一期一振らしく、芯の強さはあるよ。じゃなかったら向き合いたくないだろう事へ、自分から苦しみに行くもんか」

 

 え、と次郎の方を向く。まるで自分の心の内を見透かしたような言い振りだ。

 次郎は珍しく少し物寂しそうに目を細めて、小さく息を吐きながら言葉を紡ぐ。

 

「類は友を呼ぶとはよく言ったもんだ。アンタとうちの鶴丸は少し似ているよ。……鶴丸も昨日何かあったらしくて、ずっと無理をしているようなんだ。鶴丸とアンタの様子があまりにも似通っていたからね、何となく腹の内は見えて来るさ」

「……違います、私は、刀を振るう事で逃げているだけだ」

「逃げている、っていう言葉が出るのが()()を認識している証さね。本当に目を逸らしているのなら指摘された時点で逆上しているはずだ。内心を——後ろめたい感情を指摘されると、心ってのはどうも反抗したくなる性質があるらしくてね。そこの鶴丸もそうだった」

 

 ばっと顔を上げると、鶴丸がバツの悪そうな顔でそっぽを向いていた。次郎は彼を一瞥して苦笑すると、目を閉じてから言葉を続ける。

 

「昨日の鶴丸の荒れ具合ったら凄かったよー。帰って来たらいつもの飄々とした態度はどこへやら、周囲に殺気を撒き散らしながら歩いてたんだ。そしてたまたま出くわしたうちの一期に、嫌味一つ言われただけで抜刀さ。いつもならもう少し皮肉の応酬をしてからなんだけどねえ。ありゃ八つ当たりも多分に入ってただろう、鶴丸」

「……その点は、すまないと思ってる」

「謝るなら本刃にね。それよりも、昨日の滑莧園の襲撃事件。あれにアンタ達も巻き込まれたんだろう? 滑莧園は鶴丸も行ってたし、友達の一期も同じくじゃないかい?」

 

 次郎の言う通り、滑莧園の惨劇は一期も見届けていた。子供達のほとんどが命を散らされ、そして滑莧園の実態を知った。

 遺された子供達の涙に濡れた悲痛な顔が頭から離れない。特にソメゴローは、親友であるサクヤを上塗りされる形で失ったと分かったのだ。恨み、悲哀、憤怒、無力感。それらが一挙に襲い掛かって来た彼のダメージはどんなにか。

 ——返せ、返せよ! サクヤを——俺の相棒を返せ!!

 顕現する形が違えば、それはもしかしたら自分に向けられていた言葉だったのかもしれない。人間から兵器に変えられ、そしてかつての記憶は塗り潰される。サクヤのように大切に思われている人間がいたのなら、周囲の人々は降ろされた刀剣男士に鬱積した暗い感情を向ける事だろう。誰も悪くない故に、すぐ近くにいる責められる刀剣男士に。ソメゴローの苦しみよりもそれが辛いと思う自分は、薄情なのだろうか。

 それと、もう一つ。自分の側を通り過ぎて行く小さな弟。その存在に昨日まで気付けなかった。弟の性質が大きく関係しているとはいえ、兄である自分が存在を無視していたのだ。

 気付けなかった後悔と拒絶される悲痛、そして罪の重さが酷く苦しい。一期は鶴丸の誘いに乗ったのはそれから逃れる為でもある。そんな自分に、優しくされる謂れはどこにもない。

 

「……吐き出すなら吐き出しちゃいな。辛い物を見たんだろう、特にまだ顕現してから時間がそう経ってない一期。辛い事を堪えるのも選択肢の一つだけど、周囲に悟られているなら心が悲鳴を上げている証だ。堪えれば堪える程、心にヒビが入っていくよ」

 

 ないはずなのに、次郎は苦しくなる程優しい声でそう言った。その優しさは一期の心に一雫落ちて、心の枷を溶かしていく。

 どうして、優しい言葉をかけてくれるのだろう。分からない。分からないけれど、もう限界だ。

 せめて涙を流さないように——あるいは見せないように——俯いて、一期はぽつぽつと話し始めた。

 

「私は……滑莧園の子と、短い間でしたが交流していました。目を閉じれば、あの子達の笑顔も声も思い出せるのです。その子達が悲惨な目に遭って、それも確かに悲しくて、辛いんです」

「うん」

「でも、私は……あの子達に、何故もっと上手く出来なかったのか、何故もっと早く助けに行けなかったのか、それを責められるのが……酷く、怖くて」

「うん」

「先に救助に来ていた友刃は、心から子供達の事を憂いていたというのに……私は、自分の事ばかりで……! いつだって自分が可愛くて、気付けないといけない事にも気付かず、それでも彼等の事よりも自分の痛苦が先に立って……っ」

「一期」

 

 力強く、けれど丁寧さも内包して頭を抱えられる。ぽんぽん、と背中に回された手が優しくて、一期は目を見開く。続く穏やかな声が、耳に染み渡った。

 

「アンタは感受性ってのが豊かなんだねえ。うちの一期とは大違いさ。うちのだったらある程度悲しんだ次の瞬間には弟の事に切り替えているよ。無論、アンタのそれが悪い訳では全くないさ。寧ろ長所だね。悲しみに寄り添って、自分の悪い所にも向き合って……大変だっただろう。アンタの心はちょっと色んな事があり過ぎて、疲れちゃったんだよ」

 

 竹の葉の擦れる音が、柔らかく心に響く。次郎が背を叩くリズムも相まって、一期の視界が更にぼやけていく。

 感情の膨張に震える一期の体を優しく抱きしめて、次郎は背を叩き続けた。

 

「戦う事で発散するのもいい。でも今は、少し休みなよ。心の痛みを、思いっ切り表に出しな。大丈夫さ、ここにはアンタを笑う奴はいない。アンタは醜態を晒すと考えるのかもしれないけど、それは心を整理するのに必要な事さ。アンタが望むなら、アタシは何も見ない事にするからさ」

 

 その一言によって、一期の中で感情の緒が完全に緩んだ。

 目から噴き出した涙はあっという間に一期の頬をしとどに濡らし、しゃくり上げる口を止められない。一期は次郎に抱き付き、肩口に顔を埋めて懺悔の言葉を紡ぎ始める。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……! 私は、何も気付かないかった……悲鳴も寂寞も傷心も、知っていたはずだったのに……! どんな顔をして、あの子の兄を名乗っていたのか……今となっては、思い返すのも苦しくて仕方ない……! ああ、ああ、秋田、すまない、本当にすまない……! こんな私では、誰の前にも自信を持って立てない……呑気に友達になりたいなどと、どうして言えたのか……未来が失われると知ろうとせず、どうして子供達に未来を夢見させたのか……!」

 

 一期はただ、懺悔し続ける。自分の無知と愚挙を吐き出しながら、涙を流して。

 何も言わず、次郎は一期の背を叩いていた。しばらくそうしていたが、次郎は顔を上げて鶴丸のいる方向を見る。鶴丸は、迷子の子供のような表情をしていた。

 

「鶴丸、アンタは吐き出さないのかい?」

「……いや、俺は……」

「大方、友達が先に感情を吐露したけど自分はどうすりゃいいか迷ってるんだろう。アタシはアンタの事も笑わないよ。アンタはかなり複雑な思考回路をしてるからね。まとめるのも時間がかかるだろうさ」

 

 鶴丸は呆けた顔をして、ゆっくりと眉を下げた。そして音を立てないように次郎の側に寄って胡座をかく。頭をガシガシと掻きながら、鶴丸は少し情けない声を出した。

 

「何というか、君に負けた気がしてなあ。……友達を慰めてやりたかったのに、実際に感情を表に出させたのは君だ。それが、酷く悔しくてたまらん」

「友達だからこそ張りたい見栄だってあるさ。アンタだって、アタシがいなかったら一期の前でそんな顔出来なかっただろう? 友達に悪い部分を見せて引かれたくないっていうのも人情さ。特にアンタはなかなか心の内を晒さないからねえ。友達になったとしても線引きがまだ難しいんじゃないかい?」

「……君は、本当に頼もしいなあ」

「褒めてくれてありがとさん。で、アンタはどうする? 次郎さんの懐は空いてるけど?」

 

 ほら、と次郎が左腕を広げる。鶴丸は首を振り、手を後ろに置いて空を見上げた。

 

「いや、俺はいい。まだ吐き出したい事もまとまってないのに、いたずらに君の戦装束を濡らす訳にはいかないからな」

「別にいいのに」

「張りたい見栄ってもんもあるしな。気持ちだけ受け取っておく。ありがとな、次郎」

 

 難儀だねえと笑い、次郎は左腕を泣きじゃくっている一期の背に戻した。

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