鶴丸が蒼穹の一期と別れ、次郎と共に本丸へ帰る道すがら。次郎の懐から軽い電子音が鳴った。
「おや、主から連絡だ」
「えっ……あっ、俺端末忘れて来た……」
「ありゃー、これで鶴丸だけの呼び出しがあったら主にこってりと絞られるね」
「ネチネチ長いんだよなあ主の説教……それで、主は何て?」
軽く黄昏れてから鶴丸は次郎に尋ねる。次郎は慣れた調子で端末に届いた連絡事項を読み上げた。
「青江に客が来てるから失礼のないように、ってさ。……誰だろう?」
「うーん、心当たりがあるのは城下町だが。けど青江は滅多に降りないはずじゃなかったか?」
「青江は演練に出なくなって久しいからねえ。……本当どこからの客なんだい?」
「俺が知ってたら次郎も知っているだろう」
「そりゃそうか」
深く考えずに話しながら二振りは本丸の門を潜る。
赤い煉瓦造りの建物のあちこちで、窓が開いている。ふわりと外に靡く白いカーテンが、赤とのコントラストでやけに鮮烈に見えた。昨夜鶴丸が一期と喧嘩して壊した壁の跡もあり、鶴丸はさりげなく目を逸らす。
本丸内に入ってしばらく歩くと、賑やかな声が聞こえて来た。一つは妖しさ溢れる声、もう一つは涼やかでこちらの心を癒す声、そして最後の一つは——
「……聞き間違いかな、この本丸にいないはずの太刀の声が聞こえるんだけど」
「奇遇だな次郎、俺もだ。おかしいな、鍛刀可能日時じゃないだろう?」
「……ついに戦場で迎えられたのかな?」
「いやいや、それだったらもっと早く一報が来るはずだ。……て事は」
顔を見合わせて、鶴丸と次郎は足早に角を曲がりロビーへと踏み込む。そこに広がっていたのは、何とも洋風な光景だった。
白い丸テーブルを囲み、二振りと一人が談笑している。ケーキスタンドからスコーンを取り、ジャムとクロテッドクリームを付けて食しているのは青江。ティーポットから紅茶をカップに注ぎ、ミルクを入れて混ぜているのが審神者の妹である夕立。そして、カップの取手を持ち微笑みながら口に紅茶を運んでいるのが、客人であろう数珠丸だ。
歓談していた夕立がこちらに気が付き、涼やかな声と共に一礼した。
「鶴丸様、次郎太刀様! お帰りなさいませ!」
満面の笑顔で迎えの挨拶をしてくれる夕立。その心に爽やかな風を吹き込んでくれる姿に、鶴丸は自然と優しい笑みを浮かべ手を振っていた。隣にいる次郎も妹ちゃんただいまー、と明るい声を発している。
夕立がこの本丸に住み始めてから随分経つ。兄の過保護のせいで基本的にこの本丸内から出られない彼女は、それでも不満を漏らさずに笑顔で日々を過ごしている。身の安全を確保する為審神者を目指している彼女は、兄の手伝いをしたり戦場から帰って来た刀達を手厚く迎えるなど、少しずつ目標に向かって歩みを進めていた。
彼女がいる事で、刀達のマナーも向上している。麗かな少女に醜態を見せるのは流石に憚られると考えたのは、鶴丸だけでなく全員そうだったらしい。風呂上がりに裸でうろつくものも減ったし、下品な話題は彼女が起きている時間帯には差し控えている。鶴丸と一期が喧嘩を始めると起こっていた賭博行為も鳴りを潜めている。
つまり鶴丸と一期による喧嘩以外の、紳士的ではない行為は数を減らしているのだ。夕立の威力が凄いと言うべきか、その夕立の力をもってしても埋まらない鶴丸と一期の溝の深さを嘆くべきか。そう審神者が悩んでいたのは余談である。
そんな事情もあり、目の前では和やかな光景が繰り広げられている。客である数珠丸にもこの本丸に対して好印象を与えられているに違いない。
そのイメージを壊さないようテーブルに近付いた鶴丸と次郎は、スコーンを飲み込んだ青江に出迎えの言葉をかけられた。
「お帰り。随分楽しんだみたいだね?」
「楽しみ過ぎてアタシが叱られる事態になりそうだよ」
「本当に悪かったって! ……で、青江。そこにいるのは」
鶴丸が次郎に向けていた情けない顔から一転、外向きの笑みを浮かべて数珠丸を見遣る。数珠丸は静かに立ち上がり、深々と頭を下げた。
「玄冬が一振り、数珠丸恒次と申します。演練場で氷雨殿のにっかりと話が弾んでしまい、まだ話し足りないと意見が一致しまして。にっかりのご好意もあり、こちらに場を借りさせて頂きました。手土産はにっかりに渡してありますので、後程皆様でお召し上がり下さい」
「ご丁寧にどうも、歓迎するよ」
「土産もありがとう、ゆっくりしていってくれ」
二振りの快い返事に数珠丸が頭を上げて、やはり静かに着席する。夕立が紅茶を口にしながらにこにことその光景を見ていた。
小さく口元を緩めている数珠丸から青江に視線を移し、次郎は彼に違和感をそのままにして投げかけた。
「しっかし青江、アンタが演練場に行くなんて珍しいね?」
「しかも客まで連れて来るとはな。本当に槍が降って来るんじゃないか?」
氷雨の青江は、演練場での交流よりも仲間の結束を強める方に力を注ぐ傾向がある。演練に出ていた時は相手と最低限のやり取りしかせず、演練が終わった時点でさっさと本丸に帰っていた。他本丸と交流したい鶴丸とは正反対である。当然、互いにその性質を否定はしないが。
だから鶴丸も軽い口調だが、本当に驚いていたのだ。それを察して青江は頬杖をついて苦笑いしながら答える。
「最近、修行に行った刀も増えて来ただろう? 僕も強くなる為にいずれ来る修行も視野に入れているから、修行が済んだうちの刀達より練度の高い、他の本丸の極めた刀の力を見てみようと思ったんだ。それと、うちの刀達がどのくらい他本丸とやり合えるか、確かめたかったのもあるね」
現在、修行に行けるのは短刀のみだ。そして修行に行った刀達は、いずれも高い戦闘能力を得て帰還している。他の刀種の男士達も、真の力を解放出来るという修行に期待が高まっていた。どうやら、青江もその一振りだったらしい。
ふふ、と妖しく笑い、青江はちらりと数珠丸を横目で見る。
「それが目的で、演練場に行ったんだけど……玄冬隊と戦った時に、数珠丸の太刀筋が良かったから詳しい話が聞きたくなってね。本当は立ち話で済ませたかったのに、思いの外盛り上がったんだ。後は、数珠丸の話した通りさ。珍しい本丸形態のうちに場所を移して、妹君の自分がもてなすという提案を受け入れて今に至る訳だ」
数珠丸は穏やかに青江を見返す。青江も紅茶を口にして、数珠丸に笑いかけた。その雰囲気はとても平穏で、青江が語った経緯が確かなのだと感じる。
しかし、その一方で——鶴丸は、不穏な予感を抑え切れない。
昨日の研究所襲撃に行きあった事によって、神経が尖っているのだろうか。けれど、昨日の今日で様々な事態が動いていて、青江もその一振りだと考えてしまうのだ。時折本丸を見詰める数珠丸も気になって仕方ない。この本丸が珍しい洋風の建物で、どうしても目がいってしまうからと言ってしまえばそれまでだ。
けれど、友達が惨劇に巻き込まれ、自分も看過出来ない存在と邂逅した。
何かが、動き出しているように思える。それこそ、この町をひっくり返す事態が——
「鶴丸様と次郎太刀様も、お茶して行きませんか? お二方共、少し疲れているようですし……準備なら、すぐ済ませますので」
涼やかな声が、耳に流れ込む。それで現実に引き戻された鶴丸は、頭を振って心配そうにする夕立に明るい表情を向けた。
「ありがとう、妹君。じゃあ少し茶を飲んで行く事にするか」
「アタシは主に報告してくるから、残念だけどここで失礼するよ。鶴丸、奢りの件忘れるんじゃないよ」
「うへえ……」
手をひらひらと振って、次郎はその場を去って行く。置き土産によって約束を思い出させられた鶴丸はげんなりしながら、空いている椅子に腰掛けた。
*
「おっ、このすこーん美味いな。妹君、また腕を上げたんじゃないか?」
「ありがとうございます、鶴丸様。お口に合ったみたいで何よりです」
「実際上手くなったよねえ、妹君。燭台切や乱と一緒に練習していた時から、食べられる日を楽しみにしていたんだ」
「……最初はとても、表に出せる代物ではなかったんですけどね」
「最初は誰でも初心者ですよ。この菓子は貴女の努力の賜物でしょう。別に恥じる事はないと思いますよ」
夕立が照れ臭そうにはにかむ。スコーンで乾いた口内を紅茶で潤しながら、鶴丸は歓談する二振りと一人を線を引くようにぼんやりと見ていた。
脳内に浮かぶのは、蒼穹の一期の泣きじゃくる姿。プライドの高い一期が他者の前でああも涙を流していたのが、傷の深さを想像させる。——滑莧園の事件は、それ程までに惨かったのか。
そうなれば清澄の江雪も浅くない傷を負っただろう。彼は本丸が機能していない分、滑莧園に一際強く意識を向けていた。子供達に愛情を注いでいた分、消えていった命に嘆き悲しんでいるに違いない。
雲霄の鶯丸は、今どうしているだろう。彼も事件解明の為に駆り出されているはずだ。公私をきっちりと分ける彼も、事情聴取の際には複雑そうな目を向けていた。こちらを心配するのはいいが、自分の事も大事にして欲しい。
昨日の共通トークルームは、事件後動く事はなかった。それぞれがそれぞれの痛みを背負って、楽しい話題が出来そうにもなかったのだろう。鶴丸もそうだったのだから、多分他のメンバーも同じ考えだったのかもしれない。鶴丸に見える範囲で動いていたトークルームは、一期との個別部屋だけだ。
——そういや、一期と手合わせのやり取りをした時に、気になる事を言っていたな。
一期は鶴丸の提案にすぐ了承の返事を送ってきたが、それに伴い一言だけ付け加えていた。
『私は、あまりにも周囲が見えていなかったようです。……兄として駄目な私に、喝を入れて下さい』
蒼穹の一期は顕現して時間が経っていない割に、かなり頑張っている方だと思う。弟達を公平に見て来ていたように思えるし、実際弟達にも慕われていた事も窺えた。それなのに、兄としての自分を卑下していた事が気になる。
ふと、泣きながら一期が言っていた事を思い出す。
——どんな顔をして、あの子の兄を名乗っていたのか……ああ、ああ、秋田、すまない、本当にすまない……!
秋田と、何かあったのだろうか。それと「周囲が見えていない」と言っていた事が、何か関わっているのだろうか。泣き崩れる程だ、秋田との関係が悪化する何かが起こったのだろう。それは一体どうして?
研究所で出会った歪な表情を浮かべる「演練の鬼」の嘲笑が、脳内にこだまする。今は関係ない、と脳内でその幻影を打ち消そうとして——鶴丸は、ある推測を導き出した。
——まさか、蒼穹の秋田は、あの蛍丸やうちの蜂須賀と同類なのか?
あの蛍丸は間違いなく、人間を媒体として顕現したのだろう。現在普通となっている方法ではないやり方で顕現した彼のような存在は、異端視される傾向にあるという。氷雨の蜂須賀が意図的に影を薄められるのも、恐らくはその性質を利用しているからだ。蜂須賀の妹と名乗った存在は、本当に蜂須賀の——蜂須賀の媒体となった者の妹だったのだろう。
蒼穹の秋田は——異端視される、もしくはそれに等しい扱いを受ける事に耐えかねて、一期と衝突したのかもしれない。いや、衝突すら出来なかったのか。
刀剣男士は基本的に上品だ。面と向かって差別的行為をしないなら、取る手段は一つ。
無視。
悪気はないだろう。鶴丸だって、昨日までその顕現方法を知らなかったのだ。普通の刀剣男士に、それを知る術はほとんどない。
何の意識もせず、ただ当たり前のように、無視する。
そうされたと仮定したのなら——特殊な精神構成をしていない限り、大ダメージを受けるのは目に見えている。秋田は認識すらされない現状に耐えられなくなり、一期の心に傷を残す何かをした。
それが何かは分からない。けれど蒼穹の一期が隠されている事実に触れ、秋田が傷付いている事を理解した。ショックを受けている一期と、友達として共に悩む事が出来たらいいのだが——
「……鶴丸様、大丈夫ですか? 体調が悪いなら、無理なさらない方が……」
夕立が心配そうにこちらを見つめている。はっと顔を上げると、青江と数珠丸もこちらを向いている。顔を上げた反動で、持っていたカップがカチャンと音を立てた。