空隙の町の物語   作:越季

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15-6「ティータイム2」

 はあ、と息を吐く。それからカップから手を離して首を振り、夕立に笑いかけて見せた。

 

「大丈夫、少し考え事をしていただけだ。具合が悪い訳じゃない」

「そんな強張っている顔で言われても、説得力がないけどねえ」

「ええ。……何か憂いがあるのですか?」

 

 即座に青江と数珠丸に鶴丸の異常を指摘された。頬杖をついた青江は少し眉をひそめ、数珠丸の表情から感情は窺えないが、体ごとこちらを向いている。夕立もおろおろとしており、三者に心配をかけたのは明白だった。

 大丈夫と再び言うのは簡単だ。けれど鶴丸は、カップの中で揺れる紅い水面を見つめて考える。

 吐き出してもいいと、次郎は言った。蒼穹の一期は、傷を表に出して痛みを叫んだ。自分はそこまで出来ない。どうにも長くこの世にあると、しがらみも多くなるらしい。

 ——辛い事を堪えるのも選択肢の一つだけど、周囲に悟られているなら心が悲鳴を上げている証だ。堪えれば堪える程、心にヒビが入っていくよ。

 隠す事は慣れていると思っていた。だけど、三者に悩んでいるのを悟られた。

 悲鳴を、上げているのだろうか。己の心は、限界が近いのだろうか。

 ……少しくらいなら。ほんの少しくらいなら、吐き出しても平気だろう。鶴丸は言葉を選び、己の傷をなぞり始めた。

 

「……友達が、次々と災難に見舞われた。きっと悩んでいるだろう、けど俺は何も出来ていない。話を聞いてやる余裕もなかったんだ。俺は、俺の感情に振り回されてる」

「へえ、どんな?」

「一言で言えば、憎しみって事になるのかね。……昨日会った奴と、全く意見が合わなかった。そして相手はこっちの考えを全否定と来たもんだ。その時存分に嘲笑われて、下手したら我を忘れて襲い掛かっていたかもしれない所まで頭に血が上ったんだ。そんな激情に囚われるなんて、『俺』らしくないだろう? どろどろした感情が湧き立つと同時に、それを苦々しく思う自分もいる。……本当、情けなくてなあ」

 

 研究所を襲撃した蛍丸の言葉は、決して受け入れられる物ではなかった。刀の魂を殺した——人々が積み重ねた物語をなかった事にした、それを許容する事は鶴丸達を否定するも同然。刀剣男士として生まれた以上、己の出自を否定されるのは不快だ。

 けれど——感情を剥き出しにした鶴丸は、そうした態度を取った事を恥じていた。

 鶴丸国永という刀剣男士は、軽妙で酔狂であるとされている。他には驚きが好きだとか、その経緯から異常な執着を疎うだとか、早々に仄暗い内心を吐露しないだとか、様々な「鶴丸国永」像があると思う。

 蛍丸と邂逅した昨日の自分は——そのどれとも、かけ離れていた。欲しくない驚きに感情を剥き出しにし、蛍丸を殺さねばならぬと激情を抱き、我を忘れかけた。

 現在も、その名残がある。暗い感情に支配され、蒼穹の一期や清澄の江雪に寄り添う事も出来なかった。前者は次郎が吐き出させたのをただ見ていただけだったし、八つ当たりする事を恐れて後者にはまだ一言もメッセージを送れていない。

 こんな時こそ、しっかりとしなくてはならないのに。自分が腑抜けていると感じたのは、顕現して初めてだった。

 

「……私は恨みを抱き続けるのを勧めませんが……でも、貴方が抑えられなくなりそうになる程の激情を抱くとは、相当な事があったのですね」

「正直、僕も驚いているよ。君が一期以外の相手にそこまでしそうになったなんて、初めてじゃないかな? 相手がどんな御仁か凄く気になるよ」

「……鶴丸様をそこまで怒らせるなんて、その方はどんな無礼を働いたのでしょう」

 

 三者共、かなり驚愕していた。それはそうだ、鶴丸だって好き好んで醜態を晒す真似はしたくない。心が限界になりかけていると気付かなければ、こうして吐き出す事もしなかっただろう。

 しかし三者は、決して鶴丸を笑ったり否定したりしなかった。衝撃を受けても、茶化したりなどせず真面目に話を聞いてくれている。それが、鶴丸にはありがたかった。

 

「恨みは新たな恨みを生むだけ。そう言ってしまえば簡単ですが、なかなか手放せない物ですよね」

「そうそう。自分を全否定されたなら尚更、相手に怒りを抱く物だ。『らしくない』のかもしれないけれど、『おかしい』事ではないよ」

 

 数珠丸はテーブルに手を置き、青江は少し表情を緩めた。顔を上げる事はまだ出来ないが、感情を肯定されて多少重みが取れたように思えた。

 けれど、まだ心には暗雲が立ち込めている。あの蛍丸を殺さなくてはならないと叫ぶ自分と、友達より憎む相手に執着するなどみっともないと呆れている自分がせめぎ合っているのだ。さて、どうしたらいいだろうか。

 

「……えっと、思ったのですが」

 

 夕立が小さく手を上げる。三つの視線が集中しながらも、夕立は臆さず話し始めた。

 

「鶴丸様は、自分らしくないと憎悪を疎んで、なくしたいと思っているのですよね?」

「まあ、そうだな」

「今は無理になくさなくてもいいと、私は思うんです。感情を無理に押し込めたら、反動が凄い事になると私は知っています。押し込めるよりも、その感情と向き合って分解してみるといいのかもしれません」

 

 分解。それは一体どういう事だろうか。鶴丸が訝しんでいるのを察したのか、夕立は鶴丸に向き直った。

 

「例えばです。私が兄に理不尽な事で叱られて、酷く怒りを抱えたとします。兄に感情的になってしまうその前に、まずは一度深呼吸をするんです。それから、少しずつ自分に質問をしていきます。『何で兄に怒りを抱いたの?』『理不尽な事で叱られたから』『どうして兄は叱ったのだと思う?』『八つ当たりじゃないか』『兄に八つ当たりされて、どう思ったの?』『ショックで、兄をやり込めたいと思った』『ショックなのは何が?』『兄が、自分に八つ当たりをした事』『八つ当たりがショックだと感じたのは何故?』『優しい兄が豹変して、自分に負の感情をぶつけると思わなかったから』……というようにです」

 

 再び紅茶の水面を見つめる鶴丸に、夕立は穏やかに言葉を続けた。

 

「きっと、途中で詰まってしまう事もあるかもしれません。それでも、出来うる限り自分に問いを続けます。そうしてただ漠然と捉えていた感情を分かりやすくして、どうして自分がその感情を抱いたのかが分かれば……鶴丸様の望む通り、憎悪が別の物に変わるかもしれません」

 

 ふう、と呼吸をした夕立は、突如聞こえてきたパチパチという音に体を竦める。鶴丸も顔を上げると、青江と数珠丸が小さく拍手をしていた。

 

「流石は妹君。顕現したての僕等より人間である妹君の方が、感情の制御に関して一日の長があるね」

「その通りですね。私も思わず聴き入ってしまいました」

「い、いえ、そんな……偉そうに話してしまって恐れ多い限りです」

 

 青江派の率直な賛辞に、夕立が顔を赤らめて俯いた。先程までの凛とした態度は何処へやら、火照った頬を冷まそうと手で抑えながら縮こまる。

 鶴丸はその様子に小さく微笑んでから、夕立に頭を下げた。

 

「ありがとうな、妹君。後でその方法を試させて貰うぜ」

「あ、あの! 私の話した事は参考程度にして頂きたいのですが……!」

「無理な話だなあ。実際、俺もいい案だと思ったんだから」

「いい提案だったと思いますよ。自信を持って下さい、夕立殿」

「僕も少しやってみようかなあ」

「あ、あわわわ……」

 

 青江が妖しく提案の実行を仄めかすと、夕立は言葉にならない声を発する。鶴丸は明るく笑いながら、脳内で始まりの問いを浮かべていた。

 

『——何故俺は、あそこまで蛍丸を憎んだのか?』

 

***

 

 ティータイムを終え、夕立と鶴丸に見送られて氷雨隊を後にした数珠丸。青江が途中まで送り届けると言ってそれに同行した。

 ——当然、そうしたのは厚意だけではない。

 

「数珠丸。それで、僕の本丸はどうだった?」

「……そうですね。あの本丸には、他の本丸以上に怨念が渦巻いていましたが……」

「まあ少し特殊だからね、うちは」

 

 青江は言われ慣れているとばかりに肩を竦める。数珠丸は口に手を当て、氷雨隊内部を思い出し物憂げに呟いた。

 

「……しかし、それ以上に怨念に塗れている場所もありました」

「……へえ、それは一体どこ?」

 

 青江が妖しいいつもの笑みを浮かべながらそう尋ねる。一瞬思考を巡らせるように上を向き、数珠丸は『怨念の濃い場所』を口にした。

 

「——三階、東側階段近くの一角です。すみません、これ以上は分かりませんでした」

「いや、充分さ。ありがとう数珠丸、この礼は必ず」

「……今度は、こんな事は抜きにして貴方と話したい物ですね」

「僕もそう願っているよ」

 

 少し疲れの見える数珠丸に、青江は心からそう返した。

 ——数珠丸が口にしたのは、新撰組隊員の所有していた刀達の部屋が並ぶ一角。

 大幅に被疑者の対象を絞れた青江は更に特定をすべく、次の一手を考え始めた。

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