空隙の町の物語   作:越季

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15-7「コーヒーブレイク1」

 はあ、と重たく息を吐きながら、蒼穹の一期はとぼとぼと歩く。周囲の人間や刀剣男士に当たらないよう気を付けているので、傘や体がぶつかる事などはなかった。周囲も雨降る城下町の中を気落ちしながら歩く一期を気にも留めない。

 本丸に戻る気には、まだなれなかった。氷雨の次郎の胸を借りて泣き喚き、友達にその姿を晒してしまった。その時の悲しみが尾を引いており、一期は弟達に笑顔で向かい合える気がしなかったのだ。

 ——次郎殿のおかげで少しすっきりしたけれど、現状は全く変わってない。どうしたらいいのか……。

 思考は同じ所を巡るばかりで、解決策は思い浮かばない。思い浮かぶのは昨日秋田が通り過ぎた時に感じた焦燥感と、こちらを見据える春光の長谷部の冷たい目。

 心臓の辺りが痛む。秋田に申し訳ない、謝りたいと思う自分と、それすらも許されないのではと否定する自分。

 雨音が耳障りだ。雨さえもが、自分を責めているのではと考えてしまう。

 再び気分が暗くなって、一期は目についた軒先に向かい、傘を畳んでしゃがみ込む。膝に顔を伏せて、ただ煩い雨の音を耳に入れないように思考の海へ沈んだ。

 ザアザアと鳴る音、水溜りを踏んで跳ねる音、軒先から肩に水が落ちて染みる冷たい感覚。それらが糾弾するのだ——非道だ、最低だ、冷血だと。

 その辛さに耐えかねて、目に何かが滲み始めた一期。ふと気が付くと、目の裏が少し暗くなっていた。

 

「そこの一期一振、大丈夫か? 具合が悪いなら、すぐに病院へ連れて行くが」

 

 誰かが、目の前に立っているようだ。頭を上げると、そこにいたのは透明な傘を差す鶯色の髪をした男だった。一期は覚えのある気配に顔を歪め、ただ一言漏らした。

 

「鶯丸、殿……」

「ん? ……お前もしかして、蒼穹の一期か?」

 

 小さく頷く。鶯色の男——雲霄の鶯丸は、その場にしゃがんで一期と視線を合わせる。鶯丸は目を潤ませている一期を見て、悲しそうに眉を下げた。

 

「……奢ってやるから、ここの食堂に入ろう。そのままでは風邪をひいてしまう」

「……」

「昨日の話を、まだ全然聞けていないからな。……友達が泣いているのを、そのままにするのは心苦しい。だから、俺の顔を立てると思って、な」

 

 また、小さく頷く。一期は力無く立ち上がり、懸念の色を浮かべている鶯丸の後に続いた。

 

 

 ファミリーレストラン・カランコエ。現世において全国的に展開しているファミリーレストランの一つで、テレビでも度々新メニューを宣伝するCMが流されている。「貴方の食事に幸福な彩りを」のフレーズ通り、季節限定メニューに大きく力を入れているのが特徴だ。

 ドアを開けると、入店合図のベルが響く。中から店員が笑顔で飛んで来て、一期と鶯丸に人数と喫煙するかしないかを確かめる。店内はあまり混雑しておらず、二振りはすぐに店員に窓際の広い席へと案内された。

 テーブルに二つ水の入ったコップを置き、ごゆっくりどうぞ、という一言と共に店員は去って行く。鶯丸はそれを見送ってから、一期にも見えるようメニューを広げた。

 

「一期、昼餉はもう済ませたか?」

「……いえ」

「そうか。今の期間限定商品は……栗の菓子が多いか。茶を飲むのには丁度いいが……満足鰹定食なんて物も出たのか、画像上は豪勢だが。ただ、ここのはんばーぐは中々に美味いんだよな」

「……」

「……一期に奢るはずだったのに、俺ばかりが楽しんでしまっているな。一期も一覧を見るといい、様々な食事があるぞ。一期とこうして食事に来るのは初めてだから、好みはまだ知らないが……ここの味は保証出来る。好きな物を頼んでくれ」

 

 気を遣われているとはっきり分かるその声色に、一期の視界が再びぼやける。自分は本当に意気地なしだと、一期は沈んだ気持ちを浮上出来ず下を向いていた。

 鶯丸は目の前で涙を堪えて俯く友達を見て、歯痒そうに言葉を噤む。どんなに自分が明るく振る舞っても、一期は「心配されている」という事実に情けなさを覚えるばかりなのだろう。

 あからさまに打ちひしがれていた姿を見られ、気遣われているのが少しプライドに差し障るのかもしれないと、鶯丸は思っていた。

 一期がこんなに落ち込んでしまう理由は、大抵の場合弟関連だろう。実際間違いではないはずだ。

 しかし鶯丸は、昨日起こった事件に目の前の友達が飛び込んだのを薄々察していた。

 児童養護施設滑莧園にて、数多の死者を出した襲撃事件。生き残ったのは僅か九名の子供達のみ。職員も、子供達も凄惨に殺された事件に、時折顔を出していた一期も相当に傷付いた事だろう。

 そして、事件が起こる少し前。滑莧園から、ある報告が上がっていた。

 ——被験体19688番に情報生命体の固定化を施した。被験体15737番が機密情報に触れた為、機密保持の為15737番にも同様に固定化を行った。19688番は短刀五虎退、15737番は短刀小夜左文字が定着した。

 もしかしたら目の前に二振りが現れて、一期は滑莧園の真の姿に気が付いたのかもしれない。

 知っていながら箝口令に従い黙っていた自分は、責められてもおかしくないだろう。それでも「仮定は仮定だから」「気付いたとは限らない」と言い訳して、鶯丸は自分から切り出さない。

 ——この期に及んで口に出せない俺も、臆病者だな。

 内心ほとほと自分に呆れ果てている。主に従う身としては正しいのだろう。だが友達として、自分のしている事が正しいとは思えなかった。

 口にすれば決定的に嫌われるだろう。けれど自分は無様に、その時が来るのを少しでも延ばそうとしている。本当に、心というのは扱いが難しい。

 

「……鶯丸殿、そんな顔なさらないで下さい。私は、私が許せないだけですから」

 

 いつの間にか顔を上げていた一期が、細々とした声で言う。自信の薄れているその声色に心を痛めつつ、鶯丸は己の顔面をぺたぺたと触った。

 

「……俺、どんな顔してるんだ?」

「怪我もないのに、痛みがあるみたいに苦しそうですよ。鶯丸殿がこんな私に、そこまで心を痛める必要はないでしょうに」

 

 聞き逃せない言葉が出た。あの一期一振が、自分を卑下している。

 一体、滑莧園で何があったのか。鶯丸は惨劇の光景を想像しながら、一期を嗜める。

 

「一期。『こんな』などと言ってくれるな。お前は俺の、大切な友達なんだ。滑莧園で何があったのか詳しくは分からないが、お前は出来る限りの事をしたと聞いている。子供達が九人も助かったのは、お前と江雪の助けがあったからだ」

 

 ぴくり、と一期の肩が跳ねる。言葉を選びつつ、鶯丸はメニューの上に手を置いて続ける。

 さりげなく、己の負い目を零して。

 

「……俺は規則に縛られて、何も出来なかった。生き残った子供達を守ったのは、間違いなくお前達だ。俺は、そんなお前と友達である事を誇りに思っている。だから自分を貶める言葉を使われると、俺は——」

「いいえ、いいえ! 私は——そんな大層な存在じゃない!!」

 

 一期が声を荒げてテーブルを叩く。周囲の驚き疎む視線が、一期と鶯丸のテーブルに集中する。いきなり豹変した一期に驚きながら、鶯丸は周囲に軽く頭を下げた。

 一期は再びうなだれ、傷を抉るように吐き出し始めた。

 

「……私は……誰もかもに酷な事をしてしまいました。あの施設の正体を知っていたのなら、子供達へ無責任に夢を見せる事などしなかったのに……弟を皆愛している? 何て戯言! 孤独に苛まれている(あきた)に目を向ける事すらしなかった私が、どの口で薄っぺらい愛の言葉を吐けたのか……! 罪ばかり犯しているこんな私が、どうして鶯丸殿の誇れる友を名乗れましょうか……っ!」

 

 ぐしゃぐしゃの顔を押さえ、一期はまた俯いて涙を落とす。

 当たって欲しくなかったが、滑莧園の隠された姿に気付いていたのは予想通りだった。しかし鶯丸は想定していた傷の数が、実際にはより多かった事に愕然とする。

 ——よりによって、この時期に()()の真実にまで触れてしまったのか……!

 蒼穹隊にいる被験体の記憶が一期の精神に滲出していた事は、事情聴取の際に知った。被験体——秋田藤四郎の意識は、かなり一期の精神に繋がっていたらしい。聴取で見た記憶で、一期は少年に手を伸ばし声をかけようとしていた。まるで、何度も経験しているかのように。

 その光景はあまりにも鮮明で、秋田が精神的に追い詰められていた事を如実に示していた。それでも規則に縛られる鶯丸には、あの時遠回しなたった一言のアドバイスしか出来なかった。

 規則に抗えず友の僅かな力にすらなれなかった結果が、目の前で泣き崩れる一期となって表れた。滑莧園での惨劇に加え、秋田の真実まで知ってしまった——それも恐らく最悪の形で——一期の苦しみは、計り知れない程大きいだろう。

 こんな事になるとは思わなかった。そう言い逃れようとしても、涙を流す友がそれを許さない。罪悪の苦痛に喘いでいる一期によって、自責の念が募っていく。鶯丸は友達の問題を回避するより、規則を守る方を優先した。その報いが、この現状なのだろう。

 

「……一期」

 

 そう呼び掛けてみても、一期はうなだれたままこちらを向かない。頭を上げる気力がまだ湧かないのかもしれない。

 聴取の時に、全て話しておけば。そうすれば、一期は問題回避の為に動いただろう。けれど話してしまえば、今度は審神者からの信用を失う。審神者は敬い従うべき主だ、彼の意に反する事は避けたかった。だからこそ、鶯丸は出来る最低限しかしなかったのだ。従うものとして、責任のあるものとして、それが間違いだったとは思わない。

 けれど——

 

「すまなかった」

 

 一期に向かって、頭を下げる。眼前の鮮やかなメニューが、目の奥へ小さな痛みを運ぶ。

 ——けれど友達として、あまりに何もしなかったのではないかと、考えずにはいられない。もう少し上手く立ち回れたなら、友達をこんなに苦しめる事もなかったのかもしれないのに、と。

 友達と名乗るのに後ろめたさがあるのは、鶯丸だってそうだ。堂々と友達と言うには、鶯丸に隠し事が多過ぎる。

 道具は、主に従うのが道理だ。ただの刀だったなら、それに反するなど想像すらしなかっただろう。しかし今は体と心が与えられ、自分の意思を問われる場面が生まれた。

 主に従い、責任のあるものとしては間違ってはいなかった。だが友達として、ただ眺めていたのは正しいとは言えない。

 規則に縛られるのを拒まず、それでも友達が大切なら。——まずは友達に、傍観していた事を謝るべきだろう。

 

「俺は、全てを知っていた。滑莧園の実態も、一期に被験体が接続していた——助けを求めていた事も。それを話さなかったのは、俺が主の命を優先したからだ。主の配下としてそれを間違っていたとは言えない。けれどお前の友としてなら、お前にもっと規則ぎりぎりまで働きかけるべきだったんだ。……俺は、友として不誠実だった。力になれずに、本当にすまなかった」

 

 テーブルには沈黙が降り、周囲の話し声や店員の足音だけが聞こえて来る。隣の席に店員が料理を運んで、芳しい肉汁の香りが漂った。




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