空隙の町の物語   作:越季

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☆☆
『彼』は平穏な、けれど窮屈な日々を過ごしてきた。まるで檻の中にいるような、小さな部屋の中に閉じ込められる閉塞感。病魔に侵された『彼』にできることと言えば、ベッドから見える小さな窓越しに外を眺めることのみ。
 家族の誰とも会わない日々の中で、彼女だけが『彼』の部屋に訪れて、いろんなことを教えてくれた。春の桜が舞い落ちる様子、夏のアスファルトの照り返しの暑さ、秋の空の高さ、冬の雪の本当の形。本当に様々なことを教えてくれた。
 彼女が部屋を出る前に、『彼』と行う習慣があった。ある約束をして、指切りをすること。
 ――いつか一緒に、外を歩こうね。
『彼』はその約束を宝箱にしまい、大切に守ってきた。それを強引に開けられ、壊されかけたのは、あまりにも突然だった。


第三話「宴会と過去の事件」
3-1「接触」


『そうか、格が上がったのか。おめでとう、一期』

「ありがとうございます、鶴丸殿」

 

 午後十時、行灯に照らされ、ぼんやりと室内は明るい。蒼穹の一期は、氷雨の鶴丸から端末越しに『特』付きになった祝いの言葉をもらっていた。

 

「これから実戦も多くなるでしょう、弟たちに示しがつくようにいられたらいいのですが」

『きみは演練でも三日月に褒められたんだろう? なら心配はいらないさ』

 

 一期は、布団のしわを何となしにつまむ。そうだ、と鶴丸は何かを思いついたように発した。

 

『次の会では、このことも話題のうちに入れておくか』

「えっ、それはちょっと、恥ずかしいような……」

『きみの本丸内では祝われたんだろう? 俺からも改めて、祝わせてくれないか』

 

 そう、蒼穹隊内では、弟たちをはじめ、多くの仲間に祝われた。『特』付きになる時期を見越していたのか、弟たちからは花束を贈られた。審神者は弟たちを撫でながら「これから再スタートだ。ガンガン戦場に出していくから、よろしく頼むぜ」という言葉を一期に贈った。

 

『何せ実戦では、本気で命のやり取りが行われる。その時の血の沸き様と言ったら、言葉では表せないほどに素晴らしい。人の形を与えられた一番の醍醐味はそれだと俺は思っている。それをようやく味わえるようになるんだ、祝わずして何を祝う?』

 

 一期は、想像を巡らせる。自らの手で敵に己の刃を食い込ませ、血が流れる。敵の刃が、同じように己に食い込むかもしれない、緊張感と殺気。演練ではセーフティがかけられているために感じられない、命の奪い合い――武器の身として、それを味わえることは確かに愉悦だった。

 

「……そうですね。それではありがたく祝われます。楽しみにしていますね」

『おう、任せておけ。友達の格上げ祝いだ、とっておきの驚きを用意しようじゃないか』

 

 ――友達。それは、さりげないのにやけに大きく、そして甘美な響きを一期にもたらした。なぜだろう、その言葉を聞いた途端、背筋を伸ばさないとと身を律すると同時に、体の余計な力を抜くような、暖かい気持ちに包まれる。矛盾した感覚は、けれどとても心地よかった。

 

「……ありがとうございます、鶴丸殿」

『ん? 何がだ?』

「いえ。……いい友達を持って、幸せだなと思ったまでです」

『おっ、おう。……いやぁ、なんかこそばゆいな』

「ふふ、そうですね」

 

 なかなかに照れるな、それに友達と思われてなかったらどうしようかと、と鶴丸はこぼす。一期は、後半の部分をきちんと否定した後、ここまで言った理由を尋ねた。

 

『いやなに、友達にはちゃんと格上げの祝いをしておかないとな、って』

「そのように思った理由とは?」

『よく聞いてくれた!』

 

 ――あ、聞くんじゃなかった。そう後悔したが、もう遅い。鶴丸は目の前にいたのなら唾が飛んでいく様が見えるような勢いでまくしたてた。

 

『俺さ、格上げした時に、同郷の連中からは祝ってもらえたんだよ、それはもう光坊なんかは胴上げしそうな勢いでな。けれど一期一振――あ、きみじゃなくて俺の本丸のな――の奴、あいつなんて言ったと思う? 厭味ったらしい口調で、ようやく殻を割ることができましたねえよくできました、これからさらにぴーちくぱーちくと喧しくなりそうですな、だぞ!? 俺は生まれてすらいなかったってか、つーか格上げの祝いの言葉に嫌味って何考えてるんだあいつは! 畜生今思い出しても腹が立ってきた、時間が許すなら今すぐ殴りに行きたい本当に』

「それは……えーと、なんと言えばいいのか……」

 

 もう一人の自分がすみませんと言えばいいのか、いやそれも何か違う気がする。一期がかける言葉に悩んでいると、鶴丸は続けた。

 

『同郷たちの祝福が嬉しかった分、腹が立ったからなあ。もし格上げ前の友達ができたら、格上げ時には嫌味なく思いっきり祝ってやろうと思ったんだよ』

「他の方にも、そうして祝ったのですか?」

『いや、格上げ前になった友達は一期が初めてだ。……さっきは大見得を切ったが、どう祝ったらいいのか分からなくてなあ』

「意外ですね、鶴丸殿はたくさん友達がいそうな印象なのですが」

『うちの隊ではあまり身内以外の格上げを祝うことはない。仲間ではあっても、友達と言える奴は少なくてな。城下町でも、下りてくる奴は少ない上に、そのほとんどが格上げ後だ』

 

 なるほど、広く浅くの関係を築く傾向が多い鶴丸国永らしい言葉だ。だからこそ、彼に友達と言われたのは一期にとって光栄だった。

 

「本当にささやかなものでもいいのですよ、その気持ちが嬉しいので。あまり気合を入れすぎて、当日に体調を崩す、なんてことになったら大変ですから」

『……そうだな、あまり気合を入れすぎて空回っても仕方ない。驚きは少ないが、確かに祝福の意を込めたものにさせてもらうぜ』

「改めて、楽しみにしていますね」

『おう』

 

 それじゃあ、また。そう言い合って、電話は切れた。端末を机の中にしっかりと入れる。

 なんだかそわそわして落ち着かない。戦場に出られる喜びと、友達と言ってもらったこそばゆさからか。一期はついに立ち上がり、障子を開けて、廊下に出た。外からは、虫の鳴き声がしている。空には雲がかかり、月はぼんやりとした明るさしかわからない。軋む廊下を歩いて、一期はその足を書庫に向けた。

 何度か違う部屋を開けてしまいながらも辿り着いた書庫には、先客がいた。

 

「おっ、一期か。こんな時間に来るとはな」

「鶴丸殿」

 

 自本丸の鶴丸だった。肩に薄いカーディガンをかけて、本棚の前に立っている。寝衣とカーディガンのアンバランスさが、やけに印象に残った。

 

「きみも本を借りに?」

「ええ、寝つけなくて。鶴丸殿、体調がすぐれないと聞きましたが、大丈夫ですか?」

「もうほとんど大丈夫だ。主は心配しすぎなんだ」

 

 部屋の端の燭台が、鶴丸の顔を照らす。その横顔は、なぜか絵画を見ているような感覚に陥らせた。なんだか、作り物めいているような――。

 

「――人間とは、自分の運命を支配する自由な者のことである」

「え?」

「外つ国の言葉だ。支配される側だった俺たちが、人間のように運命を選べるようになるとは、驚きだよなあ」

 

 本を手に、鶴丸がこちらを向いている。やはりその笑顔は、偽物の表情のように思えた。

 

「いいえ、何も変わらんでしょう。我々は、今もこうやって人間に使われている」

「いや、俺たちは運命を変えられる、やろうと思えばな。きみは、その可能性から目を背けているだけだ」

「鶴丸殿、一体何が言いたいのですか?」

「なあ一期」

 

 声から、色が抜け落ちた。表情もまっさらなものになっている。一期は、思わず固まった。

 

「きみの大切なものが主に侵されているとして、きみは主を許すか?」

「……っ」

 

 目を見開く。鶴丸の表情は、相変わらず色がない。

 

「弟たちが、主に嬲られているとしたら?」

 

 審神者が、笑顔で弟たちの頭を撫でる光景が浮かぶ。

 

「弟たちが、政府に食い物にされているのを主が許しているとしたら? 弟達が心を折られるまで散々に罵倒されているとしたら? そして――弟達が火に投げられ、苦しむ様を見て楽しんでいるとしたら?」

 

 審神者の、一期への激励が脳裏にこだまする。そんな審神者が、悪人だったら? 記憶の中にある審神者の顔が歪んでいく。そうして浮かぶのは――悪意に歪んでいる審神者の笑顔と、苦痛に泣き叫ぶ弟達。

 

「君はどうする、一期一振」

 

 鶴丸の笑顔が誰かの悪意を示しているように思えて、一期は背筋を凍らせる。憎悪を煮詰めて抽出したようなその表情から目を背けたくて、一期は叫んだ。

 

「やめてください! 主は、そんなことはしない!」

 

 大声を出して、鶴丸の追及を遮る。はあ、はあ、と息を荒くして、一期は鶴丸を睨みつけた。

 

「きみには少し早かったか。俺から話すことはそれだけだ、邪魔者は退散するとしよう」

「鶴丸殿……何がしたかったのです」

「いいや、何も? 暇刃が戯事を吐いただけだ。それじゃあな」

 

 そう言って、本を片手に鶴丸は一期の横をすり抜け、書庫を出ていく。がらがらと戸が閉まる音が響いた。

 閉まり切った戸を見つめ、一期は思う。

 

 ――氷雨の方とは、まるで違う。

 

 氷雨の鶴丸は、ちょっとしたことで喜んだり、怒ったり、落ち込んだり、慌てたりする。彼にも心に暗い水底があるのだろうが、それを全く感じさせない――本当の底を見せない安心感があった。

 しかし、蒼穹の鶴丸は違う。彼は、自分の水底の暗さを隠そうともしなかった。その暗さでもって、相手を支配しようとする。氷雨の彼とは正反対だった。

 早く忘れよう。一期は、本を適当に数冊抜き出し、書庫を後にする。なかなか寝つけなかったが、本を読んでいるうちに眠ることができた。

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