氷雨隊が夕食を終えた後。青江は自室のある二階を通り過ぎ、三階へと続く階段を登っていた。
目指すは新選組刀の部屋が集まる一角。廊下まで響く賑やかな声が、近付く程にだんだんと大きくなる。
「……だーかーらぁ、お前は課金し過ぎなの! いくらあの人絡みだからって普通給料全部注ぎ込むか!?」
「だって沖田君の配属確率が上がるって、上がるってぇ……!」
「今回は諸々立て替えねえぞ、安定。沖田配属確率上昇祭りがある度に毎回毎回、財布すっからかんにして泣いてるじゃねえか。いい加減懲りろよ」
「大和守さん、他の趣味探したらどうです? 例えば課金型じゃなくて、据え置き型のげーむとか……」
「堀川、心配するだけ損するぞ。他の大和守は知らないが、うちの大和守は賭博師の気が強い。何度言っても結局は元の木阿弥だ」
課金型ゲームの事でくだを巻く大和守へ一喝する、加州の苛立ち混じりの声が聞こえる。なおも泣き言を漏らす大和守に呆れたのだろう、和泉守は手助けをしないとはっきり言い切った。堀川が心配そうに代替案を出すが、とっくに匙を投げている長曽祢が大和守を突き放す口調でそれを止めている。
——良かった、手間が省けた。
新選組刀は長曽祢の部屋に集まって飲んでいるらしい。声のする場所を聞き取り、青江は宴会場と繋がるドアの前に立つ。
今から行うのは、裏切り者の特定だ。このドアの向こうに、何食わぬ顔をして謀反を企てている刀が混ざっている。
獲物を見据えた目を鋭く細めてから、青江は表情をいつもの妖しい笑みに変えてドアをノックした。
「誰だ?」
「僕だよ、長曽祢さん。入れてくれるかな?」
「青江か。待ってろ、すぐ開ける」
言葉通り、微かに軋みながらドアが開かれる。長曽祢はドアを開け放ちながら、ひらりと左手を振る青江に尋ねる。
「どうした、おれに何か用か? それともここにいる奴等か? 大和守に用なら、今は止めた方がいいと思うが……」
「まあ、用といえば用なのかな」
青江は後ろ手に隠していた酒瓶を掲げ、ちゃぷんと音を立てるそれを見せてから小さく笑う。
「少し誰かと飲みたい気分でね、相手をしてくれるひとを探していたんだ。そうしたら長曽祢さんの部屋から楽しそうな声が聞こえて来て、僕も混ざりたくなってね。手土産としてこれを持って来たけど、僕もご一緒していいかな?」
「おれは構わないが、念の為に中にいる奴等にも聞こうか」
あっさりと青江の入室を許可した長曽祢は、振り返って他の面子にも許可を貰おうとした。が、その前に和泉守が口を開く。
「オレは構わねえ……というかむしろ安定黙らせるの手伝ってくれ! さっきからぐちぐちネチネチとげーむの沖田がどーのこーのうるさいんだよ!」
「兼さんがいいなら僕も構いません。席はどこにしましょうか?」
「俺もいいよー、安定がもう出来上がってるけど……ちょ、安定瓶置け! 頭かち割る気か!」
「うええええん、沖田君が遠いよおおおお!」
かなり酔っ払っている大和守は、わんわんと泣きながら瓶を振り回している。瓶の軌道は全く読めず、加州の頭上を過ったり堀川の脇腹に当たりそうになっていた。二振りは風を切って迫る瓶を青ざめながら避けている。
共にへべれけの大和守をどうにかしてくれと残り四振り全員の目が語っていた。青江はやれやれと肩を竦めて、酔っ払いによる戦場の中に飛び込んだ。
*
「……それでね、毎日起動すると貰える点数を使う配属がちゃでいい波が来たって思って、祭りの十連続配属がちゃを回したんだよ」
「うんうん」
「でも! 結果は! 星四つ止まりだったんだ! キラキラした時は来たって思ったのに! もう回せるお金も点数もないよ! なんで沖田君は恒常じゃないんだ、ただでさえ星五つって配属させにくいのにいいいい!」
「辛かったんだねえ、よしよし」
自分の膝に顔を埋めて泣き崩れる大和守の頭を、青江は優しく撫でていた。実際は然程話を聞いておらず、声が枯れ始めても叫べる大和守の声帯に胸の内で感心している。
みっともなく同様の内容を繰り返し喚く大和守へ、顔色も変えずに対応している青江。酔っ払いの愚痴の行き先を己に集中させ、適度に肯定し適度に受け流すその姿に、残りの四振りは驚き呆れて囁き合う。
「……すげえな、青江」
「ああ、あの酔いどれ具合を笑って受け流せるとは……それだけ修羅場を潜っている証拠か」
「どんな修羅場だよ……」
「青江さんには、後でお礼を言った方がいいですね……」
全くだよ、というぼやきは口にせず、青江は四振りの潜めた声に耳を傾けていた。
当然ながら、青江だって慈善事業でこんな事をしている訳ではない。いつもだったら酔っ払いの絡みにそう長々と付き合わず、さりげなく逃げ出している。
ならば何故、こんな事をしているのか。それは、主たる審神者の命を遂行する為だ。
「本当に君は、沖田総司が大好きなんだねえ」
「当たり前だよ! 僕に限らず、前の主に思う所がない刀なんているの!?」
「まあ、そうなんだけどね。でも、前の主がって言い続けたら、流石の主も落ち込むんじゃないかな?」
大和守がばっと顔を上げる。酔いが回っているのだろう、頬は赤らんで目は潤んでいる。目元を歪ませて、大和守は頼りなく鼻をすすった。
「だって……大切にされた思い出を、早々に捨てられないよ。今の主だって愛してくれているけど、前みたくいつも佩刀している訳じゃないし……」
「確かに昔みたいな形の愛し方じゃないけれど。僕達の心が伝わる分、いい事もあるだろう? それに、愛して欲しいのはきっと主も同じさ。思い出を捨てろとは言わないけれど、いつも前の主の事を引きずっていちゃ主も気にするよ。切り替えが大事だよ、特に主の前ではね」
大和守は己を窘める言葉に、視線をさまよわせて俯く。青江もこれで彼の心境が変わるとは思っていなかったが、それでもじっと彼の一挙一動を見つめ続ける。
しばらくして、大和守はふらりと体を揺らめかせ、青江のいる方向に倒れ込む。微かに、こう呟くのが聞こえた。
「……今の主も、大切なんだ。だから僕も、いつかは変わらなきゃ……」
力が抜けた大和守の体を支える青江は、彼を起こさないように小さな声で長曽祢に尋ねる。
「さて、彼はどうしようか?」
「今はそこの寝台に寝かせておいてくれ、後でおれが部屋に運ぶ。……悪いな、お前だけに相手をさせて」
「構わないよ。……よっと」
大和守の体を抱き上げ、ベッドの上に慎重に寝かせる。ベッドに沈み込み、穏やかに寝息を立てている大和守に布団をかけてから、青江は四振りの所に戻った。
お疲れさん、と和泉守が青江の猪口に酒を注ぐ。礼を述べ、口に猪口を運びながら青江は話を振る。
「大和守君は宴会の時、いつもこうなのかい?」
「こんな初っ端から酔っ払うのは珍しいな。余程げーむの沖田の件が悲しかったんだろう」
「もうちょっと後からだよね、安定がぐだぐだになるの」
「調子がいい時は滅茶苦茶はしゃぐし、どんだけそのげーむに没頭してんだって話だよな……」
和泉守が疲れた声でそう言うと、加州と長曽祢は遠い目をした。常日頃からこの二振りは、大和守のゲーム中毒による被害を受けているのだろう。同じ主に仕えていても、知らない事はある物だ。
「大和守さん、確か鶴丸さんと一期さんとの喧嘩にも積極的に賭けていましたよね。本丸が違えば、細かい嗜好も変わる物なんですね」
しみじみとした堀川の言葉に、己の猪口に酒を追加していた和泉守がああ、と声を上げる。
「確か国広は、別の本丸から来たんだったよな。どうだ、この本丸には慣れたか?」
そうだった、と青江は思い返す。今の今までその事を失念していた。
和泉守の言う通り、堀川はこの本丸で顕現した刀ではない。前の堀川が折れた後に、政府から引き取り先を探している堀川を勧められたのだ。その堀川は前の審神者を亡くして政府に引き取られたらしい。練度も九十九と高かった為、審神者は即戦力として堀川を引き取った。
初陣時に、堀川は審神者の想定以上の働きを見せたと聞いた。詳しくは知らないが、少なくとも調査部隊である第四部隊に組み込む事を即決したぐらいには、戦力として見做せると思ったようだ。前の堀川も第四部隊に所属していたので、あるべき形に収まったと言ってもいいだろう。
そんな堀川はにこにことしながら、猪口を傾け和泉守に答えていた。
「うん。ここの本丸は皆優しいし、明るくて楽しい。それに第四部隊に配属されたからね、やりがいもあるよ」
「困った事があったらすぐに言いなよ。主、ちょっと厳しい所もあるから」
「ありがとうございます。厳しいのは実感してますけど、主さんなりに僕達を大切にしているのは伝わって来ますから」
加州が軽さの中に気遣いを込めた響きで言えば、堀川も少し困ったような口調で礼を返す。ならいいけど、と加州は一気に猪口の中を空にして酒を注ぐ。
こうしている分には、和やかな光景だ。比較的新入りの堀川を新選組の面子(眠っている大和守は除く)は心配しており、堀川もそれをありがたく受け取っている。一見すると異常などどこにもないと思うだろう。
——ここに、裏切り者がいると知らなければ。
「他の本丸か……。蜂須賀と穏便に過ごせている『おれ』もいるのだろうか」
長曽祢が遥か彼方へと向けている口調で、誰となく問いを零す。くるりと目を丸くしてから、加州が当たり前のように笑う。
「そりゃ、いるんじゃないの? というか長曽祢さんも蜂須賀と穏便に過ごせてるじゃん」
「……まあ、そうなんだがな。だが時々、苛立ち混じりの視線を向けられると、心にくる物がある」
「まあ信念が違うんだから仕方ないだろ。蜂須賀は真作故の誇り、あんたは贋作でも名前に相応しい働きをっつー自負。互いに譲れないなら、最悪の場合殺し合いになるんだ。そうならないだけ、あんたも蜂須賀も上手い距離を取っていると思うぜ」
二振りの答えに長曽祢はううむ、と唸り声を上げる。そこはもう、己の中で落とし所を見つけてもらうしかない。青江はその会話には加わらず、四振りをじっと見ていた。
長曽祢は変わらず難しい顔つきで首をひねっているし、加州はぽんと長曽祢の背を軽く叩いている。和泉守は酒を次々と注いでいて、おろおろとした堀川がそれを止めようと声を上げている。
なかなかに手掛かりが見つからない。気の緩んでいる時なら尻尾を出すのではないかと思っていたが、相手もそう簡単に正体を悟らせるつもりはないらしい。
青江は内心で次の一手をどう打とうか考える。するとおもむろに顔の向きを変え、長曽祢は堀川に問いかけた。
「参考までに、堀川が前いた所の『おれ』はどうだったんだ? ……ああいや、言いたくないのなら構わんが」
不躾だったかと質問を打ち消そうとする長曽祢。彼を制止し、堀川は穏やかに微笑んだ。
「大丈夫ですよ。……前いた所の長曽祢さんと蜂須賀さんも、概ね似たような関係でした。違う所があるとすれば……
「え、堀川の前いた本丸、主に危険が迫った事があったの?」
「ええ。……本当に、あの時は大変でした」
堀川が深く息を吐いてそう口に出す。青江はその瞬間、確かに見ていた。
——堀川の目から、全ての光が消えた。明るい碧眼が微かに伏せられた時、底のない絶望と憎悪の闇を湛えて淀んでいたのだ。
一瞬の事だった為、他の三振りは気が付いていない。たまたま堀川を観察していなかったら、青江も気付かなかっただろう。
以前いた場所で、何かあったのだろうか。堀川があんな目をしていたのだ、相当の事が起こったに違いない。下手したら審神者が亡くなった時に、一騒動あったとしてもおかしくはない。もしかしたら、平穏に政府に引き取られる事になった訳ではないのかもしれない。
政府に忠誠を誓っている審神者の事だ、そんな事情を聞いたとしても政府の顔を立てる為に引き取ると決めてしまったのだろう。それに実力主義で過去など些事だと捉えている審神者は、強ければ誰だって採用する。その過去に、何かあったとしたら——
猪口を握る手が強まる。堀川の見せたあの暗晦に呑まれてしまったらしい。目を強く開閉し気を取り直してから、青江は会話に参加する。
「へえ。君の前にいた本丸の主は、大層愛されていたんだねえ」
「ええ、それはもう。前の主は本丸中に愛されていました。優しい主だ、と」
「今の主とは正反対じゃねえか。こっちの主は時々鬼に見える事があるってのに」
主ももう少し手心が欲しい所だよなあ、と和泉守が不満そうに天を仰ぐ。それに苦笑いしながらも、長曽祢は審神者への感情を述べる。
「だが、おれはあの主を好ましく思っているぞ。何せ実力をそのまま買ってくれるのだからな。働きが評価されるのは喜ばしい」
「うん、それは嬉しいかな。いいなー、修行に行った短刀達。俺ももっと強くなりたいよ、そしたらもっと愛されるしさ」
「気が早いぞ、加州。安定して修行に出られるようになるまで、今少しの辛抱だ」
「まあオレも、修行を考えちまうかな。更に強くなれば、更に戦場に出られる。……それに何だかんだ言ったが、あの主の為になるのは悪くねえ」
「あっそれつんでれって奴? 和泉守がやっても可愛くなーい」
「可愛くなくて結構だ! つーか何だつんでれって、オレに喧嘩売ってないか!?」
「つーんでれ、つーんでれ!」
「清光てっめえ表出ろ!」
「和泉守暴れるな、酒瓶が倒れる。加州も煽ってくれるな、おれの部屋だぞ……」
ぎゃあぎゃあと酒の勢いのまま喧嘩を始める和泉守と加州。長曽祢はため息をつき、猪口を置いて喧嘩の仲裁に入る。
堀川はさりげなく、武器になりかねない酒瓶や猪口を遠ざけている。青江も酒瓶を遠ざけながら、堀川にさりげなく問いかけた。
「堀川。君も修行に出ようと思うかい?」
「青江さんは?」
「僕も修行を考えているよ。強くなれるのはイイ事だからねえ。……っと危ない、熱くなるのも大概にして欲しい物だ」
和泉守が振り回した勢いですっぽ抜けた酒瓶が飛んでくる。青江が避けた事で壁にぶつかった酒瓶は、ガシャンと音を立て粉々に砕け散った。
箒とか持ってきますね、と言って飛び出しそうとした堀川に、青江は重ねて問う。
「それで、堀川は?」
「……僕は……」
堀川が気まずそうに口篭もり、目を逸らす。青江がその真意を探ろうと、顔を覗く為に屈み込んだ。
途端、目の前の堀川が青江の背後を睨み付ける。青江も同様に、その視線の先を追っていた。
二振りが見据えているのは、窓ガラス。——何者かが、室内を見ている。