青江は一足で踏み切って、部屋の外へと飛び出す。それから室内にいる堀川に向かって、軽く笑んだまま告げた。
「堀川、悪いけど僕は失礼させてもらうよ。部屋の掃除は任せたからね」
「僕も行った方がいいんじゃ……!」
堀川も出て行こうと踏み出すが、手で制止してから笑みを妖しいそれへと変えた。
「いや、一振りで大丈夫さ。堀川はそれよりも、部屋の片付けを優先した方がいい。あの二振りを一振りで止めるのは、なかなかに骨だろうから」
青江はそう言ってその身で空気を裂くように走り出した。背後の呼び声は無視して、廊下の階段近くにある窓を開け放つ。
窓枠に足を掛けて身を乗り出させ、足場を蹴って目の前の木に飛び移る。気配を追うと、それは既に撤退を始めている所だった。
——逃がさないよ、何があっても。
相手の足の速さは凄まじく、普通に追えばまず追いつかないだろう。だから青江は刀装玉から弓兵を召喚し、走りながら相手の少し先へと矢を放たせる。
ひゅん、と風を切り矢が飛んでいく。しかし届かなかったのだろうか、相手は足を止める気配がない。
——ならば、手を加えてもう一回。
「ねえ! 君、政府の短刀だろう!?」
その言葉に動揺したのか、相手の速度が少し低下する。その機会を見逃す青江ではない。
狙いは再び相手の半歩先。——今度は手ごたえがあった。
相手が短く悲鳴を上げる。直後こちらに下がる気配がして、青江は出来得る最高速度でそこまで駆け抜けた。
そして——
「ふふ、捕まえた」
「あ、あぅ……」
相手が半歩下がった所を腕に収める。そうしてよくよく見てみれば、相手は白いふわふわの髪をした短刀——五虎退だった。
木の下では、大きな虎が唸り声を上げている。わたわたとしか形容出来ない動きで帽子を深く被り、政府直属の五虎退は青江の腕の中で震える。
「え、えっと、僕は……」
「ああ、何も言わなくていいよ。何となくここにいる理由は分かっているから。——背信容疑のある本丸の監視だろう?」
政府直属の五虎退は一瞬目を見開き、ううう、と泣きべそをかき始めてしまった。
「な、何で僕なんですかあるじさまぁ……っ! こうなる事は分かってたのにぃ……っ!」
「まあ能力値的に、君が一番良かったからだろうねえ。君、隠れるのが一番上手いみたいだから」
ふるふると震えながらも政府直属の五虎退は、潤んだ眼をきっと鋭くさせ青江を睨む。
「で、ですが僕だって粟田口が一振り、かつ政府直属の刀剣です! ここで倒れる訳には……っ!」
——ここに来たのが五虎退でよかった。青江は内心でそう安堵する。
五虎退を侮っている訳ではない。相手は修行済み、戦力的にはこちらが大きく劣るだろう。しかし、五虎退は少し気が小さい一面を持っている。
ならば、交渉の余地はある。
「いや、君にイタズラしたい訳じゃないさ。そこは安心して欲しいな」
「……え、え? じゃ、じゃあ何で、弓を射かけて……」
「だってそうじゃないと、君は退却してしまうだろう?」
ぱちくりと目を白黒させている政府直属の五虎退に、青江は怪しく笑んでから意図的に怒りを滲ませる。当然、怒る相手は五虎退ではない。
「ひ……っ!」
またしても悲鳴を上げる政府直属の五虎退に、誇張を交えながら青江は「氷雨隊の心情」を述べ始める。
「……僕達はねえ、凄く怒っているんだよ。だって主はあんなに政府に心からの忠誠を誓っているのに、それを疑われる羽目になったんだから。正直あんなに怒り狂った主は久々に見たよ。僕達も主を疑われているのは非常に悔しい」
「ぼ、僕に言われてもぉ……っ」
「しかも主を陥れたのは、たった一振りの刀剣男士というじゃないか。一振りのせいで、政府からの信頼が揺らいでしまったんだ。……本当に腹立たしいよ。正直証拠があるのなら、今すぐ君に引き渡してもいいくらいに」
え、と政府直属の五虎退は言葉を詰まらせる。青江は怒りを引っ込ませて、五虎退に真面目な顔を向けた。
「ひ、引き渡してくれるんですか? 本当に?」
「ああ。その代わり、ある程度の情報を融通してもらいたい。……と言っても、君の一存では決められないだろう。僕だって今無断で追って来た訳だしね。僕達ははっきりした証拠をまだ掴めていない、君達は僕達が背信者を庇っていないと言い切れない」
「そ、そうですね……」
「——なら、僕達が背信者を庇っていると判断したら、僕達の本丸を取り潰してもいい。少なくとも僕は、背信者を庇い立てするつもりはこれっぽっちもないよ」
どんな手段を使っても、謀反人を炙り出せ——それが青江に下された指令だ。ならば、青江だって手段を問うつもりなどない。
本丸を潰してもいいと言えたのは、謀反人が本丸内に協力者を作っていないと推測出来たからだ。政府直属の五虎退との交渉が成立しない限りは、そのカードを表にするつもりはない。
しかし小心者の気がある五虎退だ、そんな事を言えば大きく動揺するに決まっている。
予想通り、さっと青ざめた政府直属の五虎退が、ひっくり返った声で叫んだ。
「そ、そんな事、どうして……!」
「何故って、それくらいの覚悟をして探している訳だしねえ。君も主の忠誠心っぷりは知っているだろう? 主も僕達もこの国を崩そうとしている輩と、同一に扱われたくないんだよ。そして、そんな事に協力しているものを、僕は仲間だと思えない。言っただろう、証拠があればすぐに突き出しても構わない、と」
ごくり、と政府直属の五虎退が唾を飲み込む。どうしようか頭の中で考えを巡らせているのだろう。
青江としても、この作戦は賭けに近かった。ここで「信用出来ない」と切り捨てられてしまえばそれまでなのだ。
ならば何故賭けたのか。——この五虎退が、謀反人の正体を知っている予感がしたからだ。
決定的な証拠が欲しかった。
五虎退の震えが止まり、息を吐いてから青江を見上げる。青江も意を決して彼の言葉を待った。
「……氷雨隊の青江さん。一つだけ聞かせて下さい……背信者の特定はどこまで進んでいますか?」
政府直属の五虎退は、引き締めた顔でそう尋ねる。青江は笑って即座に答えた。
「そうだねえ、元新選組の刀って所までは絞れたんだけど……そこから先が僕の憶測しかなくてね。それでもいいかい?」
「は、はい。構いません」
青江は五虎退を支える腕の力を入れて、吐き捨てた。
「——恐らく、背信者は堀川国広。全く、これが正しければ彼はとんでもない手練れだよ。主の信用を受けた上で、主を裏切っていたんだから」
いつから裏切っていたのだろう。様子が急変した訳ではないから——多分、最初から彼は謀反人だったのだ。
最終的な裏付けは、修行希望の有無だった。
青江が様々な本丸を観察して、気が付いた事がある。それは「刀剣男士は一定の練度と本丸への愛着があれば、修行に行きたくなる」という性質だ。短刀達は練度六十に達した時点で修行を言い始めたし、他の刀種も練度の差はあれど一定の基準で修行を考え始めている。青江もまた、その基準に当てはまるように修行を視野に入れていた。
そして修行を考え始めるのは、帰る場所への愛——本丸と審神者への愛着心が不可欠だ。
大和守は寝落ちる寸前に「変わらなきゃいけない」と言っていたし、加州は言わずもがな。長曽祢は修行に肯定的であったし、和泉守も捻くれながらも修行希望を口にした。
新選組刀の中で、はっきりと修行を希望しなかったのは堀川だけ。彼は話の流れでそれを口にしなかったし、青江に問われた際には言葉を濁した。
考え始める為の練度は充分なはずだ。ならば——彼は本丸に愛着心がないと言える。その時点でもう異常なのだ——刀剣男士は余程の事がない限り、本丸を愛するものなのだから。
堀川の詰めの甘さは、青江が修行に関する規則性を知っていた事に気付かなかった点だろう。この事に気付かれないように、これから立ち回らなければならない。
これで間違いだったらまた振り出しだが——政府直属の五虎退は、おどおどしながらも確かに答えた。
「……そ、その通りです。そこまで特定出来ていたんですね、凄いです」
正解した安堵と堀川への怒りがこみ上げて来る。それでもうねる感情は表には出さず、政府直属の五虎退に妖しい笑みを浮かべて指示を仰いだ。
「これから、僕達はどう動けばいいかな?」
「え、えっと……少なくとも、証拠を押さえるまで刺激はしないで下さい。堀川さんと繋がっている誰かは……その、政府の転覆を計画している可能性があるので」
今度こそ青江は表情を変えた。それは一大事ではないか、と言い募りそうになる寸前に五虎退は言葉を繋げる。
「まだこちらも完全な証拠を掴めていないんです。今、堀川さん達を束ねている刀剣男士がいると思われる本丸に、別の方が出向いているので……」
「それで、完全な裏付けが取れると?」
「は、はい……政府直属部隊の一つである雲霄隊の、『最終兵器』が向かっているから、という話です」
ぞっと背筋が凍る。合同調査で会った、あの三日月が動いているのか。出来れば二度と会いたくないと思っていた刀剣男士が動いている事実に、青江は顔を引きつらせた。
「……相手は本当に、国へ戦争を仕掛ける気なんだね」
「うぅ……怖い事はそう起こって欲しくないのに……そうだ、青江さん」
目に涙を浮かべながら政府直属の五虎退は青江から離れ、ポケットからメモを取り出しさらさらと何事かを記す。書き終わるとメモを切り離し、青江に手渡した。
「僕の連絡先です。堀川さんに動きがあったら、すぐに連絡を下さい。僕もあるじさまに確認を取りますが、堀川さん達の情報を渡せるようになったらすぐに連絡します」
「ありがとう。僕の連絡先も書いておいた方がいいよね」
「は、はい。お願いします」
メモを受け取った青江も連絡先を書き込んでいく。さらさらと流れるように書き終えると五虎退にメモを返し、青江は笑顔を張り付けて礼を言った。
「五虎退君、ありがとう。監視対象を特定出来て、本当にありがたいよ。……この事、僕の主にもまだ言わない方がいいかな?」
「はい、今はまだ。正直、ここで色々言った事とか連絡先を渡した事とかも、僕の独断なので……」
「そうだよねえ。僕も政府直属の刀が監視しに来ていたなんてそのまま主に伝えたら、信頼を失っている事に憤死しそうだし」
「……お互い、なるべく早い解決を目指しましょう。青江さんの審神者さまの為にも、この国の為にも」
「ああ。じゃあ、僕はそろそろ失礼するよ。早く戻らないと互いに主が焦れそうだ」
はい、という一言と共に、五虎退は闇に消えていく。青江も来たルートを戻り、本丸の窓枠の中へと飛び込んだ。
ポケットの中にあるメモを上から触った後、青江は何事もなかったかのように新選組刀のいる部屋へと戻る。
多少の切り傷を拵えた和泉守と加州が、互いの頬に拳を突きつけ合いながら寝息を立てているのが見える。その奥で、内番着が少し破れている長曽祢がいびきをかいていた。大和守はベッドの上で幸せな夢を見ているのだろうか、緩い顔で寝言を言っている。
その周囲は瓶の欠片やら猪口やらが転がっており、長曽祢の部屋の中はどんちゃん騒ぎの跡が色濃く残っていた。
寝息といびきだけが声として響く中、テキパキと動いている人型は一つだけ。
「青江さん、外を見ていた相手は誰か分かりました?」
ガムテープで床に落ちているガラスの破片を取り除きながら、堀川が問う。
さも裏がないように振る舞うその姿に思う所はあったが、青江はただ困った笑顔を浮かべるに留めた。
「見に行ったけど、何もいなかったよ。もしかしたらこちらが察した事に気付いて、逃げたのかもしれないねえ」
「主さんに報告は?」
「これからして来る。手伝えなくて悪いけど、後は任せたよ」
「分かりました。少し早いですが青江さん、おやすみなさい」
軽く手を振って、青江は長曽祢の部屋を去った。
——さて、主には何と言おうか。
考えを巡らせながら、青江は廊下を進む。名前通りの笑顔は、その下にある感情を見事に抑え込んでいた。