夜の帳が下りた清澄隊本丸の正門前に、紙袋を手にぶら下げた白い男が立っている。男は雨音しか響かない本丸内を覗き込んでから、意を決したようにゆっくりとインターホンを押した。
しばらく待つと、インターホンのスピーカーから幼い少女の声が響く。
『……はーい! どちら様ですかー?』
「遅い時間にすまない、氷雨の鶴丸国永だ。ツクシ、江雪はどうした?」
『あっ、鶴丸さん久しぶり! 江雪さんは今他の子の所にいるの。お見舞いだよね、すぐそっちに行くから待ってて!』
男——氷雨隊の鶴丸国永は、ツクシの明るい声に胸を撫で下ろしながら、彼女の指示に従った。
*
玄冬隊の数珠丸達とティータイムを過ごした後、鶴丸は自室で自問自答を繰り返していた。基本的には、何故自分があの蛍丸へあそこまでの憎悪を抱いたのか、という疑問についての問答だ。
——何故俺は、あそこまで蛍丸を憎んだのか?
——自分達の存在意義を、嘲笑と共に否定されたから。
——自分達が否定されるなんてよくある事。一々相手にしていたらキリがない。なのに何故あの蛍丸だけ過剰に反応した?
——多分、被験者である事が関わっている、と思う。
——どんな風に関わっているのだろう?
そこで、思考が止まってしまったのだ。まるでその先を知る事を阻むかのように、頭が回らなくなる。腹の底から唸り声を吐き出した鶴丸は、少し歩きながら思考を回そうと考え——清澄の江雪と彼の本丸にいる滑莧園の子供達を見舞いに行ってない事を思い出して、何なら行ってしまおうと決めた。
決めてからは早かった。審神者に何とか許可をもらって本丸の外へ出て、手土産を購入し、真っ直ぐに清澄隊本丸へと向かう。その間にも思考を巡らせようとしたが、なかなか上手くいかない。どうしたものかと再び唸ってもどうにもならず、気付けば目的地の前に立っていた。
懸念している事が一つある。——今の今まで、江雪に一言もメッセージを送れていない。ここに来たのも、自分の事でいっぱいいっぱいになってしまっている現状を打破するためだ。そんな事に友達を利用するのは、とても気が引ける。それでも、友達や子供達の様子を一度も見に行かないのはいただけない。
——江雪、沈み過ぎていないといいが。
世を憂いている友達の心中を思いながら、鶴丸はツクシの出迎えを待つ。
友達や子供達に元気になって欲しい。その為なら、鶴丸は道化にだってなるつもりでいた。
*
パタパタと走って来たツクシは、満面の笑みを浮かべて鶴丸を出迎えた。鶴丸もちょこちょこと滑莧園を訪れていた身だ。ツクシの笑顔に後ろめたく安堵しつつも、彼女が少し無理をしているのではと窺い知れて心が痛んだ。
だが鶴丸はそれを表情には出来る限り出さず、軽く手を持ち上げて笑い返す。鶴丸はツクシに紙袋を手渡し、期待に目を輝かせる彼女に中身の説明をした。
「ほい、ツクシ。少し奮発して牡丹一華堂の練り切りを買って来た。皆で食べてくれ」
「わあ、ありがとう! 皆喜ぶよ! ……鶴丸さん、夕ご飯食べた?」
「一応食べて来たぜ。だから俺の事は気にするな」
「久々に一緒に、って思ったんだけどなあ。でも、あんまり豪華なご飯作れないから、少し安心しちゃった」
あまり良くない経済事情の一端をツクシはさらりと口にする。そうか、とだけ口にしてから鶴丸は清澄隊の状況をツクシに問いかけた。
「江雪はどうだ、体調とか崩してないか?」
「うーん、やっぱり落ち込んでるみたい。私に少し弱音みたいなのを零してたよ」
「弱音? 何があったんだ」
「昼ご飯の後にね、江雪さんと少し話をしたの。私があまりにも普通に江雪さんに接するから、どうして江雪さんを嫌いにならないのかって聞かれて……。私達に恨まれるのが怖いって言ってたよ」
やはり、江雪はかなり気を滅入らせていたようだ。鶴丸はまだ事件の詳細を聞いていない。だがあんなにいた子供達が荒くれ者によって九人にまで減らされた事で、相当な傷を負ったのはよく分かる。
江雪は恐らく自分を責めている。それを少しでも楽にしてやりたかった。悪いのは襲って来た無法者で、江雪に非は全くないのだから。
玄関に上がり、ツクシに導かれ鶴丸は清澄本丸内を進む。本丸内は僅かに自分達以外の足音がするだけで、痛いくらい静かだ。元気さのない微かな足音が、子供達の傷を表しているようだった。
鶴丸は静かに目を伏せる。あの明るかった子供達がここまで憔悴している事実に、拳の力が更に籠る。
子供達は未来へと繋げる種だ。守るべき存在なのだ。それなのに、どうして無惨に殺され、追い込まれなくてはならないのだろう。それがただ、憤ろしくてたまらない。
湧き立つ感情でぐちゃぐちゃになっている鶴丸に、前を歩くツクシは困ったように笑う。
「まあ確かに江雪さんは刀剣男士だけど、あの襲ったひととは別なのにね。皆もそれを分かってくれると嬉しいんだけどなあ。だって、江雪さんも鶴丸さんも優しいもの」
「ありがとうな。……皆も、って事は、他の奴は……」
「うん。……他の子は、刀剣男士に怯えてて……特にソメゴローは事件の時に色々あって、割り当てられた部屋から一歩も出てこないの。ご飯を部屋の前に置いたら、食べてる形跡があったのが救いかな。でも、食欲もないみたいで、少し残してるんだ。事件が起こる前は、おかわりするくらい食べてたのに……」
悲しそうに告げられたその返答に、鶴丸は息を呑む。
いつだって元気いっぱいで、時々元気が行き過ぎて「相棒」と称する親友の
そこまで考え、鶴丸の脳裏を不穏な予感がよぎる。そしてその予感を否定して欲しくて、ツクシに尋ねた。
「ツクシ、そういやサクヤはどうした? ソメゴローと一緒に閉じ籠ってるのか? ……まさか、事件の時に命を落とした、とか……」
——親友がいるのなら、ソメゴローは部屋に閉じ籠りなどしない。口にはしたが、サクヤが沈んでいるのならソメゴローは彼を元気付けようと動くだろう。そしてサクヤがいるのなら、ソメゴローは多少気分が落ち込んでいても他の子供達にも働きかけようと走り回っているはずだ。
ソメゴローは男子の中心となるガキ大将だ、なんだかんだで他の子供達を放っては置かない。それなのに、一歩も外へ出て来ないという事は——
鶴丸の問いにツクシは一層顔を曇らせ、か細い声で呟く。
「……ただ死んじゃっただけなら、良くないけど良かったのかもしれないね」
「……どういう事だ?」
ツクシの言い回しが気になり、再び問いかける。それではまるで、サクヤは死んだ方がマシな扱いを受けているみたいではないか。
鶴丸は納得のいく答えを導き出せず——ツクシの続けた言葉に、絶句する事となった。
「……サクヤ、刀剣男士になっちゃったの。そうなるまでに何が起こったか分からないけど、サクヤは……もう元のサクヤじゃなくなっちゃった。その場に来た長谷部さんにね、もうサクヤとしての記憶は消えてる、この状態だと記憶が戻る確率は低いって言われて……私達、サクヤとお別れも出来なかった。もうサクヤは別のひとに存在を上書きされちゃって、体は生きてるのにもう別のひとなの」
「……おい、それって」
「鶴丸さん。滑莧園の子はね、刀剣男士かその上に立つ審神者になる為に育てられてたんだって。女子はまだいい、自分が残るから。でも男子は? タイガもサクヤとコタローみたいに、存在を上書きされちゃうの? ……そんなのって、ないよ……私達、最初から戦争の為に育てられてたんだ。楽しい未来なんて、最初からなかったんだ。アズサだって、どこへ行ったのか分からないんだよ? ……分かってる、鶴丸さん達は悪くない。でも……こんな形で願いを絶たれるなら、あの日思い出と一緒に消えてた方が良かったよ……!」
大粒の涙を溢れさせて、ツクシはしゃくり上げる。唖然としたまま立ち尽くし、鶴丸はそれを見つめていた。
——滑莧園も、あの研究所と同類……。
人を媒体とする顕現方法は、あの研究所で知った。そして出くわした蛍丸によって、それが真実だと実感する事になった。あの蛍丸は刀の魂を踏み潰し被験者の自我を残していたが、ツクシ達の前に現れた刀剣男士はそうではなかったのだろう。
一つ屋根の下で過ごした家族が目の前にいるのに、それは家族ではない。そして肉体がなくなった訳ではない為、まともに別れも告げられない。精神の折り合いをつけるのだって難しいはずだ。
何よりも、自分達の——特に男子——未来がどうしようもなく暗いものである事。希望を打ち消された現実を突きつけられ、彼等は決して小さくはないショックを受けた。はいそうですかと簡単にそれを受け入れられるはずもなく、子供達は塞ぎ込み、未来の自分達の姿に怯えている。
涙を流すツクシに、何と言えばいいのだろう。もしかしたら、他の「自分」も誰かの未来を閉ざしたのかもしれない。自分は現在普通となっている方法で顕現したから、誰かの未来を潰した訳ではない。けれどそんな理屈を捏ねたって、子供達に通用するとは思えなかった。
「……俺も、悲しい。まさかサクヤがそんな事になってたとは……。そりゃ、ソメゴローだって塞ぎ込むよな」
膝をつき、ツクシと視線を合わせる。潤んだ大きな目は、頼りない自分をはっきりと映していた。
「まともに別れも言えないと、心にしこりが残るよな。……俺の本丸でも前に仲間が死んで、それを嘆く暇なく同じ顔をした奴が現れたんだ。そいつとはなかなかに楽しくやってたから、新しく現れたそいつと同じ所と違う所を比べて、寂しく思う心を抉ったりもした。それと同列に出来る話でもないが、ツクシは今までよく耐えたと思う。何せ俺の事を笑顔で出迎えてくれたんだ。複雑な心境を態度に出さないなんていう、普通の奴には難しい事をこなしてる。これは素直に凄い事だ」
戦装束の袖で、ツクシの頬を濡らしている涙を優しく拭う。ツクシはぐしゃぐしゃの顔のまま、それを受け入れていた。
「……ツクシ、君はまだ子供だ。辛い気持ちを無理に抑え込まなくていい。泣きたい時には泣いて、辛い時には助けてと言えばいいんだ。何なら俺が当たりたい気持ちを受け止めてやる。俺の仲間曰く『周囲に悟られているなら心が悲鳴を上げている証。堪えれば堪える程、心にヒビが入っていく』らしいぜ? 大丈夫さ、多少殴られるぐらいなら俺は何ともない。隊長サマに怒鳴られるのも慣れたもんだしな」
「……」
少しおどけて見せた鶴丸の言葉に黙り込み、ツクシは俯く。ボブカットの髪が垂れて、顔に影を落とした。
鶴丸は静かに流れ続けるツクシの涙を拭い続ける。きっと何か言いたい事があるのだろうと察して、その時を待っている。
どのくらいそのままでいただろう。ツクシは俯いたまま、ぽつぽつと言葉を吐き出し始めた。
「……江雪さんには、言えなかったの。江雪さんに言ったら、きっと凄く傷付けちゃうから」
「ああ」
「自分の世界を守る、なんて見栄張って、結局家族を守れなかった。死んじゃって、塗り潰されちゃって……今入院してるタイガだって、いつ帰ってくるか分からない。これでタイガまでいなくなっちゃったら、私、どうしていいか分かんないよ……!」
「……ああ」
「どうして? どうして世界は、当たり前の幸せを私達から取ってくの? 大金持ちになりたい訳じゃない、王子様の迎えもいらない……ただ、家族と楽しく過ごして、自分の力で生きられる大人になれれば、それで良かったのに……! どうして小さな願いすら叶えさせてくれないの? どうして私達なの? ねえ、ねえ、どうしてよ……っ!」
「……」
鶴丸は声を上げて泣き始めたツクシの顔を肩に乗せる。ツクシが縋り付いて嗚咽を漏らし、鶴丸の肩を濡らしていくが、そんな事は気になりはしなかった。
ツクシの頭を撫でながら、鶴丸は視界の端に黒い服の裾が翻るのを見ていた。密かにその場にいたもう一つの気配が去った後、鶴丸は天井を見上げる。
「……何で世界は、君達に犠牲を強いるんだろうなあ」