空隙の町の物語   作:越季

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16-7「氷雨鶴丸の、決断」

「……鶴丸」

「くそっ、自分がここまで腑抜けだったとは! 身のない同情をしただけでなく、それを拒まれただけで逆上するなんて! こんな形で道化になりたくはなかったのに、滑稽にも程がある!」

「落ち着いて下さい、茶が袖にかかってしまいます」

 

 荒くなった息のまま、湯呑を乱雑に置いてしまう。僅かに手にかかった茶のぬるさが不快だ。もう片方の袖で水分を拭い取り、鶴丸は重々しく息を吐いた。

 嫌な自分を、思い知らされた。自力で考えていた時に思考停止していたのは、それから目を背ける為だったのだろう。自分が完全に綺麗な存在だとは思っていなかったが、現実に醜い自分があった事に吐き気がする。

 呼吸が上手く出来ない。なのに身体に力が入ってしまって苦しい。こんな情けない姿を誰かに晒すのは、恥ずかしくて仕方がなかった。

 江雪が躊躇うように身動ぎしているのが見えた。突き付けられた自己嫌悪のまま、彼に八つ当たりをしたくはない。鶴丸はもう一度息を吐き出し、頭を持ち上げた。

 

「……すまない、見苦しい所を見せた」

「いえ、構いません。少し悲しいとは感じても、見苦しいとは思いませんからね」

 

 手に力が籠る。今の自分の、どこが見苦しくないというのか。甘やかされるのは御免だった。いっその事、詰って心を抉って欲しかった。

 けれど江雪は、静かに目を閉じ湯呑をずらすと鶴丸に語りかけた。

 

「……私は、貴方を聖人君子だとは最初から思っていませんでしたよ。完全な物がこの世にないように、心だって欠点の一つや二つあって当然。けれど貴方は、自分の弱さを少しも見せようとしなかった。私は、それが少し寂しいと思っていました」

 

 その穏やかな口調は、鶴丸のささくれた心に冷静さをもたらした。そして落ち着いた状態になって初めて、江雪の表情をしっかりと見た。

 目を閉じている江雪はとても穏やかな顔で、小さな花を見つけた時のような微笑ましさを抱いているらしかった。それがどうして今自分に向けられているのか分からず、鶴丸はただ次の言葉を待った。

 

「弱い所を見せるのを、貴方は嫌だと感じているかもしれません。ですが貴方は、ひとり朽ちていくはずだった私に幸せをもたらしてくれました。私は散々弱さを見せたのに、貴方は少しも笑わなかった。それがどれだけ嬉しかったか、きっと貴方は知らないでしょうね。……希望を見せてくれた貴方が、今こうして私に協力を求めているのです。力にならずに何を友と呼びましょう」

 

 江雪はゆっくりと目を開き、鶴丸へ微かに微笑んだ。

 

「自分の欠点に気付いてそれを悔めるのなら、充分に修正する余地はあるでしょう。もしかしたら見方を変える事で、欠点ではなくなるかもしれません。……例え存在を軽んじていた所があったとしても、貴方がその蛍丸の境遇を憂いたのは事実。悲しむべき事に何も感じなくなる方がまずいと、私は思います。それは心が完全に磨耗している証なのですから」

「……他の『鶴丸国永』は、何も感じないように振る舞うと思うが」

「それは『感じないように見せかけている』のでしょうね。きっと多かれ少なかれ、思う所はあるはずですよ。それが悲哀から来る憂いでも、過多から来る呆れでも、情感の揺らぎは必ずある。例え同情から来る物だとしても、貴方は悲しむべき事を悲しんだ。貴方は、決して薄情ではないと思いますよ」

 

 穏和な口調で、江雪は語る。それはまるで、行燈の仄かな明るさに合わせているかの如く。ふわふわと揺れる行燈と江雪の語りに、鶴丸の心にあったささくれも修復されていく。

 

「同情しか出来ないのは当然だと思います。きっと貴方は、その蛍丸の事を然程知らなかったのでしょう? その時まで直接話した訳でもなし、彼をよく知らないのに同情以上の感情を抱けというのが、無茶な話なのです。……鶴丸、貴方から見たその蛍丸はどうでした? 人を食ったような態度しか取らない冷笑主義者? 残忍な行為をする狼藉者? それとも、人の心を失くした利己主義者でしょうか? まずは貴方の知る彼を、貴方の口から教えて下さい」

 

 否定的な言葉を並べているのは本心が半分、意図的なのがもう半分だろう。

 当然ながら、江雪はあの蛍丸を見ていない。鶴丸の話す人物像が、江雪の知る全てだ。けれどあまりに優しい口振りからして、鶴丸が抱き始めている「今の蛍丸像」が分かっているに違いない。

 ——そうか、俺は……。思っていた以上に、見透かされているなあ。

 小さく苦笑いをした鶴丸は思考を纏め直し、姿勢を正して江雪に解を示した。

 

「——あいつは、大切な存在を失った悲しみや憤りを周囲にぶつけている。多分、関係ない者が犠牲になった所で『大切な存在を奪った憎い奴等がいなくなった』としか考えられないんだろう。あいつにとっては、世界中の心ある存在全てが敵なんだ、きっと。……あいつの口振りから考えると研究員や刀剣男士はもちろん、無関係の審神者をはじめとした人間達にも恨みを抱いているだろう。失った子は、あの蛍丸の全てだったのかもな。いずれにせよ、己の尊厳を踏み躙られ、その子が死んだ時点であいつは壊れてしまった」

 

 これも、上辺だけの情報なのかもしれない。それでも鶴丸は、頭で思い描いた物を全てそのまま表に出す。

 守られるべき子供達が、どうして研究所に行く事になったのかは分からない。それでも、子供達を戦場に向かわせるなどもっての外だ。心の奥底では人間の子供ごときに戦場を奪われたくないという排他的思想もある。もちろん現代の道徳的にそんな事があってはならないし、子供達の顔が苦痛に歪むのを見たくないというのも本心だ。

 それに何より——見ていられなかった。正真正銘の子供が、復讐に生を燃やす所なんて。ケタケタと子供らしくない声で笑い、顔を憎悪で歪ませる子供がいるなんて、認めたくなかった。

 鶴丸は子供の大切さを理解している。だからこそ疑問だった。何故人間達は、子供を使い捨てるのかと。歴史を紡ぐ人間を育てる方向ではなく、所詮は物である刀の苗床としたり、戦場へと向かわせたりする方向へと舵を切っている。それが理解出来なかった。

 ——こんな国、守る価値なんてありはしない。むしろ一度崩した方がいいんだ。大切な友達を理不尽に殺して、それを失敗の一言で片付ける国は。

 あの蛍丸は、そう言っていた。そして聴取で聞いた「仲間がいる」という話と照らし合わせると、浮かび上がってくる火種がある。

 

「そんな奴が力と同志を手に入れたんだ。——政府をひっくり返す反乱すら実行しかねない」

 

 江雪が息を呑んだ。瞳孔を開きながらも膝の上で拳を握り、動揺の表出を最小限にしようとしている。

 鶴丸の言いようのない内心の不穏さが、口に出す事で定まった気がする。息を吐いて湯呑を傾けると、最後の一口だったらしくすぐに茶は流れ込まなくなった。

 江雪は前髪を目前に垂らし、激情を押し殺した声で呻く。

 

「……そこまで、考えを及ばせないといけませんでしたね。迂闊でした」

「俺も、そんな事が起こって欲しくないが……あいつらがあのままで終わらせるとは考えられない。警戒は最大限にした方がいいだろうな」

 

 言葉にしながら鶴丸は、次第に停滞していた思考が目まぐるしく働き始めるのを感じていた。

 二つの事件を起こしてそれでおしまい、などとは考えにくい。研究所二つ潰しただけであの蛍丸が満足するとは到底思えないし、仲間がいるなら尚更だ。

 多くの血が流れる出来事が起こるのは、目に見えている。鶴丸はそれを許せなかった。

 己の装束に付く血は、戦と無関係な存在の物であってはならない。敵ではない存在によって鶴らしくなるのは、絶対に嫌だった。

 

「せめて子供達の引き取り先が決まるまで、事が起こらないのを祈るしかありませんね。ですが、もし最悪の事態になったら——」

「俺もそっちに行けるようにはしておくが、何があるか分からない。子供達の事は頼んだ」

「ええ、命に代えても。……鶴丸、貴方も腹が決まったみたいですね」

 

 江雪の張り詰めた問いに、鶴丸は頷く。

 あの蛍丸は遠くない未来で、数多の存在を殺すだろう。言葉や優しさだけで穏便に収められるとも思えない。

 あの壊れた子供を止める方法は、最早一つだけ。それは出来れば避けたかったが、鶴丸は刀らしいやり方で、被害を最小限にしなくてはならない。

 

「ああ、流石に国家転覆を阻止する主命が出るだろう。俺はそっちを優先する。それと、もし反乱が起きた時にあの蛍丸が首謀者側にいたなら——その時は俺が殺す。あの蛍丸も俺を殺しに来るだろうしな。……奴の言葉を俺は認められそうにない。刃で語らう段階は、もう過ぎているだろうしな」

「……和睦の道は、ないのでしょうか……」

 

 決まり文句を口にしながらも、江雪にそこまで沈んだ様子はない。それは諦めから来る物なのか——

 

「ある、と言えたら良かったけどな。俺は俺の筋を、奴は奴の筋を通す。揺らがない二つがぶつかり合うんだ、どちらかが壊れるのは当然だろう? ……俺も最後まで抗う、だから勝利を祈っててくれ、江雪」

「……そうですね、貴方の為に祈りましょう」

 

 ——清澄隊本丸を訪れた当初とは異なり、友の顔が晴れ晴れとしていたからだろうか。

 

 

「……ん?」

「どうなさいました……あ」

 

 子供達へ顔を出してから帰ろうと立ち上がった鶴丸の端末が、小さく震える。江雪が訝しんでいたが、彼もまた電子音がした文机の方向を見る。

 

「そういえば貴方、しばらく会話部屋に入らなかったでしょう。任務以外では入り浸りだったのに、珍しいと思っていたんですよ」

「まあ、色々あったからなあ」

「そうですね、話を聞いた今は納得しています。……どちらでしょうかね?」

「一期か、鶯丸か……鶯丸からだな。えーとなになに……」

 

 端末を開いた二振りは、きょとんと目を丸くして画面を見つめた。

 

『鶴丸、話は聞いた。大きな損傷がなくて何よりだ。だがあまり無茶はするなよ、こちらでも調査は進めているからな。進展があったら連絡する、くれぐれもこちらの寿命を縮めるような真似はしてくれるな』

『江雪、手入れはちゃんとしたか? お前は自分を蔑ろにする所があるから心配だ。子供達は元気か? お前や子供達の心身共に何かあったらすぐに連絡をくれ。色々あって大変だろうが、一振りで抱え込んでくれるなよ』

 

 チャットアプリの個別部屋に届いていたメッセージを読み上げた二振りは、しばらく黙ってからぷっと吹き出す。

 どうやら政府直属部隊に所属している友に、かなり心配をかけてしまったようだ。上記だけでなく、すぐに見舞いに行けなかった詫びや、ひと段落ついたらすぐに駆け付けるという宣言なども記されている。

 

「あっはっは! 鶯丸には随分気を揉ませてしまったらしいな!」

「本当ですね、会話履歴が沢山……ふふ」

 

 少しの間笑い合った二振りは、チャットアプリ内鶯丸の個別部屋に以下の文を打ち込み、端末を閉じた。

 

『今江雪の本丸にいる。話をして少しすっきりした所だ。俺は大丈夫だから、鶯丸も無理はするなよ。というか調査の報告とかしなくていいからな! 機密情報だろそれ!』

『鶴丸が来ています。手入れをしたので私は元気です。子供達が少し落ち込んでいるので、鶯丸の力を借りる時も来るかもしれません。その時はよろしくお願いします』

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