空隙の町の物語   作:越季

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16-9「雲霄物吉と、春光隊と」

 ことり、とローテーブルにホットミルクで満ちたカップが置かれる。それを手に取って、雲霄隊の物吉はカップを口に傾ける。喉の奥に、ほんのりとした甘みを含んだ温かさが流れ落ちていく。飲み切ってからふう、と息を吐いて体の力を抜いた。

 心配そうな様子でそれを見ている、目の前に立つ煤色頭の男に物吉は頭を下げた。

 

「……長谷部さん、ありがとうございます」

「これくらい、どうって事ない。少し落ち着いたか?」

「はい。……相変わらず、心の中が荒れ狂っていますが」

 

 そうか、と言ったきり、春光隊の長谷部は黙りこくる。物吉も目を伏せて、己の精神状態と関係なく内心で燃え盛る炎を感じ取っていた。

 

 

 春光隊の石切丸に縋る物吉の尋常ならざる様子に、獅子王は詳しい話は本丸で、と物吉を森の奥まで連れて行った。その一画にあった一軒家——春光隊本丸からは、本丸内を照らしているであろう穏やかな光が漏れ出していた。

 玄関に入ると、いつもはない小さな靴いくつかと、草履が一組置かれていた。利用者が他にも来ているのだと理解した物吉は、ちらりと石切丸と獅子王を見遣って尋ねる。

 

「あの……結構利用者がいるみたいですけど、ボクもここにいて大丈夫でしょうか……」

「そんな辛そうな顔して言う台詞じゃねえっての。お前達みたいなのを助ける為に、常日頃から蓄えてるんだからな」

「そうそう、物吉さんはそんな事を気にしなくていいんだよ。……長谷部さん、いるかな?」

 

 草履を脱ぎながら石切丸が呼びかけると、リビングに続くドアからひょこっと長谷部が顔を出した。

 

「獅子王、石切丸、お帰り。物吉、今は他の利用者も休んでいるから、そいつらの事は気にしなくていい。……ホットミルクを作るから、その時に話を聞こう」

 

 長谷部は体を引っ込ませて姿をその場から消した。上がってくれ、と既にリビング前のドアに立っている獅子王に告げられて物吉も靴を脱ぐ。

 リビングに通されると、石切丸が先に入ってソファーの上にあるクッションを整え、物吉に座るよう勧めてくる。勧められるままソファーに座りクッションを抱えると、焦りが少しだけ落ち着いた。

 

「さて、物吉。詳しい話を聞かせて貰おうか」

「君がそんなに取り乱すなんて滅多にないからね。相当の事があったんだろう」

 

 視線をクッションに向けて、物吉は起こった事を脳内で纏める。長谷部がキッチンからホットミルクの入ったカップを持ってきたのは、考え始めて少し経ってからだった。

 

 

「……何というか、聞いた話だけでも令嬢に少し鈍い所があると分かってはいたが……」

「あそこまで強い親愛を自分に向けられていたと、彼女が全く気付いていなかったのがな……」

「いやでも、気を遣って今まで言わなかったのかもしれないし……」

「それでも他の刀とずっと仲良くしたいなんて、嫉妬を煽るような事を言っている時点であの人は鈍感ですよお……それにボクがとっさに前に出てなかったら()、感情のままにとんでもない事を口走りそうでしたし……」

 

 頭を抱える物吉に、三振りも顔を見合わせる。

 ミサキがこの「町」に来た事に驚いていた三振りは、その後語られたミサキと()のやり取りに一時、二の句が継げなくなってしまった。

 そもそも()が実験に参加する事になったのは、歴史修正主義者の脅威からミサキを守る為。弱い体に鞭を打ってまで彼女を守らんとしていた事は、夢を通じて物吉も把握していた。

 そして過酷な実験を乗り越え消えるはずだった魂は、修羅に近い執念で消滅させなかった。時折物吉の物となった体の制御を奪っては、ミサキに仇なす敵を屠ろうと暴れ尽くしていた。これだけで、()がミサキに強い愛と執着を抱いているのは一目瞭然。

 当然、実験での出来事や物吉が定着した後の事をミサキが知るのは難しいだろう。

 だが彼女は、()と幼い頃から接していたのだ。少しでもその片鱗を感じ取れなかったのだろうか。それとも長きに渡る付き合いの中で、固定概念を覆せなかったのか。

 いずれにせよ、ミサキは()の嫉妬心を湧き立たせ、物吉の精神を苦しめさせる結果となった。()の荒れ狂う心をどう宥めるか、それが物吉達に課された問題だ。

 頭を悩ませている四振りの耳に、階段を下る足音が聞こえてきた。足音の主はリビングの入口から中を覗く。

 

「皆さん、ちょっといいですか?」

「鯰尾、どうした?」

 

 一斉にリビングの入口に視線が集まる。その中にある物吉のきょとんとした瞳を見て、鯰尾は小さく唸りながら問い掛ける。

 

「あー物吉、来たばっかりで悪いけど二階に来てくれない?」

「え、構いませんけど……どうしたんですか?」

 

 物吉が背筋を伸ばすと、鯰尾は微かに笑って二階を指さした。

 

「他の利用者——秋田が、物吉の話を聞きたいって。他の被験者の事を知りたいって意思が見えるから、いい傾向だと思ってね。でも物吉も、無理はしないでよ」

 

 

 鯰尾の先導で、物吉達は二階に上がる。奥の方の部屋のドアの前に立った鯰尾は、ノックをして中へと呼びかける。

 

「秋田、物吉を連れて来たよ。入っていい?」

「……はい」

 

 か細く頼りない声がドア越しに響く。それに物吉は息を呑んだ。

 ——秋田君って、もう少し元気なイメージがあったけど……

 外に出るのが大好きで、あらゆる事に興味を示す明るい短刀。物吉の本丸の彼も、然程その印象からずれてはいない。

 だが、扉の向こうにいるであろう秋田は——涙を堪えて膝を抱えて蹲っているのだろうと、物吉は想像してしまった。

 声からは、抱くイメージ通りの明るさなどどこにもない。被験者の受ける待遇による傷を、もろに受けてしまっているのだろう。

 あまり傷らしい傷を負っていない自分は、何を話せるだろう。肩を強張らせる物吉に、後ろから獅子王がぽん、と背を叩く。

 

「そんなに張り詰めるなって。お前だって立派な被験者だ、きっと秋田にも得る物がある。力を抜いて、穏やかにな」

「……はい」

「開けますよー」

 

 がちゃ、とドアを開き鯰尾が中に入る。室内には利用者である秋田の他、歌仙と薬研が彼の近くに座っていた。

 そして、当の秋田は——膝を抱えているのは予想通りだったが、僅かに顔を上げている。その空色の目は物吉をじっと見つめており、思わずぎくりと体をぎこちなく跳ね上がらせてしまう。

 獅子王の助言通りあまり緊張し過ぎないように、と力を緩めてから物吉は秋田に微笑んだ。

 

「秋田君、初めまして。雲霄が一振り、物吉貞宗といいます」

「……蒼穹が一振り、秋田藤四郎です。初めまして」

「ボクの話を聞きたいと伺いましたが……近くに座っても?」

「……構いません」

 

 小さな声でそう言ったのを聞いて、物吉は薬研の隣にある座布団の上に座る。入れ替わるように歌仙が立ち上がり「下にいるお小夜達の様子を見てくるよ」と笑んでドアの外に消えていった。

 歌仙を見送り、物吉は秋田の方へと向き直る。秋田は相変わらず顔に影を落としている。だが物吉の穏やかな雰囲気に少し安堵したのだろう、大きく息を吐いてからゆっくりと口を開いた。

 

「……物吉さんは……」

「はい」

「……前を向けるようになるまで、どのくらいかかりましたか?」

 

 淀んだ目が、こちらを捉える。膝を抱える腕が震えている。なるほど、彼も自分達が持つ特性に苦しんで来たのだろう。

 完全に前を向けるようになど、なっていない。物吉だって今も、様々な事に苦しめられているのだから。

 

「……実を言うと、ボクも完全にこの特性と仲良くなっている訳ではないんですよね。今こうして春光隊にお世話になっているのも、特性に振り回されているからなんです」

「……そうなんですか?」

「はい。影が薄いのもまだ割り切れてないですし、もう一つ……被験者の魂が体の制御を奪う事も多くて。今回も、その魂が荒ぶってしまい苦しくなって、ここに駆け込んだんです」

「荒ぶるって、一体……」

「まあ、話すと長くなるんですけど……聞きます?」

 

 こくりと頷かれる。物吉はどのように話そうか、と考えながら語り始めた。

 夢の中で見た少女と少年の事。それは自分の依代となった少年がとても大切にしている記憶である事。少年は歴史修正主義者の脅威から少女を守る為、人間を刀剣男士にする実験に参加した事。物吉が少年の体に定着しても少年の魂は残って、物吉の意思と関係なく表出する時があった事。

 そして今日、少年は少女と再会した。少年は再会を非常に喜んだ。しかし少女が審神者になり、始めの一振りと末永く仲良くしたいという一言で、嫉妬の炎を燃え上がらせた事——

 

「……閉じ込められてたんですか、物吉さんの被験者も」

「そうですね。病を患っていて、疎んだ家族が離れに引き離したらしいですよ。他人に感染する病ではなかったと思うのですが……家族の記憶が一切ない以上、彼等の考えは分かりません」

「そう、ですか。でも魂が残る程、その女の子には未練があったんですね」

「敵が彼女に関わっているとなると、即座に表に出て屠りにかかるくらいですからね……ボクが気が付いたら凄惨な光景が広がっていた、なんて事も一度や二度じゃないですし」

 

 物吉は過去を思い出し、少し虚ろな目になった。

 始めに滅茶苦茶になった戦場に立っていた時には、自分が正気を失ってしまったのではと思った。周囲で引いている様子だった当時の仲間達は、何があったか口を割らなかった。ただその後、仲間達が自分を避けているのを感じ、反省して次に生かそうと物吉は考えていた。

 反省だけではどうにもならないと分かったのは、何回か同じ事が起こってからだった。

 戦闘が終わり帰ろうとした途端に意識を失って、気が付けば周囲は血の海。そしてその赤い海の中に、見知った顔があったのを見て——自分が悪霊に憑かれたのではと戦慄した。

 仲間を斬るなど、普段の自分ならあり得ない。ならば、目の前にある現実は何なのか。

 ふと振り返ると、仲間達は化け物を見るような目で自分を捉えていた。そこで、何となしに物吉は察した。——もう、この本丸にはいられないと。

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