一時預かりとなった政府で絶望する物吉に、手を差し伸べたのは春光隊だった。彼等は支援活動を始めたばかりで、物吉をはじめとした共通点のある刀剣男士に「悩み事はないか」と尋ねて回っていた所だった。
最初こそ不審に思っていた物吉はやんわりと断っていたのだが、ある日現れた長谷部に相談をされて(今思えば、物吉の特質に目を向けさせる為の行動だったのだろう)気が付いた。——自分の中に、もう一つ魂があるという事に。
始めは混乱した。悪霊に憑かれているのだと断じてしまい、何とかしてくれと春光隊にみっともなく縋ってしまった事もあったのだ。春光隊の面々はそんな物吉をいたずらに否定せず、一通り話を聞いてから少しずつ物吉の状態を調べ始めた。そして少しずつ結果を伝え、物吉はそういう現実なのだと理解が及ぶようになった。
その後、物吉は政府直属の部隊である雲霄隊に引き取られた。ある程度自分の特性を理解していたが、完全ではなかった物吉の状態を追加で教えたのは雲霄隊だ。そしてもう一つの魂の事を見つめ直して、物吉は魂が暴れる条件を特定した。
ならばと審神者によって配属されたのが、経験豊かなものが揃う第一部隊。彼等は物吉が暴れた時も適切に対処し、変わっている自分を「敵を察知出来る奴」と言って受け入れてくれた。もちろん心の中では思う所もあるのだろうが、変な目で見られないだけありがたかった。
今の本丸も刃生も、物吉は気に入っている。だからこそ、もう一つの魂とは適切な距離で接していきたかった。心が擦り減らされた状態で、まともに向き合う事は出来ない。春光隊で、答えを見つけられたらいいが——
「……
小さく震える声によって、現実に引き戻される。はっとして秋田へと顔を向けると、彼は目を潤ませて俯いていた。秋田の背を、薬研が優しく撫でている。
「
秋田の指が腕に埋まり、声の震え方も尋常ではなくなってくる。悲哀を想起させる、耳を塞ぎたくなる声。それでも部屋の面々は真剣な顔で話を聞いていて、物吉も耳を塞ぐつもりなどなかった。
「でも、何にでもなれる……空っぽの
秋田の目から、涙が次々と溢れ出す。心痛を叫ぶ声は悲鳴に近く、膝を抱える指先も白みがかっている。
秋田の過去を、詳しく知っている訳ではない。けれど刀剣男士になるまで、感情を正しく理解する事すら出来なかった程の孤独に、彼の境遇が自分よりも酷いと悟った。
物吉は何となく、封印が解けて外に出た怪物が出会う人々に罵倒される様を思い描いた。多分、秋田が過ごした日々のイメージとしては大きく外れていないだろう。
だが本人ですら、己の詳しい事情は把握していなさそうなのだ。彼があらゆる物から隔離され、本当の「独りぼっち」であったのを察する事が出来てしまう。自分が孤独である事を痛みと共に理解してしまった、その衝撃の大きさはいか程か。
肩を震わせてしゃくり上げる秋田は、掠れた声で物吉に問う。
「教えて下さい……生きるのは、痛みしかない物なんですか? 痛い事から逃げたいって思うのは、いけない事なんですか? そう考えてしまうなら……
秋田は涙でぐしゃぐしゃになった顔を物吉に向ける。心が軋む痛みをありありと示すその表情は、物吉に慎重な対応をしなければならないと判断させるのに充分だった。そうして、物吉は考えを巡らせる。
物吉は以前、後藤藤四郎と立ち話をした事がある。その最中、気分を害したかと尋ねる物吉に、後藤は呆れたような声でこう言ったのだ。
——別に。ただ、人間って勝手だよなって思っただけ。
確か、刀の顕現に纏わる話の中で出た言葉のはずだ。どうして後藤がそのような発言をしたのか、その経緯までは覚えていないが。
ともかく人間に呆れる後藤に、物吉はこう返した。
——それでいいんですよ。勝手じゃないと、人間はすぐに死にます。
そう、人間は勝手でいいのだ。普通の人間というのは、あまりにも他人の顔色を窺い過ぎる。そうして心を砕き、粉々になるまで自分を追いつめて、結果自壊する羽目になる。
人との繋がりに他人への配慮が必要な時があると、理解してはいるが。もっと自分本位でいいと、物吉は思う。自分がしたい事を抑え込まず、嫌だという時は嫌だと突っぱね、他人にあまり同調し過ぎない。そういうのが大事だと、物吉は考えていた。
普通の物吉貞宗なら、考えるのはそこまでだろう。だが、自分は元被験者だ。
先程の後藤への返しを、ひとりになってから物吉は見つめ直した。さて、自分はどうだろうかと。
自分の中には、もう一つ魂がある。時が来ると体の制御を奪い、物吉の意思とは関係なしに暴れるちょっと困った
頭を悩ませていた物吉に、一筋の光を差し込んだのは鶯丸の言葉だった。
——積極的に相手を知ろうとしてみろ。何かが変わるかもしれないぞ。
物吉はそれをきっかけに、積極的にカウンセリングを受けるようになった。当たったのがたまたま合うタイプのカウンセラーだったようで、物吉も
そして物吉はその内、
身勝手といえば聞こえが悪いが、それを言い換えれば「信念を貫く事」。それが悪い事だと、物吉は思わない。一度決めた事を貫き通す、それは人間が持つ強みだと改めて思えた。
「……ボクはまだ、堂々と言える答えを持ち合わせていません。ですからこれは、ボクだけの意見となります」
……だが、以上の事は物吉独自の考えだ。被験者の魂を残し、それを俯瞰出来た刀剣男士側の意見だ。
目の前で苦しむ秋田が、被験者寄りか刀剣男士寄りかは判断が難しい。だからこそ、答えは慎重に考えなければならなかった。
「ボクはこうして秋田君の前に立つまでに、様々な痛みを感じてきました。何せ一つの体に魂が二つ入っている訳ですからね、それなりの苦労はしました。ですが、今の主様や本丸の皆さん、春光隊の方々と出会えた事はボクにとって『良かった事』です。安心出来る場所へ落ち着けて、考える余裕も生まれました。そうして考えて考えて至った結論は『ボク達はもっと自分の感情を訴えていい』という事でした」
秋田がしゃくり上げる声を抑えて物吉の目を見る。物吉は優しく微笑んだまま秋田の言葉を反芻し、話を続ける。
「秋田君は、今とても心が痛くて逃げたいと思っているんですよね? なら、その心に従っていいとボクは思います。逃げるのはみっともないと思うかもしれませんが、引き際や逃げ時を見誤る方がよくないです。ボク達は戦うという使命がありますが、それ以外の事ならば自分の心を叫んでいいと思いますよ。心の傷を無理に抑え込むのは、生き延びる事にとって為になりません。だって人間というのは、勝手じゃないとすぐに死んでしまいますから」
春光隊の五振りは、黙って物吉の語りを聞いている。視線が集まっている事に物吉はこそばゆいような気持ちになりながらも、にっこりと秋田に笑いかけて見せた。
「死なない為に、人間は環境を整えようとするんです。それこそ自分勝手に、他人を踏み躙ったりもするでしょう。心と体を得たボク達もきっと同じです。秋田君が逃げたいと思っているのは、死なない為の防御反応でしょうね。いいんですよ、逃げたって。それは死なない為に必要な行動です。逃げた先であったかい気持ちになるような場所があるかもしれませんし、例え見つからなくても逃げている間に状況を切り開く力が戻っているかもしれません。それと、人の生死に貴賤はありません。秋田君が生きていちゃいけないという事だけは、否定させて頂きますね」
語り切って、一息つく。秋田は目を擦りながら小さく頷いた——「ありがとうございます」というか細い、けれど少し穏やかになった声音の一言を添えて。
これだけで秋田の心を修復出来るとは思わなかったが、少しでも楽になれたのなら上々だ。そして
それからふと、疑問に思った事を口にした。
「そういえば、秋田君はどういう経緯で春光隊に?」
「あー……秋田、こういう刀の常なんだけど、本丸の誰にも気付かれなくて。我慢に我慢を重ねた結果、限界に達してここに来たんだよ」
「一期一振が微塵も気にかけなかったくらいだからな。長兄を慕う粟田口派短刀としては、相当に辛かったんだろう。全く忌々しい」
「長谷部、抑えろ抑えろ」
鯰尾が事情を説明すると、長谷部が怒りに燃えた口ぶりで吐き捨てる。薬研がそんな見えぬ一期を威嚇している長谷部を宥めていた。
なるほどと物吉が頷き、直後にいい事を思いついたと言わんばかりにぴんと人差し指を立て言い放った。
「一期さんに恨みがあるなら、言っちゃえばいいんですよ。『一期さんの馬鹿野郎! おたんこなす! ピーマン!』みたいに!」
「……罵倒の語彙が貧弱だ……」
「育ちの良さと性格がここで出たね……」
「いやいや、もっと言っていいだろう。童貞野郎とか、中折れとか、イン——」
「長谷部さんそんな言葉どこで覚えたんだい!?」
「誰だ長谷部に変な言葉教えたのは!!」
長谷部の罵倒語彙に纏わる方向に話はシフトし、部屋の中は途端に騒がしくなる。おろおろとしている長谷部に知識の入手先を問い詰める四振り。秋田はぽかんとした様子でその騒々しい光景を見ていた。
そんな中で春光隊の面々を宥めながら、物吉の耳はある音を捉えていた。
——この部屋から遠ざかる、とても軽い足音を。