17-1「訪れたのは」
テレビに砂嵐が映る時特有のノイズじみた雨音が、外から響いてくる。廊下を歩きながらツクシは、その耳障りな音からまだまだ晴天には程遠い事を感じ取った。明日の洗濯物も部屋に干さなければならないと考え、家族が部屋干しの臭いにブーイングが上がるかもと一瞬想像した。しかし今の皆に、そんな風に騒ぐ元気はないと思い至り、またツクシの思考が沈む。自分は無力だと、不甲斐なく感じるのは何度目だろうか。
それでも、眠くなる時は眠くなる。足取り重くその隣を歩く江雪に、欠伸を小さく漏らしながらツクシは尋ねる。
「江雪さん。私そろそろ寝ようと思うんだけど、大丈夫かな」
「もう亥三つ……十時を回っていますからね。ツクシさんくらいの年齢なら眠らないと体に悪いです」
「手伝う事がないかって意味で聞いたのに」
「充分ツクシさんは働いてくれていますよ。ただ、ここで体を壊しては元も子もありません。眠れる時は眠って下さい、ツクシさんには明日も働いてもらわなくてはならなくなりそうですから」
ツクシは微かに頬を膨らませ、わざとらしく拗ねて見せた。こうしていつも通りに近い態度を取ると、少しだけ自分の感情を棚上げ出来て楽だ。内心はぐちゃぐちゃのままだが、それから少し目を逸らせれば、この優しいひとに八つ当たりをしないで済む。
江雪は優しいひとだと、ツクシは思う。襲撃された時はずっとツクシ達を守っていたし、その後行く場所のなくなったツクシ達を一時的にでも引き取ると名乗り出た。そして何よりツクシの体を気にかけ、明日も苦労をかけると申し訳なさそうにしている。
本当に、彼は優しいひとだ。ツクシの心中に渦巻く複雑な感情も見抜いているだろうに、こうして穏やかに語り掛けている。八つ当たりしそうな衝動を、そしてそうしたくないという見栄を、多分彼は知った上でツクシの思うままにしてくれる。
江雪は刀剣男士だ。——滑莧園を襲撃したあの白い男と、同じ。だが人間にもいい人悪い人がいるように、刀剣男士も一概に悪だとは言えない。あの白い男と同一視するのは、江雪への侮辱だ。
けれど、家族が刀剣男士になってしまったのを、まだツクシは上手く飲み込めていない。
自分達は、最初から戦争の為に育てられていたのだ。それを確信した時、強いショックと厳しい勉強の理由に納得した自分とが、せめぎ合うように押し寄せてきた。生き残った家族も同じだったのだろう、ここに着いてからは皆一様に塞ぎ込んでしまっている。
江雪は、何も知らない様子だった。
今もこうして自分達を気にかけているひとに、仇を返してしまえば必ず後悔するだろう。だからツクシはぎりぎりでも立っていられる為の見栄を張って、江雪に相対するのだ。
涙を全て鶴丸に預けたつもりで、ツクシは悲しみに沈まないようにしようと決めた。頼りになるひとは少ないのだ、自分だけでもしっかりとしなければ家族を守れない。少しずつ膨らむ
「もー、江雪さん私の事侮ってるでしょー! 私だってまだまだ働けるのにー!」
「気持ちは嬉しいですが、しっかりと休養をとるのも大事ですよ。私達も眠らなければ万全の態勢になれませんから、ツクシさんのような人なら尚更です」
「……じゃあ江雪さんこの後寝る?」
「そうですね、皆さんの様子を見たら」
江雪はツクシの頭に手を乗せ優しく撫でる。その撫で方がどこか、もう二度と会えない父親を想起させて目の前が滲む。
もう泣かないようにしたいのになあ、とツクシは寂寥感に苛まれながらも笑って江雪を見上げた。
「じゃあ私も皆の様子見る! それくらいならいいでしょ?」
「……まあ、そう時間は取らないですし、いいですかね。ただし、見回りが済んだら素直に寝床について下さいね」
「勿論だよ、やった!」
明るく、嬉しそうに。そう心がけて笑顔を浮かべれば、江雪は苦笑しながらまたツクシの頭を撫でる。やはりそれは父親のやり方によく似ていて、ツクシは懐かしさが強く込み上げるのを感じた。
もう会えない人に心の中でまた後でと手を振り、ツクシは江雪の手を引いて歩き出す。
「まず誰の所から行く? シオンの所? それともヒカルの所?」
「そうですね、まずはここから近いシオンさんの所へ行きましょうか。彼女も、食事を残していましたよね」
「そうだね……ツバキの事、かなりショックだったんだと思う。戻さないだけ、まだマシじゃないかな」
「せめて、彼女の心に早く平穏が訪れるといいのですが……」
「カウンセリングも勧められてたんだっけな、シオン。でも本人が嫌なら無理に勧めるのは——」
ツクシがそう言いかけた時だった。彼女の視界に、黒い影が映り込んだのだ。ひっ、と悲鳴を上げて江雪の手を握り締める。江雪もそれで気付いたのか、ツクシの視線の先を追って固まった。
それは、息を大きく切らして立っていた。降り頻る雨の中、結ばれている逆立った髪は少し萎びている。僧侶の格好をしているのにどこか山賊じみているその姿は、家族の一人であるサクヤが変貌した、小夜左文字という刀剣男士であると記憶が告げている。
ソメゴローと楽しげに遊んでいた姿を思い起こし、即座に首を振る。目の前の彼は、関係のないひとなのだ。ツクシと同じ思考経路を辿ったのだろう、江雪は声を震わせながらも小夜に話しかける。
「お、小夜……貴方は、どこの所属ですか? 流石に兄弟とはいえ、無断で本丸に入って来るのは頂けませんね」
「えっと、何か用があるの? でももう遅いから、また明日に——」
「……こだ」
ツクシも恐る恐る小夜に話しかけ、そして微かに聞こえた声の調子に耳を疑い、体を跳ねさせる。
——どうして? だって、長谷部さんはああ言ってたのに……
ツクシの混乱する思考を一喝するように、小夜は叫んだ。——そしてその一言に、江雪も目を見開く事となった。
「