彼が産まれてからへその緒が切られたての頃合いに、滑莧園の前に捨てられていたという。だからソメゴローにとっての家族は、滑莧園の人間達だけだった。
両親がいない事に少しだけ空洞を感じながらも、ソメゴローはすくすくと育った。たまに「卒園」していく家族を羨みながら祝福し、残った家族で毎日楽しく過ごしていた。勉強をさせられるのには辟易したが、それも生きていく為に必要だと信じていた。
ソメゴローが四歳の時に、
顔を覗かせる家族にも冷たく突っぱね、ずっと暗い顔で部屋の隅にいる。家族達は心配しながらも、なかなか彼の心を開かせられなかった。
諦めていく子供達もいる中、ソメゴローは決して挫けなかった。
——なーサクヤ、外に出ようぜ。いい天気だぞ。
——今日のおやつはシュークリームだって。一緒に食べようぜ。
——サクヤ、テストの点数どうだった? 俺ボロボロー。
部屋に、もしくは布団に閉じこもるサクヤに話しかけ続け、時にはおやつを持ち込んで傍に居続けた。迷惑そうな表情など知った事ではないと構い倒し、ソメゴローはサクヤの心を何とか開かせようとしていた。
——お前、何で俺に構うの。
ある日、サクヤに冷たい声でそう問われた。うーん、と唸り声をあげてからソメゴローは答える。
——だってさ、家族が閉じこもってると心配じゃん。
——家族? 会って時間も経ってないのに?
——ここに来た奴は皆家族だ。それに、悲しい時に捌け口があった方がいいだろ?
意味が分からない、と言いながらサクヤは拗ねたように口を尖らせる。
——何でそんなに開き直れるの。
——そう言われてもなあ、ケイケンとしか。俺親がいないから、大切な事は皆から教わってるんだ。だからかな?
親がいない、と告げた時にサクヤの顔が強張った。続く言葉を予想して、ソメゴローは手で制する。
——おっと、カワイソウとか言うなよ。俺はここで楽しくやってんだ。親がいない事は少しフクザツだけど、それ以上に幸せなんだよ。あ、それとゴメンもいらないからな。
口にしかけた言葉を喉に落とし込んで、サクヤは俯く。膝の上で握られた拳が小さく震えているのを見て、ソメゴローはそれ以上言うのを止めた。
——俺は、いらない子なんだって。
そうして紡ぎ始められたのは、この園ではよくある事。だけど、当事者にとっては大きな事だった。
——出来の悪い子だから、新しく子供を作って俺は捨てるんだって。……どうして、俺、頑張ってきたのに……まずいピーマンだって食べたし、言われた事はちゃんとやってきた。勉強も、やったのに……何で……っ!
そう言って泣き崩れるサクヤに、ソメゴローは何も言わなかった。ただ黙って、背中を小さく叩き続けた。
涙を流し切ったサクヤが落ち着いてから、ソメゴローは彼に明るい笑顔を向けて手を叩いた。
——お前さ、何か凄く頭よさそう。ちょっと読んで欲しい本があるから、持ってくる!
本を運んでサクヤの前にどさどさと積み上げると、彼はぽかんとした顔をした。
——これ、全部読めって?
——もちろん、すぐじゃなくていいぞ! 俺にはよく分からない言葉があってさー、時間がある時に教えてくれればいいから!
——辞書とかあるんじゃないの、ここ。
——お前頭よさそうだから、辞書じゃ分からない事も分かりそうだし!
俺も頭よくなりたいなー、そう頭を回していると。
——っふ、あはは。何その俺への謎の信頼!
サクヤは、初めてソメゴローの前で声を上げて笑ったのだった。
そうしてサクヤの心を開かせたソメゴローは、分からない言葉があるとすぐにサクヤに尋ねに行った。図書室の存在を知り、そこにこもる事も多くなったサクヤは、ソメゴローの疑問に答え、分からない場合は共に調べた。少々頭がよくないソメゴローに頭を抱えつつも、サクヤは楽しそうにしていた。
そうして日々が巡り、時折刀剣男士という不思議な男達が現れて一緒に遊ぶという非日常がありつつも、ソメゴローとサクヤは幸せに日々を重ねる——はずだった。
滑莧園に殺人鬼が襲来し、サクヤが刀剣男士になってしまうまでは。
***
文机の上で目を覚ます。涙の流れた痕が痛い。目の前に食べかけの練り切りがあったが、食べる気にはなれなかった。
ツクシや江雪が心配してくれているのは分かる。けれど、どうしても部屋の外に出る気にならない。
家族の大半が殺された。大切な親友は、魂を上書きされた。もう会えない家族達を思うと、また涙がこみ上げる。
ガキ大将だと呆れられつつも、ソメゴローは家族を大事にしていたのだ。 いたずらをしたら叱り、テストでいい点数を取れたら褒めてくれたスギハラ、時折サクヤに構いに来ていたノギク、泣き虫で甘えただったコタロー、そしてサクヤ——皆、いなくなってしまった。
生き残ったのは、たったの九人。これからどうなるのだろう、いっそこのまま消えてしまいたい——そんな気持ちが、ソメゴローの中で渦巻く。
どうして自分達だったのだろう。最初から、自分達は兵器になる為に育てられていたのか。親友と家族を返してほしい。あの殺人鬼を殺したい。様々な感情が、浮かんでは消えていく。
どうしたらいいのだろう。そうは思っても、何もする気力が湧かない。再び文机に突っ伏し、ぼんやりと障子を眺める。
外から雨の音が激しく響く。ただただ屋根や地面に水滴のぶつかる音は、何となく荒れた心を鎮めてくれる気がする。ぴちゃん、と水溜りに滴る気配がするのも良かった。高く澄んだ、心地よい音だったから。
「……ちょっと、本当に大丈夫なの?」
「顔色が悪いですよ、少し休んでからでも……」
「っぐ……時間が、ないから……!」
外からバタバタと、廊下を歩む足音がする。何かあったのかと思ってもどうする気力もなく、ぼうっとそのまま動かず雨音に耳を澄ませる。
しかし足音は次第に大きくなり、こちらへと向かっているのが流石に分かった。何の用だ、と少し苛立ちながらのっそりと身を起こす。
障子の向こうに影が現れたのは、それと同時だった。
「——ソメゴロー、起きてる!? 寝てても叩き起こすけど!」
ツクシがスパン、と障子を開ける。本当に何の用だと口を開こうとして、険しい顔をした彼女に口を噤む。この顔をしている時は、真面目に話を聞かなければまずい。それでもむしゃくしゃした気持ちは消えず、棘のある口調で尋ねた。
「……何かあったのか、ツクシ」
「良かった、起きてた! サクヤ、ソメゴロー起きてたよ!」
は、と声が漏れ出す。今、ツクシはサクヤを呼んでいたか。
何の冗談だ。いやもしかしたら、サクヤが刀剣男士になったのが冗談だったのかも——そう願う心は、現れた青い髪に掻き消される。
息を切らしてこちらを見据える三白眼は、小夜左文字と呼ばれる刀剣男士の姿だった。やっぱり冗談じゃなかったと落胆すると同時に、揶揄われているのではないかと怒りが湧いてくる。
笑えない冗談だ。ちょっかいに構っている余裕はない。出て行けと、立ち去れと怒鳴ろうとした口は——
「……っソメゴロー、ごめん、何も言わずにいなくなって」
——聞き慣れていた口調によって閉ざされた。
どういう事だ。サクヤの魂は、刀剣男士に上書きされたのではなかったのか。混乱するソメゴローに、目の前の三白眼は止めどなく話し続ける。
「やっと、意識を少し譲って貰えたんだ。本当は刀剣男士になったって、最初にお前に伝えるべきだったんだけど……でも、復讐の念に苦しんでるこのひとに中々話しかける事が出来なくて。春光隊に身を寄せて、少し休んで、やっとこっちの話を聞いてくれたんだ」
唸り声を上げて、三白眼は頭を押さえる。思わず伸ばしかけたソメゴローの手が、ふらふらと宙に漂う。
目を一瞬きつく閉ざし、再び開いた時には、三白眼の顔が焦りに変わっていた。
「くそ、時間がない……! 手短に言う。ソメゴロー、俺はあの約束を忘れた訳でも、諦めた訳でもない!」
目を瞠る。あの約束とは、「感じたことリスト」と共に告げられたあれだろう。でも、まだ期待するには早い。全く違う約束を口にする可能性だってある——そうやって膨らむ心を宥める。
けれど、目の前の三白眼はその期待に呆気なく応えた。
「ソメゴローと一緒に、世界を見て回るって約束、忘れてないよね? った……! 俺は、確かにこのひとに体を渡した。けど、必死に頭下げて、普段は表に出ないからって言って、ようやく口をきけるようになったんだ! ……ソメゴロー。俺は絶対、諦めないから」
息も絶え絶えで、ふらりと体が揺らいでいて、三白眼はかなり苦しいのだと分かる。それでも必死に、彼はソメゴローに言葉を紡ぎ続ける。
「なん、で、そこまでして……」
苦しいはずだ、辛いはずだ。ソメゴローにそれを伝える為だけに、どれだけ辛い思いをしているのだ。
こんな、親友を失って萎れて何もしない自分に、何の価値があるのだ。
自分には、親友が辛い思いをしてまで会いに来る価値が果たしてあるのか。自分は、親友がいないとただの馬鹿な子供だと言うのに。
俯くソメゴローに、三白眼は頭を押さえ顔を顰めながらも、必死に笑おうとしていた。
「寂しがり屋なお前の事だから、俺が来るまで不貞腐れてたんでしょ? 俺が死んだんだって悲しみもしたんでしょ? でも、俺はまだ生きてる。姿は変わったけど、まだ魂はここにある! 体を譲り渡して貰える時間を少しでも伸ばせるように、俺も頑張るから。ソメゴローも絶対、約束を忘れないでよ!」
三白眼の体が更にふらつく。目の焦点が次第に合わなくなっていく。多分、時間が迫っているのだ。
泣き出したくなる衝動を堪えて、ソメゴローは三白眼に叫ぶ。
「サクヤ!」
三白眼は、必死に顔を上げてソメゴローを見つめる。全く面影がないのに、似ても似つかないのに、親友の姿が重なって見えてソメゴローは熱くなる喉を震わせた。
「俺は今でも、お前の親友だよな?」
膝の上に手を乗せ、苦痛に喘ぐ三白眼を見上げる。掌が勝手に、寝巻きの布地を手繰り寄せている。
縋ってしまうのを、どうして止められようか。消えたと思っていた親友が、懸命に言葉を届けに来たのだ、
少しでも、繋がりがあると確かめたかった。きっともう、容易く会う事は叶わないとどこかで分かっていたから。
「——ああ。ずっと、お前は俺の親友だ。それと、こうなったのはお前のせいじゃない。変に気負う事はしないでよ」
それを最後に、三白眼の体が崩れ落ちた。隣に立っていたツクシが体を支え、ゆっくりと床に下ろす。
江雪が唸り声を上げる三白眼の体を抱き抱え、部屋の中を覗き込んだ。ほう、と息を吐いてからソメゴローの前に歩み寄り、目の前にゆったりと座る。
「……ソメゴロー君。私は貴方程付き合いが長くないので、確証が持てないのですが……お小夜の体はさっきまで、サクヤ君の魂が主導権を握っていましたよね?」
ぼた、と大粒の涙が畳に落ちる。一度堰を切ってしまえば、次々と目から水分が溢れてくる。流れる物はそのままに、ソメゴローは膝の上で拳を握って大きく頷いた。
「そうですか。……お小夜には悪いのですが、サクヤ君が少しの間でも戻って来てくれて嬉しいです」
また、大きく頷く。泣き声だけは出さないように、ソメゴローは口を引き結んでいた。
ツクシも中に入って来て、ハンカチでソメゴローの目を拭う。ツクシは決して揶揄おうとせず、黙って涙を拭き続けていた。
少しの間でも、親友に会えた。もう二度と会えないと思っていた親友に。
彼はソメゴローとの約束を果たす為に、戦い続けていた。そしてこれからも、戦い続けるのだと言う。
何もしなかった自分を悔いる。そして出来る事が少ない無力な自分も、また情けなかった。涙と共に溢れ続ける感情を、少しずつ
ピンポーン、とインターホンが鳴る。江雪が三白眼を抱えて「少し失礼しますね」と部屋を去って行った。ツクシもその後を追おうと立ち上がりかけた。
「ツクシ」
涙声なのに強い意志を感じさせる響きに、思わずツクシは立ち止まって振り返る。
目の中に、強い光が宿っている。いつものおちゃらけた雰囲気などまるでないその顔に、ツクシは膝をついて視線を合わせた。
「……話がある。聞いてくれるか」
ツクシは頷き、正座をして話を聞く姿勢に入る。
——彼女もまた、いつしか心に宿り、サクヤの来訪で固まった
***
病院の廊下で、電話のボタンを押している影があった。受話器を耳に当て、コール音に耳を澄ませている彼は、ぷつりという音の後に聞こえて来た声に話しかける。
「……もしもし、ツクシ? ……うん、俺は大丈夫。食事も摂ってるし、リハビリも順調。もうすぐ退院だから、いくらでも手伝う——」
影の言葉が、不意に途切れた。しばらくしてうん、うん、と頷き、受話器を握り締めて力強く窓の外を見る。
「……それを聞いて、俺も決めた。どんなに後悔する事になっても、もう弱いままなのは嫌だ」
——夜の帳が下りて静まった病院で、一つの