カラオケボックスから出た直後に、耳を劈く爆発音が聞こえた。
氷雨の鶴丸と顔を見合わせ、一期はすぐさま音源の方向へと走る。もしかしたら、あの場所に自隊の鶴丸がいるかもしれないと思ったのだ。氷雨の鶴丸も、彼の隊の堀川がいる可能性を考えたのだろう、一期と並走して音の方へと駆けた。
到着した場所には、複数の人影があった。そこにいたのは、すらっとした女性と彼女に寄り添う加州、物吉、春光隊だろう長谷部と鯰尾。残念な事に、自隊の鶴丸や氷雨の堀川はいなかったが——
「……っ!」
一期を見て息を吞む、自隊の秋田がいた。体を震わせ顔を青ざめさせている彼は、一期から目を逸らそうとしない。もしくは、恐怖のあまりに動けないのかもしれなかった。
そこまで考えて、一期の心は少なくないダメージを受けた。だが、そうも言っていられない。
謝らなければならない。秋田を傷つけたのは、逃れられない事実なのだから。
一歩近づいて、秋田と目を合わせる。口を開こうとしたが、秋田の目に浮かぶ恐れの色に、言葉を紡げない。
どう言えばいい。早く謝らなければ。不用意に謝って傷つけないだろうか。嫌われるのが怖い。ぐるぐると回る感情は、一期の口から言葉を奪う。
「雲霄の物吉だよな? 何があったんだ」
「……氷雨の鶴丸さん、どうしてここに」
「まあちょっと気晴らしにな。……傷を負っているが、大丈夫か」
「ボクは大丈夫ですが、そちらの加州さんが審神者様をかばって中傷に……早く手入れをした方がいいと思います」
「動けるんだから俺は大丈夫だよ。ただ、報告はした方がいいよね?」
「はい。……まさか、被験者の宗三さんがミサキさんを襲撃するだなんて……」
「は? 宗三が、襲撃?」
秋田も、言葉を探しているようだった。青い目が凶暴な存在に怯えるかの如く、うろうろと彷徨っている。
沈黙が痛い。自業自得とはいえ、弟と気まずい雰囲気になるのは辛かった。
「俺達が着いた時には、閃光弾を放り投げて逃げ去っていましたね……。というかあの宗三さん、銃兵使ってた気がするんですけど見間違いですか?」
「……見間違いじゃないよ、どこかの刀剣男士。俺は刀装の事をちょっとしか知らないけど、銃兵って打刀には使えないんだよね?」
「使えないな。……銃兵を操っていたのか、その宗三は。どんな手段を使ったんだか」
「あの、氷雨? の鶴丸さん。私の端末、壊れちゃって……通報するので、端末を持っていたら貸して頂けますか?」
「分かった。……君は、そこの加州の主か?」
「は、はい」
「審神者になりたてと見たが、いくら刀剣男士がついているとは言え夜間に出歩くのは危ない。審神者がいなけりゃ刀剣男士は力を落とす、だから審神者は敵に真っ先に狙われる可能性が高い。くれぐれも、刀達の肝を冷やさないでやってくれよ」
「肝に銘じます……」
黙っているのは駄目だ。何か、何か言わないと。ああでも、一体どう言えばいいのか。
一期は、喧嘩の仲直りの仕方を知らない。友達とは喧嘩らしい喧嘩をした経験がないし、秋田以外の弟達とは仲良くやってきた。審神者も短気だが、一期と喧嘩に発展した事はない。
いたずらに謝るのが、不快にさせてしまう事を知識として知っている。だからこそ、ただ「ごめん」と言うのは違う気がして、一期は口を噤んでしまう。情けない事この上ない。
「秋田」
秋田の背後に立った長谷部が、小さな肩を叩く。秋田が縋るように後ろを見上げると、長谷部は至極真面目な顔で告げた。
「昼間、物吉が話していた事は覚えているな? どうやら目の前にいるお前の長兄は、謝り方のバリエーションに苦しめられている臆病者らしい。——だから、お前から言ってやれ。存分にな」
一期に対して棘のある言葉とは裏腹に、秋田を見る目は凪いでいた。ただひたすらに、秋田の心を思いやっているのが分かる。
秋田は微かに頷き、再び一期に顔を向ける。そしてきっと顔を険しくさせ、拳を握って大声で叫んだ。
「——いち兄の、おたんこなすっ!!」
拙い罵倒が、その場で残響する。話していたもの達もぎょっとこちらを向いて、声の主を見ていた。
一期も、秋田の罵声に驚いた。だが呆けている余裕はない。自分は、秋田の言葉を聞かねばならないのだから。
「何が皆愛しているですか、何が皆可愛いですか、ちっともこっちを見なかった癖に! どんなに叫んでも、どんなに具合が悪くても、ちっとも気付かなかった癖に! 輪の中に入れなくて寂しかった、弟として愛されないのが悲しかった、存在を軽んじられて苦しかった、最後には貴方の姿を見るだけで辛かった! 僕が春光隊に逃げ込むまで振り向こうともしなかったのに、今更、今更何なんですか……っ!!」
はあ、はあ、と息を切らしながら、秋田は目から涙を溢れさせる。鼻をすすり、嗚咽を漏らしながらも、心情を吐露し続ける。
「僕だって……僕だって皆と仲良く遊びたかった! 戦果が良かったら、よく出来たねって褒められたかった! ……兄弟として、いっぱい話したい事もあった! なのに、願った事は何一つ叶わなかった! どんなに期待しても願っても裏切られるのなら、何も期待しない方が良かったのに……っ!」
すぐにでも叶えてやりたい願い達を秋田は羅列する。ささやかな願い達だ、無理難題などでは決してない。
それを今まで、自分は無視し続けていたのか。軋む心臓に顔を歪めながらも、一期は秋田の言葉に耳を傾けた。
「何で、今になって兄の素振りを見せるんですか! どうして、歩み寄るような素振りを見せるんですか! ……そんなの、期待しちゃうじゃないですか! 今度こそ受け入れてくれるって、愛して貰えるって、浮き立っちゃうじゃないですか! もう裏切られるのは嫌なんです、中途半端な意思なら近付かないで下さい! ……もう、もう、辛い思いは嫌だ……っ!!」
うわああん、と秋田は声を上げて泣き始める。秋田とは違う小さな姿が重なって見え、正真正銘の幼子も泣いているのだと分かった。
ああ、と心の中で呟く。本当に、自分は彼に失望されかけていたのか。そこまで見限られていたのに、まだ自分を兄だと思ってくれていたのか。
手遅れにならなかった事を喜ぶべきか、そこまで追い詰めていた自分を 責するべきか。
混ざって複雑な色に変わる心の内を、一期はそのまま表情に出す。自分がどんな顔をしていたのかは、分からない。
「……私は、本当に無神経だったのだね」
膝をつき、秋田に視線を合わせる。秋田は首を振って、嫌だ嫌だと言うばかりだ。
ひっく、としゃくり上げる秋田をしっかりと見据え、一期は懺悔を紡ぎ出した。
「違和感があったのに、それを気にかけようともしなかった。外で友達が出来た事に浮かれて、お前の寂しさに気付こうともしなかった。……散々色々なひとに忠告されていたのに、それを活かそうともしなかった」
まだ、間に合うのなら。もしも、許して貰えるのなら。今度こそ、この小さな手を見失わないようにしよう。
気配が薄いこの弟を、何度でも探しに行こう。ひとりでいるのなら、輪の中に引き入れよう。いい事をしたのなら、頭を撫でてちゃんと褒めよう。
それで、失った信頼が簡単に戻るとは思わないけれど。出来る事から、この弟の傷を癒そう。
ちゃんと、この弟と向き合おう。それが小さな子
「ごめん。……ごめんなさい、秋田。お前を、ちゃんと見て来なくて。いっぱい、いっぱい傷付けた。酷い事も、沢山しただろう。恨みたいのなら、恨んでくれて構わない。私は、それだけの事をしたのだから。でも私はようやく、お前を見つける事が出来たんだ。私は、お前の……お前
手を差し出す。この手を取ってくれるのかは分からないが、自分の心は分かって欲しかった。分かった上で受け入れられるか、突っぱねられるか。小さく震える手を、悟られないようにと願った。
目を見開く秋田は、一期の顔と手を見比べて涙を一つ落とし俯く。駄目か、と気落ちしたが、秋田の手が動き出したのを見て持ち直す。
ふるふると、小さな手が伸びては引っ込められる。宙に揺れる手が行き先を決めるまで、一期は手を差し出したままでいるつもりだった。
そして小さな手が、一期の手に触れて。——恐る恐る、掌を握られた。
一期も、手を握り返す。触れている柔らかな温度を噛みしめつつ、穏やかな優しい笑顔で秋田に告げた。
「……私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀。——お前
名乗りを上げ、秋田の手を優しく握り締める。秋田の小さな呼吸が、震えている。手に伝わる緊張が、一期の心拍数も上げていく。
どれだけ静かな時間が続いた後だろうか。頼りなく震える声が、秋田の口から溢れた。
「……僕は、秋田藤四郎です。そして——
そうか、と頷いてまた微笑む。唇を噛んでいる目の前の弟の手を、一期は優しく包み込んだ。
「秋田に、チアキか。……随分遠回りしてしまったけれど、ふたり共。これからよろしくね」
そして、秋田の頭に手を置く。優しく撫でると、秋田の目から再び涙が流れる。
拭おうと手を移動しかけて、どん、と体に走った衝撃に手の行き場を失う。衝撃の出所を見ると、秋田の桃色の頭が肩口に寄せられていた。よくよく気配を探ると、胸の辺りに服の布地が集まっているのが分かる。
抱き着かれている。そう判断した一期は、再び秋田の頭に手をやって、軽く抱き寄せた。
泣き声が聞こえる。けれどその声は、先程までの悲痛さが少し薄れているような気がした。
「一期」
後ろから肩を叩かれる。視線だけ後ろにやると、胸のつかえが取れたような表情で鶴丸が笑いかけていた。
「良かったなあ、よく頑張った。ぎこちなさが取れるまで長いだろうが、これから心を通わせられるといいな」
「……はい。鶴丸殿も、ありがとうございました」
「俺はほとんど何も出来なかったがな。でもまあ、その光景を報酬として受け取っておくさ」
いたずらっぽく目を細める鶴丸に、小さく笑みを浮かべた。そうだ、雲霄の鶯丸にも礼を言わなければ。
散々迷惑をかけたのだ、何か奢るくらいはした方がいいだろう。パティスリーガザニアでケーキを買おうか、と礼の内容を考える。
「秋田。これからどうするかだが……まあその様子だと」
「聞くまでもなさそうですね」
少し離れた場所で、長谷部と鯰尾がそう言って笑い合っていた。彼等にも、秋田の心を癒す手助けをして貰った。
それに長谷部は、黙りこくってしまった自分達に発破をかけてくれたのだ。最終的に仲を繋いだのは彼だろう。
一時期秋田に会わせて貰えなかったが、それも秋田のメンタルを気にかけての事だと分かっている。それに秋田の心を手当し、ここまで導いたのは春光隊の面々だ。
返し切れない恩が出来た。けれど、それを重たく感じる事はない。優しいひと達に優しさで報いたいという、一期の思いは変わらない。
「いち兄。春光隊でもう一泊してもいいですか?」
「え、いいけど……どうしたんだい?」
ばっと顔を上げて、秋田が外泊を請う。許可を出した後にやはりまだ一緒にいるのは気まずいのか、と尋ねると、秋田は首を振って否定した。
「他の利用者に、まだお別れを言っていなくて……楽しい時間を過ごせたから、少しでもお礼を言いたいんです」
「そうか、それなら泊まっておいで。……あ、春光隊の方々もよろしいですか?」
「勿論大丈夫! 明日、責任を持って送り届けるからね!」
びっと親指を立てて鯰尾は明るく笑う。秋田がほっとした雰囲気を感じ取って、一期は再び頭を撫でた。
時計を見ていたミサキが、一段落ついた空気を読んで声を張り上げた。
「そろそろ政府の方が来ます、現場にいた方は準備を」
「あ、何か秋田君や一期さんの事でいっぱいになってましたが……」
「そういやそれがあったなー……」
「歌仙さんから帰って来いって通知がいっぱい……秋田、ひとりで大丈夫?」
「はい」
「付き添えなくて悪いな。小夜は大丈夫だったんだろうか」
「まあ歌仙さん達が帰ったのなら、何らかの成果はあったんでしょうね」
現場に残る三振りが、ミサキの周りに集まる。鯰尾と長谷部も物吉に後を託し、足早にその場を去っていく。
「俺達も帰るか。秋田が帰ってくるのが楽しみだな、一期」
「ええ、本当に」
軽妙な表情を浮かべる鶴丸に、一期は心からの笑顔で応えた。