空隙の町の物語   作:越季

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突発更新
14-12辺りの出来事です


番外編「その虚しさよ、遠くあれ(前)」

 ——ここ、どこだ?

 シャッターの降りている店も多い古びた商店街で、鯰尾は呆然と立ち尽くしていた。周囲を見渡すと、他の人影はどこにもいない。

 ——確か俺、さっき普通に布団に入ったよな?

 

 春光隊の新たな本丸となった壊れかけの家を雨風を凌げる程度に修復して、使われていなかった押入れから萎びた布団を出して敷き、眠りについた所までは覚えている。空調も無く、掛けているのは薄っぺらい布団一枚だけ。ぶるぶる震えながら意識を夢の中へと追いやったのだろう、と考えて思い至る。

 ——そっか、これ夢か。

 明晰夢という奴だろう、と判断した鯰尾は、とりあえず商店街をぶらぶらと探索する事にした。

 どこもかしこも薄汚れていて、シャッターにはカラフルで下品な落書きが、地面には空き缶や紙屑などのゴミが散乱している。電柱には金融会社や風俗店のチラシが貼り付けられていて、治安の悪さを思い起こさせる。人通りが少ないのは、太陽が頭を出したばかりである早朝だからだろうか。

 少なくとも、居心地がいい場所ではない。立ち去ってしまいたいが、いくら明晰夢でも夢の舞台までは変更出来ないだろう。誰かいないかなあと歩いていると、小さな横道から怒鳴り声が聞こえて来た。

 走ってその声の在り処まで向かう。着いた先には小さな木造二階建てのボロアパートがあった。

 

「……この家、まさか」

 

 鯰尾がそう呟いた直後。アパートの一室、上の階左側のドアから髪の長い子供が飛び出した。

 いや——弾き出された、というのが正しいか。子供は柵に頭をぶつけ、頭を押さえてその場に座り込んでいる。

 

「化物が、しばらく頭を冷やしなさい!」

「待って、お母さん! お兄ちゃんが凍えちゃ——」

 

 地味な装いだがヒステリックな性格も窺える女性が、そう言ってドアを閉める。中からそれを止めようとした幼い女の子の声が、ドアに遮られる。

 圧倒されていた鯰尾だったが、子供が身動ぎをしているのを見て衝動的に走り出した。凹凸のある地面を蹴り、錆びて穴が所々空いている鉄の階段を上り、子供のいる所まで駆け寄る。

 

「君、大丈夫!?」

「う、あ……」

 

 痛みに苦しむ声を上げるその子供は、鯰尾を見て訝しんでいるのを隠せていない視線を向けた。それはそうだ、目の前にいるのは知らない人間。その人間が自分を心配しているかのような振る舞いをしているのだ。子供の境遇を思えば、警戒していてもおかしくない。

 

「安心して、俺は何もしないよ。……信じて貰えないかもしれないけど」

「……」

 

 尚も不審さを剥き出しにする子供に、はたと鯰尾は気が付く。

 

「あー、こういうのは犯罪者の常套句か。うーん、どうしたらいいかな……そうだ!」

 

 鯰尾は腰に下げていた刀を手に持ち、子供の前で掲げる。

 

「俺が何か君に変な事をしたら、この刀を折っていい。ほら、持って」

「……?」

「これは俺の命に関わる大事な物なんだ。もしこれが折れたら、俺が死ぬと思ってくれていい。……これで、何とか信じて貰えないかなあ」

 

 命に関わる、と聞いて子供の目が見開かれた。刀と鯰尾を見比べてから、どうして、と震える声で問う。

 

「どうして、そこまで……」

「どうしてって言われてもなあ」

 

 本当の事を言っても、信じられないだろう。だって先程の刀と命を結び付ける以上に、荒唐無稽な話だ。

 目の前の子供にどう話したらいいのか考えていると、小さくドアが開かれた。細い隙間から、女の子が顔を出している。

 

「お兄ちゃん、その人誰? 何でお兄ちゃん刀持ってるの?」

「えっと、かたな? っていうのが、この人の命に関わる物なんだって。俺が変な人だと思って見てたらこの人が、俺に何かしたらこれを折っていいって」

「えっ!? そんな大事な物、どうして……」

 

 二人の子供が、鯰尾を不安そうな目で見つめている。そりゃそうだよなあと思いつつ、鯰尾は外にいる子供の頭を掻き撫でた。

 

「だって、君みたいな子が痛そうにしてたから。心配するのは当然でしょ?」

 

 ——目の前にいるのは、慕っている主と大切な家族、その過去の姿なのだから。

 

***

 

 刀を持つ男の子の歩くスピードに合わせて、ゆっくりと商店街を歩いていく。重そうにふらふらとよろめきながらも刀を離さない男の子に微笑みながら、鯰尾はある店を指差す。

 

「ねえ、あの店は何?」

「……八百屋さんだよ。ちょっとお金にうるさいおばさんがやってるんだ」

「そうなんだ。いつもそこで野菜とか買ってるの?」

「うん。……こんな話で、楽しい?」

「楽しいよ」

 

 そっか、と言って男の子は八百屋に向かって進んでいく。鯰尾は後ろで手を組み、その後をゆっくりと追った。

 

 鯰尾をどこで信頼したのかは分からないが、女の子は鯰尾に「お兄ちゃんとしばらくの間一緒にいて欲しい」と頼んで来た。曰く、自分達はこれから集会に向かわなくてはならないので、その間男の子に何事もないようにそばにいて見てくれているとありがたい、と。男の子は一人でも何とかすると言っていたが、女の子が「お兄ちゃん頭思いっ切りぶつけたでしょ。後で何かあったら怖いの」という内容を鬼気迫る勢いで捲し立てたので、鯰尾と揃って頷く事になったのだった。

 

 男の子が刀を鯰尾に一度返してから八百屋の戸を叩くと、中から老いた女性が現れた。店主であろう女性は眉間に皺を寄せて男の子と後ろにいる鯰尾を睨む。

 

「……何だいその金の匂いがする優男は」

「分からないけど、いい人です。後この人には優しくして下さいね」

「言われなくても、金の湧く泉を汚す気はないよ。入りな」

 

 いつもの事だと言わんばかりに中に入る男の子と、かなり銭ゲバな性格をしているであろう女店主に引きながら鯰尾も店内に入った。鯰尾が下げていた刀を舐め回すように見ていたし、男の子が持っていたら取り上げられていたかもしれない。そう思うと軽く寒気がした。

 店内は陳列棚にきゅうりや大根、ねぎをはじめ、トマトやズッキーニといった鯰尾も最近知った野菜達も並んでいる。他にはすいかやりんご、みかんや苺といった果物も置かれていた。

 きょろきょろと店内を見渡していると、男の子が鯰尾の裾を引っ張り、店の奥を指差す。

 

「……買い物は店の奥でするんだ。そうじゃなきゃ、お金を盗られちゃうから」

 

 大変だなあと呆れながら店の奥へと向かう。小さなちゃぶ台と棚が置かれているその部屋の明かりを点け、女店主は部屋の奥側に歩く。ちゃぶ台の前にどかっと座り、ふたりを見据えて女店主は座りな、と告げた。

 言われるままに女店主の反対側に座り、購入する物を告げようと男の子は口を開く。

 

「えっと、じゃがいも三個、玉ねぎも三個、にんじんは二本……あとは……」

「何だい、他に買う物があるのかい? 私は大歓迎だけどね」

「はい、何か果物を買おうと思って」

 

 男の子がそう言うと、ぎょろりと目を開いて女店主は訝しむように言う。

 

「……珍しいね。母親が許したのかい?」

「いえ。……たまにはいいかなって」

「あの宗教狂いがお布施以外で無駄遣いを云々、と怒り狂わない光景が思いつかないよ。悪い事は言わない、買うのは止めときな」

 

 嫌な想像をしたのか、男の子は俯いて黙り込む。顔に影を落とし目を伏せ、小さな拳を握りしめていた。

 鯰尾はポケットの中を探る。がさがさとした音の後、望んでいた感触に行き着いた。迷いなくそれを引き出し、女店主に差し出す。

 

「店主さん、これで何か果物を買えませんか? ……果物くらい、食べさせてあげたいんです」

 

 鯰尾の掌に乗っていたのは、五百円玉。女店主はふん、と鼻を鳴らして受け取り立ち上がる。

 

「これならみかん一袋にお釣りだ。金払いのいい奴で嬉しいよ。……商品を取ってくるから待ってな」

 

 女店主はドスドスと部屋の外へと消えていく。

 足音が遠くなってから男の子は鯰尾を見上げて、ごめんなさい、と眉を八の字にした。

 

「えっ、何で君が謝るの?」

「……だって、お兄さんにお金を出させた」

「これくらいどうって事ないよ。君が気にする必要は全くない。俺が君に果物を食べさせたいって思ったから、勝手に買っただけだよ」

「でも……」

 

 泣きそうになっている男の子の顔を見ていると、かつての「彼」の表情が重なる。明晰夢だとしても、この少年が涙に暮れるのは見たくなかった。

 がっ、と両手で男の子の頭を掻き撫でて、鯰尾は明るく笑って見せた。

 

「分けようよ。俺と君と、それからあの女の子と。そうすれば、三人で幸せな気持ちになれる。これなら誰も損をしない、むしろ独り占めする方が俺に精神的に負荷がかかる。これはれっきとした取り引きだよ」

「……」

「俺が幸せな気持ちになる為に、この提案を受けてくれないかな?」

 

 男の子は髪をくしゃくしゃにされながら黙り込む。しばらくしてからまだ不信感は抜けていないものの、か細い声で答えた。

 

「……分かった。お兄さんが、それで幸せになれるなら」

「よし、決まりだね」

 

 ——本当に、この子は素直だ。あのヒステリックな母親の側にいたという事実を、疑ってしまう程に。

 もし、もしも、本当にこの子ともっと早く出会えていたのなら——

 撫でる手を止めないまま、鯰尾は心の中に言い様のない暗雲が立ち込めるのを感じていた。

 

***

 

 女店主に見送られ、鯰尾と男の子は八百屋を後にした。次はどこへ行こうかと鯰尾が話を振れば、男の子は近くに公園があると教えてくれた。

 

「じゃあ次はそこに行く?」

「そうだね。……今の時間なら誰もいないかな」

「え?」

「公園はこっちだよ」

 

 意味深な言葉を呟いた男の子に尋ねてみようにも、彼は刀を持ってふらふらと公園方面へと歩いて行ってしまう。危なっかしいその歩き方に慌てた鯰尾は、言葉の意味を問う事を忘れてしまった。

 ちらほらと遊ぶ子供達がいる公園の入口を抜けて、男の子は真っ直ぐに古びたベンチへと向かう。そこに腰掛けて、男の子は鯰尾に小さく手招きをした。誘われるままに男の子の隣に座り、鯰尾はみかんの袋を開けた。

 

「はい、どうぞ」

「……ありがとう」

 

 男の子にみかんを手渡し、鯰尾も袋から一つ出して皮を剥き始める。親指についた果汁は甘く香り、嫌でも唾を湧き立たせる。白い筋と薄皮に守られたみかんを半分に割ってから、一粒口に含む。途端に夢の中だとは思えない程、甘酸っぱい味を感じ取れた。

 

「美味しい。君のはどう?」

「……まあまあ?」

「何で確信してないの」

「みかん、あんまり食べた事ないから。よく分からなくて」

 

 思わず息を呑む。男の子は鯰尾の態度にも気づかず、また一粒みかんを口に入れた。

 この時代の子供は、みかんを食べる事も多いはずだ。おやつに出る事だってあるだろうし、弁当にみかんが入っている描写が当たり前だと言わんばかりに漫画の中であった事から、ごくありふれた果物であるのは明白。

 それがこの子はどうだ。顔をしかめている事から渋いみかんを引き立ててしまったのだろうが、それに「まあまあ」という評価を下していた。よく分からないという言葉通り、渋い味がみかんの味だと思っているのだろうか。

 男の子の親は、みかんすらも満足に与えようとしないのだ。ありふれた味を男の子が理解出来ていない事実を、鯰尾は口惜しく感じていた。

 

「そのみかん、渋かったでしょ? 俺の方あげるよ」

 

 複雑な感情を人当たりの良い笑顔で覆い隠し、鯰尾はみかんを差し出した。男の子はきょとんとして、意味を問うように首を傾げる。

 

「……渋い?」

「えーっと、舌が痺れて、吐き出したくならない? それが渋いって事だよ」

「……ああ、確かに」

 

 舌が変な感じ、と言って男の子はみかんの粒を見つめる。鯰尾は男の子の眼前に自分のみかんをずいっと差し出し、明るくなるように言った。

 

「なら交換しようよ。俺は多少渋くても食べられるから」

「でも……」

「子供はお兄さんに甘えなさい! 大丈夫大丈夫、俺は慣れてるからね。君は美味しいみかんを食べなって、これも俺が幸せになる一環だよ」

「……じゃあ、一粒だけ——」

 

 そう言って、男の子が手を伸ばしかけた時だった。

 男の子の手に、何かがぶつかり地に落ちた。男の子が短く声を上げ、手をさする。

 

「いっ……!」

「え、ちょっと、大丈夫!?」

「うん。……来ちゃったか」

 

 よく見ると、男の子が覆っている指の隙間から、一筋赤黒い雫が伝っている。手当てを、と鯰尾が言いかけた途端に下卑た声が耳に届く。

 

「あー? 今日はガキが少ねえじゃねえか」

 

 声の主を見る。髪を中途半端に染め、全身を着崩している男達だった。

 男の一人が小石をいじって遊んでいる。かと思えば周囲を見渡し汚い笑みを浮かべ、怯えている小さな女の子に向かって小石を投げつける。小石は女の子の腕に当たり、女の子は小さく痛い、痛いと泣き始めた。

 男達は女の子を指差して下品な笑い声を上げる。その一人が泣き続ける女の子に近寄ると、腹部を蹴りつけ吹っ飛ばした。

 悲鳴を上げる女の子に、男は尚も蹴りを入れ続ける。他の子供達も残りの男達に髪を掴まれたり水をかけられたりと、理不尽な暴力に晒されていた。

 

「……何だよ、あれ……!」

「……ああやっていじめて楽しんでるんだ。もう、運が悪いな……何でお兄さんがいる日に来るんだよ……」

 

 その口振りから察するに、この男達が来る事はありふれているようだ。本当に、この街は治安が著しく悪いらしい。

 いたぶられていた女の子が反応を示さなくなって、男が興味を失ったように視線を動かす。その目がこちらを見て、醜悪なまでに歪な笑みに変えた。

 

「よう、カミサマ狂いのガキ。こんな時間にぼっちなんざ、ついに妹にまで見放されたか?」

「……」

「せっかくだからドッジボールで遊んでやるよ。意識飛ばしたらお前の負けな」

 

 ボールもないのに何をする気だ、と鯰尾が思った刹那の間だった。

 男の子の体が揺れる。そして頭から血を流すと、ぐらりと体勢を崩しベンチに手をつけた。

 青ざめながら男の子の体を支え、見えた足下にあった物。鯰尾は一瞬動きを止め、目を見開き歯を強く噛み締める。

 ——一際大きな石だった。男の子がこの程度の傷で済んでいるのが、不思議なくらいの。これを凄まじい勢いで投げつけられ、男の子は更に怪我を負ってしまったのだ。

 男は下品な笑い声を上げる。それが、吐き気がする程に不快だった。

 

「何だあ、早速飛びかけてんじゃねえか。軟弱だなあ、ゲームは始まったばっかだっていうのに」

「……っ」

 

 男の子が痛みに悶えている。男の子の顎から血が滴ってベンチに落ちるのが、やけに鮮明に見える。それに被さる馬鹿にした声が、更に投げる石を弄んでいるのが、鯰尾の頭の中にある何かを切れさせた。

 

「——ねえお兄さん。この子の代わりに俺と遊ばない?」

「……あ? 何だてめえ」

 

 突如入り込んだ事に訝しむ男へ、人好きのする笑みを浮かべて鯰尾が畳み掛ける。

 

「代わりに俺が相手をするよ。——意識を飛ばしたらお前の負けだ」

 

 その言葉と同時に、鯰尾は足下の石を掴んで振りかぶった。男の腹部に思いっ切り石が命中し、腹を押さえて蹲るのが見える。

 

「てめえ……!」

「あっれー、軟弱だなあ。この子にはあんな事言っといて、飛びかけてるじゃないか。試合は始まったばかりだ、耐え抜いて見せろよ」

「ふざけやがって……! てめえら、あいつをぶっ潰せ!」

 

 男達が子供を虐めるのを止めて、こちらを睨み付ける。一回やり返されたらこれかよ、と鯰尾が呆れながら隣の男の子に声をかける。

 

「ごめん、ちょっと待ってて。後、少しの間だけ刀返して貰うね」

「え……」

 

 刀を掴み、抜刀する。本来なら人間相手に振るうのは許されないだろうが、夢の中だからいいだろう。

 男の子が苦しむのは、辛くて悲しくて——そうした奴等が憤ろしい。

 鯰尾藤四郎という刀は普通、あまり大きな感情を露わにしないとされる。己の中に闇を閉じ込めて、笑顔だけを表に出すようにしているとも。

 だけど、と春光の鯰尾は思う。

 ——ここで怒りを表に出さなければ、年長者として最低だ。

 

「がっ……!」

「何だこいつ早——」

 

 鯰尾の動きを止める事も、捉える事すら出来ずに男達はその場に倒れ伏していく。人格以外はごく普通の人間のようで、あっさりと男達を無力化する事が出来た。

 こんな奴等に、男の子をはじめとする子供達は苦しめられていたのか。

 湧き上がる苛立ちを何度か深呼吸する事で収め、鯰尾は男の子の所へ戻る。呆然と一連の流れを見ていた男の子とみかんの袋を抱えて、明るい笑顔を彼に向けた。

 

「ごめんね、怖い所見せちゃった。取り敢えず、ここから離れようか」

「……ううん、怖くは……ねえお兄さん、どうして泣きそうな顔をしてるの?」

 

 向けたはず、だったのだ。己の顔を確かめる事は叶わない。けれど鯰尾の顔に力なく手を伸ばす男の子が言うからには、そうなのだろう。

 どうして、と内心呟く。

 どうして、泣きたい程辛い目に遭った君が、俺の感情なんて気にするの——

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