空隙の町の物語   作:越季

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番外編「その虚しさよ、遠くあれ(後)」

「……え、じゃああいつら、どこかのお偉いさんの子供って訳?」

「よく分からないけど、そうらしいよ。だから、誰も止められないんだって」

「うっわあ、世も末だ……ねえ、頭痛くない? 横になる?」

「大丈夫だよ」

 

 そっか、と言って鯰尾は頭に包帯を巻かれた男の子の肩を支える。

 包帯を巻いたのは鯰尾だ。薬研ではないのであまり上手く巻けなかったが、男の子は「手当てしてくれたの、トモエ以外じゃ初めて」と微笑んでくれた。

 ずっと話していたら、もうすぐ日が沈む頃合いになった。シャッターの降りた店の前で寄り添いながら、太陽が少しずつ街の下に消えていくのを見ていた。

 すぐそばの通り道では、希望を失っているように目に光のない人々が行き交っている。足取り重く歩く人々は、誰も彼も身形がよろしくない。

 かつて骨喰が、貧民街にいる男の子の風景を見たと言った。それがこれかと鯰尾はようやく実感を得る事が出来た。

 ——こんな中で、この子は生活して来たのか。

 決していい環境とは言えない。けれど、それが男の子の普通だったのだ。

 肩を支える手に力が入る。男の子がどうしたの、と言うのに何とか笑顔で答える。

 

「ちゃんと支えた方がいいと思ってさ。ほら、結構な怪我したでしょ?」

「本当に大丈夫だよ、これくらいよくある事だし」

「駄目駄目、傷を舐めたら大変な事になるよ。前に弟が傷を隠して生活していた事があったけど、結局具合が悪くなって倒れちゃったんだ」

「……」

「傷はちゃんと養生してね。君が倒れたら大変だから」

 

 頭を撫でて刺激を与えないように、代わりに肩を撫でる。心配する気持ちが伝わるといいんだけど、と念じていると、男の子がふと尋ねる。

 

「……お兄さん。どうして俺に付き合ってくれるの?」

 

 え、と鯰尾が首を傾げる。男の子は包帯で覆われていない、淀んだ丸い目で鯰尾を見上げた。

 

「今日初めて会ったばかりなのに、どうして一緒にいてくれるの? どうしてそんなに優しくしてくれるの? ……俺、化け物なのに。そんな事される価値なんてないのに。いない方がいいのに。トモエがいい子なのに縋ってるような、穀潰しの癖に」

 

 声はどこか淡々としている。なんて事ない疑問を聞き、当たり前の事を告げるような。

 それが、男の子の普通だったのだ。虐げられ、疎まれ、妹の愛だけを頼りにしているような。

 それが当たり前だと刷り込むような日々を、送っていたのだ。

 

「少なくとも君が痛い思いをするのは、悲しいけどなあ」

 

 ここは夢の中だ。本物の男の子には届かない、一夜の幻だ。だけど、言わずにはいられなかった。

 ——大切な家族が当然の事だと自分を卑下している。それを見ていられなかった。

 

「あのね。俺は君が痛かったり悲しかったりすると辛くて、楽しかったり嬉しかったりすると幸せになれるような奴なんだ。君が泣いてると悲しいし、楽しんでいると俺まで楽しくなれる。だから君が笑う方に力を注ぐ、それだけだよ」

「……変なの。そんな人の事を気にするの、トモエくらいだ」

「変かな? でもさ、何度も言ってるでしょ。結局は俺が幸せになる為だ。笑顔が一杯の方が楽しいし、幸せだ。君に対しても同じだよ。少しでも笑顔で満ちている場所を作る為に、ひとに優しくするのは当然だ」

 

 笑顔、と男の子が繰り返す。そう笑顔、と鯰尾も返す。通りへと目をやった男の子はしばらく黙ってから、どこか実感のない口調で言った。

 

「……夢みたいな話だね、笑顔で満ちてる場所なんて」

「え」

「だって、皆苦しそうに生活してる。大人が話してた、生きてる私達は永遠に満たされないんだって。笑顔でいるって事は、満たされてるって事なんでしょ? それがいっぱいの場所なんて、それこそ絵本の中にしかないと思ってたけど。……お兄さんのいる場所は、満たされてる人がいっぱいいるんだね」

 

 言葉を失う。まだ、想像力が足りていなかったのか。

 嗚咽と悲鳴、諦観と絶望で満ちている街で生きている男の子にとって、笑顔溢れる場所なんて物はおとぎの国にしか存在しなかったのだ。本来なら家庭の中だけでも笑顔でいられたらそれが一番だが、彼の母親がアレなのだ。

 不幸を自覚していないのならどうにも出来ないが、彼は己の不幸を自覚しかけている。それは、どれだけ辛い事だろう。

 自覚を促してしまったのが良いのか悪いのか、判断がつけられない。もしかしたら残酷な事をしてしまったのではないか、と悔いてしまう。

 だが、何度も繰り返すようにここは夢だ。せめて希望を持てる結末に導こうと、鯰尾は笑う。

 

「そうだね。俺はきっと、恵まれている奴なのかもしれない。だけど、君にも笑顔で満たす事は出来るんじゃないかな」

「……」

「俺は君といて楽しいし、笑っているのだって嘘じゃない。君の妹だって、あんなに君を大切にしているんだから、君といるのは楽しいはずだ。君は、笑顔を生み出せる人だよ」

 

 男の子は俯く。顔を窺うのは角度からして無理だが、どこか困惑した雰囲気を醸し出している。

 当然か、と思った。肯定的な言葉を渡された事も多くはなさそうなのだ。いきなり初対面の人間に言われても、そう容易く飲み込めないだろう。

 でも。

 

「……楽しいって言ってくれたのは、トモエ以外でお兄さんが初めてだよ」

 

 こうして、困惑と共に聞き入れてくれたのだ。種を植える事は出来たに違いない。

 少しでも自分を肯定してくれたのなら、今の家族としては幸いだ。

 

***

 

 日が沈んだ後もしばらく、ぽつぽつと話をした。その大半は男の子の妹に関する話だった。男の子が積極的に話そうとしたのが、それだけだったのだ。

 そろそろ帰っても大丈夫だろう、と男の子が言い出したのは月が高く登った頃合い。随分と遅くなってしまったが、妹は心配していないだろうか。

 そう尋ねると、男の子は表情を曇らせながら答えた。

 

「……お母さんが寝るのが大体この時間なんだ。それより前に帰ると、機嫌が悪くなるから」

 

 トモエの泣く姿は見たくないし、と付け加えられて、頷くしかなかった。やはりあの女は斬ってやりたい、と思うのは仕方がないだろう。

 アパートの前に着くと、男の子がしい、と口に人差し指を当てる。了承し、音を立てないように階段を登る。

 ドアの前に立ち、男の子が小さくノックをする。しばらくしてそっとドアが開き、中から女の子が現れた。

 

「お兄ちゃん、お帰りなさい……頭、どうしたの?」

「公園にいた時、いつもの奴等に」

「お兄さんが手当てしてくれたの?」

「うん」

「そっか。お兄さん、ありがとう」

「いやいや、当然の事だよ」

 

 頭を下げる女の子に、手をひらひらと振って笑う。男の子がそうだ、と言って鯰尾へと刀を差し出した。

 

「これ、返さないと」

「ありがとう。今日一日、変な事はしなかったでしょ?」

「うん。……ちょっと返答に困る事は言ってたけど」

「あっはっは。頑張って考えたまえ、少年!」

 

 少し偉ぶって胸をそらすと、女の子がクスクスと笑みを漏らす。男の子は口をもごもごとさせて、鯰尾に一歩近付いた。

 

「……ちょっと困ったけど。一緒にいてあんまり怖くなかったのは、良かった事……だと思う。みかんくれたし、公園の時にあいつらをボコボコにしてくれたし、手当てしてくれたし」

「みかん?」

「後で一緒に食べよう、トモエ。……えっと、だから」

 

 言葉に詰まった男の子に視線を合わせる。直後、顔を上げて男の子は微笑んだ。

 

「優しい人もいるんだって分かって、良かったなっていうか。……お兄さんが生きているなら、多分この先も大丈夫な気がしてる。だから……ありがとう、お兄さん」

 

 それは、口角を微かに上げるだけの、本当に些細な笑みだったけれど。男の子に希望を確かに残せたのだと、鯰尾は嬉しくなった。

 

 ……ただ、その一方で、鯰尾は()()()()()()

 どうして、と夢の中に入ってから何度目か分からない問いを浮かべる。

 どうして、この子達には——

 

「お兄さん、私からもお礼。……お兄ちゃんと一緒にいてくれて、ありがとう。随分優しくしてくれたんだよね? お兄ちゃんがあんな優しい顔してるの久々だから、凄く嬉しかったの。お兄ちゃんが笑顔でいられたなら、私も幸せだから」

 

 女の子が一礼し、目を細めた。兄に似た、本当にささやかな笑顔だった。

 鯰尾は震える喉を悟られないように、兄妹の頭を優しく撫でた。

 

「ううん、俺がした事なんて大した事ないよ。……本当に、大した事じゃないんだ。でも、お礼はありがたく受け取っておくね」

 

 兄妹の顔は穏やかだった。男の子がドアの内側に入って、おやすみなさい、と手を振る。女の子はまた、頭を下げていた。

 鯰尾は手を振り返し、ドアが閉まるまで見送った。

 

***

 

「お兄ちゃん、本当に優しい顔してる。あの()()と、楽しく過ごせたの?」

「……多分。ああいう人もいるんだね、いい発見だった」

「そっか。……良かったね、お兄ちゃん」

「うん」

 

***

 

 ドアが閉まると同時に、景色が揺らぐ。ゆらゆらとぼやけていくドアがふっと消えると、周囲が暗闇に包まれた。

 鯰尾は蹲る。そして膝を抱えて、顔を埋めた。そうしてしまえば、自然と目から何かが込み上げてくる。

 背後からゆっくりとこちらへ向かう足音がした。それは鯰尾の背後まで来ると、停止してから柔らかな声で話しかけた。

 

「……鯰尾。礼を言う」

 

 ぐす、と鼻を啜る。目と喉が熱い。

 どうして「長谷部」に礼を言われるのか、鯰尾には分からなかった。これは、ただの夢だ。一夜の幻に過ぎないのだ。鯰尾がした事は、ただの自己満足でしかないというのに。

 

「……歴史改変を阻止する側のものとして、あまりよろしくない事は分かっているんだが。鯰尾、これはただの夢ではない。トシキの記憶の、大きな改変だ」

 

 一瞬、息が止まる。記憶の改変とは、どういう事だろう。

 

「眠る前にトシキが、また消えかけたんだ。何が原因かと探ってみたら、昔の記憶に優しい大人の姿がない事に気が付いてな。大人への不信が表に出た事によって、ひとを信じられない自分が嫌になったのかもしれん。あの環境でなら、そうなって当然なんだがな」

 

 また、涙が溢れる。どうして、どうしてと、頭の中の疑問は止まない。

 

「だからせめてもの慰めにと、本丸の誰かを巻き込んで夢を見せ、大人を信じられるような自分を感じさせてやりたかったんだ。だが、夢を構築する段階で異常が起きた。——誰かが、トシキの記憶自体に介入したんだ」

 

 何ものかはっきりとはしてないが、悪いものではないと判断した、と「長谷部」はどこか懐かしむ口調で言った。

 

「夢を見せるだけなら、あそこまではっきり風景を構築しなくて良かったんだ。だが記憶を引っ張り出され、かつての時間を再現した事によって、誰かは記憶の改変をしたがっていると判断した。大きな出来事があった日ではないから、俺も見過ごす事にしたが」

 

 膝が濡れている。不思議と不快感はなく、ただ「濡れている」という事実だけがあった。

 

「……意識を接続したのは、やはりというべきかお前だった。不安はなかったな。お前なら、ちゃんとトシキに優しくしてくれるだろうと思っていた。他の奴等がそうでないとは言わないが、一番トシキの過去に触れているのはお前だからな。望む結果を出してくれると信じていた」

 

 そうしてお前が出した結果は、と長谷部が微かに笑う気配がした。

 

「想像以上だった。幸福を分け与え、理不尽に対して怒りを示し、萎んでいた自尊心を少しだけでも満たしてくれた。トシキの体はもう透けていない。お前は確かに、トシキの世界を鮮やかにしてくれたんだ。……改めて礼を言う、鯰尾。トシキを繋ぎ止めてくれて、ありがとう」

 

 どうして、が溢れ出す。鯰尾には、最早それを留める手段を得られなかった。

 

「……どうして、あの子達が、あんなに不幸にならなきゃいけなかったんですか」

「……」

「どうして、優しさを持った子達が、報われなかったんですか。どうして、あの子達は、普通の幸せを手に入れられなかったんですか。……どうして、あの子達が、あんな最期を迎えなきゃいけなかったんですか」

「……分かってるだろう、鯰尾。人も刀も、生まれは選べない。子供なら、運命に抗う術も少ないだろう。だから——」

「それでも俺は! ——あの子達に、幸せに、なって欲しかった」

 

 審神者と、トシキ。兄妹であった二人は引き離され、兄妹として巡り会えたのは審神者の死の間際だった。

 二人は、幸せとは程遠い生い立ちだった。だからこそ、自分達が幸せにしたいと思っていたのに。

 審神者は彼岸へ行き、トシキは最愛の家族を失った。

 どうして、とまた頭をもたげる疑問が口をつく。

 

「……どうしてこんなにも、世界は理不尽なんですか」

「……そうだな。だからこそ、お前達は繋がってくれたんだろう?」

 

 家族になる。病院で理不尽への対抗の為にそう決断し、トシキに告げた繋がりは、彼を確かにこちらへと繋ぎ止めた。それでも、まだ自分達は繋がりが強固ではないと思う。

 名実共に、家族になる必要がある。トシキをこちらに繋ぎ続ける、温かな繋がりを作る必要が。

 

「確かにまだ、繋がりとしては浅いかもしれない。だがお前達の真心は、トシキの胸に響いたんだ。トシキの心を癒す為にも、家族になる事を止めるなよ」

「……分かってます。でも、それは貴方もですからね、長谷部さん」

 

 ああ、とやはり柔らかく「長谷部」は答える。普通の長谷部らしくないそのあり方は、彼の依代となったトシキの為にそうなったのだろう。

 ならば、彼も家族だ。共に理不尽に抗う、大切な存在だ。

 

「もうすぐ朝だ。起きたらまた慌ただしくなるからな、せめて少しは休んでおけよ」

「なら、長谷部さん。俺の限界まで、話をしましょうよ」

 

 首を後ろに向けると、きょとんとした「長谷部」が立っていた。どうしてそこで気付かないかなあ、と苦笑いをしながら、鯰尾は立ち上がって振り向いた。

 

「家族なんですから。何でもない時でも話をするのは、当然でしょう?」

「……それもそうか。しかし何を話すか……トシキと主の話しか出来んぞ」

「あの子の事はともかく、主の話っていうのは、長谷部さんらしいですね」

「まあ、こんなだが俺も『長谷部』だからな」

「知ってますよ」

 

 そうして、「長谷部」の顔を見て話をする。意識が白むまで、鯰尾は審神者とトシキの過去語りを「長谷部」とし続けたのだった。

 

***

 

「……ずお、鯰尾!」

 

 体を揺すられ、目を開ける。窓からは陽射しが差し込み、鳥の鳴き声が響いていた。

 目を擦ると、濡れた感触があった。視線を動かすと、眉を八の字にした歌仙と目が合った。

 

「……あー、心配させちゃいました?」

「当然だよ、僕が起きたら涙を流しながら寝ていた物だから……何か悪夢でも見たのかい?」

 

 それとも具合が、と額に手を当てる歌仙に苦笑いを浮かべて、鯰尾は言った。

 

「悪夢ではありませんよ。ただちょっと、長谷部さんが少しでも健やかでいて欲しいなーってなっただけです」

「……まあ、後で聞かせて貰うよ。今は朝餉の準備だ」

「はーい、着替えたら行きまーす」

 

 着替えが済んでいた歌仙が、ドアの向こうに消えていく。さて自分も着替えを、と思った所で、長谷部の寝顔を見やった。

 目からは、涙を溢していない。本当に、良い記憶だと思ってくれたのだろう。

 枕元に近付く。そして長谷部の頭を撫でながら、鯰尾は小さく祈るように呟いた。

 

「——どうか、君達の心が砕ける日が、永遠に来ませんように」

 

 最後に一撫でしてから、鯰尾は着替えを始める。身支度を整え終わると、部屋を飛び出してドアを閉めた。

 長谷部はまだ眠り続けている。——ただその寝顔は、とても穏やかで、幸せそうだった。

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