政府所属の小烏丸から緊急指令を受け取り、鶴丸は戦装束に身を包んで本丸の廊下を歩いていた。バタバタと走り回る他の刀とすれ違いながら、顎に手を当て考えを巡らせる。
——十中八九、あのヒトガタ達に堀川が関わっているだろう。
昨日から姿を消している堀川が背信者であると、青江から聞いていた。主からの密命だという事で最初は口をつぐんでいたが、根気よく説得を続けて口を割らせたのだ。
それが昨日の夜の事。夜が明けるまでの僅かな時間で、堀川は動き出した。事を起こすのが余りにも早過ぎる。堀川に協力者が付いているのは、蒼穹の一期の話から確信を持っている。彼等が計画を起こしたのは一体いつからだ。長きに渡って機会を狙い続けたとして、氷雨の仲間と和気藹々としていたのすら偽りだったのか。
……ふざけたりして長谷部に雷を落とされたのも、戦場を共に駆け抜けたのも、堀川にとっては考えを改めるに至らなかったのだろうか。仲間だったのになあ、と考えると気分が沈んでくる。
すれ違う刀達にぎょっとした目で見られる程足取りが重くなっている事に、鶴丸は気付いていなかった。
「おや、鶴丸殿」
嫌味な程涼やかな気配に足を止める。目の前に立っていたのは戦装束を纏う一期一振。顔を上げて彼を軽く見返す。一瞬眉を顰めていた気がしたが、爽やかな笑顔でいつものように飛ばされる嫌味に鶴丸は青筋を立てる。
「こんな所で何をぼーっとしているんです? 徘徊なら後回しにして頂きたい。今貴方の後始末をしている時間など、誰も持ち合わせていないんですよ」
ふつふつと湧く苛立ちに任せて、鶴丸も嫌味を打ち返す。
「そう言う君こそ、随分お気楽そうじゃあないか。こんな状況なのに喧嘩を売る余裕があるらしい、羨ましいこったな」
それは本心からの言葉だった。仲間が背信者だったものの気持ちなど、彼は汲み取る気もないのだろう。さっさと通り過ぎようと足を踏み出した所で、更に嫌味が飛んでくる。
「私としてもさっさと外の片付けを手伝いたい所ですが……集合の命をまともに聞けない程耄碌している御仁がいらっしゃいますからな。いよいよ言語を理解する事すら出来なくなりました? 全く、介護なんて私の仕事ではありませんよ」
「誰が要介護認定者だこの青二才、今から行こうと思っていたんだよ!」
ぼけ老人扱いされて思わず足を止めて怒鳴り散らす。しかしその涼やかな体勢を崩す事は出来ず、呆れ顔を浮かばせため息をつかれる。
「ならさっさと行って下さい、主が気を揉んでいらっしゃいます。貴方がいなくても本丸は回せるんです、早く事態を収束させてきなさい。驚きしか取り柄がないのに、戦場を引っ掻き回す事すら出来なくてどうするんです?」
「えっらそうに……!」
頭に血が昇る感覚がする。今の鶴丸には堀川への無念さなど吹き飛んでおり、とにかく目の前の腹立たしい刀を黙らせたいという、ある意味いつも通りの感情になっていた。
顔を真っ赤にする鶴丸に、一期は鼻で笑い爽やかに嫌味を言い放った。
「少なくとも変になまくらな今の貴方よりは頭が回る自覚がありますので」
「よしそこに直れ叩っ斬ってやる!!」
「鶴丸、何してる! 悠長に喧嘩をしてる時間はないんだぞ!」
柄に手をかけた所で、一期の背後から眉間に険しく皺を寄せた長谷部が現れる。あっという間に襟を掴まれると、ずるずると玄関へと引きずられていく。
離せ歩ける、と喚く鶴丸を嘲笑うかのように、一期はひらひらと手を振って見送った。
「長谷部殿、回収お疲れ様です。鶴丸殿、精々尻拭い頑張って下さい。特別に骨は拾って差し上げますよ」
「くっそ、帰ってきたらぶん殴ってやるからなああああ!!」
「喧嘩は後にしろ、行くぞ!」
拳を振り回して暴れる鶴丸を引きずりながら一喝し、長谷部は玄関へと消えていく。二振りの姿が見えなくなるまで手を振っていた一期は、やれやれと言わんばかりに息を吐き身を翻した。
それを遠巻きに見ていた刀達も、次第に散り散りになっていく。膨らんだごみ袋を持ったまま一部始終を見届けていた太鼓鐘は、首を傾げてぽつりと疑問を零した。
「……一期、何でこんな時に鶴さんに喧嘩売ったんだろう」
「ん? あーそうだな、太鼓鐘から見て鶴丸の様子はどうだった?」
「どうって、ちょっと気落ちしてたよう、な……」
隣で同じくごみ袋を持っていた薬研が、太鼓鐘にぽいとヒントを渡す。
太鼓鐘は鶴丸の旧知でよく気が回る質だ。鶴丸の状態をある程度把握する事が可能だと判断した上で薬研は太鼓鐘にヒントを出し——そして思惑通りあっさりと鶴丸の状態と一期の思惑を看破して見せた。
「……え、まさかあれ発破掛け? 確かに鶴さん、いつもの調子を取り戻したみたいだけど……劇薬が過ぎねえ?」
目を剥いた太鼓鐘は、えー……と呆然とした声を発し続けた。
劇薬、それは言い得て妙だと薬研は苦く笑う。下手したらその場で乱闘になった可能性もあった、あまりにも危険な手段だ。それでもいつもの鶴丸に戻せたのだから結果オーライと判断するだろうな、と少し血の気が多い長兄の思考を読んで薬研は乾いた笑いを浮かべた。
「いち兄は絶対認めないだろうが、喧嘩相手が落ち込んでいるのを見てられなかったのも少しはあるだろうな。何かあったのか分からんが、鶴丸今朝から考え込んでいただろ」
「だからって……ある意味不器用だな、一期……」
「まあ大半の理由は喧嘩を売りたかったからだと思うが。そりが合わないのは事実だし」
「……何とかならねえの?」
「なってたら俺達も匙投げてねえよ」
何度話し合わせても最終的には部屋を破壊する喧嘩に発展するしな、と遠い目をする薬研に、太鼓鐘は本当に相性悪いんだな、と目を逸らした。
*
「あんの青二才帰ったらギッタギタにしてやる、いくら心の広い俺でももう我慢の限界だ、あの澄ました顔に一発入れなきゃ気が済まんクソッタレ」
「鶴丸いい加減切り替えろ! これから任務だというのを分かっているだろうな!」
廊下を引きずられつつ一期への怨嗟を吐き続ける鶴丸に、長谷部が頭痛を堪えながら声を張り上げる。
流石にこの状態のままでいられるのは避けたい。先程からすれ違う刀達による呆れ混じりの視線が痛いのだ。それに、任務に向かうというのに雑念に囚われているのでは、戦場で大きく動きが鈍る要因になる。
喧嘩をするにしても時間を選んで貰いたい、と願うのは間違っていないはずだ。いつものようにやり合うには、今の状況はかなりまずい。
——何せこれから、この本丸から出た背信者の討伐と、この本丸の無実を示さねばならないのだから。
昨夜、堀川がいなくなった直後に調査部隊が集合した際、鶴丸が青江を問いただした。そして青江によって告げられた事態に、長谷部も身体中から血の気を引かせた。小夜と次郎も、大きく動揺を見せる事となった。
目覚ましい戦果を上げ、任務中にさりげなくサポートをしてくれる堀川を、長谷部は信頼していたのだ。この本丸に来てからすぐに調査部隊に配属された位だ、審神者も堀川を良く思っていたに違いない。
なのに、堀川は裏切っていた。——青江の話によれば、恐らく最初から。
審神者すら欺いたその演技力には舌を巻く。誰も彼もに自分の正体をぎりぎりまで悟らせず、そして尻尾を完全に掴まれる前に同志と合流した。敵ながら鮮やかな手腕である。
確実に政府の情報を入手する為に、本丸に潜り込んでいたのだろう。ならば、対策局の事もおおよそは掴んでいるに違いない。
信じていたものに裏切られると、こんなに冷静さを欠くのだと、長谷部は震える手を握り締めていた。その直後だ——鶴丸が本丸を飛び出したのは。
鶴丸も、堀川を信頼していたようだった。しょっちゅう気にかけていたらしいし、任務時にも和やかに話していたのを見かけている。戦闘時には彼の力を疑う事すらしなかった。
だからなのかもしれない。鶴丸は、今朝まで苦い顔をし続けていた。
裏切られた衝撃と、それを見抜けなかった口惜しさ。そして、仲間としての情。混ざり合った感情が、鶴丸からいつもの軽妙さを削ぎ落としていた。
それに気付かなかった訳ではない。だが、複雑な心境だったのはこちらも同じ。慰めるのも違うしと、どう声をかけるか長谷部も悩んだ。結局はええいままよと、準備をしていた鶴丸に集合するように告げに行ったのだ。
だがそんな意気込みをよそに、いつものように一期への敵意を剥き出しにしているのを見て、肩の力が抜けた。それは余りにも「日常」だったから、何だか気が抜けてしまったのだ。
呆然と遠くから眺めたのも一瞬に収め、長谷部は鶴丸を連れにかかった。手を振って更に敵意を煽る一期も、それに喚く鶴丸もいつも通りで、こんな時にやり合うなと思うと同時に、少しだけ安心してしまった。癪なので、口にする気は毛頭ないが。
鶴丸はしばらく洗い深呼吸を繰り返し、はあ、とため息一つ零す。そして己の襟首を掴む長谷部の手を軽く叩いて、もう歩ける、と言い手を離させ立ち上がった。
「……あーすまん、見苦しい所を見せた」
「全くだ。……いつもの精神状態に戻ったのなら良かったが……」
「何か言ったか?」
「いや何も」
余計な事は伝えないに限る。長谷部はしれっとした顔で独り言をなかった事にし、鶴丸はそれに首を傾げていた。