目を開けると、見慣れた天井。見慣れた壁。見慣れた家具。蒼穹の一期ががばっと勢いよく起き上がれば、頭がずきずきと痛んだ。下を見ると、きっちりと布団もかけられている。
昨日自分は鶴丸たちと飲んでいたはずだ。だが、途中からの記憶が一切ない。一体どうやって自分はここまで戻ってきたのか。――何だか嫌な予感がする。
障子を開けて、厚、薬研、乱が入ってきた。
「あっ、いち兄起きた!」
「よぉ、いち兄。体調は大丈夫か? 昨日あちこちぶつけたみたいだから、湿布を貼っといたぜ」
「いちにい、昨日は凄かったなー! あっ、風呂には入れたから安心してくれ」
何を安心しろと言うのか。嫌な予感は高まりつつある。一期は、恐る恐る三振りに尋ねた。
「……私は、昨日、どうやってここまで帰ってきたんだ」
厚、薬研、乱は覚えていなかったのか、と言いたげな表情で目を丸くしていた。気まずい空気の中、口火を切ったのは薬研だった。
「昨日、雲霄隊の鶯丸から連絡が来てな――」
***
『すまない、そちらの一期が酔っ払ってしまってな。城下町の入り口まで送るから、迎えに来てもらえないだろうか』
連絡が来たのは、午後十時半。それを受けて、審神者はまだ起きていた厚、薬研、乱に同行を頼んだ。
快諾した三振りと審神者は、軽く舗装されている道を歩いていく。
「いち兄、酔っ払っちゃったんだ。なんか意外、強そうな感じがしたのに」
「いち兄だって完璧じゃない、そういうところもあるさ」
「達観してんなあ薬研……。俺も一期が酒に弱いなんてびっくりしたってのに」
「あっ、大将、あそこじゃないか?」
城下町の入り口に、男一人にしては一回り大きい影が見える。近づいてみると、それは一期を背負った鶯丸だった。
「来たか、蒼穹の」
「いやあ、お手間をかけさせてすまねえ。酒に弱いなんて知ってたら、俺も自重しろと伝えたのに」
「気にするな。割といつものことだ」
蒼穹の審神者に笑いかけ、一期を引き渡す。審神者が受け取ると、それではな、と鶯丸は闇に溶けていった。
「おーい一期、しっかりしろー」
「……ん、あ、あるじ?」
「そうだぞ、主だぞー。迎えに来たから帰ろうなー」
一期を背負った審神者を見ながら、三振りはひそひそと囁き合う。
「いちにい、本当に酔ってるな」
「なんかちょっと顔が幼くなってない?」
「気が緩んでるんだろうなあ」
「……です」
「ん? なんか言ったか?」
「オレは何も言ってないぞ」
「ボクも」
声の出所を三振りが探っていると、審神者に背負われた一期が叫んだ。
「おとうとたちは、どこにいるのです!」
「ちょ、一期、耳元で叫ぶな!」
そうかと思うと、審神者の背中から転げ落ちるように降りて、一期は側溝に頭を突っ込んだ。
「はかたー! ごとうー! でておいでー!」
「ちょ、いち兄! 何やってるの!」
「ここからちかにつづくみちがあるはずです! そこにきっとおとうとたちが!」
「落ち着けいち兄、そこから大阪城には繋がってねえから!」
頭を突っ込んだまま、弟たちの名を叫び続ける一期。かと思えばふらふらと立ち上がり、本丸の方向へと歩き出した。
「あはは、おとうとたちがわたしをよんでいるーまってくれーいまかわをこえるからーおはなばたけー」
「どこに行くつもりだいちにい! ああもうすっかり酔っ払いの言動をしちまって……!」
「しかも川にお花畑って、それ彼岸行きじゃねえか! 一期おーい戻ってこーい!」
「……本丸で宴会が開かれたら、いち兄にはお酒を渡さないようにしようね」
「そうだな……」
ふらふら歩き続ける一期を正気に戻そうとする審神者と厚、一期の禁酒令を出すことに決めた乱と薬研。場はまさに、酔っ払いの独壇場であった。
その後、本丸に着いた一行は、泥まみれになった一期を風呂に突っ込み、布団まで引きずっていった。無事寝息を立て始めたのを確認した一人と三振りは、その場に座り込んで疲労困憊の息を吐いたのだった。
***
「今すぐ私を折ってくれ!!」
「大丈夫! このことは他の兄弟たちは知らないから!」
「知られていたらしばらく私は引きこもっていたよ!」
顔を手で覆う一期に、乱は慰めの言葉をかける。しかし一期の気は晴れない。
「主にもお前たちにも醜態を晒し、迷惑をかけて……情けない……」
「まあ、少し驚いたけどな。これくらいどうってことねえよ。……ただ、今後は酒の飲み過ぎに気をつけて欲しいもんだが」
「そうするよ……」
「で、いちにい、寝起きのところ悪いんだが」
厚が申し訳なさそうに、うなだれる一期に申し出る。
「本丸の食材が、かなり少なくなっててな。送ってもらうにも少し時間がかかる。そこで、オレたちが必要な物を買い揃えようってなってな」
「何しろ三十三振り分だからなあ。万屋まで行ったが、まだ足りない。不足分は城下町で補うことになった」
「本丸総動員で買いに行こうって。もう他の皆は下りていったよ。あと残ってるのはボクたちだけ。いち兄、行ける?」
一期は、少し重たい頭を上げ、三振りに告げた。
「もちろん、行くよ。準備をするから、待っていてくれ」
「無理しないでね、本当に」
気遣わしげに見つめる三振りに、一期はなんとか笑いかけた。ほっと息を吐く三振りは、俺たちも準備するな、と部屋を出ていく。一期は、さっと端末に来ていた新しいメッセージを確認した後、外出の準備に取り掛かった。
***
城下町に到着すれば、そこは沢山の人々が行き交っていた。現在いるのは、城下町の中でも食品を取り扱う店が多い通り。普段城下町に下りない兄弟たちは、辺りを見回しては感嘆の声を上げていた。
「すごーい! 人がいっぱい!」
「そうですね。昼間の城下町が、こんなに賑やかだなんて」
「あっ、いち兄、あっちでお肉の安売りをやってます!」
「見て見て、変な形の大根!」
「鯰尾にい、買わないなら戻してこいよ……」
「鰹出汁の素、か……こんな物もあるんだな」
客寄せの声、値切り交渉をしている声、子供たちが通りをはしゃぎながら走りすぎていく。弟たちは、そんな通りの雰囲気を満喫している。
一期もその雰囲気に浮き立つ気持ちが抜けなかった。しかし、兄として忠告しなければ。
「お前たち、予算は限られているのだから、必要な物だけを買うようにね」
「はーい、いち兄!」
「えっと、どれを買えばいいのかな……」
買い物に集中し始める弟たち。一期も、メモを取り出し、必要な物を買い揃えようとする。
しかし、頭痛がひどくなってきた。立っているのが少し辛い。どこかに座る場所がないか探していると、腕を引かれる。
「!? ……んぅ……っ!」
口元を、布が塞ぐ。思いっきり息を吸い込んでしまい、一期は意識を手放した。
*
目を開けると、そこは背の高い木が生い茂る森の中だった。背中に、木の感触がする。目の前で、二人の男たちが会話をしていた。
「なんだ、これだけかよ。シケてんなあ、もっと持ってるはずだろ」
「天下の刀剣男士サマなら、溜め込んでるはずたよな? ……ああ、飼い主に吸われてんのか」
手には、一期の財布。思わず返せ、と叫ぼうとしたが、口をテープで塞がれている。腕も、縄で縛られているようだ。
「おお、刀剣男士サマのお目覚めだぜ」
「随分ねぼすけだったなあ、ええ?」
敵意に満ちた嘲笑が降ってくる。一期は、きっと男たちを睨みつけた。
「おおこわ。こんな状況でも戦闘意識をなくさないとは」
「そうだな。でも――」
男の一人が、ナイフをくるくる回したと思えば、一期の足を大きく切りつける。
「……っ!」
「痛みに弱いのは、人間と同じだろ」
痛みに目を瞑るが、一期はすぐにまた鋭い視線を取り戻す。男たちは口笛を吹き、煽った。
「ヒュー! 強いねえ」
「流石、刀剣男士サマってところか。じゃあ次はこっちだな」
そうして男たちは、近くにあった枝にライターで火を付け、一期に近付ける。一期は、顔を青ざめさせ、それから逃げようと身をよじった。
「やっぱり火には弱いか。――楽しめそうだな」
「ああ。――兄貴たちの恨み、たっぷり晴らさせてもらおうじゃあないか」
火が、足の傷に当たる。まさしく焼ける痛みに、一期は声にならない叫び声を上げる。やめろ、やめろ、また、全てを焼き尽くされるのか。あの時のように――。
「――流石に悪辣過ぎるね。長谷部さん、やってもいい?」
「……好きにしろ。
「そんな冷たいこと言わずに。……じゃ、やりますか」
そう声がしたと同時に、男たちが絶叫して倒れ伏す。上から、長い髪をした少年が降ってきた。
「よっと。どこかのいち兄、大丈夫?」
その少年――鯰尾藤四郎は、手早く一期の拘束を解く。なまずお、とか細い声が自分から出ているのを感じた。
「テメェ! よくも――」
「はーい、静かに。俺たちもあまり政府に目をつけられたくないんでね」
男の鳩尾に一発入れ、切った縄で素早く小指同士を縛る。まだ呻く男を見て、もう片方の男は荒く息を吐いた。
「刀風情が、人間に歯向かってんじゃねえよ!」
そう叫び、ナイフを振りかぶって鯰尾に襲いかかる。が、ナイフは鯰尾に傷一つ入れられなかった。
「お前らの気持ちはよく分かる。だが、鯰尾を、『刀風情』と言ったな」
いつの間にか降り立っていた青年が、刀の鞘でナイフを受け止めた。その視線は、鋭く光っている。
「それだけで同情の余地はない――失せろ!」
足を払い、怯んだところを刀で思いっきり殴りつける。男は頭に強い衝撃を与えられ、意識を失った。
「うっわあ、おーばーきる。やり過ぎですよ、長谷部さん」
「鯰尾を侮辱した、これ即ち罪状は死に値する。俺は当然の処刑をしたまでだ」
「その愛情の重さ、もう少し何とかしましょうよ……」
しれっと言い放つ長谷部に、鯰尾の逆毛が少ししおれる。
一期は、呆然としながらそのやり取りを見ていた。この二振り、何かが変だ。
見た目だけなら、少しおかしいだけだ。鯰尾は普通の内番服ではなく水色のパーカーを着ているし、長谷部に至っては、鳴狐そっくりのジャージを身に纏っている。だが、外見だけじゃない。特に長谷部の方、何かボタンを掛け違えたような違和感がある。掛け違えているところを直したいような、目を背けたいような。
「……何をじろじろと見ている」
「ちょ、長谷部さん! 威嚇しない!」
長谷部に、思いっきり警戒した目つきで見られる。鯰尾に宥められて目を逸らしたものの、不機嫌な態度は消えていない。ほーら飴ちゃんですよ、と声をかけられても、つーんとしている。
「……あなたたちは、一体」
「ん? 俺たちが何物かって?」
鯰尾が、一期の呟きを拾い、腰に手を当てる。風が強く吹き、紅葉が舞う。
「俺たちは、春光隊。審神者さんたちの間では『愛甲区域の大移動』って呼ばれている事件の、生き残りだよ」
それが、蒼穹隊の一期と、春光隊との出会いだった。