刀身をヒトガタへと大きく振り下ろしつつ、蛍丸が屋上から降ってくる。氷雨隊審神者の妹である夕立は、指揮する隊に含まれていない彼がこちらに来たのに目を丸くした。
蛍丸は消滅していくヒトガタに目も暮れず、夕立に問いただす。
「妹さん、国行どこに行ったか知ってる!?」
「え、さっき交代の時間だからって西棟の方へ向かったのを見かけましたが……」
「えっ、交代には早過ぎだろ!? て事は……サボりやがったな国行!!」
仕事場からまんまと逃げおおせた自分達の保護者に、愛染が大きく吠える。蛍丸も、国行には後で目一杯働かせようと目を据わらせていた。夕立は言いくるめられた事に自分の未熟さを痛感して項垂れる。
「申し訳ありません、他の方にも確認を取るべきでした」
「いやいや、審神者じゃない妹さんが出来る事は多くないんだしさ」
「そうだよ、悪いのはサボった国行」
それでも夕立は、目を伏せて口を引き結んでいる。蛍丸と愛染は顔を一瞬見合わせてから、夕立を背に庇うように立って刀を構える。
「妹さんはここの指揮しか任されてないし、出来ないんだよ。それ以上の事は主さんの仕事だし。だから、妹さんがそこまで気負う必要はないの」
「蛍の言う通りだぜ、妹さん。出来る事をしっかりやってるんだから、妹さんは上出来過ぎるくらいだ。むしろ、真面目過ぎる所を直した方がいいかもな」
その点は国行を見習ってみてもいいかも、と二振りは夕立に柔く細めた目をやる。夕立はゆっくりと頭を持ち上げ、二つの頼もしい小さな背中を見つめた。
愛染はヒトガタの懐に入り込み、「鍵」を打ち砕く。蛍丸は大きく鋒で弧を描き、胴体と「鍵」を同時に切り裂いた。戦装束の裾とマントがそれぞれ、ひらりと軽やかに揺れる。鮮やかにヒトガタを倒していく二振りの姿は、見ていて気持ちの良い物だった。
二振りが再び夕立の前に立つ。刀の神様がこうして夕立を気にしてくれている事に、少しだけ嬉しいような、情けない姿を晒して恥ずかしいような、そんなくすぐったい心地になる。けれど、アドバイスまでもらって黙っている訳にはいかなかった。
「お二方、ありがとうございます。少し気が楽になりました」
「気に病む所はどこにもないと思うけどな」
「うん。悪いのは国行だけだし」
「妹さんを悩ませた罰として、今日の夕餉の量を減らしてやろうぜ、蛍」
「そうだね、国俊。動かないんならそこまでお腹も減らないでしょ」
保護者に対して辛辣な、けれど愛情も窺える二振りに、思わず笑みが溢れる。何だかんだで気の置けない来派の刀達が、少し羨ましく思えた。
「ほたるまるー! あかしさんはみつかりましたかー?」
「あ」
たったった、と今剣がこちらに向かって駆けてくる。蛍丸は明石を探していたのを思い出し、短く声を上げてから近くのヒトガタを薙ぎ払い、今剣に告げた。
「西棟の方に向かったって。俺も後から向かうから、部屋に引きこもってたら引きずり出しといてくれる?」
「わかりました! ……それと、ほたるまる。これがしゅうそくしてしばらくは、えんれんにでないほうがいいです」
「え、何かあったの?」
急に目を鋭くさせた今剣に、首を傾げつつ蛍丸が尋ねる。きょろきょろと周囲を見渡してから、今剣は声を潜めて仕入れた情報を話し始めた。
「……さっきあるじさまのへやをとおりかかったとき、はなしごえがきこえたんです。せいふをしゅうげきしているかたなたちがいて、そのなかにほたるまるがいる、と。どうもそのほたるまる、このくろいばけものをしたがえているみたいなんです。それに、かなりざんぎゃくなことをしているとも」
全身の毛が逆立ったような気がした。愛染と蛍丸も、目を剥いているのが感じ取れる。
刀剣男士は、主である審神者に従うのが常識だ。そしてその審神者は、政府の命令を受けて行動する。即ち、直接的でないにしろ刀剣男士は政府の影響下にあるのだ。
それに反して、政府を襲撃している刀達。しかもその中にいる蛍丸は、現在この本丸を襲うヒトガタを操っているという規格外の事もしている。
政府に歯向かい、大きくダメージを与える事が出来る刀剣男士達。その同位体の刀がどう見られるか、何となく想像出来る自分が嫌だった。
「どんなひぼうちゅうしょうをあびせられるかわかりません。ほたるまるだけですめば、よくないですけどましなんですが——」
「……主さんにも矛先が向く可能性があるのか。分かった、しばらく演練には出ないよ」
「はい……あ、このことはあるじさまがおはなしするまで、たごんむようでおねがいしますね。ぼくもこっそりきいただけなので」
それじゃああとで、と言って身を翻し、今剣は軽やかに跳ねながら曲がり角に消えていった。
「……政府に、刀剣男士が……」
「『蛍丸』が襲撃者の一振りか……何でそんな事したんだろう」
「それは、あっちの『蛍』にしか分からないだろ。でも……」
「政府に悪意を持ってるのは、間違いないでしょうね。残虐な行為をしているらしいですし……」
それきり誰も口を開かず、刀を振るう音だけが響く。夕立は二振りの背中を見つめながら、足が浮いたように不安定な気持ちを持て余す。
自分は、誰かに守られてばかりだ。力を持たず、能力も高いといえない状態で、何か出来るとは思っていない。だが、進路を問われた時のような焦燥感によって、心身共に苛まれている。何もしないで守られている立場に甘んじている現状が心苦しい。
思考を深めた結果兄から自立しようと決意した夕立は、兄の手伝いをする事が増えた。そうする事で、力をつけていられていると思っていた。
けれど——自分は、あまりに物を知らない。兄が隠れて何をしているのか、政府に反旗を翻した刀達の背景だとか、そういった世界に触れる度に、ぬくぬくとした温室で柔らかな物にくるまれていた自分を思い知る。
物知らずの子供である自分が、心底情けなく感じる。視線を下にやると、ローファーに包まれた柔く頼りない足がそこにあった。
「……夕立、夕立はいるか!?」
張り詰めた兄の声がこちらへと近づいてくる。ぱっと振り返ると、顔を強張らせ荒い足音を立てている兄が速足で歩いてきていた。
「お兄様、どうなさいました?」
「夕立、今すぐ部屋に戻れ。これ以上の指揮はお前に任せられない」
断じて命ずる兄に、夕立はどうしてか得も言われぬ不快感を催した。いつもと同じような口調なのに、と頭の片隅で不審に思いながら、硬い口調で夕立は尋ねる。
「何故です? 私が未熟なのは承知していますが、今は猫の手も借りたい状況のはず。そんな事を言っている余裕は——」
「ここは戦地の真っ只中だ。そんな中で未熟な者を前線に出せば足手まといになる。それに、これ以上お前にあんな怪物共と相対させるつもりはない」
「……は?」
兄は今、何と言ったか。未熟者なのは分かっているからまだいい。けれど、自分があのヒトガタに苦しめられるような、柔な性質だと見られている発言ははっきりと夕立の癪に障った。
「ちょっと主さん、それは流石にないよ!」
「妹さんは充分頑張ってるんだ、しっかりと足つけて! 主さん、心配なのは分かるけど国行以上の過保護は頂けないぜ!」
「お前達は黙っていろ!」
夕立の心境を察している二振りが審神者である兄に言い募るが、兄は怒鳴りつけてそれを一蹴した。その光景を見ながら、ふつふつと夕立の中で何かが煮え滾る。
手伝いを通して、少しでも自分の成長を示せればと思っていた。まだまだ未熟でも、力をつけているのだと認めて欲しくて、夕立は今まで様々な事に励んでいたのだ。
しかし、結果は先程の兄の発言だ。兄は夕立の事を、幼い無力な存在だという固定概念を覆していない。そうであるべきだ、という考えを隠そうともしていない。
仕事を手伝わせたのも、ただのお嬢様の手習い程度の認識だったのだろうか。
——ふざけるな、と罵りたかった。その心のままに兄を呼べば、常にない程圧のかかった声が出た。
「お兄様」
「まだいたのか! 指揮は俺が引き継ぐ、お前は早く部屋に戻れ!」
「んな言い方——いっ!?」
「いくら何でも——ひっ!」
兄に食い下がろうとした愛染と蛍丸はちらりと夕立へ視線をやって、体を硬直させる。愛染はたらりと冷や汗を一つ流し、蛍丸は目と口をわななかせている。尋常ならざる二振りの様子に、兄が視線の先である夕立の顔へと向く。
そして——目を据わらせ、眉根を寄せるその表情に、ようやく彼女の感情を感じ取った。
「……な、何だ夕立、何か文句が」
「お兄様、そこに正座して下さい。愛染様と蛍丸様は周囲の警戒を」
「つ、ツユリ、何かおかし——」
「お兄様は今すぐ正座ッ!!」
ガン、と勢いよくぶつけるような尖った大声で、夕立は兄に命じた。愛染と蛍丸は慌てて夕立の周りで刀を構え、兄はふらふらとよろめくように地面に正座した。腰に両手を当て、足を少し開き、兄を冷たい目で見下ろしながら夕立は声を発した。
「いいですか、お兄様。確かに私は未熟で、まだまだ世間を知りません。大切にして頂いた自覚もありますし、大きな悪意にぶつかった経験も幸いにしてありません」
「分かっているなら、早く部屋に——」
「話は最後まで聞きなさい」
尚も戦場から遠ざけようとする兄に一喝し、口を閉ざさせる。肩を跳ねさせる兄を見た愛染と蛍丸は、怒りが頂点に達した夕立の威力を思い知った。
「ですが刀剣男士の皆様の力添えもあり、少しずつ力をつけていると自負しています。そうして力をつけたいのは、少しでも早く一人前になりたいから——そして、お兄様の力になりたいからなのです。それを無視される憤りが分かりますか? 封じ込められて無知な子供のままでいさせられる無力感が分かりますか、お兄様? 分かりますよね、散々お父様にしごかれながらもなかなか認められなかったのですから。……それが私に適用されないと、どうして思ったのですか? 私はいつまでも子供でいる訳ではないのですよ」
滔々と語る夕立に、兄は口を挟めない。夕立の言葉に押し潰されるように項垂れ、むぐぐと唸り声を上げている。
大きく息を吐き、夕立は更に説教を続ける。
「大切にされている事が嬉しくないとは言いません。ですが、もう少しだけ私を年相応に扱って欲しいというだけの話です。私のような年頃の子は、お兄様が思う程幼くないし、無力でもないのですよ。何なら、お兄様の昔のエピソードを語って差し上げても——」
「わ、悪かった、すまなかった! 昔の話は頼むから勘弁してくれ!」
顔を青ざめさせ頭を上げる兄を見て、夕立の口はようやく止まる。愛染と蛍丸がひそひそと話す内容は聞こえなかったが、兄が二振りを睨み付けていたので何となく内容は察する事が出来る。
黙って兄を見下ろし続けていると、彼は肩を落として目を伏せた。
「……そうだな、俺だって無力な自分を嘆いた事もあったのに、それをすっかり忘れていた。お前の年頃には、反骨精神を剝き出しにしていたはずだったのにな。これが年を食うという事か……」
「年寄りぶるには早いと思うぜ、主さん」
「そうそう。人生まだまだ長いんだから」
刀を振るう二振りが、そう言って口角を持ち上げる。兄は短く笑い声を上げ夕立に力強い眼光を向けた。
「なら、どんどん仕事をして貰おう。もちろん、お前の出来る範囲でだ。愛染、蛍丸、お前達から見て夕立の指揮能力はどうだ?」
「年相応だけど可能性の塊、かな?」
「将来有望って感じだな!」
「なら、引き続きここの指揮は夕立に任せる。自分で言った事なのだから、怖くても投げ出すんじゃないぞ」
「望む所です」
愛染と蛍丸の援護によって、兄は夕立の対応を少し厳しくした。
それでも構わない——責任は、一人前になるにつれ大きくなる物なのだから。少し大人として扱って欲しいと願った事を、覆したりはしない。夕立は拳を握り、少し勝気に目を細めた。
「じゃあ俺はそろそろ持ち場に戻るね。国行、引きずり出さなきゃなあ……」
「明石はまたサボりか、全く。蒼穹の痴れ者でもあるまいし、こんな時に手を抜く事もないだろうに」
「え、蒼穹の審神者さんサボってんの?」
愛染が目を丸くすると、兄は嘲るように顔を歪めた。
「余程現実を受け止め切れないのか、混乱しているメッセージが残っていてな。二言三言返信してやったら、面白い反応が返ってきた。あれは傑作——」
「……お兄様、こんな時に蒼穹様と喧嘩なんて、ずいぶん余裕がある事ですね」
夕立の気配が炎を纏う。そうして放たれた一言によって己の失言を悟り再び顔面蒼白になる兄であったが、もう遅い。
振り返った夕立は、笑っていながらも目が表情と合っていなかった。
「その件に関しては、後で、ゆっくりと、お話致しましょう。……逃げないで下さいね?」
「あー、主さんヘマしたね」
「自業自得だけどなー」
苦く笑う二振りは、微笑みながら怒れる少女を止めようともしない。味方のいない兄は再び、がっくりと項垂れるのだった。