ざっ、と裏門から対策局内部に入ったその刀は、鷹揚な様子で歩き出す。その姿を見たヒトガタの多くは恐れをなして動きを止め、無謀にも戦いを挑んだ少数は呆気なく一太刀で消滅させられる。
「ふむ、随分と荒れてしまっているようだな」
穏やかな口調で言う刀——雲霄の三日月は、目に冷たい光を宿し足を進めた。
三日月に出動要請が出たのは三十分程前の事だ。城下町に下りている部隊はヒトガタ退治に難航し、対策局に駐在している刀剣男士は襲撃者に翻弄されてしまっているそうだ。対策局の刀達が手を焼くという事実は、襲撃者が相当な手練である事を示していた。ついには上層部の人間までもが襲われ、対策局は雲霄の三日月の出動要請を出したのだ。
三日月が対刀剣男士特化の「最終兵器」と呼ばれるのには理由がある。本能的に畏怖させる強さもそうだが、彼の体内に特殊な機械が埋め込まれているのも理由だ。
埋め込まれているのは、刀剣男士の活動を強制的に停止させる遠隔機械。コストもかかり普通の刀剣男士なら発狂してしまうそれに耐え得るのは、雲霄隊の中でもこの三日月だけだったのだ。
強い上に、己の行動を停止させられかねないという危機感によって、本能的に規格内の刀剣男士は雲霄の三日月を恐れる。三日月自身、他の刀剣男士と距離が生まれてしまう事に思う事がない訳ではない。しかし理解してくれる刀も少数だが存在しているので、今の境遇に不満はない。
それにこうして動ける事件で、刃で語らえる刀と出会えるのも楽しみなのだ。どうも規格内の刀はこちらに怯えてしまっていけない。当然仕事なので、最終的には相手を黙らせる事になるのだが。
さあ、今日出会う刀はどんな性質をしているのだろうか。浮き立ちながらロビーを進む三日月はしかし、少し予想と外れた出会いをする事となる。
「さて、これ以上人々に影響を出す訳にはいかない。手早く事態を収めようか」
「——させると思って?」
独り言に反応したのは、鈴の鳴るような高い声。男士にはまずあり得ない性質のそれに、思わず身を引いた。直後、足元に弾丸が降ってくる。引き続き頭上に降り注ぐ弾丸を盾兵に受け止めさせ、銃口を探す。
カウンターの上に、顔を狐面で覆った女が立っていた。髪を下方で結った、面以外何の変哲もない女だ。
そのはずなのに、何故か女からは自分と同じ匂いを感じる。余りにも強い違和感を探る前に、女は口を開く。
「やはり来たわね、傲慢な神。これから楽しい事になるというのに、この私が止めさせる訳ないでしょう。貴方はここで足止めさせて貰うわ」
「……ふむ、畏怖を与えられないのは予測済みか。だが人間が、俺に敵うと思うか?」
三日月は余裕を崩さない。たかが人間という意識があった為だ。狐面の女はそれを察して微かに笑い声を漏らし、手を翳す。
それから現れた物に、三日月は目を瞠る事となった。
「借り物の力で偉そうね——傲慢な神風情が!」
——手から現れたのは、一振りの刀。打刀と思われるその刀を現出させ、手に握る。それは、刀剣男士のやり方と同じだった。
三日月は刀を構え、狐面の女に厳しい口調で問う。
「女。そなた、その刀をどこで手に入れた? いや、そもそも人間が刀をそんな風に現出させられる訳がない。——そなた、刀剣男士から力を奪ったな?」
嘲笑するのを隠さず、狐面の女は刀を振りカウンターを蹴った。
「神に答える義理はないわ。精々頭を悩ませながら消えなさい!」
頭上から振りかぶられ、三日月は刀身を上に向ける。鋼がぶつかり合い、噛み合って軋む。横に受け流し、狐面の女の腕を狙い刃を滑らせた。その攻撃は防がれ、女はすぐさま攻撃に転じた。
防ぎ、攻め立て、また防ぎ、また攻撃をし。三日月と女の攻防は、側から見れば何をしているのか全く分からない。それ程に目まぐるしく、戦いは加熱していく。
こうして自分と渡り合える人間がいる事自体が異常だ。その腕力は男の物と遜色なく、技巧もなかなかに侮れない。
考えずに対応すれば、こちらが痛い目を見る。久々にそう思った相手が人間だというのが驚愕に値する。三日月は刀を振りながら、女に警告する。
「そこを退け、女。俺はこれ以上、被害を出す訳にはいかんのだ」
「嫌だと言っているでしょう。神々が醜い感情を晒し、神に挑む人間が新たに現れようとしているというのに!」
「それの何が楽しい? 惨劇に塗れた戦いなど、避けたいのが人間だろう」
「あら、私は寧ろそれを探しているわよ?」
どうしてだろう。面を被って顔は見えないはずなのに——三日月は面の下の、女の性悪に歪んだ笑顔を幻視した。
「人間は神に挑んでこそ尊厳を保てる。その輝きを、私は見ていたいのよ。それを邪魔するなんて、無粋以外の何物でもないの! 今だって若き魂が、神に挑んで輝いている——これを止める理由などないわ!」
***
はあ、はあ、と息を切らして、江雪は悦に浸る刀を睨む。
相変わらず小狐丸は自身の空想に耽っており、こちらを気にかける様子もない。攻撃を当てようとしては最初の場所に飛ばされるのだ、和睦の刀が苛立つのも当然である。
「ふふふ、母様……アサギは邪魔者を排除して貴女の元へ参りますよ……」
「……こんな事を言いたくないですが、本当に狂っていますね」
腹立ち紛れにそう吐き捨てる。この小狐丸は、余りにもイカれているのだ。
殺す事が母の為になると信じて疑っていない。今は戦国の世ではないのだ、そんな事を普通の母親は望まないだろう。
殺して積んだ屍の数だけ、母の愛が増すと信じている。余りにも普通ではない。余りにも——狂気に満ちている。
「狂っている? 何を言う、この世界こそが狂っているであろう。母様と私が共にいられない、こんな世界の方が」
僅かに意識をこちらに向けた小狐丸は、眉根を寄せて目を鋭くさせて空を睨む。その顔には、強い憎悪が乗せられていた。
「母様が私と離されてしまったのは、あの邪魔者達のせいだ。邪魔者達さえいなければ——殺して、消して、排除して、嬲って、吊るして、埋めてしまわなければ。邪魔だ、邪魔だ、何もかもが邪魔だ。ああ——ならば、何もかも消してしまおう」
そして強い殺意が、こちらへ向く。反射的に身構えた江雪まで一足飛びで、小狐丸は目を剥き刀を振るった。
振り下ろされる刀を横に飛んでかわし、江雪は頭に向かって刃を向ける。刃は鞘で防がれ、小狐丸は低くなった体勢のまま江雪の脛を狙って刀を滑らせる。戦装束を斬り裂かれ、裾が下に落ちる。江雪は一歩引いて、体勢を整える為に構え直そうとした。
その時。
「……っ!?」
油断したつもりはなかった。けれどやはり、それは言い訳に過ぎないのかもしれない。
足を引いた先に、裂け目があった。足は裂け目に飲み込まれて、その上固定されている。抜こうと足を引っ張り上げるが、抜けるには時間がかかりそうだ。
動揺したその一瞬を、見逃されるはずがなかった。
咄嗟に出した刀は空振り、腕に傷を負ってしまう。途端、腕から鈍い痛みが走り出す。それは次第に広がり始め、気付けば利き腕側は強く痺れて動かし辛くなってしまった。
二撃目が襲い来る。腕を懸命に動かして、せめて傷を少なくしようと鞘を前に出そうとして——
「——陣形、どうする?」
「決まってる、一番早く動ける奴だ」
「よし、じゃあ逆行陣で行こう。遠戦用意!」
聞き覚えのある声が聞こえた気がして振り返る。直後、頭上から石が降り注いだ。小狐丸は投石を察知して距離を置いている。その隙に、江雪は裂け目から足を抜いた。
投石は小狐丸にだけ向けられた。ならば、援軍か。一体どこの?
近くの木から、何者かが地面に降り立った。その赤い髪の毛をした小さな刀に、江雪は心当たりがあった。
「……愛染? 貴方は、一体……」
「——江雪! 無事だったんだな!」
ヒュ、と息が漏れる。聞き覚えのある調子に、どうしてと唇が震えた。
この声の調子は、あのやんちゃで、親友想いで、寂しがり屋の彼の物だ。けれどその髪の色は茶色で、決して赤毛ではなかったはず。
愕然とする江雪の元に、続けて二つの影が降り立った。
「江雪、腕をやられたのか! ごめん、遅くなって……!」
「大丈夫、江雪さん!? ちょっと待ってね、簡単だけど処置するから!」
何故、どうして。絶望混じりの疑問は絶えない。
どうして、あの幼馴染を慕う元気な少年の口調で、伊達家所縁の青髪の短刀が話しかけてくるのだろう。どうして、あの強くある為に笑っていた少女が、巫女装束風の衣装を纏っているのだろう。
どうして。
何故、貴方達が、こんな地獄のような場所に——
「……どうして、
——行方不明になっていた滑莧園の三人は、江雪の前に悪夢のような変化をもって現れた。
今回はここまでです。