軽く舗装されたぬかるむ道を、黒いヒトガタを斬りながら駆け抜ける。わらわらと湧いてくるヒトガタの合間を縫って進めば、蒼穹の審神者はまた山姥切に指示を出す。
「まんば、右側五メートル先にバケモン二体だ!」
「ああくそ、本当に無限に湧いて出るな!」
既に何体も斬っているのだ、コツは掴み始めている。それでも倒すのに手間がかかるヒトガタは、山姥切達の進みを遅くさせていた。
一閃して二体のヒトガタを屠り、また走り出す。ふたりの向かう先は、政府中枢だ。
「ったく、先は長いなあ!」
「本当に手が足りないな、猫の手も借りたいというのはこの事か……!」
じれったさに足が急き立てられるのは、ふたり共同じだ。鶴丸の裏切りを、一期と秋田の安否を確かめたい、足を動かしているのはそんな理由だ。
しかしそんな願いを、この悪意に満ちたヒトガタが聞き入れてくれるとは到底思えない。それを示すように、審神者の背後にヒトガタが立っていた。
「主!」
それに一足早く気付いた山姥切が叫ぶ。ばっと振り返った審神者に振り下ろされた刃は、呆気なく彼を引き裂くと思われた。
「——そこっ!」
だがしかし、その声と共にヒトガタの動きが止まり、さらさらと体を崩れさせていく。消えた黒い影の向こうに現れた人影達に山姥切は驚き、蒼穹の審神者はうげっと嫌そうな声を漏らした。
「ふん、流石は不逞の輩だな。こんな攻撃一つ避けられないとは」
「主、こんな時に喧嘩を売らないでくれ! 蒼穹殿、山姥切、大丈夫かい?」
嫌味を飛ばす氷雨の審神者を蜂須賀が宥める。苛立ちのままに開かれようとする蒼穹の審神者の口を塞ぎ、山姥切は端的に礼を述べる。
「助かった」
「どうって事はないさ。君達も中枢に向かう所かい?」
「そうだ。本丸の奴等が巻き込まれた可能性があってな……安否を確かめに行く所だった」
「むが、むごごーっ!」
「話が進まないから口はまだ塞がせてもらうぞ」
「ふん、無様だな。先程もみっともなく突っ立っているだけだったし、本当に貴様は無力——」
「喧嘩を売りに来た訳じゃないだろう、主! ……すまない、君達に会ったら提案したい事があったんだけど」
蜂須賀も氷雨の審神者の口を塞ぎ、無礼を詫びながら切り出した。それに首を傾げ、山姥切は問い返す。
「何をだ? あんたの主が俺達に何かを頼るとは思えないんだが。まさか協力してここを進もうとでも——」
「そのまさかだよ、山姥切」
はっきりと告げられた言葉に一拍おいてから、山姥切は大きく目を瞠った。本当に天変地異が起こるのでは、という現在への恐怖に唇を震わせながらも詳細を尋ねる。
「……どういう事だ。言っておくが主には特別な力などないぞ」
「いや、うちを上回る戦果を出した事もあるくらいだ、卑下はしなくていい。……それは置いておいて、君達に頼みたいのは着いた後の交渉だ」
「交渉?」
ああ、と襲い来るヒトガタを斬りながら蜂須賀は頷く。
「うちの本丸から、中枢を襲撃している裏切り者が出た。君達の本丸からも、裏切り者が出たと聞いているよ。彼等は政府から異動してきたんだろう? ……流石の主も、腹に据えかねているんだ。政府に仇をなす可能性のあった刀を、何も言わずにこちらへと渡した、とね」
「……」
「恐らく裏切り者達は、政府の手落ちによってそうするに至った。自分の役目はあくまで政府の役に立つ事であって、裏切り者を同胞とする事ではないと、主は言った。政府の手落ちを庇い立てすると思われていたのも不本意だ、ともね」
なるほど、と腑に落ちた。蜂須賀の言っている内容が事実なら、流石に政府は仕事を押しつけ過ぎだし、こちらを軽んじ過ぎだ。
政府の手落ちで傷付いた刀のケアをしてやる義理はないし、そんな危険な存在を本丸に置いて何か起こっても構わないとされているような物だ。
政府から仕事を任されているとはいえ、自分達の敬愛する主は審神者だ。政府の言いなりになる必要性もつもりも、どこにもない。
「君達も被害者だ。だからこそ協力して、政府の手落ちを認めさせられないか、と思っているんだ。……主が一方的に責められるのは、俺も耐え難い。けれどうちだけでは握り潰されそうな予感しかしなくてね。蒼穹の審神者殿は、その、とても苛烈だろう? だから一緒に、自分達の非を軽く出来ないか、と思うんだけど」
口を解放された氷雨の審神者は、何も語らず黙っている。流石に交渉するのに余計な口出しをしない方がいいと思っているのだろう。
山姥切は考える。下手したら、蒼穹隊が潰されかねない事態なのは分かった。今口を塞がれつつ暴れている蒼穹の審神者も、氷雨の審神者相手だけではない怒りを抱いているはずだ。だが、特に何の後ろ盾もない我が隊が訴え出た所で、相手にされずに終わるだろう。
ならば、取れる選択は一つだった。
「分かった。その提案、受け入れよう」
「もご、むがが!」
「主、文句が言いたいのは分かるが、事態はきっと想定以上に悪いぞ! 例え気に食わなくても、氷雨隊と協力しなければ本丸が潰されかねん!」
「むごっ……」
山姥切の懸念に蒼穹の審神者が喚くのを止める。嫌な気持ちはあるが、受け入れなければ危険だと理解したのだろう。
はあ、と息を吐くと、蜂須賀も困ったように微笑んだ。
「今結論を急がなくてもいい。突飛な提案をしたこちらに非があるんだからね。取り敢えずは中枢に急ごう。いいかい?」
「ああ。主、歩けるな?」
「……げっほげっほ、くっそまんばお前、長時間口塞ぎやがって……」
「話が中断しそうだったからな。あんたすぐさま氷雨の審神者に喧嘩を売るだろう」
「はっ、貴様の汚い声を聞かんで済んだ事を山姥切に感謝せねばなるまいな」
「主、また口を塞がれたいのか!」
蜂須賀が氷雨の審神者に一喝する。ふん、と鼻を鳴らし、氷雨の審神者は口を閉ざした。頭が痛そうに額を押える蜂須賀に、心の底から山姥切は同情する。
ふと、空気が大きく揺らぐのを感じた。周囲を見ると、周囲にいたヒトガタの動きが止まっている。
「……何があった?」
「何かが起こったみたいだね、中枢に急ごう」
頷き、山姥切は審神者達に行くぞ、と告げて地を蹴る。
ヒトガタは先程よりもあっさりと、山姥切達の刃を受け入れていた。
***
「っ、がぁ……っ!」
蛍丸が頭を抱えて悶えている。遠くを見ると、堀川も頭を押さえてふらついていた。鶴丸は朦朧とする意識を何とか保ちつつ、柄を握る手を強める。
——脳内ジャック。鶴丸が行使出来る超常現象だ。記憶を呼び起こすよう働きかけた鶴丸は、強い反動に苦しみながらも彼等に力が届いた事に安堵した。
「やだ、嫌だ、スズ……っ!」
「兼さん、ごめん、また僕は……!」
記憶に苦しむ様は見ていてこちらまで苦しくなる。周囲のヒトガタも動きを止めている。
ぎり、と歯を食い縛って鶴丸は叫んだ。
「今だ、押し返せ!!」
キン、と複数の澄んだ音が鳴る。足に力を入れて立ち上がった鶴丸も、蛍丸に攻勢を仕掛ける。噛み合った刃は、もう拮抗してはいなかった。
「くそ、頭が痛い……!」
「ぐっ、うう……っ!」
だが、それでも鶴丸が弱っているのに変わりはない。少しでも気を抜けば、形勢は逆転するだろう。
鶴丸は眩む視界を瞬かせてまた力を込める。あと一押し、そうすれば相手に刃が届くのに。もどかしく思っていると、向こう側からも堀川が声を張り上げるのが聞こえた。
「……僕は、ここで倒れる訳にはいかない! 真実を知らしめるまで、膝をつくなんて許されないんだ!」
「真実を知らしめるのに、こんなに被害を出すのがお前のやり方か。……やっぱり、ぶん殴ってやらなきゃ気が済まないな」
「鯰尾、大丈夫。もうすぐ殴れるよ」
耳に手を当てていた青江が、同じく耳を押さえていた鯰尾にそう言った。そして懐に手を入れると、静かに語り出す。
「堀川。君達は、僕達を後れを取っている物だと思って侮っているみたいだけど。それでもね、僕達だって敵と戦う為に日々力をつけているんだ」
懐から手を出して口元に運び、一息に続ける。
「僕がただ情報を掴んだだけだと思う? それだけで、何も対策せずにここに立っているとでも? そんな訳ないんだ。君の敗因はただ一つ——僕達を見くびり過ぎた事だ」
青江が手の中の物を口に入れる。直後、体の小さな傷が塞がり、頭痛が少し遠のいていくのが分かった。え、と思わず声が漏れ——そして、手に伝わる強い手応え。
「い……っ!」
蛍丸がバランスを崩してよろめく。それを見て、体が無意識に動いていた。
「——これで負けたんじゃ、驚きも何もないよなあ!」
左下から右肩に大きく切り上げれば、戦装束が赤く染まる。顔にもかかった血は、蛍丸に致命傷を与えられたと判断するに充分だった。
「——これで、最後だっ!!」
「——俺の刃は防げない!!」
あちらでも、堀川に攻撃が届いたようだ。二つの声が、肉を断つ音と共に場に反響する。
目の前の蛍丸が崩れ落ち、もう僅かな力も残っていないと判断すると、鶴丸は刀の血を払って納刀する。立っている他の刀も、静かに鞘へと刀を収めた。
***
『……一期一振。一つ賭けをしたい』
決意を固めた長谷部の声が、強く耳に残っている。
『大包平が、実行許可を出した物がある。まだテスト段階のプログラムで、どのような影響があるかは未知数だ。そしてこれを実行すれば——戦闘終了まで、通信は出来なくなる』
涙に少し濡れた声はしかし、他の長谷部に負けず劣らず意志を持っていた。何があったのか、今はまだ聞けない。
『だが、氷雨の青江が持っている
即座に頷き承諾を返す。ふう、と息を吐くのが聞こえた。
『分かった、では一分後を目安にプログラムを実行する。……これが恐らく最後のチャンスだ、絶対にしくじるなよ』
そう、これが最後。
——長谷部が作ってくれた好機を、無駄にはしない。
「っ、こ、のっ!」
攻撃し返され、咄嗟に体を庇った腕から血が噴き出す。痛みなんて気にも留めずに、一期は刀を振るう。
長谷部が行ったのは、システム『刀剣乱舞』に実装予定の、刀装を一度に全解除出来るプログラムだ。敵方にもハッキングを行い、その場で戦っている全員をプログラムの範疇に入れ、刀装を剥がしたのだ。
加えて青江が特別に持っていた体力を全回復出来る「勝栗」をハッキング前に使用する事で、こちらの体力を万全にした状態で相手へ攻撃を通せる。使わない手はなかった。
デメリットは、まだテスト段階なので刀装解除する相手を敵のみ選べない事、この後の影響が未知数だという事だ。
それでもこの戦いに勝利する為なら、手段を選ぶ余裕はない。
「はぁ……っ!」
また斬撃を行えば、鶴丸の胴に届いた。血飛沫が辺りに散って、己の戦装束にも生温い感覚がする。
二振りの体は最早、血に濡れていない箇所が探さなければ見つからないくらいになっていた。
それでも、まだ最後の決め手には至っていない。まだ勝利を確信するには足りなかった。
「はっ、ははっ。ここまで追いつめられるとは。やはり戦いとは先が分からない程面白い!」
鶴丸の目はギラギラと光を放っている。刀装を剥がしても、油断をしてはこっちがあっという間にやられるだろう。
一瞬気を逸らしてしまったのがいけなかったのかもしれない。——一期の腹に横一閃を入れられた。
「ぐっ、うあ……っ!」
「はは、あははは! 楽しいなあ、楽しいなあ一期!」
満身創痍だ、互いに。立ってはいるが、少しでもつつけば二振り共倒れてしまいそうだ。
はあ、はあ、と荒い息がその場に満ちる。先に動いたのは、鶴丸だった。
踏み込んで斬撃を与えれば、一期はその場に崩れ落ちた。
「……これで終わりだ、一期。残念だなあ。君は骨があると思っていたんだが。でも、これもまた戦だ」
最早、一期は動けない。それに残念そうに首を振りつつ、鶴丸は刃を振り上げる。
ぽつりと、小さな声がする。鶴丸は思わず耳を澄ませた。
最期の言葉くらい、聞いてやろうと思ったから。
「……自分、が」
「ん? 何だい?」
近付いてそう聞き返す。そしてその時、鶴丸は耳にした。
小さな小さな、笑い声を。
「——自分ではよくわからんのです。今自分が、どんな顔をしているのか……」
「——っ! しま……っ!」
咄嗟に飛び退こうとしたが、もう遅い。
足元に現れた小さな塊を蹴り、一期は鶴丸の体を切り裂く。また大量の血が溢れ出し、鶴丸は体を立たせていられなくなり、後ろ向きに倒れ込む。
ふらりと立ち上がった一期は、刀の血を落ちたマントで拭い、息を吐いて納刀する。
窓の外、空を覆う数多の雲の隙間から、陽射しが少しだけ差し込んで来ていた。