空隙の町の物語   作:越季

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20-2「どうして、と/もういい、と」

 はあ、はあ、と息が切れる。砂埃のせいで呼吸が苦しくなっているのだろうか。それでも一期は止まらなかった。

 端末を見ると、目的地までは然程遠くない所まで来ていた。体が重いが、あと少しだというのに足を止める選択肢は選べない。

 足が縺れて、走った勢いのままに転倒する。瓦礫が脚を掠めて傷が出来る。常なら気にしない痛みが、どうしてかとても気になった。

 立ち上がれない。脚に力が入らない。痛い、痛くて仕方ない。

 目の前に、小さな箱が落ちている。

 

 ——俺は、君みたいな善性の塊のような奴に、蹂躙されたかったんだ。

 

 それは、宿敵の言葉だ。痛くて痛くて仕方なくなる、余りにも悲しい願いだった。報われなかったものが最後に一期に縋った、この世界の理不尽が形を取ったような哀願だった。

 どうして、どうして幸せになろうとしなかった。不幸に身をやつしたあの姿が、目に焼き付いて離れない。どうにか出来なかったのか、ぐるぐると頭を巡る。

 

 ——もう裏切られるのは嫌なんです、中途半端な意思なら近付かないで下さい! ……もう、もう、辛い思いは嫌だ……っ!!

 

 大切な弟の、悲痛な叫びが脳内でこだまする。見限られる寸前だった所を食い止めてくれたのは、間違いなく森の奥の部隊だ。

 孤独だった彼を自力で見つけられなかった。それは間違いなく一期の避けられない落ち度である。

 それでも、それでも最後は手を取れた。まだ許されてはいないだろう、だがそれも歩み寄りには違いなかった。もう二度と、手放したくはない温もりを、思い返す。

 

 ——おう、任せておけ。友達の格上げ祝いだ、とっておきの驚きを用意しようじゃないか。

 ——楽しいですよ。貴方は他の一期一振よりも賑やかですから。

 ——これは独り言だが、友達に協力してもらった礼もしたいしな。

 

 刀剣男士になれて特に良かったと思った事は、彼等と出会えた事だろう。弟達と出会えた事と比べられるはずもないが、それでも一期の中で喜びの度合いは上から数えた方が早い。

 主従のない対等な、気の置けない、背筋を伸ばすような気を緩めさせるような関係は、一期に幸福をもたらしてくれた。なかなか集まれない情勢が、恨めしくなるくらいに。

 数多の関係性の中で、一期の心は色鮮やかになっていく。悲しみも怒りも、幸福も喜びも、一期の胸で鮮烈に輝いていた。

 だから——

 

 ——傷付きたくなければ、滑莧園には近寄るな。

 

 彼の忠告はつまり、自分が傷ついた経験を一期にさせたくなかった、それだけの話だ。忠告を軽視して突き進んだ結果、一期も大きな衝撃を受けた。だけど、そこから導ける事もある。

 彼は優しい、余りにも。一期が嫌いなら、忠告をしなくてもよかったはずなのだ。傷つく所を見て、それ見たことかという態度でいてもよかったはずなのだ。

 それでも。傷ついている姿を見たくなかったから、言わずにはいられなかった。

 誇大妄想かもしれない。思い上がりも甚だしいと言われるかもしれない。だが一期は、彼の行動の理由をそう受け取った。

 行動の理由を見誤る程、一期の目は濁っていない。だからこそ、彼の繊細な優しさを確信していた。

 確かに、それは小さな光だろう。強風が吹けば掻き消えるくらいの、仄かな火だ。しかし、その少し先を照らす光の価値を、彼の家族はよく知っている。そして、一期もその価値を実感しつつあった。

 こんな所で、消し飛ばす訳にはいかない。彼にはこの先も、穏やかな光の中で過ごしているべきなのだ。懸命な祈りを届かせる為に、諦めてはいけない。

 

「……っ、ぐ……っ!」

 

 痛む脚を無理矢理駆動させて、箱を掴み体を起こす。立つのも少し骨がいるが、もう構っていられない。

 歩く度に悲鳴を上げる脚を酷使して、先に進む。息切れも激しいが、そんなのは未来の自分が苦しめばいい。

 アイコンは、あと少しだというように明滅が激しくなっている。足をそちらに向けると、響いてきたのは——

 

「……おい、誰か、誰かいないのか!?」

「お願い、誰か助けて! ——このままじゃ、長谷部さんが死んじゃうよぉ……っ!!」

 

 体から血の気が引いていく。走って向かった部屋から、泣く寸前の声が聞こえてきた。

 見つけたのはいい、問題はドアの前にある大量の瓦礫だった。——それは、天井まで積み上がっていたのだ。

 

「愛染殿、ツクシちゃん!」

「一期さん! こっちからドアが開けられないの! 外がどうなってるかわかる!? ……長谷部さん、しっかりして!」

「……瓦礫が、扉の上にまで積み上がっている。これは、開けるのに骨が折れそうだね」

「そんな……今すぐ治さないと、本当に長谷部が死んじまうぞ!!」

 

 愕然と言う愛染と、悲鳴に近い声で長谷部に呼び掛けているツクシ。ふたりの様子に、一期の声は震えてしまった。

 

「……愛染殿、ツクシちゃん。長谷部殿の容態は」

 

 瓦礫の山からは、三人の様子は窺い知れない。それでも嫌な予感しかしない現状に、少し煤けた両手を見る。

 

「……お腹から、血が沢山出てるの。手もどんどん冷たくなってて……一期さん、どうしよう、長谷部さんが死んじゃうよ……!」

 

 その悲鳴に、一期に取れる選択は一つだった。

 瓦礫の山に登り、その一つを掴んで、遠くに放り投げる。一つだけ減った瓦礫の山に、一期は腹を括った。

 

「ツクシちゃん、愛染殿、しばらく扉から離れていてくれ」

「え……何、するんだ?」

「瓦礫の山を壊す」

 

 ガシャン、と砕ける音がする。ガン、ガン、ガシャンと手で瓦礫を掴んでは投げている音は繰り返し、けれど山は崩れない。

 手を瓦礫の中に入れ、一気に内側から崩そうとする。とがっている堅い物が、手袋を突き破って傷を作る。顔をしかめるが、止まっている余裕はない。

 一期は瓦礫をどけ始める。——小さいが明確な希望を、繋ぐ為に。

 

***

 

「長谷部さん、長谷部さん、起きてよぉ……!」

 

 顔をくしゃくしゃにして、近くに山積みにされていた布をツクシは必死に長谷部の腹部に押し当てる。布はすぐに赤く染まり、彼女は嗚咽を漏らしながら布を交換する。ドアの側にいる愛染は、必死に開く気配のないドアに体当たりをしていた。

 

「駄目だ、全然開かない!」

「うっ、うええ、どうしよう、どうしたら長谷部さんは助かるの……!」

 

 ツクシの泣き声に呼応するように、長谷部が薄く目を開く。呼吸がか細い。はっとしてツクシは長谷部の手を強く握った。

 

「長谷部さん、私が分かる? お願い、気をしっかり持って! 絶対に助けが来るはずだから、だから……!」

 

 意識を保とうとする言葉には、痛哭が滲んでいた。必死に握られた手は震えているし、目から落ちる水滴は止まる事を知らない。

 そんな中で、長谷部の心は凪いでいた。

 

 ——俺はもう、充分に生きた。

 

 親友を殺し、恩人を置いていき、妹を救えなかった。罪深い事を、自分は沢山してきたと思う。

 刀達には、本当に大切にしてもらった。褒められたり、叱られたり、一緒に泣いたりした日々は、得難い物だ。こんな自分にはあまりにも過ぎた宝物だ。

 

「くそ、一期早くしてくれよ!」

「やだ、やだよ、長谷部さん……!」

 

 だからこそ、長谷部はここで己の旅路を終えてもいいと思えたのだ。

 幸せは、長くは続かない。それは短くも濃密な生の中で実感している。だけど、そんな中で優しく温かく慈しんでもらった。悩める誰かの助けになる行動をとれて、少しだけ自分が嫌いじゃなくなった。

 もう、それで充分じゃないか。長谷部の一生は、綺麗に見えるように充分に整えられた。それでもう幸せだ、そう思える。

 だから、決して泣く必要はないのだ。決められていた時よりは少し遅かったけれど、定められた通りに地獄に落ちる、それだけの事なのだから。

 

『ふざ、けるな、まだ理解してなかったのか! お前が何の罪を犯したって!? それは全て俺に非がある事じゃないか! 充分に生きた? 冗談も大概にしろ! お前にはこの先、長過ぎる人生が待っているんだからな!!』

 

 脳裏でそう叫ぶ声がする。表情は分からなかったけれど、眉間に皺を寄せているのだろうな、と想像している自分に苦笑した。

 今わの際にこうして悲しんでくれるひとがいるのだ、罪深い旅路の果てとしては上等過ぎるくらいだ。

 だから、もういいのだ。だってこんなに血が出て、意識も朦朧としていて、痛みすらも薄れかけている。

 助からない。自分でも分かっていた。だから覚悟を決めるくらい、しても構わないだろう。

 

「やだ、やだやだやだぁ……っ!」

「くそ、開け、開けよ!!」

 

 ふたりが、必死に自分を生かそうとしている。微かな力を振り絞って、未来へ繋げようとしている。

 大丈夫だ。凪いだ心で思う。だってふたりを守れた。人としても刀としても中途半端だった自分が、大切にされるべき命を守れたのだ。

 満たされている。そう感じていた。だから何にも、怖がったり悲しんだりする必要はないのだ。

 

『それの、どこが満たされているんだ! そんな、そんな顔で泣くくらいなら、最初から強がったりするんじゃない! 何故お前は、変な所で物分かりよく——諦めがよくなるんだ! そんな顔のままで死なせたりなど、俺は絶対にさせないからな!!』

 

 ……泣いている? そんなはずはない。だって今自分は幸せだ。そのはずだ。()()()()()()()()()()()()()

 悲鳴が、焦燥が、噴悶が聞こえる。それが全て自分の為に表出しているというのは俄かに信じがたい。

 だけど、惜しまれながら終われるのは、きっと幸せであるはずなのだ。だから自分も、幸せなはずだ。

 どんなに痛くても、苦しくても、泣いている訳がない。

 ……彼は気づかない。凪いでいる心が、端から固まっていっている事など。その心が幸せと定義した水面の下など、考えようともしなかった。

 また一つ、嗚咽混じりの悲鳴が響く。ドアを押し開こうと鈍い音がする。愛染がもう一度ドン、と体当たりをした直後——

 ——ドアが勢いよく開いた。

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